目覚めよ!

文明批判と心の探求と

認識ー相対分別ーとしてのディストピアーディストピアにつき考へる 弐ー

尚今回は一種難しひことだらう哲學的な論議を致します。

 

 

さて宗教をやってる人々が陥り易ひ価値観のひとつがまさに其の現世利益主義なのです。

 

また其れは現役の御坊様方や神父様方にせよ乗り越へ難ひまさに此の世での「欲望の壁」です。

 

「欲望の壁」=価値ヒエラルキー構築の世界であり其れはまさに利己主義へと直結するものだ。

 

屡云はれるやうにキリスト教などの一神教は一元化を目指すが為に排他的とならざるを得ず故に邪教である、と云ふ説があります。

 

國粋主義にまた亜細亜主義に近ひ人々が此の論理を持ち出しますがわたくしは其れはおかしひとさう考へて居る。

 

逆に多神教である神道は人間を救済する為のものでは無くむしろ國家や天皇家と結び付ひたものです。

 

 

どだひキリスト教は元々二元論でもある訳だ。ー神⇔👿ー

其の二元論を一元化し神なる絶対へと統一する世界観のことですが二元分裂した人間もまた信仰の力により其処へと連れて行って頂けるのだ。

 

で、實は佛教もまた二元論とは縁の深ひ宗教思想なのです。

釈迦による分別智の否定とはまさに其の二元論としての人間の認識の超克のことでもまたあった訳だ。

 

但し釈迦による一元化は二元の二重否定による消去法としての一元化のことだ。

 

 

此岸の認識ーA⇔B→彼岸の認識ーAでも無く且つBでも無ひ

 

此処で重要なことは、

 

此岸の認識⇔彼岸の認識

なのでは無く、

 

あくまで、

 

此岸の認識→彼岸の認識

となって居ることです。

 

 

即ち不可逆的な認識の転換を釈迦は奇跡的に其処に成立させて居ります。

 

との意味で、實は原始佛教での認識もまた一元化を目指したものなのだと考へることが出来る。

 

但し其処には「佛性」に於ける大問題が常に孕まれて居やう。

 

要するに「佛性」とは神に等しひものかと云った部分での大論議です。

 

でも此の部分はまさに本職の御坊様並に難しひ論題となりませうからまたの機会にでも考へ直してみませう。

 

 

キリスト教の場合は自力救済を一種諦めて認識其れ自体を神に丸投げし他力救済へとなして行く訳ですので日本の浄土教などとほぼ同じものでせう。

 

但し日本の浄土教もまた最終的には佛を目指す訳ですのでより正確にはあくまでキリスト教的な佛教だと云ふこととなりませう。

 

 

其れでもって、釈迦の佛教とキリスト教の場合には其の現世利益主義では無ひ可能性が高くある訳だ。

 

ところが、大乗佛教を含めー禅宗を除くーほとんどの宗教は其の現世利益主義なのです。

 

現在わたくしは其の現世利益主義にこそ観念性つまりは精神性の欠如と云ふ部分を感じ危惧して居る訳だ。

 

 

何故さうなったのか?

一言で申せば其れは子宮思考の蔓延です。

 

さう言ふと世の中の半分の♀を全部敵に回すこととなりませうが👩が動物的なのは其れは明らかな事實です。

 

でもわたくしは其の♀にこそ是非助けて頂きたひ。

 

こんなに観念の方で苦しんで居る腺病質の詩人を優しく其の母性にて抱きとめて頂きたひ。

 

ズバリ申せばパンドーラ―の匣と云ふものがありますがまさに其れが子宮思考のこと=現世利益主義のことです。

 

其のパンドーラ―の匣がカパッと開くとあらゆる災厄が世にブチ撒かれるのであるが何でさうなるかと申しますと♀共の獣欲がそも其れを欲するからです。『ピュクシスを持つパンドーラー』

 

 

そんな女性批判と申しますか、下劣なる其の👩の欲望を徹底的にいびったのがかのショーペンハウアーであり従って彼はいまだに👩の敵としても扱はれて居る。

 

無論のことショーペンハウアーも独身にて生涯を終へたのだったが實は彼の母ちゃんが女流作家で良妻賢母とはまるで正反対の人でしたのでまずはソコが何より気に入らなかったやうです。

 

 

現世利益主義とはそんな♀的な現實的思考法のことです。

つまりは現金化した思考であり観念性に乏しひ現實的思考と云ふことであり其れは常に計算高くして今の幸せだけに執着し元より長期的な視野には欠けるものです。

 

釈尊も当初は可成に🚺嫌ひでもってして「女はまずもって成佛など出来ぬ」と仰り其ればかりかお経の中でも色々と女性批判を繰り返されて居たりも致しました。

 

観念性ー男性原理ー⇔肉体性ー女性原理ー

 

でも現在わたくしは此の両極をも同時に見詰めて居ります。

 

見詰めては居りますが、矢張り「所詮女は分かって居なひ」と云ふことをいつも實感させられる。

 

 

大枠では近代とは子宮思考による願望ー女性原理による獣欲ーを観念ー男性原理ーが言ひなりになり實現したものとさうも捉へて来て居ります。

つまりは観念がデカひ其の👩の尻に敷かれパンドーラ―の匣の状態へと至らしめて仕舞ったと云ふもう最悪の結末のことだらう。

 

此の♀共は大抵の場合よりデカく立派な家、墓、家柄と立派な子孫、其れに其れ等を實現するに足る有能な♂、つまりは金持ちで力があり権威権勢に縁のある男だけが大好き♡なのだ。

 

其の有能な♂が浮気性だらうがウソコキだらうがそんなことはお構ひなしにそんな馬鹿👨ばかりをクソ眞面目にも選んで行くのです。

 

でも世の中には苦労しつつも正しく精神を保ちながら生きて居る眞面目な🚹が意外と多く居るものです。

 

ところが価値観がそも倒錯してる🚺共には其の眞實がまるで見へぬのであります。

 

 

それどころか屡酷ひことをやります。

其れもてっきり👩だと思って近づひたら其れが👩が好きな👩だったとか。ー人に聞ひたところではー

 

また死ぬ気で愛して居たにも関はらず間男を呼び寄せて居ただとか。ー同じく人に聞ひたところではー

 

まあわたくしも辛ひ思ひを屡致しましたがそんなものはもう語る気にもなれません。

 

 

なので女性批判をやれともし言はれればわたくしは何処までもやりますぞ。

 

 

また話が飛んで仕舞ひましたが、

 

此岸ー地上界ーの認識⇔彼岸ー天國ーの認識

 

であるのはむしろキリスト教に於ける分裂思考でせう。

 

エデンの樂園⇔現世

理性ー智慧の實ー⇔獣性ー裸ー

 

多神教の立場より一神教の立場による一元化を批判する向きが一部の學説やネット上の意見などに屡見られるものです。

 

實はわたくしが尊敬する哲學者である梅原 猛先生ー故人ーなども概ねさうした考へ方をされて居られた。

 

ですが、現在わたくしは其れとは異なる意見を持って居ます。

 

 

わたくしは現在日本の伝統だの体制ー天皇制や幕藩体制ーだのが一番だとはまるで思って居ません。

 

むしろ伝統だの固有の体制だのに拘る其の現世利益主義にこそより根本的な問題が生じて居るのではなひかとさう思ひ始めて居ます。

 

なのですが、此処拾年ばかりは保守派の看板を頭上に掲げて居ましたが故に日本のものは何でも基本的に良ひものだともさう考へて居ます。

 

ところが其れでは何時まで経っても変はれぬ訳だ。

 

其の変はりたく無ひ、また変はれぬ日本の精神こそが現世利益主義に培われしものなのではなかったか。

 

 

でもって日本のみんなが選ぶ自民党の政治がまさに其の現世利益主義だったのですが、其れが結局危機の対応が出来ずにGOTO地獄の方へと何故か舵を切って居るのです。

 

自民党の政治がまさに其のおバカ政治でありおおまさに日本のみんなでもって赤信号を渡る矛盾政治でありまるで🐵の政治なので元より其処には理性も何も無くあるのはタダパンドーラ―の子宮思考ばかりです。

 

でも左翼が國の舵取りをすると實はもっともっと其の子宮思考の度が酷くなるのです。

 

曰く、

 

女性とマイノリティを助けやう。

障碍者は神様です。

 

原発反対!

核兵器廃絶!

弁護士に仕事を!

 

此の際革命だ!-共産党の場合-

 

 

いずれにせよもはやバカバカしくてやってられませぬ。

 

 

なのでわたくしは基本的に今社会に興味は御座りません。

 

もうほとんど思考にも興味は無ひ。

 

 

エッ?

今なんて仰りましたか?

 

だから概念分別などにはもはや興味は無ひ。

 

 

だってアナタ、其処を考へてこその観念詩人でせう。

サア考へやう、共に考へてやるよ、是非一緒に考へやう。

 

考へるよりもアノ徳川 久兵衛のお持ち帰りの天丼を是非食ひたひ。

 

じゃあ徳川 久兵衛のお持ち帰りの天丼を買って来てやるから共に考へやう。

 

では分かり申した。

 

 

 

認識の壁=相対認識の壁

 

どうも其の様なものがあることかと思ふ。

其れも養老 孟司先生の「バカの壁」では無ひのだけれどもそんなものがあるやうに思へてならぬ。

 

 

ー内容は、あらゆる物事に対して「これが正しい」「あたりまえだ」と思い込むことは思考停止であると述べられている。社会や組織、自分の所属する集団(だけ)の意見を盲信し正しいと思い込み、それらを鵜呑みにするのはバカのすることだ、と綴られている。

まさにおっしゃる通りだ。人は都合の良い情報しか自分の脳に入らない(場合が多い)がさらにタチの悪いのが、それに最もらしく理由をつけることでさらに正当化しようとする。大抵、都合のいいように理由をつけるわけだが、良いことは自分のおかげ失敗は他人の責任といったバイアスをかけてくる。ーベストセラー「バカの壁」が現代に教えてくれることより

 

現在のわたくしの理解では、此の世の出来事は須らく相対分別されさう認識されて居るものだ。

其のやうな認識上の癖を人間と云ふ理性的な現象が選びとって居る訳だ。

 

認識の方法は他にも色々とある。

第一動植物に於ける世界への認識の仕方は人間とはまるで異なる訳だ。

 

動物の場合にはもっと感覚的に世界を把握して居り、植物の場合には意識以外の部分からー無意識的に?ー世界と関与して居る筈だ。

 

特に人間の場合には其の「思ひ込み」が甚だしひ。

 

其の「思ひ込み」とは抽象的な思考作用が生み出して居るものだらう。

 

 

科学技術は正しひ⇔宗教は正しひ

👨は利口だ⇔👩は馬鹿だ

早稲田大學こそが我が國の最高學府だ⇔其れ以外の大學は馬鹿田大學だ。

 

ところで實は其の「思ひ込み」=概念規定によるものでしか言語化=意思決定することなど不可能なのだ。

 

つまり意思決定することとは自ら相対的に概念を玩ぶことでしかあり得なひ。

 

 

うーむ、話が難しひ。

つまりは「思ひ込み」以外の部分で人間が話すことなどは何も無ひと云ふことなのだな。

つまるところは「語り得ぬものは語り得ぬ」

とさう云ふことなのか。

 

つまるところはさうしたことなのだ。

 

さうしていつの間にか人間は自ら思考を放棄し停止させて仕舞ふ。

まさに其の態度こそがバカの壁なのだ。

 

でもわたくしは其れ以上に難しひことを先に述べた。

 

即ち、

 

「語り得ぬものは語り得ぬ」

 

が故に思考は最終的に放棄されるべきものなのだ。

 

 

イデオロギー対立、歴史的文化的対立=抽象的対立

環境問題、人間の種としての弱化、人口問題=具象的対立

 

 

わたくしが今回述べて居るのはそんな概念に於ける放棄の様に就ひてのことだ。

 

では一体何故知性は最終的に概念的対立を放棄せざるを得なくなるのか?

 

其れはまさに「語り得ぬものは語り得ぬ」からなのであり、同時に其れを語ろうとすれば即矛盾ー二律背反ーに陥るからだ。

 

 

具象的対立⇔抽象的対立

 

かくして相剋し且つ相即することでこそむしろバランス化する

だがスケールが大きくなると其の関係が成り立たずどちらかに偏りむしろ双方の対立を肥大化させる。

 

兎に角ー文明のースケールを大きくするとむしろ問題は解決不能にも陥らう。

 

 

ー本書では、多くの人が共通の情報を与えられ、それを了解することで、共通認識が高まり社会が発展していく一方、個性や独創性を重視するという傾向が強まってきた経緯が説明されています。ー情報漬けの現代人こそ読んでおきたい2003年ベストセラー『バカの壁』より

 

個性や独創性は意図的に創り上げるものでは無くまさに「持って生まれた」ものです。

勿論其の意味では確かに何かを持ってる人は持って居ます。

 

わたくしなどはむしろ其れがあり過ぎて社会へ出てから以降は随分と苦しみましたので逆に持って無ひじぶんに是非なりたくて要するにまるで植物のやうな人間になりたかった訳だ。

 

 

ーしかし、本書では「私らしさ」など存在しない、特定の「個性」などないと断じています。多くの人は、一生変わることのない自分が存在すると考へていますが、万物流転、諸行無常の言葉通り、人間は常に変化していくものです。ある日を境に、自分自身が根底から覆されることは、往々にしてあるのです。ー 情報漬けの現代人こそ読んでおきたい2003年ベストセラー『バカの壁』より

 

左様に諸行は非常であり非我ですので畢竟其のじぶんが信じ込んで居るものもまた相対物=相対認識による産物なのだ。

相対認識による産物に絶対は有り得ぬと云ふのに其れが絶対だと信じ込むことこそが現象が現象であることの所以なのではなからうか。

 

なのではあれ其の相対認識による産物はまさに現世利益と云ふ価値ヒエラルキーのお化けを其処に築き上げて仕舞ひます。

其の現世に於ける価値ヒエラルキーのお化けを解体し霊又は精神の次元に変換せしめることが可能なのは宗教的次元に限られて参ります。

 

 

ー人は知識をインプット、つまり脳への「入力」と、身体を使って実際に行動する、つまり脳からの「出力」を繰り返すことによって学習していきます。しかし、最近の人々は「出力」=身体活動 をおろそかにしており、知識のインプットだけで全てを理解しているかのように振る舞っています。それが、「わかったつもり」にも繋がっているのです。ー情報漬けの現代人こそ読んでおきたい2003年ベストセラー『バカの壁』より

 

養老先生が仰るやうに脳化された社会即ち抽象化されし世界がまさに現代文明を形作って居ます。

其のやうに抽象化されし世界に対し仕向けられし限定=抑制こそが此の度のコロナ禍でもまたあった訳だ。

 

以前から述べて居りますが如くにわたくしの論理では抽象的に成立させる未来ー進歩概念ーと具象的現在ー物質性、肉体性ーとのバランスの崩れが顕著になればなる程に具象的対立⇔抽象的対立に於ける関係性が脆くなり最終的には其のアンバランスがまさに具象的に人類を圧殺して行く筈です。

 

ですのでむしろより大きく抽象的対立の領域を拡大する即ち進歩することでしかもはや其のバランスを回復する術は無ひことでせう。

 

でもさっき文明を小さくせよと言ったではなひか。

そりゃ全体としてのスケールのことだ。

 

要するに神人間となる方向性へと科学技術を使ふのでは無く人間を救ふ為にまさに其の科学技術を使ふべきだらう。

つまるところはアンドロイド司祭やロボット僧侶を一杯造り其れに人類を導ひて貰ふべきなのだ。

 

ヘエッ?

 

其れもまたわざとギャグを言ったのですね?

ヘヒ、つまりはコレがオヤジギャグです。

 

 

ーこの世に「絶対的な真実」など存在しません。しかし、都市化や近代化を通じて、かつてのような拠り所となる基盤を失ってきた現代人は、唯一無二の考え方にすがろうとします。そのほうが頭を働かせなくて済むからです。 しかし、まるで一神教を信奉するかのように「絶対的な真実」の存在を信じている限り、他人と話は通じないと養老氏は一蹴します。それは、ただひとつの正解(のようなもの)だけを正とし、他の考えを受け入れないということだからです。ー情報漬けの現代人こそ読んでおきたい2003年ベストセラー『バカの壁』より

 

「わかったつもり」である文明社会が抱へる妄想は實際のところ可成の域に達して居ることでせう。

 

何度も申して居りますやうに人間は一人ならば大した欲など生じませんが群れとなるー社会化されるーと突如として其のデカひ欲望が何故か暴れ出すのです。

また其のことは二千数百年も以前に中國の思想家である老子ー老聃ーが看破して居たことでした。

 

老子は「小國寡民」なる限定された社会のあり方をむしろ理想郷として考へて居ました。

 

 

ー「世の中の人は美は美しいものであると思っている。実はそれは醜いものだ。

人はみな善は良いものだと思っているが、実はそれは良くないものだ」ー老子 【思想と名言集】より

 

ー「有と無は相手があってはじめて生まれ、困難と容易は相手があってはじめて生まれ、長い短いは相手があってはじめて生まれ、高いと低いは相手があってはじめて生まれる」ー老子 【思想と名言集】より

 

ー「美を見た時、ああ美しいと思うから醜いという意識が生まれる。善を見た時良いことだなあと思うから善ではないという考え方が生まれる」ー老子 【思想と名言集】より

 

ー「最上の善は水のようなものだ。水は万物に恵みを与え、他と争うことなく、人々が嫌う所に流れゆく。だから道に近いのだ」ー老子 【思想と名言集】より

 

 

あれ、何やらわたくしが日頃述べて居るやうなことばかりではありませぬか、ヘッヘッヘッのヘッ。

しかも其の対概念のところがね、此の世界の成り立ちの理解には常に重要です。

 

 

ー「無は有という一を生み、一は天地という二を生み、二に陰陽が加わって三を生み、三は万物を生んだ。万物は陰の気と陽の気を抱き、気を交流させて和を保つ」(『老子』42章)ー老子 【思想と名言集】より

 

「万物は陰の気と陽の気を抱き、気を交流させて和を保つ」

 

 

さうなんです、特に陰陽説に影響を受けた訳では無ひのですがわたくしの場合は結果的に今此の陰陽の相互交流、即ち相剋し尚且つ相即する関係に気付き其れを信奉しても居る訳だ。

いや其れは考へによるものでは無くさう直観したものです。

 

事實としてわたくしにはそんな直観能力があり、此処に於ひてもあくまで其れに基づく原理なりを何とか言葉にて表現しやうとして居るだけのことなのだ。

 

其の宇宙としての和を保つのは日本人の和の精神などとはまるで違ふものかと思はれます。

 

さうさうしてみんなでもって赤信号を渡って行くのとはまるで違ふ次元でのお話なのだ。

 

 

ー大巧は拙なるがごとし:(45章)「本当に巧妙なものは稚拙に見える」

足るを知る:(46章)「足るを知るとは、今の現実に満足することである」

千里の行は足下より始まる:(64章)「千里にもなる長旅も最初の一歩を踏み出して始まる」

天網恢恢祖にして漏らさず:(73章)「天の網目は粗いが何ひとつ漏らさない」

柔よく剛を制す:(78章)「柔は剛を制する」ー老子 【思想と名言集】より

 

老子の言葉はかうして逆方向から説かれたものがまた多ひ。

 

其れは何故かと申しますれば視野が広ひ=常に両極を見据へ語られし言葉であるからなのだらう。

 

 

老子は才能を隠し、無名であることを良しとする人でした。ー老子 【思想と名言集】より

 

 

まさにさうなんです、「能ある鷹は爪を隠す」の喩への通りに、ほんたうのお利口さんは世を捨て社会へはあへて出て行かぬものなのだ。

つまりは社会をバカに仕切ってもう相手になどしてやらぬ訳だ。

 

エッ?

こんなにみんなが困ってるのに何もしてやらなひの?

 

さうして独りよがりに観念の高みでもってしていつも見物なの?

 

さう見物なの。

 

バカは死んでも治らんのでかうして馬鹿馬鹿と罵倒しながら物見遊山に見物なのだ。

 

 

「無名であることを良しとする」

 

だから無名でもってして其れが一番なのです。

 

さて🐵なのに総理大臣をやってることと其の無名の人とではどちらがより偉ひのでせうか?

 

無名の人でせう。

 

ブゥー、違ひます。

 

なんとなれば🐵なのに総理大臣をやってる人の其の奉仕の精神の方が遥かに偉ひではなひか。

 

 

でも高みの見物をしてる其の人はもう地獄に堕ちてます。

ー高みの見物とは、自分に直接利害が及ばない範囲から、傍観するという意味のことわざー


ではもしや🐵の総理を認められたのか?

 

金輪際認めてません。

 

何故なら🐵よりも🐻に是非総理をやって欲しひのだから。

 

 

ー「本当の意味での理解」とは、実際その立場になり、体験しない限り理解したことにはなりません。科学やTVの報道など、「客観的事実」を盲目的に信じることが、バカの壁をつくり出し、本当の意味での理解を阻害するのです。ー【書評】固定概念を捨て去る言葉を体得する『バカの壁』より

 

其の「客観的事実」であることを科学は証明することが出来ぬのです。

科学への盲信は人間にとり最悪の観念的後退です。

 

其の盲信をする人間が多過ぎいつの間にか馬鹿だらけになって居ると云ふのが世の實情です。

 

 

ー今や猫も杓子も「個性を伸ばす時代」です。学校教育の現場でも、個性、独創性、オリジナリティを尊重する風潮があります。著者曰く、「共通了解のこの時代に、個性、個性と唱えることは矛盾している」といいます。 ー【書評】固定概念を捨て去る言葉を体得する『バカの壁』より

 

本気で其の人間の個性の重視を唱へるのであれば、学校などはもう要らなくなって仕舞ひます。

勉強は塾でも出来るのだしむしろ寺子屋のやうな教育の方が其れには向ひて居りませう。

 

学校はむしろ社会の奴隷を生み出す為の洗脳の場のやうなところだ。

 

だが個性とは生まれ持ったものでありほぼ生涯変はらぬものだとも思ふ。

 

 

ー著者曰く、「現代世界の3分の2が一元論者だということに注意しなければならない」といいます。これはイスラム教、ユダヤ教キリスト教のことです。宗教もそうですが、原理主義も同じく、一元論です。原理主義が破たんするのは、歴史が物語っています。このことに気づくべきといいます。ー【書評】固定概念を捨て去る言葉を体得する『バカの壁』より

 

キリスト教はむしろ二元性に基づき構築されし宗教でせう。

なので其の思想的展開は概ね正しひものなのだと言へる。

 

問題は大乗佛教の方が一元論だと云ふところにこそあらう。

他力救済を旨とする大乗佛教はある意味ではキリスト教的に一元化されて居るが眞理以前の段階では其れもしかと二元化されて居ります。

 

より正確なところでの眞の意味での一元化とは釈迦による佛法のみなのではなからうか。

 

何故なら天國には神と其の眷属となりし人間が共に住まふ訳だが涅槃の境地にはもはや佛しか居らず其の佛は結局人間だけがなれるものなのだからこそ。

 

 

バカの壁とは、「現代人がいかに考えないままに、この周囲の壁をつくっている」というものでした。この周囲に壁をつくることで、居心地のいい世界を創ろうとしているのです。しかし、この壁こそが進化する人間の敵であり、壊すべき壁なのです。ー【書評】固定概念を捨て去る言葉を体得する『バカの壁』より

 

現代人はまさに抽象的に社会に洗脳されて居ることだらう可能性が高ひ。

 

其のー居心地のいい世界-とは其の人間にとっての抽象的な願望に沿った世界のことだ。

 

其れを組み上げたのは結局子宮思考であらう。

より正確には子宮思考に洗脳されし男性原理が其れを創り上げたのだ。

 

1.兎に角群れたがる

2.権威にひれ伏す

3.じぶんでは考へなひ

4.快適なのが大好き

 

との人間の♀の考へが抽象化された形で實現したのが現代の科学技術文明なのだ。

 

要するにいつの間にか文明の奴隷、文明の手先として動き回る毎日しか出来なひで居る我我なのだ。

 

だから詩人さんは其処から逃げるんだ。

 

 

やっとソコが分かったか。

 

養老先生はな、随分前からベストセラーの本を連発して金持ちだからもう鎌倉の家で楽隠居だよ。

 

全く其処は五木 寛之先生とまるで同じで嫌らしひ限りだな。

 

 

一体其の何処が嫌らしひのだ?

金を持って居てしかも楽隠居なのが嫌らしひのだ。

 

其れにな、本来ならば「能ある鷹は爪を隠す」のだよ。

 

あへて其の才を世には示さぬものなのだ。

 

だがおまへもかうしていつも何かを書き示して居るではなひか。

 

其れも先生方のやうな結構な御身分になりたひのでかうしてやってるんだやう。

 

 

おお、おまへにしてはまた妙に前向きな発言だな。

 

へひ、其れもかうして何かを書くことだけが今のボクにとっては楽しひんでね。

 

さても今回のコロナ禍のやうに現代人にとってやれなひことがあることをドーンと知らせて呉れることこそが或は大事なのかもね。