ー麻生太郎財務相も、「(給付金で)当然、貯金は減ると思ったらとんでもない。その分だけ貯金は増えた」「お金に困っている方の数は少ない」などと述べて否定を重ねている。ー
ーその株高を買い支えるのが日銀と国民の年金資金を預かるGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)という政府マネーなのだ。
日銀はコロナ経済危機を乗り切る金融緩和としてETF(上場投資信託)を大量に買い入れ、現在、東証1部上場企業の株式の約7%(推定45兆円)を保有する大株主となっており、GPIFも国内株を約41.5兆円(2020年9月末)保有している。
日銀の保有株の含み益はいまや10兆円ともいわれ、GPIFも株価急騰で年金積立金の運用益は大きく膨らんでいる。にもかかわらず、本来国民に配るべき年金はカットする。一体、誰のための株の買い支えなのか。ー
ー「現在の市場は株価が下がったら日銀が買い支える。投資家は投資に見合うだけのリスクを背負わずに済み、日銀やGPIFの政府マネーは株を持つ富裕層だけが潤う補助金のようになっている。
そんなふうにして日銀から株主や企業にバラ撒くくらいなら、10万円の給付金のように国民全員に配ったほうが明らかにいい。国民全体に配れば世の中に出回るマネーストックが増えるし、富裕層より低所得層のほうが消費に回す割合が大きく、景気も良くなる」ー
ー「日銀は本当なら金融緩和のために国債を買い入れたいが、これまでに買いすぎて市場に残っていないから、仕方なく株(ETF)を買っている。一番いい方法は政府が国債を発行して国民に2回目の給付金を配り、日銀が市場を通じて国債を買う。10万円を2回でも3回でも国民に配ったほうがはるかに有益です」ー国民への給付金は拒むが、株高の演出には熱心な日本政府の姿勢 より
左様に今日本國の庶民の金事情は金持ち優遇政策の為にボロボロになりつつある。
尤も我は経済のことには疎ひのだが其の金持ち優遇政策が✖だと云ふこと位は分かる。
左様に🐊ー麻生 太郎ーは頭がおかしく、🐵ー総理ーもまた頭がおかしひ。
ー株価急騰で年金積立金の運用益は大きく膨らんでいる。にもかかわらず、本来国民に配るべき年金はカットー
馬鹿者!!!
年金で食ってる人のことも考へてみよ、まさに我のやうな。
其の拾萬の給付を弐、参回やるだけで日本のみんなは息を吹き返すことが出来ると云ふのに其れをやらぬ政府はズバリ選んでやる必要の無ひ政府なのだ。
問題は、かうして自民党を牛耳る政治家の面々の頭が極めて悪ひと云ふことである。
要するに全体主義政府ー國優先の政府ーなので國民の其れも力の無ひ國民に対してはびた一文出さず別に死んでも良ひと云ふ考へなのだ。
つまるところは其れがおおまさに経済的に特攻を強ひる軍國主義政権の素の姿なのだ。
我我はかうして壱年間に亘りコロナへの特攻を強ひられもうヘロヘロだ。
にも関はらずさらなる特攻を我我に強ひ其れも今どうなって居るかと云ふに医療従事者や特定の産業がもはやボロボロだ。
それでも「死んで来ひ」とさう仰るのか!
いやそんなことは許されることでは無ひ。
21世紀になっても何故日本人だけがかうして特攻を強いられて居るのだ?
逆におまへらー🐊と🐵ーが是非特攻すべきではなひのか。
🐊と🐵がさうして敵艦めがけて特攻しドドーンとぶつかり粉微塵になって仕舞へば良ひものを!
其れにカン。
おまへの政策にてコロナ感染者が減った訳ではまるで無ひ。
其れは一月の初めに尾張の自称詩人が「減る」と言ったから減ったまでのことで逆に「増へる」と述べて居たら其の侭に増へて居たのである。
其れにしてもそんな未来のことが何故当てられるのですか?
其れはね、まさに感度が違ふからだよ。
つまりは詩人は全てをお見通しなのさ。
ー「(自分がいた頃と比べて)今までの倍時間がかかる。女性(理事)がなんと10人くらいいるのか? (実際には)今、5人? 10人に見えるな」と小ばかにするかのような舌鋒を向け、女性蔑視ととらえられかねない問題発言を繰り返した。
その後も「女性っていうのは競争意識が強いんです。誰か1人が手をあげて言うと、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです。前の発言に関連したものではなく、思いのままに」ーこれはヤバイ「森失言」で五輪ボランティア消滅危機 より
かうして東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の発言内容が国際的に批判されても居るやうだが何せわたくしは天邪鬼なのでまずは其の発言を逆に部分的に認めて置きたひ。
實際に👩は体裁ー社会的評価ーを気にする余りに化粧、着付け、其の他のことなどにおそろしく時間がかかり其れは要するに競争意識と云ふよりは自己肯定感に欠ける自我の持ち主ー眞の意味での自己が無ひーであるが故に他への承認欲求にこそ頼って居るのである。
實際に其の辺りでのことは大昔のこととはなるがかのショーペンハウアーが女性を批判して居りし部分のことで基本的にわたくしは其の批判の内容を支持して来て居る訳だ。
但し、時代の変化と云ふことを見極められぬのでは其れは「老害」以外のなにものでも無ひ訳だ。
元より、
👨⇔👩
と云ふ二元的要素は其れ即ち相剋し且つ相即する関係性の上に生じて居る。
なので無関係どころか大抵の場合は大体七参位の割合で互ひに其の要素を持って居る。
其れが特殊化すると五分となったり或はオカマ化すると四六位の比率ともなり妙に女っぽくもまたなる訳だ。
其の観点からはあくまで対等か又は逆に👨を少し立てる位の方が良ひ訳だ。
何故👨を立てる必要があるのかと云ふと其れは🚹の方が生命としての力が弱ひからなのだ。
其の逆に精神としての力は🚺の方が弱ひのだらう。
だから其の根本での違ひがあるので所謂男女平等と云ふ訳には元々いかなひのだしそも完全に同じには出来なひのである。
むしろ逆方向としての現象であることを認めた上で互いに相手の立場を慮ると云ふのが正しく男女関係を築く要点なのだ。
でもアンタは決まって👩には優しく無ひ。
むしろ酷ひことを言ったりもして居るだらう。
いやわたくしは元々両性具有的な心理を持つ者なので👩の弱点のことが何より良く見へるのだ。
おそらくは其の良さと悪さを同時に見渡すことが出来るのだと思ふ。
👩は兎に角意思決定に時間がかかり行動などがトロひと云ふことは確かにある。
事實車の運転者で酷くトロひ奴などは大抵が女性ドライヴァーか或は高齢者ドライヴァーだ。
だが概ね女性は生命現象に対しては包容力がある、つまるところは生命が危うくなって居る者を見殺しにしたりは出来ぬ本能の力を持って居やう。
但し👩はまた👿にもなり得る。
また怨霊にさへなったりする。
聖母ともなるが鬼子母神にもなるので分裂の度が酷ひと云ふ感じもまたある。
其の分裂性のところが普通🚹には理解出来ぬ訳だ。
でもわたくしはさうした部分もまた自分の中にあるので其れが理屈抜きに分かる訳だ。
で、つひ先日NHKの所ジョージの番組でもって石のことが取り上げられて居た。所さん 大変ですよ! 「ブーム到来!?不思議な鉱物の世界」
わたくしが一番ショックだったのはヤッパリ👩共は石のキラキラが大好きであったことだった。
しかも其れはほとんど本能的にさう規定されたものであるらしひ。
すると、我の此の石趣味とは一体何なのだらうか?
要するにわたくしの本質が👩っぽひと云ふことなのではあるまひか。
が、わたくしは両面派だから男性的な意思決定力や批判力にもまた長けて居る。
なのだけれども優しく闘争を好まぬ性質を持ち合わせて居る。
エッ?
何処が優しひの?
其れもこんだけ社會をクソミソに貶しながら其れの一体何処が優しひの?
其れに優しさなど愛じゃ無ひ、教育とは鞭打ちだと確かさう述べても居られましたが。
まさに其れがわたくしに与へられし分離としての壱極なのだらう。
で、わたくしは数学のセンスにもまるで欠けて居るが藝術的なものには常に強ひ。
其処もまた自らイヤだなあと思ふところではある。
さてもアンタやっぱし馬鹿なのか?
いや馬鹿は風邪を引かぬので馬鹿では無ひのだと思ひますよ。
番組中でいつも石に触れて居なひと寂しひと云った若ひ👩が居たのだったが實は其の気持ちが我には分かる。
我などは寝る折に寝袋の中で石を握りしめつつ寝る。-布団を合理化し常に寝袋にて寝て居る-
もうひとつショックだったのが、一般に女性は色には敏感だとされていると云ふ部分を聞ひた時だ。
何故ならどう考へても我は色には敏感なのだが其れが👩の得意分野であることが分かり何だかイヤな気分にもなった。
兎に角わたくしは色には限りなく焦がれて居るので其処は女性的感性の方が発達して居るのやもしれぬ。
絵画や鉱物が好きなのも其の色自体が好きでもって其れ等に興味があるのやもしれぬ。
が、若ひ鉱物女子達は標本を集めネット上で見せ合ひ「可愛ひ子」などと石を呼んでいるが其処はモロ子宮思考にてわたくしの場合石が「可愛ひ」とは思へず只美の基準の上での等級を付け其の等級に応じ「綺麗」だと思ふに留めて居る。
尚、重要な観点だが石からは癒されると云ふことが確かにあり其れも明らかに精神的に癒されるのだ。
番組中でも看護師の方が難しひ仕事の後の折に夜独りで晩酌をしつつ石を眺める場面などが出て居たのだったがまさにさうしたことであらう。
美しひ石は何よりさうして心を癒して呉れるのだ。
其れもガサツな🚹などには不要なのやもしれぬが繊細で感度の高ひ🚹には是非さうした時間が必要となるのだ。
つまるところオパールを瓶に入れかうして眺めて居るだけでさうして心が癒されるのだ。
♀的に色に対する感度が高くある我もまた兎に角色とりどりの石に惹きつけられる訳だ。
番組では糸魚川でのヒスイハンターが海岸にてヒスイを探す様子などもまた映されて居たが確かにヒスイは良ひものはなかなか採れぬものだ。
漁船を借り海の中で地引網でも引ひてヒスイを探せば相当のものが採れさうなのだが其れはまず無理なのだらう。
不変の美しい石を眺めて居ると心が休まる。
だから鉱物趣味とは最終的には値段やグレードを競ふやうなものなのでは無く自然界の美に直に触れて心が休まったり喜んだりすることなのだらう。
自然其れ自体と戯れることが出来るまさに上品な癒しとしての趣味なのではなからうか。
で、たとへ還暦のオッサンでも勿論其れをやって居ても良ひ訳だよね?
まあわたくしの場合は主に机上にて石から癒されて居る。
現代の文明を考えることはある種辛ひことでもあるので石に癒さつつ何かにつき書ひて居るのだと言っても良ひ訳だ。