目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

食べることこそが元気の源ーお持ち帰りの🍱の話等ー

食べることこそが元気の源ーお持ち帰りの🍱の話等ー

 

 

 

久鐵 新瑞店 テイクアウトメニュー

 

兎に角こんな寒い毎日なのでエネルギーの補給こそが大事である。

「年末の大整理及び買い出し」に入る前に肉でも食い是非元気をつけて置きたい。

 

其処で母と相談の結果久鐵のカルビ弁当を食おうと云うことになり本日岡信へ行ったついでにすぐ近くの久鐵へ出向くと駐車場だったところに「お持ち帰り」の店舗が何時の間にか出来て居り其処にてカルビ🍱✖2を買った。

 

此のカルビ🍱は此れ迄にも何度か食して居るが今回のものは何故か非常に美味かった。

カルビ🍱は然し値段が高いと言えば高く家に取っては常に食べては居られないものである。

 

されど其の位に限定されて居ることの方が或は健康には逆に良いのかもしれない。

此れを毎日食って居るとおそらくはまた物凄く腹が出る羽目となりさうだから。

 

 

さて其の食うことはまさに哲學することと同様に現存在に於いて大事なことだ。

わたくしは常に其のやうに両面を行く人間なので食い物に関しては結構うるさい。

 

うるさいのではありますが、所謂食通の方方のやうに「~の食材だけを用い且つ其れを料理し食ってます」とかさう云う気難しさとはまた違うのである。

また有機野菜や自然酵母のパンだの其処迄意識の高い選択をして居る訳では無く結構適当である。

 

また器なんぞも其れこそ「用の美」を備えたところでの作家物の器を使う訳でも無く至極適当である。

逆に紙ナプキン数枚の上にてサンドウィッチを作り其れを食い後はゴミとして其の紙ナプキンを捨てたりなども良くして居る。

 

要するになるべく簡単な食事が好きであり何故なら食事に時間をかけると本を読んだりネットにて検索する時間が其れに取られて仕舞うからなのだ。

そんな我に取り「お持ち帰り🍱」の方が全盛期となった今はまさにパラダイスの如きものなのだ。

 

 

あさくま お弁当メニュー_直営店 (asakuma.co.jp)

 

尚肉系の弁当はスーパーなどで良くカツ丼系の物を買って来るが其れも壱ヵ月振り位に食うとまさに感動的に美味かったりもまたするものだ。

だが概してスーパーの🍱はたとえ有名店が監修したりして居るものでも結局は本格性に欠けるものなのでハンバーグ🍱やステーキ🍱の場合は其の「あさくま」の物を利用するが實は其れも半年に壱度位でのものとなる。

 

が、「あさくまハンバーグステーキ🍱」は安くてー950円ー美味いので是非お勧め出来る。

尚「あさくま」は関西方面へはほぼ進出して居ないが関東の方方は或いは御存じの方が居られるものかと思う。

 

あさくま - Wikipedia

 

其の「あさくま」はかって日進町に本店があり当時小中学生だった我我ーわたくしと弟ーは屡其処へ通って居たものだった。

と言うよりも要するに壱家総出でもって此処へ出向き其れも高級なサーロインステーキを食して来るのが我が家の樂しみであった。

 

尚其の高級なサーロインステーキだけは当時まだ生きて御座った父方の祖父や祖母もまた食うのであるが普段彼等はほとんど肉食をしなかったやうにも覚えて居る。

そんな訳で今思えばまさにさう云うことこそが👪の幸せと云うことなのだらう。

 

でもって其の高級なサーロインステーキの後に小さな「薄荷キャンディ」が貰えまた其れが妙に美味くてつまりは樂しみなのだった。

当時はほぼ半世紀前なので今のやうに食い物屋が溢れて居る時代では無くまた其の日進町自體が今より田舎だったのでつまりはそんなところにこんな洋食店があると大層御洒落なものに感ぜられたりもまたしたものだった。

 

 

其の「あさくま」を当時から牛耳って居たのが創業者の近藤 誠司氏であり此の方は體が大きくまさに豪傑肌の人で屡CMなどにも出演される如何にもパワフルな方であった。

近藤誠司 (こんどうせいじ)| 経営セミナー・本・講演音声・動画ダウンロード【日本経営合理化協会】 (jmca.jp)

まさに其の話が1970年前後のことである。

 

当時此の「あさくま」のステーキ・ディナーを何よりの樂しみとして居た名古屋人はおそらく少なくなかったことかと思われる。

 

「あさくま」の店舗は其の後八事の雲雀ケ丘ー瑞穂区の高級住宅街ーの壱角にも出来た。

また我は其処を良く利用して居たものだった。

 

特に其の付き合って居た女性と都合五度程は其処を訪れたのではなかったか。

 

其処は店舗が地下にあり他のあさくまの店舗とは異なり高級志向の店で店の入り口にはいつも御花などが飾られて居た。

結局其の店が壱番の御気に入りであったが90年代に突如閉店して仕舞う。

 

左様に此の世での全ての事象は移り変わって行く。

あらゆる価値は其のやうに不変では無い。

 

其の後「スカイラーク→ガスト」だのブロンコビリーだの兎に角其の種の「肉が食える」外食店が増えたが家の場合は矢張りと言うべきか「あさくま」が良い。

其れも南区の瑞穂区寄りに「あさくま」の店舗が30年程前に出来實は其処は自転車にて拾分で行ける処だ。

 

其の割りに其処にて「あさくまハンバーグステーキ🍱」のお持ち帰りをするのは半年に壱度位である。

其れも結局はコノミヤの方でより安いハンバーグ🍱を買って来て仕舞うのであらう。

 

 

さて先日石川橋のUFJ銀行へ寄ったついでに高級スーパーのサポーレ|スーパーマーケット|名古屋市 (sapore-nagoya.com)へ寄り少しだけ食い物を買い込んで来た。

 

【名古屋No.1高級スーパー!?】サポーレ瑞穂店の魅力とは | ナゴナビ (nagonavi.com)

 

其の名古屋人の憧れの的のサポーレですが此処はクソ高いものが多いので自分はほとんど行きません。ー家からは🚲でもって廿分で行けるのではあれー

其れと以前此処でウナギ丼を買ったら我が喉を通らず結局野良猫に全部やりましたので其の商品の全部が良いものだとは思って居ない。

 

なのですが此処に限れば矢張りチーズやパン類、さらにワインなどは確かに強いところです。

また江戸前の寿司なども種類が多くありまた数の方も多い。

 

ですが寿司は回転寿司店で握って貰い其れをお持ち帰りする方が幾分か美味いものです。

ですので我がサポーレへ行く目的とはズバリチーズとパンだけなのだ。

 

 

其のチーズが好きですが所謂妙に臭いチーズはダメで専ら英國産のチェダーチーズのファンです。

 

チェダーチーズの特徴とは?美味しい食べ方/おすすめアレンジレシピを紹介 | セレクト (smartlog.jp)

チェダー | チーズの名称 | チーズ辞典 | チーズクラブ | 雪印メグミルク株式会社 (meg-snow.com)

 

其のチェダーチーズですが先日買って來たものは大変美味しゅう御座りました。

なんとなればチェダーチーズはボロボロと崩れるところが特徴なのだが其の御品は結構クリーミイで崩れの方も少ない。

 

ですのでほとんど理想的な英國産チェダーチーズですが實は値段が弐千円弱もして居りました。

ですが巨大なチーズのブロックですのですでに可成の分を家の🐈共に食われたとは言えまだ半分は残って居ます。

 

ところがチーズは仏蘭西パンー🥖ーが無くなると白米とはなかなか合わせられぬ。

其のバゲットー🥖ーももうとっくに食っちまったのでなかなか合わせられぬ。

 

 

ですが、其の英國産チェダーチーズを電子レンジにて加熱すると何と完璧に溶けるのです。

しかも其の溶けた状態のチェダーチーズを放置すると弐、参分で固まり始め其処の半分固まった部位がまた物凄く美味くもなるのです。

 

また電子レンジにて長時間加熱すると周りの方がカリカリとなり要するにチーズ煎餅の如きものが出来る。

では其の部分を食べてみませう。

 

バリバリッ。

おお何て美味いのだ!!

 

其のやうに所謂「家庭科」の方は大変面白い。

またつまるところわたくしは其の「家事」の方が決して嫌いでは無い。

 

 

チーズを日本の食卓へ(昭和編) | チーズクラブ | 雪印メグミルク株式会社 (meg-snow.com)

プロセスチーズ - チーズの種類 | チーズ辞典 | チーズクラブ | 雪印メグミルク株式会社 (meg-snow.com)

世界のチーズの歴史 | チーズを知る・辞典 | チーズクラブ | 雪印メグミルク株式会社 (meg-snow.com)

 

「6Pチーズ」【調査ファイル 】| チーズ探偵団 | チーズクラブ | 雪印メグミルク株式会社 (meg-snow.com)

「雪印北海道100 カマンベールチーズ」【調査ファイル 】 | チーズ探偵団 | チーズクラブ | 雪印メグミルク株式会社 (meg-snow.com)

スパイス × チーズ | チーズを楽しむ・食べる | チーズクラブ | 雪印メグミルク株式会社 (meg-snow.com)

 

こんな風にチーズ壱つにせよ所謂歴史と世界的な拡がりがあり研究してみる価値があるものです。

但し國が「平和」である限りは。

 

まあ日本國の場合も學問的に深読みすればする程にむしろヤバい國であることが壱目瞭然ながら「やれるうちにやりたいことをやって置くべき」との考えを個人的に持ちますので何でもかうして調べ上げた上で「面白いなあ」とさう思って居れば良いのです。

 

バゲットの方もまたピンキリですが其れが必ずしも高級なパンである必要は無くむしろ山崎パンなどのバゲットでも今は充分に美味しくなりましたものです。

其れも僕等が子供の頃には駄菓子屋にて屡ガチガチに干からびたやうな菓子パンなどが売られて居たが今のパン類は総じて美味しくなりました。

 

 

其れでは早速サポーレにて買った石窯焼き?の高級🥖に分厚くカットされし英國産のチェダーチーズを挿み食ってみやう。

 

ぎゃああーー美味ーい なんじゃーこりゃあー!!!

 

そんな訳でかうして幾らエンゲル係数の方が上がらうとも庶民の喜びは明らかに「食う」ことにこそあるのです。

 

ちなみに自分の場合は何せかうして感度の方が鋭いので美味い物、また力を得ることの出来るやうな食い物にはもう即體が反応致します。

従って本日は其の「久鐵のカルビ🍱」を昼に食いましたが故に以降は體がホクホクして居り寒さをほぼ感じては居りません。

 

其のやうに至って現金な體にて要するに其れは此の「高尚且つ高等」な頭の中身とはまるで違いほぼ動物的なものです。

つまりは其の辺の🐕や🐈とまるで同じなのだらう。

 

 

 

今年の「第九」は合唱なし? 「歓喜の歌」に出されたイエローカード:朝日新聞デジタル (asahi.com)

 

さて其の「歓喜の歌」ーシラー作の詩ーを以前わたくしはあえて批判したことがあった。

確かに其れは「人類愛」であり「文明の勝利」を謳い上げるかのやうなものだが「人間中心主義」に傾き過ぎて居る。

 

つまりはまさにそんなことを其処にて申しました。

要するに社會の壱部が壊れて來ればもはや其処では「歓喜」もクソも無いのです。

 

故に「歓喜」では無く「美味い!」とのことだけでも現存在は充分に満足して置く必要がある。

逆に文明の営為は「歓喜」どころか「地獄の苦しみ」へと或は向かっていやあしないのか?

 

 

ですがベートーヴェンのことは別に批判しては居りません。

ベートーヴェンはあくまでベートーヴェンであり偉大な作曲家でせう。

 

だからシラーの方が「抜けてる」と確かさう申した筈です。

 

そんな訳で實は本日もまたスギ薬局にて食い物を買い込んで来たが見通しが甘く放って置いたレジ袋の中の山崎パンのフルーツケーキを参個も猫に齧られましたのです。

でもまさか其れはもう食えないでせう。

 

いやあえて食うことなどもありますが何せ汚い台所の床に落ち🐈の毛やらゴミやらが付いた其れを食う勇気のある人が果たして居られませうや?

 

そんな訳でとても充實した食の日日を此の師走に於いても我はかうして独走して居ります。

其れでは壱週間後にまたお會い致しませう。

 

 

An die Freude

O Freunde, nicht diese Töne!
Sondern laßt uns angenehmere
anstimmen und freudenvollere.
(以上3行はベートーヴェン作詞)

Freude, schöner Götterfunken,
Tochter aus Elysium
Wir betreten feuertrunken.
Himmlische, dein Heiligtum!

Deine Zauber binden wieder,
(以下2行は1803年改稿)
Was die Mode streng geteilt;
Alle Menschen werden Brüder,
(1785年初稿:
Was der Mode Schwert geteilt;
Bettler werden Fürstenbrüder,)
Wo dein sanfter Flügel weilt.

Wem der große Wurf gelungen,
Eines Freundes Freund zu sein,
Wer ein holdes Weib errungen,
Mische seinen Jubel ein!

Ja, wer auch nur eine Seele
Sein nennt auf dem Erdenrund!
Und wer's nie gekonnt, der stehle
Weinend sich aus diesem Bund!

Freude trinken alle Wesen
An den Brüsten der Natur;
Alle Guten, alle Bösen
Folgen ihrer Rosenspur.

Küsse gab sie uns und Reben,
Einen Freund, geprüft im Tod;
Wollust ward dem Wurm gegeben,
und der Cherub steht vor Gott.

Froh, wie seine Sonnen fliegen
Durch des Himmels prächt'gen Plan,
Laufet, Brüder, eure Bahn,
Freudig, wie ein Held zum Siegen.

Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuß der ganzen Welt!
Brüder, über'm Sternenzelt
Muß ein lieber Vater wohnen.

Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.

 

 

歓喜に寄せて」

おお友よ、このような旋律ではない!
もっと心地よいものを歌おうではないか
もっと喜びに満ち溢れるものを
(以上3行はベートーヴェン作詞)

歓喜よ、神々の麗しき霊感よ
天上楽園の乙女よ
我々は火のように酔いしれて
崇高なる者(歓喜)よ、汝の聖所に入る

汝が魔力は再び結び合わせる
(以下2行は1803年改稿)
時流が強く切り離したものを
すべての人々は兄弟となる
(1785年初稿:
時流の刀が切り離したものを
物乞いらは君主らの兄弟となる)
汝の柔らかな翼が留まる所で

ひとりの友の友となるという
大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は
自身の歓喜の声を合わせよ

そうだ、地球上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい

すべての存在は
自然の乳房から歓喜を飲み
すべての善人もすべての悪人も
自然がつけた薔薇の路をたどる

自然は口づけと葡萄の木と
死の試練を受けた友を与えてくれた
快楽は虫けらのような者にも与えられ
智天使ケルビムは神の前に立つ

天の壮麗な配置の中を
星々が駆け巡るように楽しげに
兄弟よ、自らの道を進め
英雄が勝利を目指すように喜ばしく

抱き合おう、諸人(もろびと)よ!
この口づけを全世界に!
兄弟よ、この星空の上に
聖なる父が住みたもうはず

ひざまずくか、諸人よ?
創造主を感じるか、世界中の者どもよ
星空の上に神を求めよ
星の彼方に必ず神は住みたもう

 

歓喜の歌 - Wikipediaより