自然5
生きて居れば辛いこともまたありますが個としてはむしろ何ぞ愉しむことを見出して行くべきなのだらう。
何故なら世の中がかうして悪いのですから。
其の世の中が悪いのと個としての内面のあり方とはまた別の話でせう。
なので世の中は滅びやうがまた中國の属國とならうが其れは我と云う内面とはまた別の話ですのでどうぞ御自由にと云うことです。
どうぞ御自由に文明をやりどうならうと勝手ですのでじぶんはまるで関知など致しませんと云うことだ。
だから僕はじぶんの道を行くだけです。
では早速行かして頂きます。
さて今日は御天気も良くまた相生山へと出向きました。
其処で久々にスーパークリアーなナゴヤの空を見ました。
都會の空はたとえ名古屋でも汚れて居り普段はドンヨリとして居るものですが本日は強風により其の汚染物質が全て吹き飛ばされ天白川の横断橋から遠くの白い山山までもが見渡せた。
ひょっとしたら其れは富士山方面だったのかもしれない。
よって風の強い晴天の日はかうして出掛けるに限る訳です。
逆に曇りや雨の日は出掛けても意味がありません。
自然を愛でると云うことに関し余り意味が無いのです。
だから私はスーパークリアーな晴天の日はかうして山の中に居ることが多いのです。
スーパークリアーな晴天の日はスーパークリアーな光が山に満ち満ちて居り樹木や花や動植物やまた石を其の光が刺し貫いて居るのです。
だから石の鑑別に其れが決定的に影響する訳だ。
ではまた石が採れた?
まあ採れるには採れたが今日は右足のリハビリと自然観察が中心でした。
ですが石が出さうな怪しい場所を弐か所程見つけて来ても居ます。
さうして足が痛い?
まあ年寄りだものですから。
しかもほとんどヨロヨロしながら歩いて居りまして、事實今日は山道の急な階段のところで転び體がひっくり返りました。ー掌も擦り剥いたー
何と其れはもうスッカリ爺の態ではないか?
ですからもう爺ですって。
お前こんな作家みたいなことばかりやって居るから體が弱って仕舞ったのではないか?
まあ何でもいいですよ、嗚呼まさに生きて居さえすればモウケモンでせう。
そんな明石家 さんまみたいな軽薄なことを言って居て良いのか?
いや以前は其の発言にむしろ反発を感じましたが最近🐈が居なくなったりもして其れは多分死んでることかと思われますのでさう云うことから比べれば其の明石家 さんまの発言もあながち間違いでは無い訳だ。
然しお前そんな六拾代前半でそんな爺ではこれから先どうやって生きて行くのだ?
まあ飯は食いますからたとえ殺しても死にゃあしないですよ。
さうか、確かにコロナ禍で自殺する若者なども急増して居るのださうだ。
だが廿、参拾で死んで居てはまるで思想の方の完成も期待出来ぬことだらう。
其処からすればお前は長生き出来て良かったな。
其れも「アタラクシア」に到達出来良かったな。
いやまだ到達は出来て居ません。
其れに近いところまで行って居ると云うことだけだ。
お前の其の自己本位とは壱體何なのだ?
さうして自由気儘に遊び呆けて居る其の社會性の無さとは壱體何なのだ?
いやですから其れが「アタラクシア」を生きて居ると云うことだ。
第壱そんなに眞面目に世の中のことなど、そんな世の為人の為に生きるだなどとは思わない方がむしろ良い。
眞面目な人程むしろさうは思わず其れこそアッケラカンと我が道を行く位が丁度良い。
なる程、すると眞面目な人は眞面目に社會を捉え過ぎて居ると云うことなのか?
どだい宗教団体が如何にも良いことを言うでせう。
でも其れが正しいとは實は言えません。
まあ正しいのは原始佛教と原始キリスト教位なもので他は大抵右のバイアスだの左のバイアスだのまた上だの下のバイアスだのでロクなものでは御座りません。
まさに此の世は生と死が交錯するであらう實存として余りにも辛いところです。
であるからこそむしろいい加減に捉える即ちアッケラカンと我が道を行くことを努めて目指した方が良いことだらう。
其の生と死の圧力とまともに向き合えば結局首を括るか発狂に至るか其のどちらかだ。
なので其処からは是非逃げて置くべきだらう。
即ち逃げるが勝ち、なのだ。
なる程、するとお前の其の自己本位はまさに生きんが為の自己本位だったのだね。
其れもまあ捨て身で生きると云うことですかな、はーはっはっはっはーのはー。
だから、結局此の世は誰もが苦しくなるやうに出来て居るのです。
即ち性悪なのです。
ところが、其れをもし性善説とされて仕舞いますと、其処ではむしろじぶんの方が悪い奴となり最終的には死んでも狂っても構わん奴となって仕舞う。
だが決してさうでは無いのです。
悪い奴はむしろ社會なのであり他人なのだ。
さう思えば自分はむしろ良い子ですので首を括るだの気が狂うだのしなくても良くなるのだ。
なる程、まさに其の通りだな。
悪い奴は世の中の方なので其れとは無関係に僕は生きて行きます。
と其処まで決心が出来るか否かであるな。
其の社會性悪説はかの荀子による思想ですが今回墨子の思想を初めて學びました。墨子 - Wikipedia
さうして其の内容に驚かされた。
何故なら墨子の思想こそが近代思想に対する先駆的思想其のものだったからなのだ。
兎に角世の中は悪い。
とさう思って置く方が自分がむしろ浮かび上がれるのではないだらうか。
で事實としてさうであるなら人類は百年も持たずに滅びませう。
いや五拾年でも或は無理かもしれません。
でも實際には自分が悪かった可能性もまた捨て切れない訳だ。
ならば悪いアナタがさうして生き延びて居るだけのことなのです。
だから其れは悪い社會が生き延びて居ることよりもリスクが小さいとさう申して居るのです。
そんなこんなで、もうバカバカしいので社會を眞面目に受け止めるのは止めませう。
ですが御勉強の方だけは是非至極眞面目にやるべきです。
だから儒家、老荘思想ばかりでは無く荀子もまた墨子もまたちゃんと御勉強しておきませう。
さて今日の朝「正義のミカタ」と云う大阪の番組を見て居て此処は毎回為になるものだから視て居るのだが番組中に和田 秀樹と云う人が出て来て人間はメランコ型とシゾフレ型に大別されると述べられて居た。
1 あなたはメランコ人間? それともシゾフレ人間? - [著]和田秀樹 - 犬耳書店 (papy.co.jp)
さて我の此処での質問の答えは全てNoである。つまりは全部が否定である。ー此れは女性への質問なので我が👩になったつもりで其れに答えたところでのものー
つまりはわたくしはほぼ完全なメランコ型人間なのだ。
イマドキの「シゾフレ型」
・「みんなと同じ」に価値を置く
・首尾一貫性はなく「今」が大事
・本音をぶつけあう「深い」付き合いは望まず、さらっと広く浅い人付き合い
頑固職人?「メランコ型」
・自分の価値観が大事
・「過去」に縛られる
・人間関係は深く狭く、恋愛は重たい一途!
【本の話】和田秀樹『日本人には「2つの性格」しかない』/イマドキの若者を分かった気に…! │ 連想ゲーム的書評、時々それ以外のもの。 (sunbringermoe.com)より
過去に縛られ自己の価値観が大事でしかも友人とは深く交わり恋人に対しては常に一途。
全くのところ当たって居ます。
で、わたくしが馬鹿だと云う其の馬鹿とは其の「シゾフレ型」の人間の頭の中身のことを指しさう言って居るのやもしれぬ。
つまるところ私には「世間」の風潮や価値観を別のものとして認識するに足る強い自己撞着であり自我としての持ち主なのだ。
であるからこそ私には社會をまた別のものとして捉える認識が或は可能であるのかもしれない。
さて問題は其のシゾフレ型には世間が危機を迎えた時に被る心理的打撃がより大きくなると云う点なのだ。
其の意味では明らかに「メランコ型」人間の方が立ち直りが早いことだらう。
またさうして過去が好きなのだから未来がたとえお先眞っ暗であれ最終的には其れはどうぞ御自由に、であらう。
さらに社會の危機の時には心を開いた親友に悩みを打ち明け慰めて貰えるのやもしれぬ。
要するに其のシゾフレ型は社會のあり方を信用し過ぎ且つ他の人間の評価を気にし過ぎて居る。
また要するに「メランコ型」人間は思慮深く且つ重い人間であり、逆に「シゾフレ型」人間は短慮で且つ軽く八方美人的な人間であらう。
だからそんな人間は哲學などしやうが無いが「メランコ型」人間にとっては其の哲學や宗教こそが大得意となったりもまたするものだ。
で、私が自己本位にむしろ社會を放棄し己を生きるべきだとさう述べて居るのは無論のこと「メランコ型」人間に対してである。
其れは「メランコ型」人間には融通が利かずさらに心性が極端なので自ら死んだり狂ったりし易い危うさを持って居るからなのだ。
だが其の自己を社會の被害から守る予防策は「シゾフレ型」人間に対してはまるで効かぬ訳だ。
従ってコロナ禍でもって苦しんで居るのはむしろ自己防御が効かぬことだらう心性に居る「シゾフレ型」人間なのやもしれぬ。
だがかうして僕「メランコ型」人間はたとえ社會がどうであれ此の大事な内面を生きて行くつもりである。
だって其れこそが實存的価値なのだからこそ。
社會のことよりもむしろ其れが大事なので必然としてさうなる。
さうして時間をかけよろよろと山道を登りつつ石を採ることの愉しさはまるで社會とは関係の無い實存的な価値の範疇にあるものだ。
其の實存的な価値の範疇のものは誰にでも分かると云うものではむしろ無い。
であるからこそ其れが唯一の個としての価値ともなり得るものだ。
故に其の石採りや自然観察や自転車でのサイクリング、そんなものが全て私にとっては生の實感其のものでありむしろ社會としての価値よりも上位に位置付けられるものなのだ。
さうして自己としての価値観を大事にすることこそがわたくしの生に於ける理想であり且つ其れが「アタラクシア」へと至る為の唯一の道なのだ。