文明による海の破壊に就いてー+八割方の現存在を牢に入れてみましたー
NHKスペシャル「海の異変 しのびよる酸性化の脅威」
地球の海はどうなる?「海洋酸性化」の実情と対策に迫る NHKスペシャル「海の異変 しのびよる酸性化の脅威」|予告動画 |NHK_PR|NHKオンライン
其のNHKスペシャルの「海の異変しのびよる酸性化の脅威」と云う番組を是非御覧頂きたい。
我も以前此処にて此の問題を取り上げ書いて居るがまさにこれぞ恐るべき問題である。
かうしてすでに現存在は自分で思って居るよりは遥かにヤバいことを仕出かして来て居る可能性が高くある。
尤も八割方の人間は只文明に洗脳されし自我を生きて居るばかりなのでどんな大問題も此の立派な文明が何とかして呉れるとさう思って御座る訳だ。
だがそも其の御立派な文明だと勘違いして居ること自體がお粗末でしかも見当違いな認識である。
「此の文明はかうしてやりたい放題にやり八拾年後にはすでに滅んで居る」との認識こそがまずは正しい。
其の認識より価値観を組み上げ文明を見詰めればもはや誰しも山の中へ逃げて行きたくなるではないか?
つまるところ其れが自称詩人とみんなの認識上の違いなのだ。
で、結論から申せば此の環境破壊の問題はまさにホモ・サピエンスが種として直面する問題なのであり要するに問題がデカ過ぎる訳だ。
つまるところ其れは現存在が築き上げて来た社會としての歴史を直撃する問題であり課題なので個としてはもはや如何ともし難い問題であり課題である。
但し其れに対し主に認識論上の観点から其れを心理的にどう解釈するかにより助かる場合と助からぬ場合が出て来るのではなからうか。
其の心理的に救済されるか其れとも文明と共に地獄へ堕ちるかと云う部分こそがまずは此処での重要な論点である。
つまるところは其の實相として齎されるであらう破壊過程は人類としての業のやうなものなので其れ自體を救うものなど何処にも無いと云う話である。
科学技術の方で何かがやれるとしても其れはおそらくは至極限定的な効力にとどまるもので大筋では其の破壊の過程は止めようが無いのである。
従って其処に於いて宗教的自我を生きると云うことは勿論壱つの救済への道筋となる。
また宗教的自我に限らずとも所謂創造的自我を生きることなどもまた其れは其れで壱つの救済への道筋となるものだ。
では其のどちらへも行けぬ大多数の人人に取り壱體どうしたら良いのですかと云うこととなりますがそんなもんはあくまで自分でもって考えてみて呉れ給え、である。
どだい自分でもって何も考えずにさうして文明をまるで金の宮殿の如くに祀り上げて来た君等の其の認識其れ自體が低級なのだから其の馬鹿若しくは洗脳に殉ぜよとのことである。
だからさうしてみんなでもってデカいことをやるのはそも悪の行いなのだ。
だから詩人は兎に角其れを罵倒し続けて来た訳で其れは何でかと申すと其の大衆による認識其のものが近代的価値の成立を根本より支えて居るからなのだ。
酷い言い方をすれば其の大衆の欲望が近代的な価値の暴走を招き世の全てを破壊へと導くのである。
「赤信号、みんなで渡れば怖く無い」
其のみんなでもって危ない橋を渡り揚句に橋から落ちて地獄界へと堕ちて行くのが其のみんなの価値観其のものだ。
要するに近代と云う価値其れ自體が實は前向きー建設的ーなどころか破壊としての壱種暴力的な価値装置なのだ。
尚わたくしはすでに長く其の近代と云う価値其れ自體と向き合って来た。
其れも學者や政治などの謂わば體制の側の価値観からでは無く自身の持つ藝術的な感性や宗教的な感度の面から付き合って来たのだと言える。
されど學問にはまた其の體制の側の価値観から落ちこぼれた部分をあえて俎上に乗せ論ずる部分もまたありそんな領域でもまた其のことを考え続けて来た。
故にわたくしの意見は藝術や宗教の面からだけでは無く意外と學術的なものなのでもまたある。
我は元元理窟っぽく哲學的な思考の方もまた得意なので其の感度の良さばかりでも無いのである。
近代と云う価値其れ自體と向き合うに当たり勉強させて頂いたのが地元愛知県でかってお育ちになられた梅原 猛先生の思想であった。
梅原 猛先生の思想の場合は所謂梅原日本學であり主に西欧近代哲學批判を基に其れは組み上げられしものである。
まあ保守派と云うか要するに日本の文明のあり方の方が西欧近代よりも優れて居ると云うやうなことを仰ったのだと思われる。
實際に西欧近代よりも日本の伝統的生活ー文化ーの方がより安全であり且つ持続可能性のある所謂「より見識が高くある」暮らし振りである。
かう言うと右翼の方方がウハウハ喜ぶのやもしれぬが但し問題は今や此処日本は其の欧米近代にほぼ蹂躙されて来て居ることであらう。
即ち其の枠内にてむしろ其れを言うてはお仕舞いな訳だ。
かうして先進國家として近代世界を組み上げて来て居る日本は昔に戻れと言ってもよもや戻れぬ話である。
従って出来ることと出来ぬことの区別をまずは付けて置く必要がある。
また社會として其れが出来ぬのであれば、後は如何にして個として理性的に其れと取り組むかと云う話に尽きて来る。
此の場は元元其の種の内面的な意味での見識を高めることを目的とする場であり地球環境の破壊其れ自體をどう阻止するかと云うことに就き論ずる場なのでは無い。
故に地球環境の破壊其れ自體はすでにもはや誰にも止められぬ領域まで進んで仕舞って居るとさう見て置く方がより賢明な見方である。
逆に其れが無いと見る立場、今後も文明は大丈夫だと見る価値観こそがむしろバイアスがかかりまくりでの所謂見識に欠けたところでの洗脳思考なのだからして。
また近代とは左様に如何にも罪深い文明のあり方なのだ。
但し其のことでさえ可成に御勉強を積み重ねようやくさう分かって来る次元でのことでよってさうでは無い方方には其のことはまるで分かっては来ない要するに何も見えては来ないことだらう現實なのである。
さてではあくまで個としては何をどう認識すれば此の悪夢の如き現實から逃れられるのだらうか?
1.理性としてあくまで現實と闘い続けることー人間と云う社會と闘うー
2.価値認識ー価値観ーを社會の側から己の側へとシフトすることー洗脳を解くー
尚わたくしが御勧めしたいのは兎に角幅広くなるべく多くの分野から知識を吸収し社會による洗脳状態から己が認識を解放し其処にてまさに自分の認識をしかと築いて行くことだ。
要するに其の価値認識ー価値観ーの軸足を社會の側から己の側へとシフトして行くのである。
何故其れが有効なこととなるのかと言えば其の絶望的な社會状況から自己を救うのは神佛か又は己の価値観だけのこととなるからなのだ。
ところが其の己の価値観を築き上げて居る人は稀にしか居ないものなのである。
勿論宗教的自我の方でもまた良いのであるが、昨今はかうして邪教が世に蔓延ったりもして居り其処では意外と宗教の選択其れ自體が難しいのである。
で、話が海洋破壊の現實とはズレて仕舞ったやうに思うのやもしれぬのだが海洋破壊の現實とは結局はさうしてみんなが社會ー文明ーの営為を信じて進むうちに結果的にやっちまった大問題なのでもまたある。
極端な話オレは文明なんぞ信じて居ないからもう山の中で独居するぞよ。
などと考え事實さうして居る人も少数ながら居られる訳だ。
基本的にはさうした人人は価値観がシフトされて仕舞って居るので其処に大きな責任は生じて居ないことと思われる。
故に其の文明の営為に対する心理的な向き合い方如何で其の罪深さの度がまた変化するのである。
でもってどうせ参拾年後、また半世紀後に地球環境に取り壊滅的な破壊が齎されるのであれば其処で心理的に救われて居る方がより現存在のあり方としては望ましい訳だ。
つまるところ物理的には其れでもって全崩壊するにせよ見識を高め心を清くして其の破局へと向き合う方があくまで現存在に取りより望ましい生き方となる。
そんな訳であくまでわたくしの場合は物理的崩壊を食い止めることはまず難しいことだらうとさう見て居る。
但し文明に洗脳された侭で其れを迎えるとなると其れは謂わば弐重、参重での苦しみとなることだらう。
よってあくまで精神的な意味で見識を高め且つ自己の思考でもって其の破局に立ち向かうと云うことである。
又は其れを非我化して宗教的見地として自己としての精神を救って行くべきである。
個人的には其の双方を出来ればともまたさう思って居る。
尚其の社會的に成り立って居る近代的価値は今後大きく制約を受け其れこそ様様な価値が壊れるか又は中途半端なものとなって行かざるを得ぬことだらう。
其のやうな社會的破壊に対しても其の自己に於いて確立した価値観こそが有効に働くことであらう。
要するに次第に近代的価値其のものが当てにならなくなって来る訳だ。
また其れは政治の上での失敗と云うよりは近代的価値其のものによる崩壊現象なのだ。ー但し此処日本に限れば政治のあり方の方もまた悪いのだがー
尚近代的価値其のものはむしろ良かれと思い社會が其れを目指したものである。
近代的な合理化其のものはあくまで異常に増殖した現存在に取り必須としての歴史過程だった。
なんだけれども其の価値構築の仕方が壱面的ー壱方通行ーであったが故に近代には歯止めがかからずつまりはやり過ぎて仕舞った訳だ。
尚其のことはなかなか欧米人には分からぬことながら日本人にはむしろ分かり易い部分である。
諸行は非常であり盛者は必衰すると云う其のかっての日本の感性に取っては其れはまた自明のことだったのである。
日本固有の問題は其の日本の感性がスッカリ変わって仕舞った部分にもまたしかと表れて居やう。
【解説】海から貝が消える? 海洋酸性化の危機 | 地球環境研究センター (nies.go.jp)
気象庁|海洋酸性化の知識 海洋酸性化 (jma.go.jp)
其の海洋酸性化や森林の伐採、また頻発する山火事等で生態系は地球規模にて搔き乱され、生物多様性の崩壊は今まさに加速度的に進んで居るのだとさう見て置いても良いことだらう。
ところで以前にも此処で述べたが海洋ではむしろ深海にまで酸性化が進んで居る可能性があるとされて居る。温暖化で「窒息」する海が世界的に拡大、深海でも | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト (nikkeibp.co.jp)
また此のコロナ禍による経済的打撃などもまたさうなのだが結局壱つの問題に限らず複合的に且つ全世界的に其の被害が齎されつつある。
要するに文明が進めば進む程につまりは我我が便利な生活を享受すればする程にむしろ生命に取っての本質的な価値が破壊され其のことにより文明の継続は制限されて行かざるを得なくなる訳だ。
ところが此の種の大問題はむしろ個の立場としては如何ともし難いことであり従って個としてどう意識を変えやうが本質的には解決不可能なことばかりである。
では其の最低地点より考えて行くべきではないかと個人的には考える。
さう、其れは最低地点であり同時にギリギリまで追い詰められた現實なのだ。
ところが現存在に於ける大多数の認識はむしろ全く其の地点には至って居らずよって下らぬイデオロギー対立だの生活だの👪のことだのに掛かり切りな訳だ。
わたくしにはまずは其のことが不可解なことなのである。
其れも四拾年位前からずっとさうであった。
其のやうに破壊は物理的側面であると同時に心理的な側面のことでもまたあらう。
さて、「何が要るのか、また要らぬのか?」と云う命題に就き最近良く考えたりもまたして居る。
かうして資本の論理に長く踊らされるうちに其のことすらもがまた分かりにくくなりつつある。
かと言って我の如き人文者に取っては少なくとも本は居るのでまた次から次へと其れが欲しくなる。
またパソコンの方も来年早早サポートが終了するさうなのでまた買い替えねばならぬ。
勿論其れは正当な要求のやうに壱見見えるが多分に社會の価値観に踊らされて居ることなのやもしれぬ。
であるからして其れを全部止めて昔買った文學全集や万年筆と石だけに囲まれて文哲の世界だけに生きると云う選択が成り立たぬ訳でも無い。
さすればより純粋に己の哲學に生きられやうが事實上はまさに其れが難しいことなのだ。
言わば欲を限定して居る人でもまさにさうなのである。
況やデカい欲を消費して居る人人に取り余計に其の欲望には歯止めが効かぬ訳である。
さて其の「海の異変しのびよる酸性化の脅威」と云う番組は17日の日曜に放映される番組である。
まさに其の日が我が誕生日となる日だ。
其れでもって其の誕生日の前の頃は自分に取り長年に亘り特別な感懐を持つ時だったのだがどうも今年はそんな気がせず相変らず生活に追われ🐈の世話にも追われて居る感じである。
梅雨がぶり返したやうで少し涼しくはなったが其れにしても昨夜は豪雨が降り何かと気候が不安定だ。
庭から歩道へ向けて雑草がすでに長く伸びところが其の雑草も小さな🌸が咲き乱れ殊に美しい。
其のピンク色の花と桔梗のやうな紫色の花が兎に角美しい。
されど其れを刈り取らねばならない。
でないと町内会がウルサクまた刈り取りに来られたりもするのでやらずばなるまい。
そんな訳でまた弐、参日投稿を休ませて頂く。
庭へ戻ると、其処には露草が幾つか咲いて居る。
露草 by グリーンモス (ID:7041483) - 写真共有サイト:PHOTOHITO
丁度こんな感じで、其の印象的な靑は他の🌸には見られぬものである。
また其れを眺めた瞬間に我が持つ本質的な色とは其の露草の色であることが分かった。
さうだ、我は矢張り靑い人間である。
丁度筆記具の方でもヒノキの材を自分でもって靑く染めた銘木ペンを、さうして印度の靑い点眼式万年筆にWANCHERのペン先を組み込んだものを今使って居るところである。
靑はかうしてとても美しいまさに💎の如き色である。
では果たして人間は何色ですか?
所謂玉虫色でせう。玉虫色(たまむしいろ)の意味 - goo国語辞書
但しあくまで2.の方の意味で。
さうかうするうちにまた従妹から駅弁の差し入れが。
株式会社松浦商店 / 復刻弁当 (obento-matsuura.co.jp)
株式会社松浦商店 / こだま (obento-matsuura.co.jp)
さて此の🍱ですが、美味いのです。
其れも普通に美味いのです。
ある意味では高級な食材などよりも美味いのだと言える。
尚我は駅弁フェチですが最近は有名な駅弁よりも地元の此の松浦商店の🍱を兎に角欲して居ります。
駅弁はスーパーなどでも売られることがあるが其れは稀なことです。
故に我に取り駅弁は結局年に壱度食えるか食えぬかと云うところなのでうな重だの蟹寿司だのよりもより貴重な品となる。
ちなみに配達もまたされますが確か壱万円以上からのことなので家の場合はまだ其れを利用しては居ない。
いずれにせよ其の駅弁もまたあと弐、参拾年程で無くなるものなのやもしれません。
故に今しかと其れを味わって置くべきです。
自然からの恵みとして感謝しつつ其れを是非味わって置くべきです。
現存在が今享受して居る価値とは其のほとんどが自然の価値をさうして加工したものばかりです。
故に自然其のものが壊れれば我我が享受し得る価値の殆どはむしろ消え去ります。
自然が壱番大事だと云うことはまさにさうした意味でのことなのです。
ところが現存在の其の多くは認識の方が汚れて居て其れとは全く違う大金だの名誉だのまたギャンブル的なスリルやさらに邪な性欲だのに耽ることを求めたりするものです。
まずは其れが悪の認識であり邪な欲望であることにしかと気付いて下され。
また集団でもって道壱杯に拡がり且つスマフォを視つつ歩くことなどはほぼ犯罪に等しいことだ。
現存在はさうして我から見ればほとんど犯罪者の群れ其のものです。
だからこそ自然もかうして破壊して仕舞うのだ。
さらに言えば八割方の現存在がむしろ牢屋に入った方が似つかわしい位でのものでせう。