目覚めよ!

文明批判と美の探求と

「個」が成立せずば精神の近代化は成り得ぬ

では其の科学シリーズの前に少し気になって居ることを述べさせて頂く。

 

中日ドラゴンズ

何故か最近、ドラゴンズが強くなり今三位に居る。

阪神とはたった二ゲーム差なので阪神との三連戦でやっつければ弐位へと浮上する。

 

阪神を叩くことは中日にとっては比較的樂にやれることだ。ー信長と秀吉との一戦ー

巨人軍は然し原 辰徳-一歳上-年寄がやらねば勝てぬ全く情けなひ球団だな。

 

などと大口を叩ひて居ると容易にBクラスへと落ちる。

何故なら横浜とはたったの壱ゲーム差なのだ。

 

巨人、阪神、中日、即ち東京、大阪、名古屋。

また嫌な組み合はせだのう。

 

経済規模の大きなまるで肥溜めみたひな都会ばかりで何の魅力も御座りません。

 

ところで田舎のみんなは何故都会に憧れたりもするのですか?

むしろアンタが住んでる田舎こそが此の世の樂園ですよ。

 

都会は虚と嘘の集積地でもって其れ即ち厚化粧のバカ👩のやうなものですよ。

 

 

SNSって何ですかそんなもの知りません。

第一ケータヒも持って無ひですよ。

 

ケータヒを操作出来なひ?

いや、操作出来ぬ訳では無く頭がケータヒ化、またスマフォ化されるのがイヤなので持たなひだけだ。

 

要するに此の高度な知性が其処で損傷を受ける可能性が大ですのでそんなものは否定して居る訳だ。

 

 

ー匿名での投稿が可能なSNSは、書き込みに対する責任のタガが簡単に外れやすいものです。特に自粛期間という社会的縛りを強いられる中、人の内面に溜まった不安や欲求不満が爆発し、SNS上に心ない言葉として表現された可能性も大いにあります。

日本のように世間体の戒律が厳しく、空気を読む必然性が高い国だと、普段思っていることをなかなか言語化できない。お酒の力を借りてやっと本音を言えるような環境にあるからこそ、日本におけるSNSの使い勝手は、普段から言いたいことを言語化できている他の国々とは、どこか違っているように感じられるのです。

一方、我家のイタリア人義父母などは、しょっちゅう夫婦喧嘩をしていますし、私も夫とネット越しだろうと、ガミガミやり合います。大抵、私のほうが「これ以上話しても無理だ」と押し黙るわけですが、夫はそれを「言語化への拒絶」と指摘します。

「君はどうしてそんなにすぐ会話を遮断するんだ」というので、「会話じゃない、これは喧嘩だ」と答えれば、「喧嘩も立派なコミュニケーションであり、お互い思っていることをしっかり相手に伝えない限り、何も解決しない」というわけです。ー

SNS上の凶暴な言葉の刃、なぜ「漫画家は漫画だけやってろ」と書かれるのかより

 

其のヤマザキマリ氏は余り個人的に好きでは無ひのですが海外から見たところでの日本の姿をおそらくは誰よりも良く御存じなのでせうから此処は是非其のご意見を拝聴させて頂きたく存ずる。

 

まずは仰るやうに日本では異常な程に世間体と云ふものが重視されて居る。

 

ところが其の世間体と云ふものに實質的な価値が存する訳では無くまさに其れはほとんど妄想に近ひものでせう。

 

たとへばかの大日本帝國による軍國主義、まさにコレが其の實質的な価値の無ひ妄想だった訳だ。

ー但しつひ最近までわたくしは其の軍國主義の価値を認めて居ました。其れは欧米の侵略からの亜細亜の解放としての盟主を務めたと云ふ価値であった。ー

 

なのですが、矢張り侵略を侵略でもってお返しすると云ふ論理は元々東洋的な価値観では無ひ筈です。

なので其れはまさしく近代化により強者の論理に染まった我が國が思はずやって仕舞った過ちだったのやもしれぬ。

 

其の軍國主義の時に一億総玉砕!だなどとも叫ばれ当時のインテリ層も容赦なく戦地へ送り込まれー學徒出陣ー皆體がバラバラになり死んで行ったのです。

其れも其の南海の樂園のやうな島々でもってして。

 

第一其の一億総玉砕!には少なくとも理性的な根拠など無ひ訳だ。

では何があったかと云ふに其れは世間体です。

 

世間体即ちみんなにどう見られて居るか、みんなで総玉砕して居る時にちゃんと同じやうにボクやワタシに其れがやれて居るのか?

とタダ其ればかりでのことなのだ。

 

で、其れに疑問を持ち「ああ、バカらしひ。」などとも言おうものならばすぐさま特高がやって来て反体制思想に走った父ちゃんだの兄ちゃんだのはしょっぴかれて行くのです。

其れで牢屋でもってアナーキズムなどを研究して居りますに、其処ですぐさま拷問やら見せしめのイジメなどを受け其のほとんどが獄中死致しませう。

 

また戦後一億総経済成長などして居ります最中に、「ああ、バカらしひ。」などとも言おうものならばすぐさま近所の誰かがやって来て反体制思想に走った父ちゃんだの兄ちゃんだのは村八分にされるのだ。

其のやうに我が國の民主主義とはまるでウソの民主主義であるに過ぎぬ。

 

 

なので、日本國民は常にウソの「今」を生きて行くより他は無ひ。

本音と建前、其処では常に建前の方が優先され兎に角形、其のみんなでやってく形、さうしてみんなでもって築き上げる其の阿呆の健全さ。

 

嗚呼、其ればかりがまさに日本の大事な大事な価値なのだ。

 

そんなウソコキでもってしか日本の社会を渡って行く術は無ひ。

 

だからタダひたすらに本音を隠し通す。

 

そんな御遊戯は馬鹿に決まってる。

でも理性的に其れを言へば必ずや角が立つ。

 

故に其れは常にご法度なのだ。

 

 

いや、其れは然し鎖國でもして居るならば其れは其れで良ひのだ。

 

だが日本國はもう先進國なのだ。

 

ーお酒の力を借りてやっと本音を言えるような環境にあるー

 

なる程、だから日本では酒席が重要な「和」の為の手段となって居るのだな。

 

だが元々日本人にはアセトアルデヒドを分解出来ぬ遺伝形質を持った人が多く其れでもって徐々に酒に体を慣らして飲めるやうにして仕舞ふ訳だ。

 

 

ちなみに個人的に酒は好きではありません、むしろ飲酒を攻撃したりも致します。

 

が、實は酒が嫌ひなのでは無く酒を飲んでみんなでワヒワヒ、ガヤガヤやるアノ雰囲気が理性にとって有害なので其れがイヤなのです。

 

實は酒其れ自体は好きで其れもバーボン、老酒、ブランデーなだと奥深ひ酒の世界をすでに廿台の頃に彷徨ひ三十歳でもって飲酒を止めました。

 

 

酒飲むと文章は創れませんのですし、元々弱ひわたくしの歯や歯茎や内臓などが強ひ酒でガタガタになるので止めたのです。

逆にタバコや葉巻にはこれまで随分凝りましたので肺の中はおそらく真っ黒でせう。

 

神経質なかの芥川 龍之介は兎に角煙草が好きで其の煙草のことを屡作品に書ひて居たりも致します。

わたくしなどもまさにさうなのですが相当な神経質者の頭には其のニコチンが良く効くやうで煙草を吸ふと落ち着くのだし読書したり文章を紡ぎ出すのには大ひに役に立つものです。

 

しっかし酒の力を借りなければ本音が言へぬなんて全く情けなひぜ。

 

ー「君はどうしてそんなにすぐ会話を遮断するんだ」というので、「会話じゃない、これは喧嘩だ」と答えれば、「喧嘩も立派なコミュニケーションであり、お互い思っていることをしっかり相手に伝えない限り、何も解決しない」というわけです。ー

SNS上の凶暴な言葉の刃、なぜ「漫画家は漫画だけやってろ」と書かれるのかより

 

 

さうして日本人は兎に角意見対立を嫌ふ傾向がありますが、ズバリさうした行き方は近代的自我に基づく近代的な意思決定のプロセスには非ずだ。

近代的な意思決定とは逆に意見と意見を対立させ其処でどちらがより其の場にとり合理的な意見なのかと云ふことを競ひ合ふか又は意見の擦り合はせを行ふ為の其の選択の場なのだ。

 

なので其れを反故にし意思決定を自ら放棄する日本の和の精神構造其れ自体が近代的精神にとり極めて不可解なものであり其れ以前に認められぬものなのです。

 

ですので、あくまで其の意見の対立とは其れは喧嘩では無ひのであります。

ところが日本人はみんなが和の👪ですので、もしも喧嘩したら其れは軍國主義体制や天皇様に異議を唱へる非国民であり共産主義者でありアナーキストなのだ。

 

非国民であり共産主義者でありアナーキストである者は是非牢屋に入り獄中死しなければならなひ。

 

其のやうなまさに日本の「常識」が日本人の精神の近代化を阻み続けて来たのだ!

 

つまるところ日本の和の精神其れ自体が近代的な問題解決からは遠く隔ったところで狎れ合ひ、じゃれ合ひ、最終的に其れを放棄して居ます。

 

 

じゃあ日本國民はそんなウソコキでもって和にじゃれ合ふ悪の民族だったのか?

あくまで近代的自我の観点から言へばどうしてもさう結論されて仕舞ふ。

 

但したとへば鎖國の視点から述べますとあくまで其れは理に適った社会秩序としての構築の方法だらう。

 

 

ー日本が西洋化する前までは、すべてを言葉に置き換えるわけではない日本人の精神性に見合った、それなりに柔和な社会環境があったはずだと思います。しかし、近代になって「誰でも自由に思ったことを発言するのがデモクラシー」という西洋式の習慣が推奨されるようになった一方で、肝心の日本人はいまだに言語の持つ「凶暴性」を扱い慣れていない。ーSNS上の凶暴な言葉の刃、なぜ「漫画家は漫画だけやってろ」と書かれるのかより

 

いやあ、ヤマザキマリ氏は可成に頭の良ひ方です。ー最近は作家の方もされて居られるやうだー

たとへばー言語の持つ「凶暴性」ーとは凄ひ表現です。

 

其の言語化と云ふことは結局合理化のことだ。

まずは人文理性化すると云ふことなのだらう。

 

近代的自我とは合理的結論のぶつかり合ひでもまたある。

まさに其れが右と左の意見のぶつかり合ひであり、男性的原理と女性的原理の鬩ぎ合ひ、ぶつかり合ひのことだ。

 

ぶつかり合ふからこそまさに闘争であり戦ひであり個としての意思決定なのです。

まさにそんな欧米の近代的闘争の世界にこそまた推進力が生じて来るのだ。

 

ところが其の力を本質的には日本の社会は持たぬ。

なので日本の社会が持って居る闘争的自我は虚のものであり仮のものだ。

 

そんな幻の自我を追ひかけ明治以降我が國は近代化と云ふ世界を突き進んで来た。

 

わたくしはそんな様こそが哀しひとさう述べて来たのです。

 

 

ー話はやや変わりますが、私は10代半ばからイタリアへ渡り、油絵と美術史を学びました。その後外国人の家族を持ち、古代ローマ史と日本の比較文化漫画を描き、30年以上世界数ヵ国で暮らしてきた経験があることから、テレビや雑誌、このようなウェブメディアなどで、俯瞰で日本を見たときに感じられる自分の考えや意見を語る機会があります。

そこではもちろん専門家とは違う、海外での日常や風習という私なりの視点を通じて考えたことを述べるようにしていますが、4月に放送されたパンデミックに関する番組に出演した際には、「漫画家がこんなところに出てきて、偉そうなことをしゃべるな」といった反応が、SNSに上がっていました。

「漫画家は漫画だけ描いてりゃいいんだよ」という書き込みは、今までも頻繁にあったので、もう気にもしてはいませんが、それにしても「漫画家は漫画だけを描けばいい」という短絡的な見解には、考えさせられてしまいます。

それはつまり、「人間は社会において認識されている“役割”以外の行動を取るべきではない」という、狭窄的で怠惰な想像力に甘んじている傾向を示しているのではないでしょうか。ーSNS上の凶暴な言葉の刃、なぜ「漫画家は漫画だけやってろ」と書かれるのかより

 

ー俯瞰で日本を見たときに感じられる自分の考えや意見ー

 

其の「俯瞰視」することこそが現代社会では特に重要です。

 

何故なら現代文明の社会構造は複雑でしかも大き過ぎる。

なのでなるべく離れた立場から其れを見なひと其の全体像が掴めなくなる。

 

さらに異なった視点を得るために他分野からの考へ方や別の視点を取り入れて行くことこそが重要です。

さうした多角的且つ包括的なものの見方を常に心がけて居なければ見へるものもまた見へなくなります。

 

第一自分自身が最も見へにくひもので其れは謂はば最も遠方にあるものなのだ。

 

 

ー「人間は社会において認識されている“役割”以外の行動を取るべきではない」ーーSNS上の凶暴な言葉の刃、なぜ「漫画家は漫画だけやってろ」と書かれるのかより

 

 

其の人間が社会に於ひて認識されて居る「役割」こそがむしろ虚の役割です。

まあ一種過激な意見ですが今わたくしにはさう認識されて居ます。

 

何故なら人間が社会に於ひて認識されて居る「役割」こそが虚の自我でせう。

逆に社会の次元を落とし家庭に於ひて認識されて居る「役割」はもう少し具体性を帯びて来る訳だ。

 

其のやうに会社や組織での「役割」=肩書や評価はほとんどが社会的、抽象的にさう決め付けられたものだ。

なのですが、實際には人間は家が無ひと生きて行けやしなひ。

 

だからむしろ家での具象的な役割の方がより大事なのだ。

 

其れと同じ論理にて、また其れよりも具象的な個の領域ともなるともはや誰もウソなどコヒては居られません。

 

もうじぶんだけですのでまるでマジでもってして真剣勝負です。

 

で、最終的には其の「個」が成立せずば精神の近代化は成りません。

 

よって日本の近代化とは須らくウソコキでもってして虚であり偽であり誤りなのだ。

 

 

ー然し其れでは近代日本社会に対する批判が強過ぎるー

 

さうでした。

またやっちまひました。

 

日本の「和」の社会に対する反発が余りに強過ぎ恨み節でもってまさに怒りの反撃をつひやって仕舞った。

 

 

ー狭窄的で怠惰な想像力に甘んじている傾向ーーSNS上の凶暴な言葉の刃、なぜ「漫画家は漫画だけやってろ」と書かれるのかより

 

いやまさしく其れはあるでせう。

 

日本人の考へ方其れ自体が何処までも狭ひもののやうだ。

 

まあこんな島國ですのでまさにムラ社会のやうなもので思考其のものが狭ひのでせう。

いや、思考が無ひ可能性すらもがある。

 

其れもああして全共闘が騒ひだ後に日本人は無思考化したのだ!

みんなが日本型の思考に洗脳された、おおさうしてみんなが押し黙ったのだ。

 

其れもまたひでへ批判だな。

 

今日は調子が良ひのではなひか。

まずまずでせうがまだまだです。

 

 

ところでおまへは何故さうして社会を批判するのだ?

何ぞ気に食はぬ部分でもあるのか。

 

へひ、タダじぶんが好きなだけですよ。

 

自分が好き?

おまへは伊太利亜人か、其れとも独逸人か?

 

立派に日本人ですよ。

ただ変はった人でせうね、ヤッパリ。

 

さて明日は台風が来るぞ、大丈夫か?

其れで仕方なく雨合羽を買って来ました。

 

雨合羽など着るのは精神の貴族の性に合ひません。

雨河童。

 

さうだ、芥川 龍之介の「河童」を再読してみねばならなんだ。

でも何故かまた科学からは遠く離れて仕舞ふな。

 

「詩人は詩だけ書ひてりゃいいんだよ」

 

わたくしが書ひてるのはまさに其の詩ですよ。

其れも散文でもって書く社会詩です。

 

其れはまさに日本の社会をブチ壊したらうの詩か?

さうじゃなく、日本の社会をブチ壊す寸前にまで追ひ込み是非反省を促す詩、です。

 

さても其の芥川 龍之介の「河童」に於ける日本社会への批判力はまた可成にありさうだ。