かうして「限定」的に食うピザの壱種凄まじい美味さー『旅してゴメン』から逆に感ぜられたところでの「限定」することの大事さー
結局掃除出来ずむしろ書くことだらけになりかうして戻って来ましたがまたすぐにでも掃除に戻る積もりです。ーつまりはすでに作文中毒となって居るのかもー
「人を平気でいじめる人」のたった1つの特徴 (msn.com)
其のひろゆき氏はかうして相変らず素晴らしい認識をされて居ます。
個人的には人を平気でイジメたり人を搾取したり貶めたりするのが好きな人の認識は曇りに曇りさらに腐ってさえ居るとさう感じられる。
其れを壱言で申せば「馬鹿」だと云うこととなる。
逆に「利口」とはまさに僕のやうに認識をすることをさう言います。
要するに常に考えが深くありまるで文學者であり哲學者でありゲージツ家ー詩人ーでもあるやうな認識をして居ると云うことだ。
でもって僕は結構人を良く罵倒したりもまたするのだがあくまで其れは其の人の認識がオカシイからさうして居るのです。
ですが別に自分が神であり佛であるとは實は思って居なくて其の神や佛の認識からすれば自分の認識もまた最低ラインにあり要するに其れはほとんど地に落ちたレヴェルでの認識だらう。
なので自他共にさうして地へ落ちてる馬鹿ー但し僕の場合はあくまで利口馬鹿ーですので人を平気でイジメたり人を搾取したり貶めたりする心理的な余裕などは何処にも無い。
逆に其の種の心理的な余裕を妄想するのはつまりはバイアスが強くかかって居り要するに壱方的な価値認識に洗脳されて居る訳なのだ。
其の自他共にさうして地へ落ちてる馬鹿であることがイザ分かればむしろ其処に共苦であり慈愛、慈悲の感情へと至ることが出来る。
なんですが我は其れがありながらむしろさうして人を罵倒し「バカ」で「アホ」だとさう屡罵る。
なので實は悟り切れてなどはまるで居ない訳なのです。
其れも原理的なもの、また理窟的なものではすでに其れが「分かっちゃってる」人ではあるのだが…。
其のひろゆき氏が特に文哲の分野に強いのかどうかは知りませんが此の方の言うてることにはかうして常に眞實が宿るので社會への教育的発言の発信者、其の社會への提言者としてはむしろ適任の方でせう。
ウドちゃんの旅してゴメン - 名古屋テレビ 【メ~テレ】 (nagoyatv.com)
さて此の『旅してゴメン』と云う番組が廿年間続いたさうである。
但し全國八局のみの放送でしかも東京や大阪などでは放送されて居ないから知らない人もまた多いことかと思う。
だが我の知る限りでは此の番組こそが最もバランスの取れた旅番組でありグルメ番組である。
其れも此処に取り上げられる飯やスイーツなどは決して高級なものでは無く其の地域に根付いた特産物や所謂個性的な食べ物などが多い。
でもって正直申して東京や大阪で制作される旅やグルメの番組は我我名古屋人にはまるで役に立たぬことが多い。
何故なら東京ー関東圏ーや大阪ー関西圏ーなんぞは滅多に行かないから。
但し其の番組自體を否定してかかって居る訳では無く例えば高田 純次の東京散歩じゅん散歩|テレビ朝日 (tv-asahi.co.jp)の番組などは我もたまに視たりして来て居る。
が、また其れはあくまで「行かない所」での話なのである。
逆に申せば関東人や関西人もまた名古屋くんだりへはまず来やしない。
だから基本的には興味の無いことなのやもしれぬがたまたま本日午前中に見た其の『旅ゴメ』の再放送が余りに面白かったので是非其の番組の内容に就き語らせて頂きたい。
名水わさび|岐阜県大垣市でわさびの栽培・加工・販売 (meisui-wasabi.com)
まずは此処大垣市での山葵農園のことである。
わさびトリビア|名水わさび|岐阜県大垣市 (meisui-wasabi.com)
かうして山葵には種類があり其れも「眞妻山葵」なるものが最高級なのださうだ。
で、自分はカルト人間であり要するに変なものに限り好きなので当然に山葵もまた好きである。
だが山葵に凝って居る訳では無く普段食ってるのはタダの練りワサビであり極たまに生山葵を何故か手に入れ其れを切り刻み食ったりもする訳だ。
但し山葵ワサビ - Wikipediaこそは究極の日本の食い物ではないかとさうも思う。
また我は牛蒡ゴボウ - Wikipediaのファンである。
其の牛蒡もまた相当にカルトな食い物だらう。
また山葵や牛蒡は體に凄く良い気がして居る。
ならば其のカップ麺だのハンバーガーに其の山葵や牛蒡を入れてみてはどうか?
岡山のご当地バーガー・明治ごんぼうバーガー/岡山の街角から (okayamania.com)
確かに其れがかうしてあるではないか。
ハンバーガー | メニュー | モスバーガー公式サイト (mos.jp)
モスライスバーガー/ホットドッグ | メニュー | モスバーガー公式サイト (mos.jp)
うーん、結局モスバーガーには無いのか?
ロッテリアにはあるとの噂だったがもはや其れも無いのか?
メニュー(バーガー) | マクドナルド公式 (mcdonalds.co.jp)
其のマクドナルドにある訳が無い。
倍ビッグマック | メニュー情報 | マクドナルド公式 (mcdonalds.co.jp)
しかしながらコレは!!
もう先程より腹が減ってたまらぬので今是非コレが食いたい!
御年寄りがそんなもんを食うとすぐに死ぬぞよ。
コノ馬鹿め。
逆だ、逆。
年寄りはな、逆に肉をむしろバリバリに食わねばならん。
やうしではコレを弐つ食おう。
其れに弐つ食っても千弐拾円だ。
つまりはモスバーガーよりも安い!
おまけにかって日本のマクドナルドはヘタをコイて変な肉を入れて居たのでソコは充分に社會的に制裁を受け今は大丈夫な筈だ。
嗚呼兎に角腹が減ったー。
其れもかうして腹が減ると思考がストップするな。
するとまたピザーラのピザですか?
ええっ?今何と申されました?
結局またピザーラのピザですか?
うわあー、また思い出して仕舞った。
其のピザーラのピザの美味さを…。
其れでもってついまた頼んで仕舞った、其のピザの出前を。
ちゃんと母ちゃんの分まで頼んだのか?
いや母ちゃんはピザを食べないのだ。
其れにハンバーガーも余り食べない。
さうか、すると世代によりさうして食習慣が違う訳だ。
俺ら還暦世代は其の米國流の食習慣に最初に毒されて来た世代なのだらう。
だがもはや其れは治りぁせぬ。
何故ならもう半世紀近くこんなことをやって来たから変わりゃあしない。
ところで君は以前其のピザのことを弐、参度書いても居たな?
良く覚えて居るな、またそんなことに限り。
だから君は純文學作家ではよもや無くつまるところは其の大衆下品作家なのだよ。
大衆下品作家とはまた酷い言い方だな。
そんな大衆下品作家では無く我はあくまで純文學の其れも飛び切りでの高尚な作家なのだ。
またつまりは純文學飛び切り作家なのだ。
でも君は此の際グルメリポーターとかそんなものになるともしや良い作品が書けやしないか?
…まさに仰る通りです。
でもって今日僕は何を宅配ピザ屋に頼んだのでせうか?
…まるでもってして分かりません。
實は今日はサラダまで頼んで居ます。
と言うのも最近胡瓜を食って居なくて少しウンコの出が悪いかもしれません。
結局今日頼んだのは、
▼ハーフ&ハーフ ピザーラプルコギ モッツァレラとアスパラベーコンのピザ ├サイズ:M ├生地:ハンドトス ├税込価格:2,480円 └数量:1 ▼フォーシーズンサラダ ├税込価格:500円 └数量:1 (フレンチドレッシング) ■税込小計金額:2,980円 ■税込お支払金額:2,980円(内消費税額 220円) ■お支払い方法:現金 ご注文店舗 ピザーラ瑞穂・昭和店
です。
高えじゃねえか。
いやさうでもありません。
前回は確かサラダ無しで此の位の値段でした。
前回は何時頼んだのだ?
確か半年位前だったか?
さうか、すると毎月のやうにピザに齧り付いて居る訳では無い?
さうなんです。
普段はつましい食事を続けて来て居ります。
なのでピザは贅沢品であり其れも極たまの愉しみなのだ。
なる程、すると確かに君が壱概に食うことに放逸だとは言えぬのかもしれない。
結局文明の方のことでもむしろ其の位に「限定」すべきである。
さうして常に贅沢参昧をするのでは無く極たまに其れをすれば良いのだ。
何故ならつましい食事を続けて居ると時に酷く腹が減るのである。
でどうしやうも無く腹が減ったらさうしてピザやハンバーガーに走れば良い。
うーん、またピザ壱つ食うにも理論と言うか哲學が出て来るものなのですね、其れもアナタの場合には。
さう云うことです、要するに現存在のあり方には常に其の哲學的規定こそが是非必要です。
さても大衆下品作家さん、貴重な教えをどうも有難う御座いました。
会社概要 – 川崎文具店 (kawasaki-bunguten.com)
万年筆とインクの専門店 川崎文具店 (kawasaki-bunguten.com)
次に其の『旅してゴメン』にて紹介されたのがこちらの文房具店でした。
此処に限り初めて知りましたのですが我は文房具屋には勿論詳しく其れも愛知県内で有名なところはほぼ訪れて居ます。
と言うか廿代の後半の頃はさうして塾の講師をしながら主に名古屋市内及び近郊の文房具屋巡りをして居りまさに其れこそがメインでの趣味でした。
【川崎文具店】 – 大垣ビジネスサポートセンター Gaki-Biz(ガキビズ)
文具店5代目は「錬金術師」 選択と集中で万年筆ファン殺到のブランド確立 | ツギノジダイ (asahi.com)
でもって此の店の文具其れも万年筆に對するカルト度は特筆すべきものがまたあるやうです。
どだい此の店主の方の万年筆への入れ込みやう、其のイって仕舞って居る度合いが凄くまた店主の恰好自體も妙に偏執的だ。
まあ趣味でも學問でも結局は其のイキ方が酷い程凄くなるものです。
文化文明とはつまりは其のイキ方の酷さでもって創ったものだ。
また文學だの絵画だのさうした藝術の分野もまた其のイキ方の問題だ。
但し其のイキ方が凄いのを肯定するかまた逆に否定するかは意見が分かれるところです。
我はさうして半世紀程にも亘りペン趣味をして来たが次第にまたかうしたイキ方とは違うものを指向して来て居る訳です。
ですが其のイキ方、入れ込み方は良く理解出来るし其のペンやインクに對する情熱が無いと其のカルト度の高さや趣味としての凄みは望み得ない。
ですがまた其処にあえてイキナリ醒めたことを申せば、
ペンもまたインクも究極的には壱本、壱瓶あれば他は要らないのです。
即ち万年筆が壱本あれば良く、さらにボールペンが壱本、インク瓶が壱つあれば其れでもって事足りませう。
おまけに其れはむしろ何でも良いのです。
たとえ中國製でも印度製、露西亜製でも今のものなら充分に間に合います。
むしろ壱番懐疑的なのが現在欧米圏での万年筆の値段が高騰して仕舞って居り要するに其れが特権的富裕層のステイタス・シンボルの如きものに化して来て仕舞って居ることだ。
即ち万年筆は其の欧米圏にて生まれたがもはや現在は其れが末期状態と云う感じが次第に漂いつつもまたある。
ですが其れとはまた別に「日本的」に万年筆の趣味を貫くことは悪いことでは無い。
さて我はさうして万年筆の世界をすでに泳ぎ切って来た人間です。
そんな自分がむしろ指向するのは要するに「限定された万年筆観」だ。
故にあくまで個人的には万年筆のインクはパイロットのブラック壱色です。
ーより正確には四色程を使用するが其れはかって求めた多くの色インクを消費せんが為にさうして居るー
だが万年筆を今売ろうとすれば必然として其のカラーインクにて集客し其れも万年筆離れが進む現代のことですので兎に角万年筆を壱本買って貰わねば話にならぬ訳です。
ですのでかうした試みを否定はしないが個人的にはむしろ逆方向を見詰めて居ると云うことだけは是非述べて置きたい。
名古屋の万年筆店 三光堂|万年筆好きのブログ (little-my.com)
文房具の聖地・静岡!絶対行きたい静岡文具店8選 (maoichi.com)
其の万年筆の専門店的なところは丸善や伊東屋などを除いてもかうして日本の各地に結構あります。
PEN-LAND(ペンランド)|新品万年筆~ヴィンテージ万年筆の販売・修理専門店です。 (shop-pro.jp)
万年筆専門店ペンランドカフェ 販売・修理 (shop-pro.jp)
こちらなどは壱応名古屋では壱番のところでせう。
ですがコロナ禍以降は其の万年筆文化其のものへの注目度其のものが弱って来て居ると考えられる。
其の逆にむしろ石の文化の方が盛況で要するに考えたり書いたりすることよりもパッと見て綺麗なものの方がより分かり易い訳です。
筆記具とは所詮知的作業の為の道具ですのでそんな感覚的要素よりも實は其の考えたり書いたりする意味の方がより大きく其処に与えられて居る。
ところがコロナ禍の中では其れもまた疎かになりがちなのやもしれない。
まあだから其の万年筆趣味の感覚化もまた仕方が無く且つ必然としての向きなのやもしれない。
万年筆を止めさせたい -皆さんは万年筆を使っていますか?実は私は万年- 学校 | 教えて!goo
万年筆沼から抜け出すただ1つの方法|たかぎし123どっとこむ (takagishi123.com)
最近私は其の万年筆趣味に對してもむしろコレクター側では無い逆の視点から其れを見詰め直すことをして来たりもして居るところです。
「万年筆を使うことが威張って見える」
確かにさうなのかもしれません。
と云うよりも我なんぞは「萬年筆のより高等な愛好家」だとさう自認する訳ですので明らかに弐重に威張って居る。
「万年筆沼」
結局は何にでもかうして沼が用意されて居てソコに嵌るとまず脱け出せなくなる。
また其のことは物質的次元に限らずむしろ精神的次元の方でまた酷く起きたりもすることだ。
要するに其の「沼」への嵌り方をより減らす方向性へと個人的には是非持って行きたい訳だ。
まさに其の「拘り」への理性的反駁であり理性的な解消を其処に努めて行くと云うことです。
また話が壱種難しい…。
いやとどのつまり此の世でのことはむしろ「限定」し「減らす」方へと舵を切った方がおそらくは何でも正解です。
逆に「非限定」化し「増やす」ことは自己矛盾を拡大し未来への可能性を自ら閉ざすことにも繋がりかねない。
するともしや其れを全的に欲望領域に對し課するのですか?
いえでもたまにはピザでも取って食わないと此のややこしい人間の世の中を生きて行くだけのパワーが出ません。
だからあくまで其の欲望の解放と欲望の制御のバランスであり其のバランスとの兼ね合いでの御話となる。
どうもどうも御馳走様でした。
もう食ったのか、其のピザを?
はい大體拾分程でつい先程食い終わりました。
果たして其の味の感想は?
結局前回程ではなかったが大変美味いことに変わりは無かった。
でもってむしろ壱番凄いのはピザを選ぶ際の其のボクのセンスの良さでせう。
即ち其のプルコギとアスパラベーコンのハーフブレンドとしての相性の良さです。
すると君はもはや何をやっても正解なのか?
いえさうでは無い。
ですがこと石と万年筆と食い物の選択に関してはほぼ上級マニアの域にも達して来て居やう。
兎に角かうして美味いものを食うのが誰しも幸せだが問題はまた時間が経つと腹ペコになると云う点にこそある。
また其れが何故腹ペコになるかと言えばみんなウンコになり外へ出るので腹の中にはもう何も無くなるのだ。
じゃあウンコをなるべく我慢すれば良いのだ。
でも其れはダメ。
其れではね、むしろ逆効果だ。
正解とはウンコをなるべくブリブリと出して其の後に壱服すると其れがまた大変に美味いと云うことです。
でももう壱枚ピザを食いたい。
何?たった今壱枚全部をたいらげたばかりでのことではないか。
いやゲージツ家の頭脳には是非もっとピザが要ります。
なる程すると其のピザはTOYOTAかイチローの奢りだと云うことか?
さうです、だからTOYOTAとイチローはむしろ進んで地元の天才詩人に對し壱億円づつを出すべきです。
万年筆、恐怖の3大沼!(2019.4.5更新)|たかぎし123どっとこむ (takagishi123.com)
尚此の方、万年筆に八拾萬を使ったさうですが正直申してみみっちい御話ですね。
我なんぞは多分弐千萬位は使って来た筈です。
尤も其れはやって来た時間の長さと云うこともまたある。
年に五拾萬でも拾年で五百万となり弐拾年で壱千萬です。
年に廿萬でも拾年で弐百萬となり五拾年で壱千萬です。
だから大體年に四拾萬程つまりは月に参萬と少し程を使うにせよ五拾年やると其の弐千萬位になる。
ですが万年筆は澤山あれば良いと云うものではまた無く逆に数を少なくして行く方が良い付き合い方が出来るやうになる。
但し仰るやうに我我萬年筆コレクターはまた単なる愛好家の方方とも異なる。
要するに其処ではコレクターとしての質が上がる程に萬年筆を「筆記文化」として世に伝え遺すと云う観点が出て参ります。
我もまた其の域にまでとりあえずは到達した萬年筆コレクターの壱人です。
ですが、其れでも猶万年筆は出来るだけ減らして行くべきだとさう考えて居る。
其のやうにむしろ全ての価値を限定、縮小する方向へと認識を変えるべきである。
何故なら此の世での眞の意味での価値とはまさしく其の限定なのです。
現存在其のものがむしろ其の限定としての所産である。
ですが其の「限定」ばかりですとまた恐ろしく腹が減るのでたまにはピザ位ならまたハンバーガー位なら食っても良いよと云う御話でした。
サア、秋の夜長はまたフレンチドレッシング味のサラダでも食いつつ是非乗り切らう。
丁度アマゾンから銘木ボールペンの改造部品なども届いたからまさに其れをして行ってみやう。
ゴタゴタ言わずに掃除をしろよ!
イヤ。
其れはまたの機會に。
かうして文化藝術と食欲の秋が此処ナゴヤでもまた深まって行くのであった。