目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

今回得し花梨材の銘木ボールペンに就いてー+🖋の四方山話と「自然」の意義のことー

今回得し花梨材の銘木ボールペンに就いてー+🖋の四方山話と「自然」の意義のことー

 

 

 

 

「僕は今、死んでも宇宙のエネルギーと一体になれる」…谷川俊太郎さん92歳で死去

 

コノ11月もまた兎に角忙しく谷川先生の追悼文を書くことがならない。

よっていずれまたじっくりと構え書かせて頂きます。

 

世間がゴタゴタで騒がしいことと同じくして個としてのわたくしの生活もまさに似たり寄ったりです。

ですがソノ半分位は趣味人生=自分軸での趣味に関するゴタゴタである点が現役世代との違いなのだらう。

 

 

11月20日(水)、まずは床屋へ行く。

いつもの如くにスポーツ刈りの長いのにして気を引き締め是非冬場での生活にのぞむ所存である。

 

でもってニトリの店舗をかれこれ壱年振りに訪れてみた。

何せすでに寒いのに布団が無い。

 

よって防寒着を弐着重ね着をし毛布壱枚のみで乗り切って居る有様だ。

店内には布団や毛布が澤山有りしかもソレがコンパクトに纏めて袋に入れてありまずはソノ手際の良さに驚く。ーつまりは🚲で持って帰れる位の大きさとなって居るー

 

が、本日はまだ布団は買わない。

 

ナゼナラ気になる商品が有る。

ソレが木製のスリッパ立てだ。

 

だがソレは大型の🖊の収納用具と化し得る品となる。

即ち其れを弐つ連結させつまりは壱つを蓋にすれば良い。

 

されどソノ工作はまず連結に使う部品を買って來る必要がありなかなか大變だ。

ソノやうに實は筆記具は収納の方が極めて難しくなる。

 

ところが壱般の世界ではまずはさうはならぬ。

つまり我我筆記具の愛好家、ソレもわたくしのやうな特別に数が多くしかも長い改造筆記具の愛好家ならではの悩みなのだ。

 

兎に角市販の物でソノ要件を充たす品などは無い。

有るとすればオーダー商品だらうがそんなものをあえて木工作家にでもオーダーすればまずは五萬、拾萬もの品とならう。

 

ソコをあえて弐千円位で済ますのがわたくしのやり方なのだ。

あっするとコノスリッパ立ては弐つで1800円程だろ。

 

しかも現品限りとのことでつまりはもう在庫が無いとのことだ。

やうしでは早速コレを買い布団は是非後回しにしやう。

 

…でもここのところ寒いでせう?

うんにゃソレ位のことでヘコたれていてはならん。

 

どだいかっての人類は竪穴式住居に暮らしいやもっと以前はもっともっとさむーい洞窟にこそ住んでおったのだ。

ソレに比ぶればこんな家の中なんぞはむしろ亜熱帯地域みたいなものだらう。

 

だから現代人はついソノコトを忘れるからこそダメなんだ。

アナタはでも弱いニンゲンの癖に意外とココロがハードなんですね。

 

はいさう両面をば同時にイキます。

ソレなどもつまりは太宰 治と三島 由紀夫とを同時にやる感じですか。

 

 

ところでソレでもって理想のペン立てが出來さうですか?

いや出來るかどうかでは無く根性でもってしてさうして仕舞うのだ。

 

さうやると決めたらやる、おおまさにソレが漢の生きる道ぞ。

ニコリとほくそ笑みつつニトリから出る。

 

するとイキナリ河村元ナゴヤ市長の声が聞こえる。

奴の声は常に聞いて居るのでもはやすぐにソレと分かる。

 

あれドコだ、壱體ドコで何かを言って居るのだソノカワムラ氏が?

つまりはソレがイオンの前での応援演説なのだった。

 

つまりはナゴヤ市長の後継候補の応援演説をして居られる。

早速に現地へと飛ぶ。

 

ソノ演説の最後の方を少しだけしか聞けなんだが兎に角氏は國會議員の報酬は高過ぎまたナゴヤ市長の報酬は八百萬で澤山との持論を述べて居られた。

個人的には全くにソノ通りなのだと思う。

 

ソノ侭イオンの駐輪場より様子を窺ったが取材陣の中にはアノCBCの大石キャスターなども居てコノ人は確かにちっこい。

ですが顔は流石に引き締まって居る。

 

ソノ後動きが無かったのでもう帰ることにする。

ソノ折に河村氏に接近遭遇しつつ帰る。

 

つまり🚲を押しつつ河村氏から約壱メートル程のところを通る。ー氏の顔はなんだかデカいー

さらに女性が配って居たチラシ等も貰う。

 

河村氏は保守であれ改革派=市民革命派だから自分は支持し尚且つ応援したい。

 

家へ帰りソノことを母に報告しすぐに自分の世界に籠る。

 

Yahoo!オークション - yigh3790さんの出品リスト

例えばコレなどは凄い銘木の世界のものだ。

 

さうかうするうちにポストを確認するとまた新たにボールペンが送られて來た。

 

ソレは赤い花梨の軸の銘木ボールペンとなる。

 

 

手造り高級銘木ボールペン 花梨

 

1.「自然派」での銘木ボールペン

2.軽くで簡素ー少し観光地の土産物風かー

3.ある意味では可成に個性的

 

コレに對しまずはそんな感想を持った。

 

手造り高級銘木ボールペン 花梨-2

 

4.画像程赤くはない花梨の軸

5.嵌めやうとしたJS芯は嵌まらず

6.出来ればもう弐センチ程長いものが是非欲しい

 

との注文などがまた出るには出る。

だが今や稀有な品ではないかとさう思われる。

 

筆記全長…143mm

筆記重量…19g

筆記バランス…4對6(低重心)

 

コノペンが低重心化されるのはほぼ金属部品を使って居ないからなのだらう。

ペンを良く確認すると首軸のネジの部分迄をも花梨の木を削り仕上げてある。

 

さらにノック部やクリップも同様に花梨の木を削り仕上げてある。

まずはソコのところが得難い品となる。

 

つまりは芯や芯に使われるスプリングを除き金属部が無い。

かうした銘木ボールペンは非常に珍しい物だと言える。

 

よってかソノ使用感はあくまで「自然」なものとなる。

さう「自然」が大好きな人にピッタリと合うペンとなる。

 

さうかではアナタにもまさにピッタリですね。

確かにピッタリです。

 

ですが後弐センチ程の軸の長さが欲しいところです。

 

尚花梨の材の使用感は、

 

7.堅くて強さう

8.でも割れない感じが有り

9.赤い材はもうほんたうに赤くて綺麗

 

とのこととなる。

 

特に感触などに優れる感じはしないが丈夫で日常使いに向いて居る感じとなる。

さて花梨の材の銘木ペンは個人的に数多く持ちおそらく拾本位はある筈だ。

 

ソノ中でも最も個性的なのがこちらの作品となる。

コレは弐、参年前に壱本のみ得られたノック式でのキット型の銘木ペンとなる。

 

花梨バール ボールペン ワンピースタイプクリック式キット1

 

筆記全長…159mm

筆記重量…36g

筆記バランス…6對4(通常の重心)

 

こちらは前部が重さうな割りに後部が金属化されるので意外と低重心にはならず。

さうしていずれにせよ珍しく大型の銘木ボールペンとなる。

 

また實はコノ位の大きさのペンの方が個人的にはより好きである。

かと言って私は手が大きくは無くまるで普通なのだ。

 

但し運筆の方をダイナミックにやりたがることから軸が長い方がソレをし易くなるのである。

 

また實はこちらの方の花梨の材もそれ程赤くは無くたった今比べてみると今回得た物の方がより赤くも感ぜられる。

さらに言えば花梨の材には黄色や茶色迄様様に有るやうだ。

 

 

例えばこちら等がソノ花梨の材の色違いでの販売品となる。Yahoo!オークション - 新品 高級銘木手造りボールペン材種・花梨(カリ...

 

 

いずれにせよコノ銘木ボールペンは手間暇をかけ作られて居るのだと言えやう。

入れてある芯は無名の物ながら書き心地の方は相當に良い。ー芯を交換する必要を感じさせないー

 

さて現代人は普段「自然」を感ずること無く生活するに至った。

ところがコノボールペンが來た県である群馬県山梨県などはむしろ自然が多く有るのだと言えやう。

 

いや地元にせよ岐阜県三重県には幾らでも自然が有る。

さらに實は愛知県でも東側はほぼ奥三河の山ダケとなる。

 

さらに静岡県は北側の方が🏔バカリである。

また南側の方が海バカリである。

 

さう「自然」が多いのに主に「自然」からはカネが生まれずよって現代人は贅沢な暮らしを求め故郷を去り大都市へ移住するに至る。

尤もソノ逆に大都市圏に嫌気がさし「自然」豊かな地域へと移住する都會人などもまた近年は増えるに至っては居るが。

 

だがさうカネが無いと田舎でも生きては行かれぬ。

と云う事はカネが有ればもう世界は彼のものなのだらうか。

 

例えば大谷氏やマスク氏やトランプ氏のやうに。

いやでもソレは違うと思う。

 

ワシはあくまで文人なので大金には元元縁が無く縁が有るのはかうして筆記具バカリ。

またソノ筆記具には木製の軸の物が有り今まさにソレに凝ったりもしている訳です。

 

木製の軸の筆記具に凝ると云うことはソレ即ち机上に「自然」を取り入れることだらう。

だがさうはならないかほんたうは。

 

ナゼナラ其れ等は単なる自然の死骸なのでまさか生きてる自然との對話にはなりはしないのだ。

まあですがソコ迄難しく物事を考えずにタダ単に自然由来での物を周りに置くとの事だけでも現代人に取り大きな變化なのだらう、ソレは。

 

現代人共はソノやうにもはや自然との交感力を失って仕舞った。

だからまさにソコを責めるのが文人としての役割なのではないか。

 

ああさう言えば都會からの移住者の筆頭に数えられるのが文人さんやら絵描きさんやらまた♪家さんやらソレカラほれアノ陶芸家やらと云った所謂變な人達ですよね?

まさか變じゃネエだらう、ソレ等を藝術家と言わんでどうするのだ?

 

そんなゲージツ家の方方ですか?

まさにそんなゲージツ家なのです。

 

アナタはもしやソノゲージツ家ですか?

ダカラドコへ出しても恥ずかしくは無いゲージツ家の壱人です。

 

でもウソだあ。

そんな自分で自分のことをゲージツ家だと規定する人はまさかホンモノのゲージツ家の中には居ませんよ。

 

ダカラとりあえず自称のゲージツ家なんでねえの。

なるほどさうか、ソノ点に関してはもはやコレ以上突っ込めない。

 

ダカラゲージツ家はな、元元高感度なのだ。

またそんな高感度だからこそニンゲンの都市空間が合わないのさ。

 

するともしやコノ花梨軸のボールペンはゲージツ家の為のペンなのですか?

いやさうとも限らない。

 

ナゼナラゲージツ家たるものはどんなペンを使うにせよ詩や小説をば捻り出すものだ。

例えば庭で伐った南天の樹皮を剥ぎソレに穴を開けJS芯をばブチ込む。

 

すでにソレダケで立派な銘木ボールペンだぞよ。

ならば君はまさにソレがやりたいのだね?

 

…是非やりたい。

だが寒いのでまずはストーヴを買いに行かないと。

 

あれ布団ばかりかストーヴも無いの?

さう共に無いのソレが…。

 

じゃあアンタこんな作文してる場合じゃないでせう。

いえ寒さにめげず作文するのが文人の性と云うものなのでごじゃります。

 

 

尚自然とは要するに「永遠性」に向き合うであらう「場」のことです。

逆を申せば文明の諸価値は何壱つソレに向き合うものなの無く逆に限りなく「現在のみ」を求め続ける壱種畸形的な価値追求の場なのだと言えませう。

 

よって文明の諸価値は自然の持つだらう「永遠性」に對し自ずと拒否感を示しむしろソレを加工することでこそニンゲンの居場所を築くやうになる。

故に文明と云うもの自體がすでに反自然とならざるを得ぬ。

 

なので自然を破壊しにかかったのは何も近代以降のことには限らずむしろすでに農耕文明ソレ自體が反自然としての略取を繰り返して來し訳なのだった。

但しソノ破壊のエネルギーは當初小さかったのでソレこそ客観的には自然と仲良く共存してやって居るかのやうに見えた。

 

ところが近代以降はソノバランスとしての箍が外されて行く。

まあ要するに文明が暴走をし始めた訳です。

 

ソレでもって依然として文明はまさに暴走中ですがもはやソレは誰にも止められぬ。

よってまずはそんな實體、實相としての文明の流れを理解して初めて「自然」の持つ力の偉大さ、ソノ神聖さ、かけがえの無さに気付くことが出來やう。

 

ソノ意味でもつまるところニンゲンのほんたうの頭の良さ、頭の中身が理性的であるかどうかと云うことはむしろソコへの理解力にこそかかって居ります。

 

でもソレだとニンゲンも文明も全部が惡じゃないか。

じゃあむしろニンゲンこそが👿なのかい?

 

いや惡魔はあくまで御前だ!

コノ惡魔めが、ええい我に触るなアッチへ行け。

 

そんなに酷いことを言うとまた夜寝られなくなるぞよ。

そりゃどうも御免なさい、では早速君と仲直りを致しませう。

 

ほう、では何をプレゼントして下さるの?

おめえにやるのはこんな鉄拳ダケだーコノバカたれめがー。

 

あれえー何だかとっても気持ちがイイわ。(とさう仲直り♡す)

 

 

さてコノ花梨軸のボールペンですが使う度にむしろ艶艶になって來ます。

つまり手の脂がソコに沁み込み物凄くイイ塩梅になって來る。

 

こんな感じはなかなか得難いのではないかと正直思う。

ソレと軸にはギャザー部が彫り込んで有りソコがまた何とも言えずイイ抵抗感を生んで居る。

 

ソノやうに此の世には探せば何でも出て來る。

さう此の世には何でもが有るのであるが個としてソレを探し切れないとのことバカリなのだらう。

 

 

さてヤフオクの方でコノ11月に凄い萬年筆が相次いで出されソコにて熾烈な争いが繰り広げられて居たので是非忘れないうちにココに貼り付けて置きます。

實際かうした情報は気付かずに終わるかまたすぐに失われて仕舞うものですので。

 

Yahoo!オークション - PLATINUM K14 万年筆

 

ズバリ申せばまさにコレこそが自分に取っての究極の萬年筆です。

要するに戦前のプラチナの蒔絵萬年筆でキャップバンドに螺鈿細工があしらわれる物となる。

 

10.四半世紀程前にナゴヤ丸善にコレが売られて居たことがあった。ソノ値段は拾萬程であった。其れは倉庫より出て來たとのことであった。ソノ折に他にも弐、参本の戦前の蒔絵萬年筆が売られて居た。私はコレのみに興味が有ったが結果として買いそびれて居る。當時は古い萬年筆には余り興味が無く主に限定品を買い漁る日日を送って居たものだ。コノペンは確か参ヵ月程売れなんだ筈だったがソレもついには売れて仕舞う。今思えば生涯で最大の失敗であり万年筆コレクターとしての痛恨事だった。

11.其の後ヤフオクにて弐本程コレが売られて居るのを視たことがあった。だがいずれも高額にて手を出せなんだ覚えがある。

12.コノ御品は如何にも軸の程度が良さそう。されど金ペン先の方がJISマーク入りの戦後の物となるのでオリジナルの品とはならない。にも関わらずかうして高額にて取引きされて居る。まさに本年度で壱番のオークションだったことだらう。

 

Yahoo!オークション - S.S.S. サンエス 万年筆 ペン先 14CARAT GOLD 14...

 

13.私が最終的に進んだのはコノ種の巨大なる🗾の戦前の萬年筆の世界である。でもって實はすでにコノ萬年筆を弐本持って居る。そのうちの壱本は拾年程前に確か青森県から出た御品でソレは程度が良い物だがコノ御品程の程度の良さは無い。また落札時の価格などは當時の記録を視ないと覚えては居らず。

もう壱本は研究所時代に元骨董屋の同僚からタダで貰ったジャンク品のサンエスとなる。ソノ男も兎に角怪しいが萬年筆の方はさらに怪しい。しかしながらホンモノでありタダ頗る程度が惡いダケなのだ。コノペンはキャップが割れて居たので東京のYAMADA師匠に新たにエボナイトにてフラットトップのキャップを作って頂いた。

でもそもペン先が無い。しかも両ベロタイプの古いペン芯なので戦後のペン先などはまず嵌まらず。いや戦前のペン先でもなかなかハマリはしない。丁度其の頃に仙台の萬年筆名工の植原  榮一さんが丸榮百貨店に來られた折にコノペンを見せると「少し前ならペン先が有ったのに残念だ」とさう仰って居られた。

さて當時植原  榮一さんとは色んな御話をしたが特に印象に残るのが東京での万年筆での修行はほんたうに辛かったとさう仰って居たことである。ソノ時にほんたうに辛さうな顔をされ話されたのでヤッパリ戦前と云うのは何かとキツイ時代だったのだなとさう思い知ったものでした。

 

もう兎に角コノペン壱本からでも色んな物語がかうして出て來る。

 

14.でもって實はコチラの方はほぼ本気で狙って居た。だから記録にもあるやうにカネもネエのに六萬六千円程を入札させて頂いた。ところがソコへ弐名のどうしてもコレが欲しい方方が現れさうかじゃあもうどうにもならんわな、ソレにしても良くコンナ物をちゃんと見つける人が居るものだなあ、などと思いつつ私の上位者の名前を視たら何とソノ御壱人が東京のあめふらしさんではないか。

即ち昨年度の古萬年筆の蒐集時に大事な萬年筆を四本も譲って頂いた凄いコレクター(間違い無く超ド級)の方だ。はあー、もうこりゃあ太刀打ち出來ん。だがソコからが實は見物で即ちソノ上位者弐名の壱騎打ちとなり結構値が上がったがソレもよーく考えてみればコノ萬年筆が拾萬以下と云うのは如何にも安い。

でもってソノバトル中はあめふらしさんにゼヒ勝って頂きたかった。つまり知らん人のところへ行くよりは萬年筆を譲って頂いた方の方を応援したくなるのが人情と云うものであらう。でもって結果としてあめふらしさんがコレを得られたので何とか諦めが付きます。まさに持つべき人のところへ品が渡ったと云うことなのであらう。

 

Yahoo!オークション - H017-W6-1591 WATERMAN ウォーターマン IDEAL RE...

 

 

15.昨日たまたま見つけましたところでの超高額でもって落札されたまるで解せぬオークションです。まずはWATERMANの方ですが寶飾軸ながらちっこいモデルとなり相場的にはおそらく良くて四、五萬が付く位のものか。問題はセーラーの戦前の蒔絵万年筆ですが金ペン先がちっこくてしかも切り割りで段差が付きつまりはダメージを受けて居る。確かにセーラーの戦前の蒔絵万年筆は私も視たことがそもありません。なので稀少価値と云うことでのまさに御祝儀相場のやうなものなのか。

16.尚セーラーの古い萬年筆に関しては壱つ話題を持って居ります。其れは今から廿年程前に丸榮百貨店で行われた万年筆の展示會に纏わる御話となる。丸栄 - Wikipediaさてソノ折に我が持ち物としての限定🖋が展示されて居る。だがソレは大したことには非ず。問題は當時セーラー万年筆と懇意にして居た「タテ株式會社」=丸栄百貨店の万年筆売り場に入って居た業者にSailor万年筆が古いソレも戦前の品をも含む萬年筆を貸出しソレが展示されたことなのだった。

尚ソノことに関してはまた來月以降ー來年のこととなるのかもーにゼヒ画像付きにて語ってみたい。

 

以上の如くに物には「物語」の方が常に纏わり付くものだ。

尤もソレもまたニンゲンの創り出す物にそんな「物語」が常に生じる訳だ。

 

だが自然界の方はまた自然界の方でソレとはまた違う物語をずっと語り継いで來て居る。

ニンゲン界が語り継ぐ物語の騒がしさにふと疲れる時にそんな自然界の囁きに耳を傾けてみたりすることもまた乙なものでなくて何であらう?

ー多忙にて暫く投稿を休止させて頂きます。かやうな寒さの折には皆様御身体に気を付けられくれぐれも御自愛下されませ。