あくまで今の我に取り最高の価値を齎すジンハオの『龍と鳳凰』
JINHAO classic Emboss Gun gray Dragon and phoenix GIFT Fountain Pen | eBay
さて本日は上海からペンが届き其れのペン先交換をして居りました。
今回は素早く拾分程度で作業が終わり現在使用中ー今左手に其れを持って居るーですがまた凄いpenに仕上がったものです。
其の上海は要するに香港と同じくして中國の資本主義としての牙城其のものでせう。
資本主義の良いところはかうして世界中から物を集められる点にあるが資本主義其れ自體は本質的にはむしろ悪の行いなのだらう。
ですが我我は其の悪の資本主義をやりつつかうして地球を壊し続けて行くことしかもはや出来ない。
我は其の悪をやるのならなるべく個として限定し其の範囲でもってむしろトコトンやったれと云う考え方です。
尚我にはかって香港にペン友達が居てかっては屡意見を交わしあって居ました。
其れも英語が不得意なのですが何とか念力と及び翻訳サイトの力でもって会話して居たのであります。
壱度其の香港の彼に五拾萬円近い金を国際送金したことさえもがありました。
其れはモンブランの限定万年筆の代金でしたが其の後送られて来た品は名古屋市北部の人に買って貰い今は手元には無い。
嗚呼其れと伊太利亜の羅馬には拾年程懇意にして居たショップがあり其処の若き店主に当時我が書いて居た万年筆物語のところを教えてあげたことさえもがまたありました。
要するに我はさうして根っからの万年筆愛好家なのです。
最近は然し其の万年筆趣味としてのカルト度が増して仕舞いかうして壱種不可思議な中國の安ペンの世界に嵌り込んで仕舞って居る訳だ。
ですがあくまで飲む、打つ、買う、に嵌り込んで居るのでは無く至極安全な趣味の世界です。
どだい万年筆の趣味の人は矢張り世界的に眞面目な人の方がまた多い。
例えば此処日本ですと教師と医師とでほぼ八割方を占めて居るものです。
其れもわたくしが扱って来たやうな高級限定万年筆の世界などは結局高額な品となる為に其のファンとしては圧倒的に大學教授や病院長などがまた多い訳です。
また中学校や高校の先生などもまた結構居られる。
そんな眞面目な趣味の世界故ー其れも万年筆は基本的に読み書きの為の道具ですのでーかっては矢張り学校の先生や御医者様との交流がまた多くあったものでした。
また我は今そんな多くの経験を積ませて呉れた万年筆の世界に心より感謝して居ります。
こと純文學的な意味でのまた社會的な意味での精神的な苦しみの種はかうして尽きませんのですが其の万年筆だの書籍の世界などとかうして長く付き合って来られたことに対してはもはや「感謝」の壱語より他にありません。
また其の何かと問題の多い資本主義社會に対してもかうして今過去を振り返れば此の万年筆愛好家としての我が活動を支え続けて呉れたものこそがまさに其の資本主義社會としての日本であった。
其れにもまた正直言えば「感謝」の壱語より他にありません。
さて其のジンハオの『龍と鳳凰』は此れで参本目となります。
Jinhao Vintage Fountain Pen Dragon Phoenix Bent Nib Calligraphy Pen Gray-Red | eBay
最初に求めたのはコチラで其れは首軸をも交換しダイアモンド・メダルと云う古い米國ブランドの巨大な八号金ペン先を付けて使用中です。
またコレが正直改造の出来が良く九拾点です。
改造の出来が良いとかうして頻繁に使えるpenとなるものだ。
でもって今回のブラックの『龍と鳳凰』には独逸ペリカンの90年代製18CPF金ペン先を付けてみました。
独逸物のコアなファンの方方にはまさに垂涎の金ペン先です。
尚90年代のPelikanの限定万年筆には其の多くに此の18CPF金ペン先が付いて居たものです。
此のペン先は元より評価が高い金ペン先ですが我に限りかうしてお構いなしに中華万年筆と合體させて仕舞うのです。
でもって今其れを書いて居ますがまさに素晴らしい書き味が其処に得られて居ます。
尚我は万事に於いて先入観のやうなものを持って居ないのでかうして常識人がやらぬやうなことをあえてやって仕舞うことがまた多い。
なんですが其の癖に例えば小学生の登下校は規律正しく行われて居なければまたならぬのです。
さらに道を歩く時、また🚙を運転する時はまさかスマフォなどを視て居てはならぬのです。
だから其れが出来ない人人は基本的に我に取りまさか人間ではあり得ない。
まあ其の様やケモノ並だと云うこととなります。
だから拘るべきところ、其の拘るべき領分がまた世間の人人とは異なることがかうして多い。
ですが根強い独逸物の万年筆のファンの方方からはまさに御叱りを受けて仕舞うやうなことを我は常にして来て居る。
だがまさに良い筆記感だ。
其の細い首軸に無理矢理大きな金ペン先を入れても居ますので普通の人が見るとオカシクもまた思われるのであらうがーペン先が飛び出て見えるーイザ万年筆の仙人に取ってはあくまで此れで良いのです。
尚其のペン先が飛び出て居ることからキャップを被せた場合に閉らないのではないかと思ったが何と完全に閉まりました。
此処からも此のジンハオの『龍と鳳凰』の改造への許容度は高くありまさに様様な改変に適した万年筆であることが良く分かる。
先に日本の家電は「やり過ぎ」であり且つ許容度もまた低いことを述べたが此の中華万年筆はまさに其れとは正反対での御品です。
其れとかうして今極度の円安だとは言え元元単価が低い物ですから今でも参千円もあれば手に入る品です。
参千円と申しますと此処日本での大き目のデリバリーピザがまさしく其の御値段でせう。
さてでは此のゴテゴテのまるで怪獣の如きフィリグリーの万年筆の重さ及び筆記時の全長を量ってみませう。
黑ー116グラム、178ミリ
赤ー110グラム、170ミリ
です。
尚中國の万年筆の良いところは元元筆文化の國ですので結構軸が長い物がまた選べる点でせう。
第壱竹の軸の筆は例外無く皆長い訳だ。
要するに其の長い軸こそが漢字文化を支える重要な機能なのだらう。
逆に欧米圏の万年筆の方が軸は短めです。
其れはおそらくはあくまで記号的なアルファベットと絵画的、具象的な漢字の書き表し方がそも違って居るからなのでせう。
ですからアルファベットはまず藝術表現とはならないが書道と云う文化は矢張り立派に藝術たり得るものです。ー但し西洋にもカリグラフィーなる西洋書道の世界がまたあるー
尚此の重さより分かることなのですが此のジンハオの『龍と鳳凰』は所謂文鎮万年筆の類であり其れでもって原稿を執筆するやうな万年筆では無く謂わば署名用位での御品なのです。
ですが其の辺りの部分もまた我は使用法に拘らないので此れ壱本で何でもやっちゃいます。
要するに長年のペンに関する経験及び柔軟な思考や価値観により實際此れ壱本で何でもやれちゃう境地にすでに至って居ると云うことである。
JINHAO classic Emboss silver black Dragon and phoenix GIFT Fountain Pen | eBay
ちなみに昨年ゴールド鍍金?の『龍と鳳凰』をもまた得て居ます。
其れにはまさに今は貴重となったOMASの金ペン先を付けて居りますが結局ゴールド鍍金?の部分が安っぽいのでむしろ鋳鉄軸の方が良いのやもしれません。
ちなみにこちらはシルヴァー鍍金版ですが結局はシルヴァー鍍金?の部分が安っぽいので矢張りむしろ鋳鉄軸の方が良いのやもしれません。
尚中國の此の種の文鎮万年筆は今や至極出来の良い品となって居ます。
勿論もしも此のペンが万単位の御品であれば我もまたコレを買うことは無かった筈です。
ですが所詮は弐、参千円での御話でありしかも参本買ったにせよ壱万円以下です。
また其のpenを改造すれば至極面白くなると云う話なのでもまたある。
さてあくまで思想的には資本主義もまた是非限定されて行くべきです。
但し其れは常に難しいことだらう。
たまたま我の場合はかうして不思議なピースが上手く噛み合い限定的万年筆趣味の世界でもってむしろ以前以上に樂しく万年筆の世界を遊べて居ます。
ですが普通資本主義とは贅沢ー大金を使うーすることによりより大きく愉しみが与えられるであらう価値ヒエラルキーでの世界其のものです。
なのだがむしろ其れに踊らされて居ては悪の履行者、理性無き只欲望其のものを貪るだけの人間とは言えぬ人間へと次第に変質して行って仕舞う。
従って其処に求められて居るものとはむしろ理性的な意味での金額や分野の限定でありまさに其れは理性的にこそかうして成就されるものだ。
わたくしはさうしていつしかペン趣味其れ自體、ペンに対する欲望其れ自體を限定化して行くことに成功しさうして次第に其処でこそ喜びを得られるやうになった訳だ。
また今わたくしが至って居るpen趣味とはまさに廃品利用のオンパレードともなって居ります。
即ち参拾年程前に熱心に集めた伊太利亜や独逸の万年筆のペン先や部品、廿年程前に熱心に集めた中國の万年筆のペン先や部品、さらに拾年程前まで熱心に集めた米英の古い万年筆のペン先や部品などがかうして現行の万年筆に付けられまさにオンリーワンでの価値を醸し出して行くのである。
まさにソコまでやるが故に安い万年筆がまた壱級品に化けたりする訳だ。
まさにソコまでやらぬと世界で壱本だけの我が万年筆とは決してなり得ない。
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尚ジンハオにはさらに大きく重い此の金属軸の巨大なペンがある。
此れもまた今年求めて居るが其れは鍍金無しの方である。
其れは144グラムあり筆記時に177ミリの長さがある。
此れは改造に時間がかかり結局壱箇月程かけて1920年代の米國のシェーファーLIFETIMEのペン先となしさらに所謂EYE DROPPER化して來て居る。
其の1920年代の米國のLIFETIMEのペン先は至極硬くてゴツイペン先である。
即ち重い軸、其れも百グラムを優に超えるやうな文鎮軸の場合には柔軟なペン先よりもさうしたゴツイペン先の方が基本的には合うのである。
またEYE DROPPERと云うのは所謂点眼式と云うことであり要するにpen軸の中に其の侭沢山インクを入れてある訳だ。
但しEYE DROPPER化は安易に行うとインクがあちこちよりダダ漏れしてまるで用を足せなくなって仕舞う。
即ち其れは万年筆の上級者向けでの所謂秘技なのでありよって余り其れを真似したりはせぬやうにした方が無難である。
さて我が今使う中華万年筆ー新旧合わせてすでに参拾本程もあるーの中で最も所謂「書き味」の方が良いのがまさに此のジンハオのドラゴンpenである。
ではたった今其れを書いてみやう。
うわっ、クソ重っ!
でも何かいい感じの書き味やなあ。
何かかうすっげえ高級な筆記感さえもがかうして致します…。
1.EYE DROPPER化によりインクの流れが頗る良いこと
2.其の龍の意匠のクソ重い金属軸とLIFETIMEの硬めのペン先が完璧に調和しむしろ軟らかい筆記感が其処に醸し出されること
ですので万年筆には限らず物との付き合い方はかうして何処までも奥深いものなのだ。
また其れはかうして経験を積めば積む程に以前には知り得なかった新たな領域がまた必ずや見えて来るものである。
モノと人間の関係とはさうしてむしろ年を重ねる程に深くしかも豊かなものとなり得る。
されどソコにもまた感度の良さや気付きの力が是非必要となることだらう。
此のペンの場合は当初柔軟な古い日本の萬年筆の薄い金ペン先ー巨大なペン先ーを付けてみたが其のマッチングには結局失敗し壱箇月の後にLIFETIMEの硬めのペン先を付けてみたところ其れが完璧に合って居たのである。
よって此の改造には95点が付けられることだらう。
でもそんな文鎮万年筆ばかりを使うと筆記上の感覚の方が何処かオカシクもなりませんのですか?
…我に限ればなりません。
我はさうしてすでに万年筆の方での達人の域にある訳なのでもはや何をやらうがむしろ上手く行くことの方が多く要するに万年筆がすでに分かって居るか、又は万年筆の方からそんな分かって居る人間の方にこそ擦り寄って来たりもまたする訳です。
なる程、するともはやモノである万年筆ともすでに心が通じ合っても居る訳だ。
確かにそんな感じでせうね…。
もう万年筆からは好かれて好かれて仕方が無いと云った感じでせう。
でも腹が減って死にさうになればこんなもんは早う売ってすぐに🍱でも買うことでせう。
まあソコはモノ以前にまずは食い気の方が満足されませんとまるでガマンなどまるでならぬものです。
つまりはもしや🌸よりも団子なのですか?
いや🌸の方も良いが、でも腹が減っては🌸も万年筆も何もまた無いと云うことでせう。
もしやアナタはコレから何かを食おうとして居ますね?
其れはもしや🐈の生肉ですか、其れとも人肉ですか?
いや詩人に取っての夏場の常食はあくまでこんな奈良の蕎麦でせう。
ああ美味い、奈良の蕎麦はまた夏場には最高だねー。
其の奈良の蕎麦と中華万年筆はかうしてあくまで今の我に取り共に最高の価値を齎すものなのだ。