明けましてお目出たう御座ります。
さて本年はこんなコロナ禍での年明けとなりました。
さても今後文明はどうなるのか?
どうなるもかうなるも、全ては人間の心の持ち方を正さねば話にも何もなりはしなひ。
要するに過分なる欲を捨て小欲知足に徹すれば文明は助からうがさうでなければ次第に崩壊しても参りませう。
で、わたくしは近くの神社を訪れると云ふ平穏な三が日を過ごして居りました。
1.西八幡社ー家より150メートルの神社ー西八幡社に行く…瑞穂区軍水町三丁目1…瑞穂区の史跡巡り(その16)
今年は中根銅鐸ーかって此処より出た銅鐸のレプリカーの展示があり其れを見て来た。
近隣の人が良く訪れる普通の神社ながら幼ひ頃には此処でもって良く遊んだ思ひ出の場所である。
2.山神社(下山町)
以前勤めて居た病院の近くにあり屡訪れて居たなかなか古風な神社である。
此処もまた杜が素晴らしひところだ。
高級住宅街にある為金持ちが皆参拝するやうでもある。
が、實は三が日に百貨店へも通ひつめても居た。
實は此の三日ばかりパレマルシェ神宮店へ通ひ詰めて居た。
此処は小規模な百貨店でありスーパーには無ひ品が揃ふ素晴らしひところだ。
おまけに此処のすぐ横が熱田神宮であり此処から参拝者の数なども確認出来る。
毎年此処へ富山のぶりのすしを買ひに行くことにして居るのである。
其の小規模百貨店は混んで居たのか?
まあ意外と混んで居たがむしろ元日に限れば空ひて居た。
コロナ対策は大丈夫か?
百貨店の消毒用アルコール液は質が良く其れを行きと帰りにタップリとマスクの裏側にふりかけるのだ。
するとコロナは皆やられて仕舞ふ。
次に百貨店内の書店へ行く。
すると何せ空ひて居るので立ち読みがし放題だ!
其れでもって文房具関連の情報誌を久し振りに立ち読みす。
こんなペンの情報を見つけつひ欲しくなって来て仕舞ったが此のタヒプのヴィスコンティはクリップを取らねばダメだ。
次に宗教コーナーへ行き1日1話 マンガでわかるブッダの教え (TJMOOK) (日本語) 大型本 と云ふのを三日かけて全部読んだ。
ところが其れが凄ひ内容の本だったのだった。
ズバリ言おふ。
此の本こそが今まさにみんなが是非読まねばならぬ本なのだ。
全くとんでもなく役立つ精神ー心の持ち方の為のー本である。
其処に佛陀が「他人は清められぬ」と云ふことを述べて居たと云ふ解説があった。
「他人は清められぬ」
まさに其れこそが眞實なのであらう。
第一こんなコロナの最中にも世間の馬鹿は株価が上がったのを喜び大儲けしたりもして居るのである。
また元日から手を繋ひで歩道橋の上をさも楽しさうに歩ひて居るな、此のバカップルめが!
かうして「他」と自分との間にはこんなどうしやうもなひやうな認識の上での開きがある。
危機感の持ち方の上での違ひがあるのだ。
だが三が日をさうして食と宗教にのみ邁進して居るわたくしの姿なども或いは周りから見ればタダの馬鹿にしか見へぬことであらう。
人間にはさうして何故かやりたひことの違ひ、観念と行動の上での方向性の違ひがあり其のことの愚かさは客体化して見た場合にのみかうして知らされることなのだ。
さうして他人を清められぬのであれば、社会を清めることなども無論のこと出来ぬのである。
他人の集積である社会は其れこそ自身から変はらなければどう指摘したにせよ其れは変はりやうの無ひこととなる。
かうして釈迦の佛法は後の大乗佛法などと比べるとある意味では自己本位なのでもある。
だが其れは利己主義なのでは断じて無ひのだ。
さうでは無くむしろ正しひ自我のあり方=眞我を形成するには己を頼りとして行かねばならぬことを述べたものなのだ。
さうして他を頼るな、他からの評価を気にするな、などと佛陀は述べたなどとも本には書ひてあった。
要するにさうしたことなのだらう。
世俗の人々は余りにも其の社会からの評価を重んじ過ぎて居る。
社会はむしろどうでも良ひ、などと言へばまさに狂ってるなどとも思はれさうだが社会で認められるやうに生きることが必ずしも正しひ生き方では無ひことだけは明らかなことではなひのか。
むしろ自分の意思、自分の考へを確立し其処から得られた価値を社会が奉ずる価値と照らし合はせた上で物事に対する判断を是非行って行くべきではなからうか。
かうして他者程厄介な者もまたなひ。
わたくしも此処五年ばかり、いや此処二十年ばかり、いへもっと長きに亘り其の他者から邪魔をされることで心の平穏を脅かされ続けて来た。
されど佛法は常に自己をこそ省みよとさう宣ふ。
また自業自得としての今を生きて居るのだとさう仰りもする。
なのだけれども、此の社会が形作るものとは大抵の場合敵としてのまた理解し難ひ価値観としての今の様ばかりなのだ。
自己⇔他者
かうした二元分裂が常に存するので其処に平穏さ=佛の心の境地を得ることなど適はぬ訳だ。
逆に言へば其れがまさに我執の産物なのだとも言へやうがでも己を滅すれば滅したで其れでは流される者となって仕舞ひがちなのだ。
そんな世の風潮に流されること無く自己を確立する=眞我を形成するなどと云ふことは社会生活をかうして続けるうちは不可能に近ひことだらう。
其れでも猶其れをやれ、少なくとも其れを目指し生きて行くべきだとさう佛陀は仰って居られたことだったらう。
他者のデカひ奴がまさに社会なので其の社会とどう関係を結ぶかと云ふことを其処に強く感じさせられた其の一冊だった。
只ひとつだけ言へることは社会とはなるやうにしかならぬものだと云ふさうしたことなのやもしれぬ。
なのであれば社会を俯瞰視することもまた必要なことだ、社会に己の価値を託さず逆に社会に対し批判を加へて行く視座こそが其処にどうしても必要とならう。
生きることとは獣ー矛盾による苦の生成ーの履行でありまるで良ひことなのでは無ひ。=✖
だが現世利益を奉ずる限り生きることが○ともされて仕舞ふ。
他力救済は概ね現世利益性を求めていくものだがでもキリスト教と禅宗は違ふことだらう。
ー禅宗は自力救済に極めて近ひことでもまたあるのだらうがあくまで大乗佛教でもまたあるのだがー
キリスト教は👿に唆された社会が一度滅びることで人間を救済するのだし釈迦の佛法や禅宗は自らの心のあり方の誤りを正すことで悪の社会からの脱出を試みる。
でも誰もが此の世はまた社会は悪だなどとはまるで思って居なひ筈なのだ。
其れ即ちもはやみんなが現世利益主義に洗脳されて仕舞って居るからなのだ。
でもかうして事實として世界は壊れて行って居る。
なので其処でもって正しひ宗教のあり方が選別されて行くのではなからうか。
前回全ての宗教は正しひなどと申しましたが其の考へこそは誤りでした。
矢張りと云ふべきか宗教には正邪としての別がさうしてあるのです。
さて首都圏に対し緊急事態宣言が再び出されやうとして居る今我我は何を信じこれからを生きていけば良ひのだらう?
わたくしは其れを自分を信じて生きて行くことなのだとさう今申して置きたひ。
其の自分とは自我では無く自己である。
自己には価値観を正す其の力があるとさう信じやうではなひか。
自民党の政治が馬鹿である。
確かに其れが事實なのだ。
だからかうした矛盾だらけの世に必然として陥って仕舞ふ。
しかも其の馬鹿は不治の病なのだ。
其れ即ち保守の病とは其の馬鹿の病のことなのだ。
対して枝野が今なかなか良ひことを述べて居る。
枝野に是非総理大臣をやって貰ひたひ位だ。
馬鹿の🐵と二階がまたオリムピックなどをやらうとして居るがまさにおまへらは馬鹿か!
みんなはそんな馬鹿に命を預けて果たして其れでもって平気なのか?
そんな馬鹿🐵は早う秋田の山へと帰るべきではなひのか!
枝野よ、何故野党にはこんなに力が無くなったのだ?
公明党よ、枝野とくっつき自民党を叩き潰す為の野党大連合を成立させて頂きたひ、政教分離の原則の方も誰かが改憲するので是非さうして頂きたひ。
でも基本的には政治の馬鹿振りにはもはや興味が無ひ。
ところでぶりの寿司は美味かったのか?
其のぶりの寿司こそがわたくしの大好物なんだ。
でもますの寿司の方ではダメなんだよ。
其処が難しひのさ。
ぶりの寿司には蕪と昆布が入って居り其の味の組み合わせこそがまさに最高なのだ。
其の他にも此の正月に何かを食って居たな?
京都東山の料亭道樂のおせち、アレはまさしく絶品だった。
で、煮アワビにアワビの殻が器として付ひて居たので今其れを左手で握りつつコレを書ひて居る。
其のアワビの殻が放つ虹色の光彩が何とも美しひものだ。
祇園岩元のおせちも評判が良かった。
結論から言へば矢張りと言ふべきかおせちは京都の料亭のものに限る。
どだひ東山の料亭道樂なんぞは何と380年もの歴史を培う料亭なのだ。
そんなものがマズひ筈など無からう。
ズバリ京都のおせちはヤッパリイケていたのであった。
他にも従弟が木曽路のおせちをまた持って来て呉れて居たが其れも確かに美味ひのだが其の倍程は美味ひのが京の料亭のおせちだ。
そんな訳でまさに食ひ正月であった。
またTV正月でもあった。
其れから「麒麟がくる」でのアノ信長の演技は🌸🌸🌸でつまりは大合格だ。
さてパレマルシェ神宮店の中にあるダイソーでもあれこれと菓子を買ひ込んで来た。
1.丸福米菓 黒胡麻
4.ハッピーポケット プチガレット [ココアクリーム&ビスケット]
其の評価
1.兎に角黒胡麻だらけだ
2.例の辛ラーメンとは妙に合ひ癖になる
3.兎に角サヒコーに美味ひ飴だ
4.駄菓子っぽひのが逆に美味ひ
尚、漱石は明らかに甘党で常に戸棚などに大福や羊羹などを隠して居たさうである。夏目 漱石と羊羹
また室生 犀星なども相当な甘党であったものらしひ。室生 犀星と羊羹
かの芥川 龍之介までもが其の甘党であった。芥川 龍之介と汁粉
かうして甘党の人は普段ほとんど酒を飲まぬ。
なのでわたくしもまた其の甘党なのである。
と云ふか甘ひのと辛ひのを同時にイクのである。
かうして甘ひものを好む作家が居るのは、其れは甘ひものを食べると頭の働きが良くなりより思考が深くなるからなのだ。
とわたくしは自身の経験からさう判断して来て居る。
いやでもわたくしの場合には甘ひのと辛ひのだけでは無く兎に角弁当系もまた好きなのだ。
またレトルトカレーのファンなのでもある。
如何にも食ひ過ぎでっせ。
いやわたくしの場合はなにせ常に頭脳がフル回転なので此の方が良ひのだよ。
さても今関東はコロナ感染が危険である。
別に誰がコロナ死しやうと構はぬのだが此処の読者及び此処を視たみんなの命だけは助けてやるつもりだ。
君等はわたくしの此の義憤のパワーをすでに頭の中一杯に浴びて居やう。
良かったなあ、もう君等はコロナ感染からは救はれたのだ。
何故ならわたくしの怒りが其処に乗り移りコロナを撃退して仕舞ふからなのだ。
でも眞面目な話、コロナ感染は後遺症も残るのだし恐ひものだ。
だからマスクは二重に付けしかも其の内側にアルコールを沁みこませたティッシュなどを是非仕込んでおくべきだ。
死ぬなよ、君等。
君等はわたくしの大事なお客様でありパトロン?だ。
誰一人死んで貰っては困る、生きよ生きよ生きて此の詩人の話を毎日聞け。
さすれば世界は救はれずとも少なくとも君等は救はれるのだ。
さうして救ったお礼は此処での壱話の購読料が壱万円だからちゃんと読んだ分はわたくしの口座の方にお布施してね。
でも金だけじゃなひ、ほんたうのほんたうにわたくしは関東の読者の方々のコロナ感染を心配して居るのだ。
わたくしはかうしてとてもやさしひ人間なのでほんたうのほんたうに心配して居るのだよ。
さてもコロナに文明は打ち克つことが出来るのか?
其れは分からなひ。
でも皆がいつかは文明は元に戻るとさう考へて居る筈だ。
でも五年後位からは今度は温暖化による脅威が世界を蹂躙して行くことであらう。
だから社会ー文明ーは俯瞰視しつつ自分とは別物だと云うやうな感じでもって生きて行った方が良ひことだらう。
要するに同じやうに死ぬるのなら文明の為に死んでやらずとも良ひのである。