目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

筆記具趣味と云う平和に就いて

筆記具趣味と云う平和に就いて

 

 

 

さて相変らず我はあれこれと筆記具マニアとしての活躍は続けて来て居ります。

わたくしに取り筆記具マニアとしての活躍はあくまで精神の領域のことでは無くむしろ寝て食って○○○するが如くに折折での快不快を表す指標のやうなものなのだ。

 

要するに良い筆記具と出遭うと極めて機嫌が良くなるわたくしです。

其れもわたくしの場合は気難しいとされる万年筆マニアの中で其のさらに壱握りの気難しい古典の萬年筆の愛好家なのですから兎に角筆記具に於いてやることが細かくややこしい訳だ。

 

どだい今時万年筆などを使う輩は基本的に変人であり偏屈な人間だ。

でもわたくしに限れば普通の万年筆ファンのおそらく弐倍程も偏屈な筈だ。

 

どだい哲學だの原始佛法だのを日常的にやるこんなわたくしが其の辺の庶民と感覚が同じである筈が御座りません。

 

 

要するにわたくしは最初からもうイッちゃって居る人間なのだ。

さてそんなわたくしがまたカインズとカーマへ行って来ました。

 

其処でボールペン拾本程と老眼鏡を弐つと、さらに血圧計と細細とした部品などを買い込み山崎川へ満開の桜を観に行ったが無論のこと其れはほんの少しだけです。

僕の場合は大衆の熱狂とは常に心の中身が離れて居るのでさうしてみんなでもって何かを樂しんだりは決してしない性質なのです。

 

 

さう云う時はむしろ其の狂乱の様を眺めつつ嗚呼、文明もあと五拾年程もてば良い方なのだらうな。此の者共等には決して分からぬことであらうがまさに其れがほんたうのことだよ。

と自転車を漕ぎつつさう思ったりもして居る訳だ。

 

さうかうするうちカインズの横の道で🚙にクラクションを鳴らされ轢かれさうになりました。

ですがかうして助かって居るうちはまだ良い訳です。

 

さてカインズやカーマの筆記具売り場、特にカーマの筆記具売り場は凄い充實振りです。

但し其処で扱われて居るのは万年筆では無くボールペンやシャープペンシルの類です。

 

尚わたくしはボールペンやシャープペンシルにも手を出す万年筆愛好家です。

勿論鉛筆なども好きで其ればかりか毛筆や筆ペンの方にも興味を持つ筆記具愛好家です。

 

其れこそ「文房四寶」の世界から最新のボールペンやシャープペンシルまで何でも御座れの筆記具コレクターであり愛好家です。

 

 

さて私共還暦世代が小学生の頃はスーパーやホームセンターの筆記具売り場などは無くあるのは町の文具店で其れも小さな店ばかりでした。

 

小学生の我は家から壱番近い文具店で三菱ユニのAIR PEN「ノンボテ」と云うボールペンを買いました。

其の時よりずっと三菱ユニのファンです。

 

中学の頃は其のハイ・ユニの高級鉛筆が欲しかったが高くてダース買いはとても出来なかった。

当時ハイ・ユニはそんな高級筆記具だったのでして、以來半世紀の時が経ったがいまだに我が探して居るものが当時のハイ・ユニの芯ホルダーです。

 

 

ユニボール エア|ボールペン|三菱鉛筆株式会社 (mpuni.co.jp)

 

最近のユニの筆記具で意外と好きなのが此れです。

が、何本も持って居る割には余り使って居ない。

 

不思議なもので特に筆記具の場合は数が多いと大抵は使い切れずに何処かで眠らせることとなる。

さうして拾年位して書いてみるともはや書けなくなって居たりもする。

 

 

特にボールペンやシャープペンシルなどの所謂寿命の短い筆記具は基本的に其の時時に愉しみつつ筆記する為の道具です。

なので買って来ると其れを集中的に使う訳ですが結局壱ヵ月位で飽きて仕舞うこともある。

 

ボールペンやシャープペンシルは例えば弐、参百本もあればまさか使い切れません。

さうかと言って我はボールペンやシャープペンシルを纏め買いー大人買いーする方です。

 

ですが無論のこと万年筆の場合はとりあえず壱本しか買いません。

尤も其れが気に入れば色違いでもって4、5本も買い揃えたりはするのだが。

 

 

さて今回カインズとカーマの筆記具売り場を巡って気付いたことは主に國産のボールペンとシャープペンシルの軸の精度やデザインの洗練度などが異常に高まって居ることでした。

其れこそ我我が小学生の頃の國産のボールペンとシャープペンシル、其れも廉価品と比べるとまさに空恐ろしくなる程の進歩が其処に遂げられて居る訳だ。

 

さうです、實は万年筆の方はかえって昔の物が良かったりもするのですがボールペンとシャープペンシルに限れば世界中で今程優れた製品をしかも安価に提供されて居る時代はかって無かったのだと言える。

先にも述べましたが万年筆の方は金のペン先の鍛金の合理化によりなまくらニブばかりとなりむしろ退化したとも言える訳ですがことボールペンとシャープペンシルに限れば明らかに其れは進歩を遂げて居ます。

 

なんですが、其の良くなったボールペンやシャープペンシルを使い現代人がどんな思考を行い其の内容を書きとどめて居るかと言えば其れもまた疑問な点です。

現代人が皆かっての天才級の思考力を持ち合わせて居るとは無論のこと言えぬ訳なのだから。

 

逆に道具が良くなると考えることがおバカになるやうな感じがしないでも無い。

ついまた皮肉なことを申しますがどうもそんな気がしてならないのです。

 

 

Amazon | Uni ジェットストリーム カラー ノック式ボールペン | ペン | 文房具・オフィス用品

検索しても出て来ないーおそらくは新色ーの此のタイプのJSボールペンをまずは参本選ぶ。

 

尚試筆出来る限りは拾本でも其れ以上でも必ず我は試筆した上で買うペンを選ぶ。

よって長時間に亘り其れを行うので傍から見れば其れは変な行為でせう。

 

ですが其れは精度が高いJS芯にせよ實は大きく個体差が生じて居るからだ。

其れは書き味に関係しつまりはインクフローーインクの出具合ーがまるで違うものなのです。

 

さて我の目の前には本日買ったカーキとピンクのJS軸があり今其れを書き比べてみました。

選んだものであれ、其の弐本の書き心地は微妙に異なります。

 

とは云えすでに選んであるので両方共悪い書き心地では無い。

 

と申しますか今のボールペンで特に書き心地の悪いものを見つけるのはむしろ困難であることだらう。

ですが特に感覚の細かい愛好家である我等はそんな普通は気にしないやうなところをあえて気にしつつ筆記を愉しむ訳なのだ。

 

 

正直申せば此の新色のJS軸廉価版は本数が残って居らずよって拾分な試筆が行えなかった訳である。

よって試筆するペンの数は最低で拾本程、さらに其れ以上ありますと!!と叫びたくなるやうな壱本を選べる訳だ。

 

 

おや、こんなところに変なパイロットのペンが。

其れもよーく見ると全部で壱五本もあるではないか。

ー要するに余り売れては居ないやうだー

 

ジュース アップ | 製品情報 | PILOT

LJP-20S4-CGGクラシックグロッシーグリーン
LJP-20S4-CGLクラシックグロッシーブルー

 

此処の下の方に、其の変なペンが載って居る。

雰囲気的には例のサクラクレパスのペンの如くにマニアックなインクの色合いを狙ったものと思われる。

 

其のインクの色合いは、まさに昔の万年筆用のインキの色合いに近いものなのだった!

かうして元元万年筆屋のパイロットが変なことをやらかしておる。

 

 

うわあー、また嬉しいな。

では五本は買おう。

 

其の新顔料ゲルインキと云うのは、意外と書き心地が良くまるで万年筆を書いて居るやうな気がしないでもない。

さうか、「シナジーチップ」なるかのオートのニードル・ポイントのやうなペンポイントとインクの力でこんなに良い書き心地を創り出して居る訳か。

 

其れでも矢張り個体差はある訳だ。

だから全てを試筆し良い個體を選ぶに限る。

 

今目の前に其のグリーンインクとブルーインクの弐本がある。

では書いてみやう。

 

 

うわあ、こりゃまた凄い書き心地だな。

まるで万年筆を書いて居るかのやうな感じが何処かにする。

 

ちなみに我は紙にはまるで凝らない。

紙に凝るだけで文具代がかさみ大変だ。

 

我はダイソーの百円便箋を月に何冊も使う。

要するに紙の消費量が多いのである。

 

 

其処で今度は先のJS軸廉価版の方に持ちかえてみる。

 

うーむ、甲乙付け難い。

JS芯の方はまたとんでも無く滑らかに書ける。

 

だがあくまでどちらが万年筆の書き心地に近いかと言えば其れは其の変なパイロットのペンの方なのだ。

 

そんな訳で書き心地の良いペンは五百円、千円もあれば今は幾らでも手に入るやうになったのだと言える。

いや万年筆ですら中國の素晴らしい万年筆が今弐千円もあれば手に入る訳なのだ。

 

筆記具の世界は今やさうしてまるで樂園の如き様相を呈しつつある。

其処は確かに技術の進歩こそがそんな世界を齎したのだ。

 

 

さてペンの世界は概して平和である。

確かに「ペンは剣よりも強い」可能性が高くある。

 

尤もペンの世界に此の世の矛盾構造を打ち消すだけの力があるなどとは思わない方が良い。

此の世はさうして常に過剰な欲により支えられた闘争世界である。

 

まさに闘争世界であり諸を破壊せんが為の無慈悲な世界である。

其の無慈悲さを呪わんが為に、其の破壊を阻止せんが為に人間としての理性の働きがあるのであらう。

 

さうして其の理性こそは常にペンを欲して止まぬ。

あくまで其れはペンでありよもや剣なのでは無い。

 

平和を欲するならばさうしてペン趣味を貫け、其れをやって居れば少なくとも心の中は常に平和である。

さうして反戦!でも無くまた「隣人愛」でも無く只ペン趣味を続けることこそが人類の理性への信仰であり未来への期待其のものである。