目覚めよ!

文明批判と心の探求と

まさに驚愕としての革命論ー『人新世の「資本論」』を読んで 壱ー

さて私が掲げる理性至上主義とは大枠では以下の如き構造をとります。

 

1.体制の骨子をなす思想には正誤の差がある

2.理性に於ける正しい選択とは全体論的帰結からの選択である

3.理性により文明をソフトに着地させることだけが可能である

 

1.に就いて

所謂思想は全てが間違って居るのでは無くむしろ其の一部に正答が眠って居るのです。

逆に何が間違って居るのかと申せば結局は其の選択に於いて間違って居るのです。

 

2.に就いて

以前から私は二元概念対立の幅をむしろ其の侭に見詰める全体論者であるとさう申しても来ました。

其れは要するにより広い視野を持つ為にさうして来ざるを得なかったものです。

 

また所謂直観的解釈は合理と非合理、また論理と感情と云うやうな二項対立要素の超克を前提として営まれるものです。

然し此れは大衆的な認識に対してはほぼ無理なものであることもまた確かなことである。

 

3.に就いて

理性とは反省のことでありまた其の逆に突き進むことなのでもまたある。

 

反省⇔突進

人文理性⇔還元知

 

還元知は部分知ですので全体論知としての人文知性こそが是非必要です。

 

人文知性を欠く科学技術知、自然科学知の偏重は其の一方通行での全体主義の温床ともなり得るものだ。

よって科学技術知、自然科学知は本質的には無くなってもまるで構わず。

 

でも状況は深刻です。

事實上はまさに其の本質的には人間にとって要らぬ科学技術知、自然科学知により地球の破壊を何とかして止めて行くことしかもはや出来ぬ訳だ。

 

4.馬鹿と云うのは其の理性を欠く状態のことだ

5.獣と云うのも其の理性を欠く状態のことだ

6.つまりは理性の使い方、使いどころが誤って居るので今人類が總おバカ化して来て仕舞って居る。

 

 

では馬鹿では無い人のお話を是非伺いたいものだ。

 

いや私は丁度今其の作業に着手して来て居るところだ。

 

昨日は御日柄も良くまずはあかのれんへ行き中国製のシャツを弐枚ーで約弐千円ー買って来たのです。ー其れも好きなストライプ柄のー

ーかうして私は服装には無頓着でむしろ粗末な服、質素な身なりを好む傾向が強いー

 

帰りに七五書店へ出向くと相変わらず人文系が強いところで地元の文化人ー直木賞作家ーなどの色紙が飾ってあったりもする。

無論のこといずれは其処へ私の色紙も置いて貰う積もりです。

 

すると其処に「No.1」と印字された新書が山と積まれて居た。

いや其れが昨年来是非読みたかった『人新世の「資本論」』でした。

 

其れも「2021新書大賞 第一位」とありおまけに「27万部突破」とのことでした。

 

著者の斎藤  幸平氏は気鋭の若手哲學者であり且つ経済、社會体制史などにもお詳しい方です。

 

若手の學者だけあり結構過激なことも述べられて居るやうですが根が眞っ直ぐな感じで私が好きな學者の一人です。

かのマルクス・ガブリエル氏との共著本などにも意見を書かれて居たやうに記憶して居ます。

其れが何故か『人新世の「資本論」』だけ昨年アマゾンにて買い忘れて居りまだ読んで居なかったのです。

 

まずは其れを買い込み半分程読み進めてみました。

 

読んでみるとグイグイと引き込まれるまさに力強い本です。

三十台と言えば私共還暦世代の子の世代ですが其処は流石にバリバリの學者さんだけあり頭のキレが我我年寄りなどより遥かに良いですねえ。

 

では其の感想に就き纏めます。

 

1.此れぞ馬鹿以外の全ての理性に是非読んで頂きたい究極としての人文書です

2.何故か私自身の思想をまさに代弁して下さって居るかのやうな本だった

3.マルクスの思想を所謂左派を超越する視点でもって捉えられて居る

 

で、斎藤先生は大阪市立大学大学院の准教授であらせられる訳だ。

尚私は結局関西と云うのは革新系の思想が強いのだと元々思って居る。

 

其処は名古屋もまたさうなのですが、江戸時代にああして幕藩体制として江戸がやって居た訳ですので其れがどうも気に食わぬ部分がどうしてもあり其れでもって共産主義だの創価学会だのが蔓延り易い地盤にあるのやもしれません。

 

 

尚私は現在「赤旗」の愛読者です。

尤も日本共産党を始めとする日本の左派を此処五年ばかりはむしろボロクソに批判して参りました。

 

其れは何でかと申しますと日本に限らず世界中の左派は唯物史観即ち進歩思想の信奉者であり要するにイケイケドンドン派だからなのであります。

其のイケイケドンドンなことを突き詰めて参りますと其れこそ宇宙へは出るわ、軍拡競争にて核兵器はしこたま造るわ、さらに婦女子と障碍者の人権なるものが過分に重視され嗚呼まさに儒教的秩序なるものが、其の上限関係がまさにグズグズに破壊され其れこそ援助交際は○だわ、爺婆は死ねだわ、障碍者は神様です、だわで其れでは幕藩体制がかの家康公がやっと築き上げた人文理性としての礎がボロボロに壊されもはや三島先生みたくに沈没して行く他は御座らぬではないか。

 

三島先生、先生はよもやこんな左派政策を御認めになっては居らなんだ筈だ。

三島先生、此の際共に特攻致しませう。

是非御一緒させて下さい。

 

我が爆弾を抱えアノ國會議事堂へと飛び込みまするが故に!

ーあくまで文學的に飛び込むと云う意味でほんたうにテロをやる訳では御座らぬ、念の為にー

 

いま少し眞面目に申しますとマルクス主義を始めとする左派の論理とは其の精神論の部分を反故にしてまさに進歩主義にて常に革新的な体制をつくり上げると云うものです。

謂わば其処が人間中心主義であり非宗教的世界観のものでもあり何でも変えて行けば良いと云う位でのものなのだ。

 

でも私はそんなのは嫌いだな。

但し私はかって暴力革命にも魅力を感じて居たほどでした。

 

 

問題は其の左派による非限定性がむしろ文明の持続性を不可能とする部分にこそありました。

だから私は逆に保守としての立場を貫き要するに限定者として行き革命などの無い平和な共同体主義でもって仲良く行くべきだとさう考えて居ました。

 

ところが其の共同体主義ナショナリズムとの相性こそが最悪でした。

尤も其れは当たり前のことで國粋主義とはまさに國家を大事にすることですので其処に共同体統治が生ずるべくも無いのです。

 

 

さうかうするうちに強欲金融資本主義=グローバリズムの流れが墓穴を掘り自らコロナ地獄へと転落して行ったのです。

さうです、其処にコロナちゃんが生まれみんなが其れにやられることになったのですう。

 

さらに幕藩体制化して居るー体制に胡坐をかいて居るー國會議員だの官僚だのの不祥事が相次ぎ起きうわあ、ついに保守の本質として馬鹿が噴出しちゃったな。

困ったなあ。

保守の馬鹿はほとんど体育会系での理性無きノリだからもう歯止めが効かぬぞよ。

 

事實其の通りとなりもう政治家だの官僚だのを東大に任せて置いてはダメなんじゃないかと云う位に社會は荒れても参りました。

 

いや東大はまだしも、其の田舎の出の総理大臣、かの弐名が特に無能で自民党と云う保守の名の下に大矛盾政策ばかりを實行して行くのです。

此の田舎の出の奴等の都會への憧れ、まさに其れが日本の近代化を牽引して行ったことでせうがまさに其れは田舎者思想以外の何ものでもありません。

 

逆に眞の都會としての知性は近代的価値を否定してかかるものです。

 

ですが近代的価値にもまた良いところがあります。

即ち其れが封建的非合理性の排斥のことです。

 

要するに合理化されると云う部分です。

でも何も婦女子やら障碍者の人権ばかりを確立せずとも良いやうにも思われるのだが。

 

 

第一日本共産党は何故日本の民主憲法を守るのだ?

私にはまずソコが分からん。

 

まあかように思想の世界、政治の世界、また官僚統治の世界はまさに矛盾だらけにて其の矛盾を矛盾の侭にむしろ体制に胡坐をかきつつ続けて行く訳だ。

 

もしや其れって悪い保守であり悪い踏襲のことだよ。

何せさうして米國の🐕となり果て保守政党が保守としての正しい選択の出来ぬ日本社會ですのでもう全てがグズグズに壊れて来て仕舞うのだ。

 

其れはコロナ禍とはまた別の日本の体制が抱えることだらう構造的矛盾だったのです。

まさに其の自立的な判断を政治がまた行政が欠くと云う事態こそが異常なことだったのです。

 

 

てな訳で、要するに左もまた右ももうぜんぶがダメでした。

私と云う理性は其れにガッカリしもうこんなもんは絶対に無視したる。

 

其れに僕は本来ならば藝術家だからもうおまえらは全部無視して我自身の藝術にこそ生きる。

と苦し紛れにさう判断したのでしたが其れが實に間の悪いことに宗教や政治思想は私にとってのアヘンだったのです。-かってかのマルクスが言ったやうに確かにさうでした-

 

以降私は禁断症状に苦しむこととなりむしろこんなに苦しいのならまた革命を目指した方が良い。

 

との結論を得ました。

革命を目指すのであれば是非「赤旗」を読まねばなるまい。

 

 

だから其れを今読んで居ます。

ですが、私が目指す「革命」は至極理性的なものなのであり謂わば其れはマルクス原理主義とでも言えることであらう平和主義から齎されるものです。

 

其の平和裏に行われる革命に就きまさに斎藤先生が『人新世の「資本論」』にて述べられて居ます。

要するに此の本の主要な論点とはまさに其のマルクス主義の再評価としての新解釈の部分にこそある。

 

まさに其の部分を如何にも大學の先生らしく様々な観点より論理的に組み上げ取り上げられて居る。

ですが私のものはいま少し直観的なものですので其れに対し此処までの説得力をなかなか与えられぬ訳です。

 

但し昨年私はマルクス主義のことも屡書いて居た筈です。

 

其れは左派思想の持つ合理性にこそ体制の持続可能性を重ね合わせて行くと云う類での作業でした。

さうなんです、合理性はまさに世界を破壊しにかかるのですが他面では實は世界を救うのです。

 

 

合理性⇔非合理性

 

其の東京一極集中での幕藩体制の履行が過ぎれば逆に非合理的要素が増し最小限必要な合理性の部分をも圧迫するに及ぶ。

東京一極集中と云うのは要するに江戸幕府のことですので其の田舎者の総理を始め國會議員にせよ官僚にせよ皆其れが幕臣である訳です。

 

ですが関西には商魂か又は京大のボケなどもまたある訳でひょっとしたら革命思想の巣窟なのやもしれぬ訳です。

第一京都などはもうほとんど革命都市でせう。

 

で名古屋はどちらでも良いと思って居ましたのですがすみませんのですが私に限り今回もうスッカリ此の本にやられて仕舞いました。

いやでも東京に革命思想が無い訳でも無く第一安保闘争やら何やらで昔は凄かったでは無いですか。

 

ではイザ革命ですか?

此の際其の革命へと走るのですか?

 

 

さうです、今こそ其の革命へと走るべき時なのです。

革命へと走ると例えば天皇家だのまた宗教だのはヤバくなりませんのですか?

其れに伝統だの家父長制だのそんな旧来の価値に対し著しく制限が加えられるのでは?

 

いや、其れがさうでは無いのです。

であるからこそ此のマルクス主義の再評価、新解釈の部分にまさに私は脱帽した訳だ。

 

 

ですがおそらく日本共産党などは其の論理を???と思うのではなからうか。

其ればかりか立憲民主党なども??と思うのやもしれません。

 

全くのところ斎藤先生による此の新解釈はまさにマルクス主義に於ける革命的価値転回です。

 

でも革命なんて嫌いだ!

何せ僕は解脱したいだけなのだ。

 

まあさうマルクスを毛嫌いせずとも。

まずは此の本を読んでみて下され。

 

「革命」と云う言葉其のものでそもイメージが悪くなる訳だ。

革命とはテロである位に特に戦後の日本人は思って居るので「革命」と云ったが最後もうおまえはテロリストだとさう決め付けて来る訳だ。

 

でも「革命」こそが文明を立て直す最後の手段である位のことを斎藤先生は述べられて居る。

其の大前提としての資本主義の末期的症状と云うことがまずはあらうかと思う。

 

資本主義は収奪を繰り返しつつ資本を増大させるー利潤を積み重ねるーと云う非限定性を元々兼ね備えて居る。

 

市場とは其の利益を合理的に得る場のことだが其の市場は今や地球環境や宇宙開発に対してもしかと開かれて居る。

此の非限定的な儲け主義が地球や宇宙までをも商品と化し其れをやがては食い潰す即ち破壊に至らしめて仕舞う訳だ。

 

 

父ちゃん、さうして働いて呉れてありがたう。

お蔭でボク等は今豊かでもって便利な暮らしを享受することが出来る。

 

嗚呼、君は偉いね、さうして労働に感謝することは良いことだらう。

とさう思うのかもしれぬのだがあくまで其の善意としての労働により地球環境は破壊されて行く訳だ。

 

但し其の事は極一部の人にしか分からない。

其れは斎藤先生のやうな學者か又は宗教家や作家や詩人などの學問か又は感度に優れる人々で無ければ感得されぬことなのだ。

 

 

元より資本主義は大幅に限定される必要があった。

其れが廿世紀後半は特に加速し其の抽象性を高めて行くこととなった訳だ。

 

斎藤先生は其の資本主義の修正はすでに限界を迎えて居り新体制としてのマルクス主義による価値の創出が最も有効だと考えて居られるやうだ。

 

ちなみに私が今取る思想上の立場は、

 

1.正しい思想はかってあったか又は創り出せるもの

2.悲惨な現状は誤った解釈か選択によるものだ

 

とのことである。

だから思想を是非正さねばならない。

 

 

資本主義がさうして根本的に誤って居るのであれば即刻其れを止め晩期のマルクス主義思想による新たな体制への移行を急がねばなるまい。

そんな全共闘のやうなことをイキナリ言われましても…。

 

全共闘なんかじゃ無いわい。

日本共産党とも違うぞ。

 

ましてや中國共産党とも無関係なのだしソヴィエト國家としての社会主義ともまるで無縁だ。

 

其の暴力革命が…。

 

だから言ってるだらう、暴力革命なんかじゃ無いわ。

 

其れにあさま山荘で…。

 

だから其んな総括リンチとはまるで関係無いのだって。

 

 

第一孫も要らぬだなんてそんな人非人みたいな冷たい方の言われることは…。

 

だって事實孫は要らないもん。

どだいさうして孫がウジャウジャ居るからこそ人間は精神的にダメになるのだ。

 

 

いいかい、此れは斎藤先生も仰って居ることだが、

 

1.資本主義は地球を本質的に破壊へと至らしめる

2.資本主義は最終的に資本主義其れ自体を収奪する

3.経済学はそんな破壊的な欲望の奴隷である

 

と云うことである。

 

つまり地球其れ自体を収奪し且つ破壊し尽くすのは誰あらう資本主義と云う経済体制によるものなのだ。

と云うことは現在の我我の苦境、おおまさに神佛に救って頂く他は無いやうな矛盾やら不幸やらに苛まれて居るのはまさに其の強欲資本主義による利益追求至上主義による結果なのだ。

 

 

で、其れは保守にとってもあくまで矛盾となることを決して忘れてはならぬ。

 

保守はね、只古き良き日本の価値を守りたいだけなのだ。

其れは一面では正しい。

 

何故なら文明は文化はさうさう変わるべきものでは無い。

でも弁証法的進歩過程は其の伝統だの秩序だのを反故にして行くものでもある。

 

なので日本の体制其のものがそも大矛盾を抱えて居る訳だ。

そんな無難な保守をやる為にむしろ革新性としての進歩に頼って来ざるを得なかったことこそが其の大矛盾なのだ。

 

なる程、だから保守もまた馬鹿ではイケナイのですね?

 

其の通りだ。

保守はそもみんなが野っ原で日本の生き物と仲良く暮らさねばならぬ。

其れもメダカやゲンゴロウや在来種のザリガニやオオサンショウウオなどを愛さずしてどうするのだ?

 

だが實はそも其れを守る為の新解釈でのマルクス主義なのだ。

 

 

なにぶん保守の方がどうしても頭が悪くなりがちなのだ。

対して左へと寄った弁護士だの大學教授だの医師だのは大抵は頭が良いと来てる。

 

じゃあもしや新解釈マルクス主義も頭が良いんですか?

 

良い。

其れは今此処で保証して置いても宜しい。

 

そもまだ半分しか本を読んで居ないのにさう何で断定することが出来るのだらう。

 

半分も読めばもう全部読んだも同然よ。

 

 

其の新解釈マルクス主義はほぼ完璧に理論的整合性を保って居る。

でもボクはあくまで田舎の保守人間ですのでかうして東京へは参勤交代を欠かさずにしてそんな京都やら名古屋だのの変な革新性などが大嫌いです。

 

だがすでに東京にも新解釈マルクス主義者がおそらくは居るのだ。

其れも政府やら官僚だのまた日銀に対してもうキレてる人がボロクソに其れを批判したりもして居られることだらう。

 

其の新解釈マルクス主義者の群れが今後の日本を革命へと導くのですか?

でも一番重要なことはすでに地球が壊れかかって居ることだ。

 

 

つまり問題の核心は日本を保守すること以上に地球を保守せねばならぬことなのだ。

日本のみんなは其れでもなかなか変わりたくは無いことだらう。

 

此れ迄のやうに美味い飯を食いまた美味い魚を食いまたさらに美味い日本酒をたらふく飲みしかも其処で日本の👩の尻をちょろりと触り最後には必ずや孫の頭を撫で「コレがワシの生き甲斐だ」などと言うのであらう。

 

だって其れ平和でもって至極良いことでせう?

革命だの何だのむしろアンタ方の言ってることの方が気が狂って居るではないか!

 

いやさうでは無い。

眞の保守とは、今まさに其れを守らねばならぬと云うことなのだ。

 

 

守ることとは闘うことである。

ホレ、昔武士がさうして戦って領地を守っただらう。

まさに其れが保守としての守り魂のことだ。

おおまさに其れぞ武士の魂としての要諦のことなのだ。

 

ではもしや其処でマルクス武士も有り得ると云う事なの?

さうだ、其のマルクス武士も今後は大いに有り得やう。

 

其れもコレも資本主義と云う強大なる悪と闘う日本の新しい武士団の誕生なのだ!

 

ところでアンタはそも左派なんですか、其れとも右派なの?

もはや右左には与せず。

 

其の右左と云うイデオロギーの類別其のものがもはや概念的には古いのだ。

 

では次回は此の「新解釈マルクス主義」に就きもう少し詳しく見て行かう。

其処で論点として据えるものこそがまさに「思想的矛盾」への挑戦と云うことだ。