目覚めよ!

文明批判と美の探求と

重要なのは祈念することと同時に原因を探ることー今年は中止された成海神社の山車祭りよりー

さて結局わたくしは家事が好きで労働が嫌ひなことが分かった。

 

労働とはむしろ悪ひ価値観の社会へ参加することを強ひる悪の現象其のものだ。

対して家事は大層楽しひ。

 

さうしてお買ひ物が楽しひ。

お料理などはもっと楽しひ。

 

さらに片付けや掃除機がけや雑巾がけなどが。

 

元々おまへはむしろソッチの人だったのやもしれぬな?

即ちおまへは主婦だったのだな?

 

 

良くぞ我の正体が分かったな。

わたくしはズバリ其の女中だ。

 

でもおまへの言ってることを毎日聞ひてればそんなことは誰にでも分かる。

 

 

おまへはまるでそんな腐った女のやうな奴だ。

まるで今太宰だ、今安吾だ、要するに極左詩人だな!

 

さうだ、わたくしは其の現實派だ。

かうして現象が織り成す「今」に満足して居る。

 

わたくしは其の「今」をこそ永遠に乞ひ願ふ。

 

うはあ、まさにおまへは子宮思考の権化だ、まるでもって倒錯認識の化け物だ。

 

第一女が腐るのはまさに其の現世利益性によるものだらう。

 

 

そんなことは分かってる。

だから我はちゃんと理論武装もして来たつもりだ。

 

其の男性原理による観念性、まさに此の部分をも高いレヴェルにて追求して来て居る。

かうして日々天下國家を論じ権力に対する批判を繰り広げて来て居る。

 

でも権力に対する批判は最終的に👩の子宮思考にこそ擦り寄るのではなひか?

 

 

嗚呼、どうもお人形が欲しひな。

其れもアノ可愛ひシスター人形が欲しひ。

 

同時にF-22ラプター戦闘機のダイキャストモデルが是非欲しひ。

何故なら掃除中に落として尾翼が二枚とももげて仕舞ったからだ。

 

 

おまへの趣味は流石に変はってる、常人にはまるで理解が及ばぬ域にある。

さても其の二元対立こそがおまへが奉ずる此の世の美としての源泉なのか?

 

そりゃさうでせう。

だって家事と極左思想はあくまで正反対のことですよ。

 

キリストと釈迦もまた其の正反対のことですよ。

であるが故に其の対立する其れぞれが美しくあり得るのでせう。

 

 

なる程、するとおまへの思想は其の二元対立をむしろ其の侭に見詰めて行く、むしろ其の対立を突き詰めて追ひ求めて行くところにこそある訳だ。

むしろ其れに逆らはぬ、無理に纏めたりはせぬ、即ち一元化を目指したりはせぬのだと。

 

むしろほとんどの宗教が其の一元化をこそ目指して行きませう。

ですが一元化すれば人間は人間では無くなりませう。

 

逆に言へば人間である侭に救はれる宗教など此の世にはありませぬ。

其の加工性其のものに疑問があるのでかうして二元分裂する侭に即ち「ありの侭に」価値を構築して居ます。

 

 

価値の構築?

其れは佛法ではむしろ謗法だらう?

 

いへあくまで其処で破壊しつつ構築して行くと云ふことだ。

男性原理が破壊するものをかうして女性原理として拾ひ集め再生させるのです。

 

エッ?生命の再生?

 

おまへはいつもそんな難しひ事業を刻々と成し遂げて居たのか。

おまへは神か、其れとも魔物か?

 

いへタダの相対分別者であり壱観念詩人です。

其の観念詩人の頭の内部の話なので常にかうして話が抽象的になるのだ。

 

其の抽象度をさらに増して行くと果たしてどうなるのだ?

必然的に皆様には理解出来ぬ話となって行くので其れは止めて置ひた方が宜しひことかと存ずる。

 

 

ところで今日はまた素晴らしひ晴天だな。

即ち秋晴れでもって最高の日和だ。

 

さても今日おまへは祭りに行くのではなかったか?

 

其の祭りは中止ですよ。

 

世界中の祭りも運動会も皆中止だ。

 

エッ?また其れはエラヒことですな。

 

人間界はもはや半分ブチ壊れて居るやうですね。

 

何でさうなりましたか?

 

ヒルスが世界中にバラ撒かれかうなって居ます。

 

特に飲食店や観光業、また芝居小屋だのと云った芸能、藝術の分野が大きく打撃を受けて居ます。

また✈や🚢と云った運輸業や製造業の方も可成にやられて来て居ます。

 

 

但し意外と強ひのが學問や公的サーヴィスの部門です。

何故なら其れ等は抽象度が高ひ分野であり組織だからなのです。

 

すると危機はより具象的な領域に襲ひ来るものなのですか?

 

危機による破壊はむしろさうしてより具象的に齎されるものだ。

逆に抽象度が高ひ分野こそが生き残る訳だ。

 

 

でも其れって可成にヤバくなひですか?

 

たとへば人間の寿命を延ばすと云ふ其の観念だけがより強くなり生き残り逆にみんなが食って行けなくなると云ったそんな酷ひ矛盾はあってはならぬことではなひですか。

 

つまりはさうしたことです。

 

まさに其処こそが近現代文明に於ける自己矛盾の様なのだ。

 

 

さても其の批判と家事のどちらがより好きですか?

 

どちらも好きです。

 

じゃ嫌ひなのは何?

 

まさに其れは労働だ。

 

 

まあどうでも良ひのだけれどこんな社会否定は止めて何か楽しひお話をして下され。

どだひ本日は御日柄などもまことに宜しひやうですので…。

 

 

分かり申した。

 

其れでは早速祭りの話をさせて頂かう。

 

 

例祭 鳴海祭 山車祭り

さて此処五年程わたくしが行って居る祭りとは結局此処だけです。

 

 

ー五穀豊穣を祈願する例祭は、毎年10月第2日曜に行われます。
氏神様に、日頃の安らかな暮らしの御守護を謝して御詣り下さい。

 

令和2年10月 例祭・鳴海祭について

神社の神事として宵宮祭、東宮稲荷社幟旗奉納報告祭、例祭、御神幸(御船流し神事)は予定通り斎行します。
尚、新型コロナウィルス感染防止の観点から、鳴海祭(裏方)山車まつりの行事は中止となりました。
神賑い行事、奉賛子供会の参拝は参拝人数も少なくして行う予定です。
境内の露店の出店はありません。ー例祭 鳴海祭 山車祭り

 

 

ともありますやうに、裏方の山車祭りは中止され、また鳴海神社境内の露店も出店されぬことから今年の場合わたくしは行きません。

此処からしてのコロナウヒルスは人間の社会活動其のものに対する限定なのだ。

 

其れも以前から述べて居りますやうにあくまで具象的限定です。

何故ならネットだの國家だのが壊れた訳では無ひからだ。

 

むしろ肉体的、感性的に制限されることを余儀無くされて居やう。

 

 

ところがいざ此の制限が全的に拡がれば破綻する國家や自治体もまた出て来ることでせう。

 

さうなればまさに抽象領域への破壊が進んで行くこととならう。

まあもしさうなってもわしゃまるで知りませんのですがね。

 

そも社会がバカなんで当たり前の結果を迎へて居るだけのことです。

おまへはまさに其処が酷ひ、人類に対し如何にも冷たひ。

 

さうでは無ひ、逆に温かひ。

かうして間違ひの部分を指摘し直せと言って呉れること自体がむしろあったかひ部分なのだ。

 

 

鳴海表方祭(鳴海八幡宮例大祭)

鳴海裏方祭(成海神社例大祭)

 

鳴海の祭りには此の二種がある。

鳴海とは旧東海道鳴海宿辺りのことを言ふ。

 

鳴海は緑区だからわたくしが住んで居る瑞穂区ー名古屋のみんなが住みたがる文京地区ーよりも南に位置しわたくしの母の出身地の南区とはくっつひて居る。

 

表方祭は旧東海道に多くの山車が出て賑はう祭りである。

が、わたくしはむしろ裏方祭の方をより好む。

 

其れは成海神社で行はれる祭りで、こちらの方が我が家からはより近ひところで行はれる。

其の成海神社は實は自転車でもって20分程で行ける処にある。

 

ところが五年程前まで緑区にてこんな祭りが毎年行はれて居ることなどはまるで知らなかった。

 

まさに其処が都会の薄情であり無知なのだ。

 

 

かうして都会人は國家繁栄の為の経済活動にばかり追はれ何か大事なものを見失って居易ひ。

 

だがさう云ふのではダメだ。

人間が腐るか或は気が狂ふ。

 

だからさうした大事なものが見へぬ都会のみんなは所詮は馬鹿だ。

 

だがわたくしに限り馬鹿では無ひので目敏くかうしたいいものを見つけて仕舞ふ。

 

 

こんな鳴海の祭りのことは以前病院に勤めて居た折にパート勤めの良ひ人ー鳴海の方ーが居て其の方に教へて頂ひた。

其れも地元の大卒の方で細かく紙に書き込んだ上で教へて下さった。

 

丁度其の方は家の仕事ートヨタの下請けの部品工場ーをたたんでかけもちにて勤めに出て居られたのだ。

わたくしよりも十歳以上若ひ方である。

 

かようにかの大TOYOTAはさうして下請けをイジメるので小さな工場などはすぐにやって行けなくなるのだ。

悲しひ哉其れが此の世の常であり現實なのだ。

 

其の方の父親が工場を切り盛りする傍らからくり人形の作者であり且つ修繕者であった。

 

 

ー日本のからくりが文化的に開花したのは戦国時代に入ってきた西洋技術、とくに機械時計によるところが大きい。17世紀頃から機械時計に使われていた歯車カムなどの技術を、人形を動かす装置として応用したからくり人形が作られ始めた。当初は公家大名、豪商などの高級玩具であったが、祭礼や縁日などの見世物として一般の目に触れると人気を呼ぶようになり日本各地に普及し、専門の職人も現れ非常に精巧なものが作られるようになった。元和6年(1620年)には、名古屋東照宮祭の山車に初めて牛若弁慶のからくり人形が載せられ[3]中京圏を中心としてからくり人形を載せた祭礼の山車が広範に普及することになる。ーからくりより

 

其のやうに中京圏の祭りではからくり人形を載せた祭礼の山車が出ることが多ひ。

名古屋に限らず知多などでも大々的にまた小規模にさうした祭りが行はれて居る。知多の山車館

 

尤も三河のことは済まぬが知らぬ。

 

 

わたくしは其の方よりかうした郷土の文化を知らされ何より嬉しく思った。

 

まさに其れこそがグローバルに展開される経済活動のことなどよりもずっとずっと大事なことのやうに思へる。

 

其のやうに郷土としての具象的且つ伝統的な文化文物を重視せずして一体どうする?

 

 

かうして人類が倫理観無しでもって観念的にシンポするのとは其れは訳が違ふのだ。

 

其の観念的進歩のおバカさを此の際永遠に述べ立てて行っても良ひのだが其れでは矢張り疲れるのでとりあへず其れは止めて置かう。

 

兎に角からくり人形程面白さうなものもまた無ひ。

 

 

 

TOYOTAよ、もはや🚙よりもからくり人形を作るべきなのではなからうか?

織機及びからくり人形を大量生産し人類のお役に立つ仕事を今後ーコロナショック後ーは是非して行くべきではなからうか。

 

特にからくり人形は機械であって機械には非ず。

嗚呼まさに其れは魂をもった人形だ!

 

おお夜中にからくり人形がひとりでに動き出し寝て居るおまへの顔を舐めに来るぞ!!

そんな魂を持ったかけがへのなひ作品ばかりなのだ。

 

 

高山祭

國際的観光地となりし飛騨高山の屋台などもまた有名である。

 

三番叟 からくり人形

其の屋台にはかうしてからくり人形がまた付ひて御座る。

かうして裃を着込んだからくり人形は一般に高価なものとなるものらしひ。

 


前祭山鉾 御池通巡行 (2017年7月17日撮影)

京都の祇園祭にもまた山鉾が現れやう。

 

ー現在の山鉾巡行の原形は、鎌倉時代末期の『花園天皇宸記元亨元年7月24日(1321年8月18日)条の記述からうかがえる。それによれば、鉾を取り巻く「鉾衆」の回りで「鼓打」たちが風流の舞曲を演じたというものである[6]南北朝時代には、富裕な町人層が競って風流拍子物をくりだし、さらに室町将軍家が調進した「久世舞車」や西陣の大舎人座が出した「鷺舞」など、さまざまな形の付祭の芸能が盛んになった[7]

室町時代に至り、四条室町を中心とする(旧)下京地区に商工業者(町衆)の自治組織両側町が成立すると、町ごとに趣向を凝らした山鉾を作って巡行させるようになった。それまで単独で巡行していた竿状の鉾と、羯鼓舞を演ずる稚児を乗せた屋台が合体して、現在見られるような鉾車が成立し、さらに主に猿楽能の演目を写した作り物の「山」が加わることによって、室町時代中期には洛中洛外図に見られるような、今日につながる山鉾巡行が成立したものと見られる[8]。ー祇園祭#山鉾巡行の成立より

 

 

要するに山鉾巡行鎌倉時代末期よりあったが戦国時代以降中部地方で其れにからくり人形が加はり屋台ー山車ーを形成して居る可能性が高ひ。

が、京都の山鉾と中部地方の屋台はまた違ふものだと言へば違ふのやもしれぬ。

 

中部地方の屋台は庶民的なものでもまたあるのだが細部を見ると意外と凝って居たりもまたして其処がなかなか興味深ひものだ。鳴海裏方祭~丹下~山車彫刻

 

尚山車が集まるとなかなか壮麗である。山車・からくり情報

 

 

実際には大体こんな感じだ。鳴海 裏方まつり【2018】

 

なのだけれども此れでは山車が集まって居る感じは出て居なひ。

また山車其れ自体も庶民的に質素な物が多く其処はさう金がかけられて居なひのやもしれぬ。

 

尚此処で六分二十八秒の処から六分四十八秒のところまで山車の内部でもって左側に乗り笛を吹く人物が居るがまさに彼がわたくしに山車文化の重要性を教へたM氏である。

尚2018年に行はれた此の成海裏方祭りには無論のことわたくしも出向ひて居たのである。

 

なのでわたくしが此の動画の何処かに映って居る可能性もまた可成にある。

映り込んで居る可能性が大ひにあるがイチイチ調べるのは面倒臭ひので止めて置かう。

 

 

他方で表方祭の方ー有松から鳴海への山車の曳き回しーの模様は大体こんな感じだ。

鳴海八幡宮例大祭(鳴海表方祭)

 

だがこちらは夜に訪れた方が良ひことだらう。

018年10月 鳴海八幡宮例大祭(表方祭り) 宵山揃い 山車提灯とどんてん

2013鳴海山車祭り中嶋町ーより近距離での撮影ー

 

 

ちなみに山車の提灯が多過ぎて下品だと云ふ感想もまた一部にあるが京都でも高山でも無ひタダの鳴海の宿なので下品もクソも無くさうして一体となり祭りに参加し山車に轢かれてでも来れば良ひのではなからうか。(?)

実際に三、四年程前に山車の一番上に乗って居た囃しの人が地面に落下し怪我をして祭りが中止になったことさへもがあったのだった。

 

かくして祭り文化、郷土の文化につき今回述べた訳であるが其れは日本全國の何処にでもある地域性と云ふ文化其のものにつき述べた訳なのでもまたある。

 

其のやうに文化は何処にでもあり其れは常に大切にされて行くべきことだ。

だが現在はコロナ禍と云ふ普遍的具象性が我我人類の活動を制限するに及び要するにもはや祭りひとつやることさへかなはぬ状況にある。

 

 

さて、

 

ー五穀豊穣を祈願する例祭は、毎年10月第2日曜に行われます。
氏神様に、日頃の安らかな暮らしの御守護を謝して御詣り下さい。ー例祭 鳴海祭 山車祭り

 

ともあったやうに祭りとは本来「五穀豊穣」を祈願し氏神様に日頃の「安らかな暮らしの御守護」を祈念するものである。

 

其れが何故こんなんなってるか?

まさに其処が問題なのだ。

 

其処を解決する為にはまた色々と観念的にほじくってみねばならぬ。

わたくしがやってることとはまさに其の観念的なほじくりなのだ。

 

さうしてまた嫌なことを述べるかのやうだが祈るだけでは文明の抱へる問題点に対し対処する術は得られはせぬものだ。

だが祈ることもまた重要だ。

 

よって祈りつつ、また持続不可能な具象的事實への原因を探りつつ我我人類は今後を歩んで行かざるを得ぬことだらう。