目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

ガブリエル氏による文明に対する過激な提言

 

若き天才哲学者が「SNSのアカウントはすぐに削除すべきだ」と真剣に訴えるワケ

 

何と今かうしてかのガブリエル氏が吠えて居るぞ!

 

ちなみに私はガブリエル氏の考え方又は発言に対する支持者です。

何故ならガブリエル氏の考え方又は発言の何処か生一本なところがまさに好きだからです。

 

よって氏の以上の主張に対してもほぼ全面的に賛同致します。

 

 

 

『ー「私たちはSNSを楽しんでいると思っているが、実際には窒息している」ー

 

ーインスタグラムやツイッターなどのプラットフォームには、それぞれできることとできないことを規定する枠組みがありますが、この枠組みが人の行動を変化させているのです。ー

 

ーグーグルは個人の検索行動を利用してその人の行動を操作し、より長い時間、オンラインに止まらせようとするのです。ー

 

ー一方、アメリカのソーシャルメディアでは、このような組織的制御がまったく機能しないのです。

ネット上で誰かに中傷されても自己防衛の術(すべ)がありません。それはとりわけソーシャルメディアを過剰に使用している若者たちに深刻な影響を及ぼします。端的にいうと、アメリカのソーシャルメディア自由民主主義を弱体化させる危険なドラッグなのです。自由民主主義の失墜とソーシャルメディアの台頭には相関関係があるだけでなく、ソーシャルメディアが民主主義の破滅をもたらす主因だと思っています。ー

 

ソーシャルメディアの問題は、人を変えてしまうことです。ソーシャルメディアで人の行動が変わるということは、ソーシャルメディアがわれわれに自己を与えているということです。

しかしフェイスブックに私が何者であるかを決める権限などありません。とんでもないことです。そんなことに時間を費やすよりも、ソフォクレスシェークスピアの作品を読んだり、友人と話をする方がよっぽどいい。ー

 

ソーシャルメディアは人に、「本人が望まない自己」を押し付けているということです。しかもそのプロセスが不透明なのです。ソーシャルメディアは人に新たなアイデンティティを売り付けて大儲けしているのです。ー

 

ソーシャルメディアは自分がもともと持っていなかったアイデンティティを押し付けてくるのです。あなたはアフリカ系アメリカ人だとか白人だとか、左翼だとか右翼だとか、若いとか歳をとっているとか、環境派だとかそうでないだとかを勝手に決め付けます。自分になかったアイデンティティを創り出すのですが、それは幻想に過ぎません。

こうしてアイデンティティを押し付けられると、人は誤った自己概念に基づいて行動するようになります。私は、「確固たる自己がある」という考えを捨てることが自己を見つけることだという仏教の考えに賛同します。私という人間は極めて複雑なプロセスの塊なのです。ー

 

 

ー私たちは本当にデジタル・デトックス(解毒)を始める必要があると思います。そのプロセスを魅力的な観光旅行のようにすれば良いのです。富士山の近くなどで3週間過ごし、その間美味しい食事をして、ネットには一切接続しない。それが第一のステップです。

パンデミックの最中、私はすべてのソーシャルメディアのアカウントを削除しました。フェイスブックツイッターのアカウントを持っていたのですが、パンデミックが発生すると、ただちにこれらをすべてキャンセルしたのです。

驚いたことに、何の不自由もありませんでした。例えばフェイスブックアメリカ人の友人とコミュニケーションが取れないのは困るだろうと思ったのですが、そんなこともなかった。麻薬はやめたら離脱症状が現れますが、ソーシャルメディアはやめてもちっとも困りませんでした。

ですからソーシャルメディアの利用は最低限にとどめることをお勧めします。フェイスブックのサービスの一部は維持しても良いでしょう。友達の近況を知ったり、写真をシェアしたり、他の人と交流することには何ら問題ありません。LinkedIn などはビジネスにも利用価値があるでしょう。ソーシャルメディアには便利な面もたくさんあるのです。ー

 

 

ーあるいは、非常に斬新なアイディアとして、新たなソーシャルメディアを作ることを提案します。今あるソーシャルメディアの問題点がわかっているのですから、それよりも優れたソーシャルメディアを作ったら良いのです。

新たなソーシャル・ネットワークを作ることは良いビジネスになると思います。民主的で倫理的なオンラインのプラットフォームを作れたとします。私のアイディアは、それをアゴラ(古代ギリシャの広場)と呼び、アイディアの市場にすることです。アゴラにかけて「Egora(E-ゴラ)」という洒落た名前をつけてはどうでしょう。E-ゴラは民主的行動を培う場です。そこでは人を侮辱することは許されません。われわれはE-ゴラで良い友人を作ることができるでしょう。ー』ー若き天才哲学者が「SNSのアカウントはすぐに削除すべきだ」と真剣に訴えるワケ より

 

 

ガブリエル氏の発言は然し哲學者にしては意外と過激です。

私は其の過激系のもの言い、又は思想が大好きですので其れに同調する形で是非述べて置きたいと思う。

 

 

まず私が見知った限りでのガブリエル氏は親日派です。

何故なら彼にとり最も大事な筈の哲學には戦前の西田哲學の影響が色濃く見て取れるからだ。

 

其の一方で氏はまさしく反米的です。

尤も其処が如何にも独逸人らしい潔癖な精神を持ち合わせて居るのだと思う。

 

だからやりたい放題の金融資本主義ややり過ぎた自由民主主義に対し可成に批判的です。

 

 

で、私は自分で日本人の中でも可成に潔癖な方だとさう自負して来ても居る訳だ。

 

其の私もやりたい放題の金融資本主義ややり過ぎた自由民主主義に対し批判的な訳です。

 

なので其処に関しては全面的に氏の意見に賛成出来る訳です。

 

 

また以前から私は所謂ソーシャルメディアを批判して来ても居ます。

 

たとえばあんなもんやると馬鹿になるぞ、位のこともかって言った覚えが御座ります。

 

で、其のソーシャルメディアを利用したことなどは此れまでに一度も御座いません。ー視たことはありますが其処で何かを述べては居ないー

 

と申しますか、今でさえ手一杯なのです。

 

只でさえ忙しい毎日なのに其のやうなものを利用し時間を無駄にして居たくは無いと云うのが本音です。

 

 

其の人とのコミュニケーションと云うものは、元来押し付けられてするやうなものではありません。

然し其の「やらねばならなくなる」何かをソーシャルメディアは持って居ることでせう。

 

また其れはスマフォなどにもある要素です。

即ち折角携帯端末を持ち歩くのであれば歩く時にまた駅のホームで電車の中で其れを視て居なければならなくなる。

 

ですがイザ其れをやるとなるとそれこそ危険です。

何故なら戸外は人間が移動するところであり他ごとに熱中するところでは無いからだ。

 

 

勿論PCにも似たやうな毒素はあります。

でもデスクトップパソコンはまだしも抽象度、洗脳度共に携帯端末よりもより低い筈です。

 

もっと遡ればTVにさえ中毒症状が生じます。

だからTVなどもまた厳選した上で即ち番組を選んで視て行く必要がある。

 

其の中毒の本質とは情報の洗脳に対する中毒なのだと思う。

 

確かにあんなTVのCMを見続けて居るだけで強欲資本主義にも洗脳されませう。

だから私は今好んでEテレを視て居る訳なのでもあるし。

 

 

ソーシャルメディアが我我に何かをー特に時間をー押しつけ且つ奪って居ることだけは確かなことでせう。

要するに其れは資本主義とまるで同じやうな論理でもって押しつけがましいものです。

 

米國の文化とはまた体制とはまさに其の押しつけがましさのカタマリ其のものでせう。

 

 

つい其処まで申して仕舞いましたが米國が全部悪いと申して居る訳では無く米國人は日本人にはむしろとても親切です。

 

私は拾年程米國を中心に万年筆の方の取引をかってして居りましたのですが慨して彼等ー米國の店が多い訳ですがーはフレンドリーでたとえば商品に便りを付けて呉れたりもし暫其処に心の温かみを感じましたものです。

 

ですがあくまで思想的には米國の合理思想には何より行き過ぎたところがある筈だと思って居る。

其の面で彼ガブリエル氏と私自身の立ち位置はほぼ同じところにこそある。

 

 

其れと米國の物の保存力は實は凄いのです。

 

米國英國から離脱した人々が築き上げた國でまさに進歩主義でもある訳だが意外なことに其の英國流の物を大事に保管する気風さえもがしかと残って居ります。

 

だから其れこそアノ広い國土からポンポンと百年以上前のアンティークの品などが出て参ります。

ですので米國の文化の全てが合理主義に毒されて居る訳でも無いことだらう。

 

 

むしろ戦後の日本こそがさうした古い物の価値をほぼ全的に否定して行ったやうにも思われる。

何が間違いだと言えば其の種の思想無き経済成長こそが誤りであり失敗だったのでせう。

 

かってかの三島 由紀夫先生が其の部分を大変に心配されついには自衛隊に決起を促すべく隊を説得するに及ばれ挙句には自決されて仕舞いましたがまさに其の通りに日本人は次第次第におバカ化したのではないかと思われてならぬ今日この頃です。

 

其のソーシャルメディアはコミュニケーションのツールとしては広範囲に過ぎー拡大し過ぎー且つ抽象化され過ぎても居ます。

 

其の抽象化され過ぎた領域で所謂繋がるのだがまさに其れがウソー虚ーの繋がりなので其処に様々なタイプでの悪が蔓延り易いのではないかしら。

 

 

ガブリエル氏が奉じる自由民主主義に関しては私は必ずしも其れを奉じて居る訳では無く逆に民主制に拘るのであれば直接民主制を実行に移す方がスッキリするのではないかとも時に考える。

 

但し無論のこと独逸人が自由民主主義を奉ずるのはかのナチス・ドイツ全体主義に対する反省からなのでせう。

 

兎に角私の場合は人間は自由でも無制限なのでも無いと考える限定主義者なので独逸人の反省とはまた違った意味でまさに人間に対し潔癖なのです。

 

 

また其のデジタル・デトックス(解毒)に限らずキャピタリズムデトックスやモダン・デトックスこそが現代人には是非必要なのではないかと私は考える。

 

と申しますのも、人間の思考や行動は元より其の範囲が限定されて居るものだ。

 

故に我我は抽象的に其れを拡張して行くことなどは出来ない。

 

何故なら👪もまた共同体もまた天皇様も國家もあくまで具象的に其処に与えられたものなのですから。

 

確かに天皇様や國家はより抽象度の高い価値なのですがあくまで其れは具象的領域のものです。

ところがソーシャルメディアや又はPCの世界つまりはネット世界にイザ毒されて仕舞いますとまず其処から脱け出すことなどは難しい訳だ。

 

故に其の仮想現實に生きる上での多くの時間を割いて仕舞う羽目ともなり易い。

よってまさに其の為に具象的価値を見失う羽目にも陥り易い訳だ。

 

 

尤も私の場合はかうして文人だと自分で名乗っても居る訳ですので其の表現の場から逃げる訳には参りません。

でもこんなものからは何時逃げたって構わぬ筈だ。

 

抽象的な価値のものとは所詮は其の位の感じでもって付き合うべきものなのでせう。

 

 

尚其の抽象的領域の遮断に関しては非常に興味深い部分です。

 

丁度今瞑想に就き書き始めた訳ですが、其の瞑想こそがまさに究極的に何もしないことの具体化の筈です

 

何もしないことこそがむしろさうして心を落ち着け眞理方向へさえ心を向けるのだとすれば果たして我我は其のことをどう理解したら良いのでせう?

 

だからまさに其れが正では無い負のヒエラルキーとしての構築であり動では無い静のヒエラルキーにこそ関わることなのだ。

 

特に近代以降我我の社會はさうして正の方向、動の状態ばかりを維持しつつ社會を進歩へと導いて来た。

 

其の進歩の末にソーシャルメディアこそが今まさに情報化された社會のアイデンティティとなって居る訳ですが反面其れを遮断したとしても我我にとっての具象的現實が変わる訳では無い訳だ。

 

 

なので其れは所詮価値の押し付けなのだらう。

まさに其処が資本主義社會に於ける下らぬTVCMの垂れ流しなどとも良く似て居る部分なのだらう。

 

全く何だのかんだのと實に押し付けがましい。

いや勿論商品其れ自体は嘘じゃ無く勿論買えばちゃんと其れは届きます。

 

でも大抵そんなものは要らんからTVCM其れ自体をむしろ視たくは無いのであります。

欲しければちゃんと自分で調べて買うからそんなおせっかいな要するに押し売りのやうなことは最初から要らないと云うのに。

 

 

かくして人間の社會と云うものは常にバランスを取りつつ上手くは進んで行けぬもののやうです。

利便性に頼ればむしろ不便にもなり其れを具体的に示せば現在のコロナ禍であり今後文明が直面せざるを得ない地球温暖化の大問題でもあるのです。

 

多様性を求めれば自己の領域が守れなくもなりー移民等の問題の発生ー自己利益にばかり拘れば全体の利益を破壊するに至る。

 

其の社會の上では結局バランスを取ることなど出来ぬので釈迦やキリストが内面にてバランスを取ることを目指されたのかもしれません。

 

 

さて上で「ソーシャルメディアの利用は最低限にとどめることをお勧めする」とガブリエル氏は述べられて居ますがまさに其れは勇気ある発言なのだと私は思います。

価値観の上で言えば其れは戦時中に戦争反対!と述べて居るやうなものなのではないか。

 

私は此の種の一種過激なプロテストの様が好きなのですぐに其れに吸い付いて仕舞いますが其れは結局意味不明の進言として大衆に受け取られて仕舞うのかもしれません。

 

ソーシャルメディアにせよ其れを可とする技術革新にせよ其の根本のところには進歩と云う大前提としての大きな社會的枠組みがある訳です。

 

見る限りガブリエル氏の考え方は其の進歩思想に対して基本的に懐疑的なやうです。

 

いえおそらくは行き過ぎた進歩思想に対して慎重なのではないだらうか。

 

ちなみに個人的に過度な情報社會は「百害あって一利なし」位に實は考えて居ります。

まあ其処は日頃の私の発言からすぐに察しが付くことかと思われますがズバリ私は諸の進歩に対しては物凄く懐疑的です。

 

 

故に其の進歩を今すぐに止めて頂きたい。

 

進歩などもう止めよ!

ストップ・ザ・進歩!

 

なんとなれば其の進歩のヒエラルキーこそが人間の未来の全てを奪い去るのですから。

 

でも何で皆様は其れには反対せず中國共産党の行いばかりを目の敵にして居るのでせうか。

むしろ私には其の論理こそが理解出来ません。

 

いや其れは中國共産党を認めて居ると云うことでは無く中國共産党以上に進歩思想の蔓延の方が怖いとさう申して居るのです。

 

 

つまりは君はあくまで反米としてのアカなのか?

いやさうでは無い。

 

私はすでに思想になど生きては居ない。

言いたいことは只ひとつだけでまさに其れが進歩反対!なのだ。

 

 

何でそんなんなったかなあ。

いやね其れが余りにもマイナスの価値に拘り過ぎていつの間にかこんなんなって居ます。

 

 

ところで橋の下のルンペンさんとはお友達になったりもした?

いえ何処にも行ってませんので誰とも話などして居りません。

 

屡鉱物採集には行って居ましたのですが…。

 

採れたのか?

まあ色々と採れました。

 

さうか、連休中には是非皆様に鉱物採集を御勧めして置きたいところだ。

 

石はいいですよー、何せ進歩など絶対にしないですから。

さうして進歩する人間よりも進歩しない石の方がどうしても私は好きですね。