目覚めよ!

文明批判と心の探求と

コロナ禍での連休の過ごし方と人類に対する深い愛

其の現代文明ー現代社會ーのあり方に関してはあくまで私の見方によれば所謂「危機意識」に欠けて居た、と云うのが正直なところでの私の感想です。

組織の構造的な問題としての其の危機意識の無さ、また個としての精神的な意味での危機感の無さ、さうしたまさに無防備な様が積み重なり現在と云う現實を招いて居ると私は見て居る。

 


其の危機感を持つことと云うのは、まさに理性の働きなのだと思う。

 


なのだが其れが持てずに終わるのであれば、要するに人類には理性が無かったか又は欠けて居たと言われても仕方が無い訳だ。

 


さてこんなやる気の無い私でもすでに長く此の世を生きて参りましたので世間ー社會ーの様だけは其れなりに長くも見て来て居る。

其処で感じたのは人間は可成に利己的な動物であると云う其の一点でした。

 


ですが其の利己的な部分へは誰しもが陥ることでせう。

其れは誰しもまずは自分が大事で、次に👪が大事で親戚が大事でひいては恋人、友人、知人、さらに共同体、帰依する宗教団体、郷土としての日本、國家としての日本と云うやうに其処に「愛のヒエラルキー」が形作られて行くからなのです。

 


さうして最後の方に地球乃至は大宇宙と云ったデカい価値観が登場する訳だらう。

 


ですが其の所謂常識的価値ヒエラルキーとは何かおかしくはないですか?

 


むしろ其の逆のヒエラルキーを構築してみるとむしろ簡単に其の自己が大事だ病に対し薬を与えることが出来るやうにさえ思える。

 

 

 

私が其の「価値観の転換」を説くのは其れは宗教的見地からなのでむしろ無くむしろ現代社會に洗脳されし大衆の価値観を解き放つ為が故にです。

 


ですから、前々より私には現代社會が危ういものとして認識されて居ました。

其の認識を齎すものが謂わば詩人的視野でもある訳です。

 


詩人的視野即ちかの宮澤 賢治による「ぜんたひの幸福」としての概念でせう。

其の「ぜんたひの幸福」が成らぬと云うのにグローバルに成し遂げられる自己利益の追求ばかりに走る現代社會のあり方こそは明らかに病んで居りました。

 


でも会社のみんなや共同体のみんな、また國をやって行くみんなはまさかそんなことまでは考えて居なかった筈です。

ですのでまさに其の様が「理性無き」獣としての様其のものなのだ。

 

 

 

で其の獣共よりはたとえば宗教に走って居る方々の方がまだしも心が清い訳だ。

事實私が見知った限りでは宗教に走って居る方々は眞面目な方々が多く其の点ではまさしく頭が下がる部分でもある。

 


逆に世間では屡次のやうなことが横行して居る。

 


たとえば社會的な地位だの肩書きだのに胡坐をかき往々にして其の陰に隠れてコソコソと悪いことをして居たりもする。

余計にタチの悪いことに、其の社會的な地位だの肩書きだのが出来ると金が沢山入って来ますのでイザさうなればもうしたい放題です。

 


さうして美味いものをたらふく食い、かつ妾さへ囲い、おまけに一流品をしこたま買い揃えもう何でもがお望み通りだらう。

 


其の美名の元に、其の社會が認めた善なる価値の元にさうして集う獣共の何と汚らわしいことか!

僕には金があり地位があるからおまえら貧乏詩人などとはまるで違う特別な人間でしかもかうして👩にもモテるのだ。

 

 

 

正直申しまして、其の汚らわしい社會のドレイ獣としての醜い心の堆積こそが現代社會を追い詰め或は破滅へと向かわせて居ることだらう。

 


たとえば医師会や看護師。

 


確かに其れは人間の命を救う正義の味方の筈ですがほんたうはむしろそちらの側にこそ問題がありはしないのか?

 


たとえば國会議員。

 


其れにアノ馬鹿元法相。

 


其れにアホな環境相

 


うわあ小池妖怪都知事

 


アアー、そんなこんなでむしろ能力の無い奴等ばかりが政治家になって居るのだぞよ。

 

 

 

さて其の危機感とは理性が感じ取るべきもののことです。

理性は欲望ばかりには走らず屡立ち止まり反省する働きをしかと持って居る。

 


だが何故政治家達には、また資本家達には、さらに今の教師や學者、宗教家等には其の理性の働きが少ないのだらう?

 


其れは価値ヒエラルキー構築に於ける一種の構造的問題で要するに其処には逆構築が無いが故に全的に正のヒエラルキー化が図られて居るからのことだ。

正のヒエラルキー化、即ち全てを正の序列社會としますと、實は危機管理が出来ずもしも其れが訪れれば其の正の序列社會ごと崩壊して行くより他は無いのである。

 

 

 

逆に負としての秩序、謂わば逆方向での価値ヒエラルキーを非常時用に確保しておくことこそがまさに理性的な危機に対する対処法なのだらう。

そんな訳ですので現代の社會は眞の意味での理性には欠けて居た即ち社會其のものが馬鹿でしたと云った話のオチです。

 


で、其の馬鹿は利己心より生ずると先に述べました。

利己心の蔓延した社會でもって其の馬鹿を治すのは極めて難しい筈です。

 

 

 

でも馬鹿を続けて行けば行く程に社會は崩壊して行きます。

 


第一すでに其の社會としての正の価値ヒエラルキーが崩されても居ます。

まさに其れがコロナウイルスによる具象的限定のことだ。

 


事實全國各地の観光地では今も閑古鳥が鳴いて居ます。

度重なる経済的な打撃により自治体もまた國も疲弊し日本人が何時飯が食えなくなるものやら知れたものではない。

 

 

 

だから其れは所詮理性が無かったからさうなって行くことであるに過ぎない。

だからほんたうに頭の良い奴、またほんたうに心の清い人々などをむしろ蔑み馬鹿がつまりは獣が其処に繁殖しおおまさに日本の社會をグダグダのドロドロにして行ったからこそさうなったことであるに過ぎぬ。

 


ーこのところ新興宗教を攻撃して居たやうでしたが其処のところはどう決着が付いたのですか?一転して今日は宗教を認めるやうな発言をなされて居ますが。ー

 


いや、宗教はね、其れは其れは尊いものですよ。

宗教とは花です。

 


花?

其れも心の花です。

 


其の花にはね、勿論芳香がありますが毒気もまたありませう。

 


宗教とはかの宮澤 賢治の志其のもののことでまさに其処にて藝術と宗教の一致をみるもののことだ。

 

 

 

藝術と宗教の一致とは此れ如何に?

 


そも眞理探究の方法には弐種がある。

 


ひとつが眞我の形成でいまひとつが非我としての矛盾を愛することだ。

 

 

 

獣としての己を放逐するのが宗教の目的ですが藝術の目的は獣としての己に殉ずることだ。

 


もしやアナタは?

 


さうなんです、其の両方をやらうとして居ましたのですが早々と撃沈されました。

 


其れで藝術的自我を生きやうとさうしてもがいて居なさるのか?

 


いえまるでもがいてなど居りません。

 


何故ならもがけばもがく程に観念地獄としての深みにハマるだらうからです。

 

 

 

でも其れって社會の問題とはまた違う話ですね。

確かに違う話なのだし社會の問題の方がより低次元された問題なのです。

 


此の社會が問題なのはさうして正の序列化により価値観が硬直化されて仕舞って居ることに他ならないからだ。

なので危機に際し有効な手立てがまるで打てない。

 


また其れは文明規模でのものなので部分的に何を言って居てもまるで役には立たない。

文明規模での問題は國連などの國際機関が解決すべきものでせうが其の國連自体が正の序列化されて居るだけのことなので其処から有効な対処策を編み出すことなどは不可能だ。

 


では何を見るべきなのですか、今何を?

 


たとえば橋の下に居られるルンペンさんなどの生活の仕方などから學ぶべきなのではないか。

 

 

 

また極端な話を…。

だから頭がおかしいとさう思われて仕舞うのですよ。

 


でも其れがほんたうのことだよ。

 


むしろ逆ヒエラルキー化をする為に其れをこそ見詰めておくべきではないのかな。

 


むしろ其の位の柔軟性でもって世界としての価値の把握をして置く方が危機の折には何かと役立つ筈だ。

 


では果たしてみんなは此の連休をどう過ごすべきなのですか?

 

 

 

1.宗教に走るー此の際新興宗教なども可ー

2.山に籠るー山で駆け回り遊び瞑想にも勤しむー

3.家に籠るー部屋で静かに哲學書、文學書などの読書に勤しむー


4.むしろ観光地へ出掛け遊んで来るー何せ空いてるので楽しく遊べるー


5.むしろ百貨店でお買い物をして来るー何せ空いてるので楽しくお買い物が可能だー

6.むしろ飲食店へ出向き美味いものをたらふく食うー何せ空いてるのでサーヴィスの方が良い筈だー

7.橋の下のルンペンさんなどと交流してみる

 


要するに正の価値ヒエラルキーには束縛されぬ生き方を今あえてしてみよ。

 


くれぐれも其処で日常をなど具現化せぬやうに。

むしろ普段はとても出来ぬやうなことを其処であえてしてみるのだ。

 


すると妾と遊んでみたりして非日常を体験することもまた可なのか?

 


残念ながら其れは✖だ。

其の👩遊びだけは絶対に✖だ。

 

 

 

此のコロナウイルスによる具象的限定が正の価値ヒエラルキー破壊を齎して居ることは善悪で云えば善なのですか、其れとも悪なのですか?

 


だから其れは正の価値ヒエラルキーからすれば悪の出来事なのだし逆に負の価値ヒエラルキーからすればむしろ善の出来事だらう。

故に其の価値規定をむしろ社會の側からすべきでは無いと云う判断である。

 


其のやうに概念分別には必ずや二極化が行われるので価値は相対化して行かざるを得ない。

こと社會の問題に限れば問題は価値の相対化其れ自体にあるのでは無く正の価値ヒエラルキーに拘り続けることで危機から脱し修復しやうとする其の方法論としての選択を誤って居ることにこそある。

 


逆に言えばコロナ危機は社會の価値観を逆転させる為のむしろ好機である。


まさに其れぞ価値ヒエラルキーを逆転させよりフレキシブルにまたより視野を広く保つ=ぜんたひの幸福を見詰める為のまたと無い機会であらう。

 


さうだ、こと資本主義経済体制にとっては確かに大打撃なのだが人類の心の進化にとっては逆に最大の好機である。

さらに其れは社會的に行われる大衆への洗脳を解く為のまたとない機会なのでもある。

 

 

 

故に其の意味でのまさに今を大事にしやうではないか。

此の危機の今を大切に生き人間が人間として持ち得る価値観に就きいま一度個として吟味してみるべきだらう。

 


強く生きるとはまさにさうしたことなのだ。

強く生きるとは社會の価値観に盲目的に従い生きることとは違う。

 


どだい我我個には其のひとりひとりに理性の力が宿って居る筈だ。

其の理性に対し常に誠實であれ。

 


理性の最高位には神がおわす筈。

神で無ければ其れが佛だ。

 


理性に基づき其れに従い生きることは神ともまた佛とも矛盾することなどは無い。

さうして神佛の前に常に誠實であれ。

 

 

 

業火に灼かれる其の獣共の世界に光が降り立ちおおまさに其れぞ理性の灯なのだらう。

神であり佛であり且つ人間でもある其の理性の光のさ中へとたった今サア飛び込め!

 


我我の価値観はさうして正しいやうで居て實は正しくは無かった。

善のやうで居て實は悪であった。

 


一体何故そんなんなって居るのか?

其れは一方向しか見て居なかったが故にだ。

 


正の方向だけを見過ぎて居たが故にだ。

 

 

 

でも神も佛も其の正であり善なる絶対者である筈だが…。

 


馬鹿者!

 


神も佛も悪が何であるかをそも知り無論のこと全てーぜんたひーを見渡して居られやう。

 

 

 

社會如きが其の獣の仕業如きが神や佛の真似などして一体どうするのだ?

おまへたちは只の馬鹿🐵共の群れだとさう観念し大人しくして居ろだから連休中位は全部がオアズケだ、オアズケ!

 


でも人権が…。

 


アホンダラ!

 


馬鹿🐵共の群れには人権など元々無いのだよ。

其れをワザワザ人権思想化などするからオカシクなるのだよ。

 


馬鹿🐵共の群れには人権など無いが個としてのアナタ様には人権はしかとある。

其処をこそしかと間違えぬやうに。

 

 

今回もまた馬鹿だの阿呆だのと人間の社會をボロクソに貶されましたね。

 


さうでしたっけ?

でもボクは楽しく此の連休のことを、其の楽しい連休のことを述べてみたまでのことですよ。

 


其れに僕は金輪際批判などして居ませんよ。

さうです、最終的にボクが語って居るのは人類に対する愛だけ、其の愛♡の思いだけなのだ。