目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

認識上の四方山話ー1.フジパンの「スペースアポロ」とでん六のピーナッツチョコをどう認識するかー

8.フジパンの「スペースアポロ」とでん六のピーナッツチョコをどう認識するか

 

 

 

 

さても今の六拾代の人人がおバカなところは其れ即ち頭の中がどうしてもマンガチックなことでせう。

其れもいまだ子供心が抜け切って居らずいまだにウルトラマンだの怪獣だのが大好きなところでせう。

 

其れはわたくしのやうな知性派でもまた同じやうなことでいや知性派だからこそ余計に現實逃避を重ねて来ても居り要するに其の現實逃避の世界の方がむしろ現實世界より上に位置して居るのです。

個人的には其のことは所謂団塊の世代の後の世代即ち我我六拾代から始まって居ることだらうと思う。

 

問題は其の六拾代がまさに御爺ちゃん、御婆ちゃんとなりつつあることで、實際其の六拾代の人人には孫が何人も居たりもする訳だ。

ですがわたくしに限り其れは可成に気持ちの悪い現象に見えるのです。

 

何故なら其の妄想的現實を生きる六拾代の人人の孫とは壱體どんな化け物となって居るのだらうか。

 

さて本日は簡単に面白い話を述べて置きます。

ちなみに僕は難しい話をするのが得意ですが實は面白い話の方により興味があるのです。

 

かうしてまるで子供のやうに好奇心が旺盛で幾つになっても大人の枠の中には嵌り切らないタイプですので。ー其れは頭の中が如何にもマンガチックなバカであると云うことに等しいー

 

 

 

"幻"!?のパンが期間限定で復活!その名も「スペースアポロ」!|お知らせ|フジパン (fujipan.co.jp)

フジパン ウルトラマンコラボシリーズ (fujipan.co.jp)

 

さて久々での食い物の話題ですが昨日コノミヤでこんなものを買って来ました。

で、此の「スペースアポロ」なる菓子パンに勿論わたくしの目は釘付けとなった。

 

我は物質のコレクターでもまたあり美しいものや変わった価値のあるものに非常に鋭敏な嗅覚を有して居る。

其れが何と「スペースアポロ」なのですぞ!スペースアポロ、定番のレギュラー商品へ!全国で販売 (tabetainjya.com)

 

さて家へ帰りうがいをしさらに食料品を冷蔵庫に仕舞ってから我はまず此の「スペースアポロ」を食ってみた。

 

ジャリジャリ。

實は此のスポンジ状の菓子パンを食うとそんな音までもがするのです。

 

さて其れは何故か?

生地と生地の間にはさんであるバタークリームにザラメがまぶしてあるからなのだ。

 

 

尚、其のバタークリームですが我我が小学生だった昭和四十年代前半ー1965~1970年ー頃にはむしろ此のバタークリームが菓子の主流だったのです。

其れが其れ以降は生クリームばかりとなり逆にバタークリームは貧乏臭い菓子にのみ使われることとなって行った。

 

なのですが、最近我は其のバタークリームを使った菓子の方が美味くも感ぜられるのだ。

要するにかうして還暦を過ぎ次第にまた小学生へと感覚や嗜好が戻って行くかのやうだ。

 

其の「スペースアポロ」は我にとりまさにウルトラマン級に美味い菓子パンでした。

 

確かに今年になって明らかに壱番美味い物質であった。有吉さん思い出のパン「スペースアポロ」をやっと食べてみました! | ダメもとブログ (damemot.com)

尚コレにはイチゴクリーム・ヴァージョンがあるやうで其れを何とか探し出し是非食ってみたいところです。

 

 

かうして僕の場合は所詮物質マニアですので解脱なんぞが出来る筈もありません。

どだい僕が目指して居るのはあくまで観念的放棄であり物質的放棄などでは無いのです。

 

逆に申せば観念的に社會及び社會関係での価値観から距離を取りむしろ物質界でもって遊び回ることこそがむしろわたくしの望むところなのだ。

だからかうしたものを見つけ其れを堪能致しますとまさに我は幸せ♡であることを實感させられる。

 

 

此処で少し難しいことを申しますと味覚などもまた時や場所の記憶に大きく影響を受ける相対的感覚でありよって必ずしも壱流ホテルでのフルコースの料理が美味く感じられる訳では無い。

特に我の如き還暦少年としての馬鹿に取り其れがむしろサイコーに美味かったと云う御話です。

 

仕舞った!

「スペースアポロ」を買い占めて来ることをつい忘れて仕舞って居た。

早速今日買い占めて来ることとしてみやう。

 

尚其のフジパンの本社は家から自転車で拾分のところにある。

パン🏭もまた其の本社のすぐ近くにある。

 

また其のフジパンの本社の北隣の家が我が知り合いの💎の行商人の家となります。

 

 

さて以前「牛乳パン」のことに就いて以前に此処でも書いて居ます。

【パンまとめ】信州といえば「牛乳パン」パスコ&ヤマザキが作ったパンをまとめたぞ【2020年2月更新】 - 珈琲とけだま (kedamatoriko.com)

 

「牛乳パン」は長野の御当地パンですが其の「牛乳パン」を模した菓子パンが都市部では売られて居ります。

其れでもって其の「牛乳パン」を模した菓子パンも概ね美味いものが多い。

 

要するに其れはシンプルなものの美味さと云うことに繋がることかと思う。

「スペースアポロ」もまたさうなのだが要するに其れは昔風の菓子パンです。

 

対して今ではまさに様々なメーカーが様々に趣向を凝らし沢山の菓子パンを出して来て居る訳だ。

 

ですが其れ等よりもかうして田舎の駄菓子や「牛乳パン」や「スペースアポロ」の方がより美味しく感じられることもままある訳だ。

要するに味覚や嗅覚と云った人間の原始的な感覚は所謂技術、技巧的進歩だけでは納得され得ない部分をまた持って居る。

 

また其れは筆記具や他のアナログ的な道具に於いても成り立つ現象なのだらう。

其の進歩により優位性を保つのは所謂デジタル物だけに於いてのことなのだらう。

 

ちなみに僕は其のデジタル物には元元弱くて其れ以前に機械物にも至極弱いのですがね。

 

 

他方で御買い物や御料理などがまるで苦にはなりません、いやむしろかうして樂しくもある。

但し其れ等の家事にかかりきりとなると本を読み御勉強する時間が無くなりますので其れもまた我慢がならぬことなのだが。

 

いずれにせよ現代の良いところが其の感覚的充足に於いて多様でありまさに個として何でも選んで行けることでせう。

 

左様に過去を見詰めると云うか地方の価値を再発見すると云うかそんな意味では其れが選べるだけむしろ文明は豊かであると言えるのやもしれぬ。

但し其れもまさに薄氷を踏むが如くに危うい均衡の上に成り立つであらう文明のあり方なのです。

 

「牛乳パン」=地方の価値の象徴としての、や「スペースアポロ」=古き良き価値としての、は都市文明壱極集中での価値ヒエラルキーに対しものも言わずに明らかに疑問を投げかけて居る。

つまりは其処に組み込まれずとも良いものは確かにありますと云った御話でした。

 

 

ピーナッツチョコ(ブロック) | 商品 | でん六 (denroku.co.jp)

コノミヤでは先日コレも見つけ其れを買い求め家で母と壱緒に食いましたところ其れがまた素晴らしく田舎臭いピーナッツチョコで其の垢抜けない味自體がむしろサイコーに美味かったのです。

つまりは山形産の御当地チョコレートなので御座ります。

 

何と申しますかもうなかなか壱言では言い表せぬ其のものズバリのストレートな落花生入りのチョコレートです。

 

ですので、東京の産物は矢張り東京の味がしまた大阪の飯は大阪の味が必ずや致しますものです。

名古屋もまた個性の点ではむしろ日本壱の食文化圏なのやもしれません、特に今御勧め致しますのがかの味噌煮込みうどんです。味噌煮込みうどん 愛知県 | うちの郷土料理:農林水産省 (maff.go.jp)

 

けれどもこのピーナッツチョコはまさに山形の味が致しました。

しかも安くてしかも量もあったのです。

 

ですのでさうした地方性と云うものこそが本当はより大事です。

ですが美味いものは都市部に集中することなどもまた確かなことだ。

 

だがあくまでわたくしの場合は此の山形産の御当地チョコレートの方がかうして舌に合うのです。

尤もたまたま其の日に売られて居ただけのことでよってネットにて纏めて買って置く方が話が早さうなのだが。

 

其れと半月位前にTVでケンミンショーの特集番組をやって居り其れを視て居りましたところ東京には「かにすき」が無いことを知り愕然と致しました。

 

 

大阪には近いからなのか此処名古屋でも壱番の御馳走と言えば握り寿司などよりもむしろ「かにすき」や「ふぐ」料理です。

但し寿司は江戸前寿司と押し寿司の両方がありまた饂飩のつゆなども関東風と関西風の両方がある。

 

また其の上に所謂名古屋メシがある訳なのでして要するに其処ではどんなものでも選べる訳だ。

但したこ焼きは普通に昔からあるので元元関西の食文化とは縁が深いのやもしれません。

 

ちなみに今壱番私がしたいのはアノ宮きしめん熱田神宮へ食いに行くことだ。

名古屋めし、名古屋グルメは名古屋名物の宮きしめん (miyakishimen.co.jp)

 

きしめんは元元さう上品な食い物でも無いので屋外で食った方がより美味いものです。宮きしめん 神宮店|熱田神宮の名古屋めし、名古屋グルメは宮きしめん (miyakishimen.co.jp)

それも今のやうにクソ寒い日に行けば客も少なくよりゆったりときしめんを味わえると云うものだ。

 

「かにすき」や「ふぐ」料理はグルメ=食い倒れとしての価値観に基づくものなのだらうが名古屋の場合はもう少し庶民的で地方色の強いものです。

 

其の地方色の強いものの方が今の私には味の独自性として感じられ好みであると云うことです。

さて毎年正月には富山のぶりの寿司ぶりのすし « ますのすし本舗 源 (minamoto.co.jp)を買いに行くのですが今年はまだ其れをやれて居ません。

 

其れがやれて居ないと云うことこそが高級ディナーを食うことなどよりも我に取りずっと気になって居ることだ。

 

 

「味覚などもまた時や場所の記憶に大きく影響を受ける相対的感覚でありよって必ずしも壱流ホテルでのフルコースの料理が美味く感じられる訳では無い。」

 

よって相対的感覚でしかあり得ないものを権威化などする必要は無くむしろ自分が美味いと判断するものをまた此の価格なら値打ちだとさう判断するものを個人的には選ぶことにして来て居る。

 

かってはもう少し食の高級志向だったのですが其の高級さには意外と根拠が無いことに気付き現在はかうして安くて美味い郷土の味のやうなものをむしろ追求して行きたいと思う今日此の頃です。