目覚めよ!

文明批判と心の探求と

過酷な現實と闘ふ為の文學

 

其の馬鹿は今や何処にも蔓延して御座る。

たとへばドラッグストアへ行くと紙が売り切れて居り何処にも無ひ。

ちなみに若かりし頃わたくしは医薬品の会社でプロパー見習ひをして居りしことがありまた五十を過ぎてからは🏥へも八年間勤めてもおった。

 


だから薬や衛生材料のことに関しては少なくとも一般人よりは見知って居る。

 


またマスクなどは普通人がして居なひ夏場でもして居ることなどが多ひ。

其れはわたくしが菌には敏感でもって特に秋~冬場に菌やらウイルスやらを拾って仕舞ひ易ひこと、即ち基本的に御上品な生まれにて体が弱ひ=免疫力が弱ひつまりは文人気質にて庶民の如くに逞しくはまるで無ひ。

 


即ち風が吹ひただけで其のやうに体も心も反応して仕舞ふ詩人肌の人間だ。

 


其処はどんなに詳しく説明しても皆様には所詮分からぬだらうことよ。

 

 

 

なのでマスクは常に常備しておる。

なのだけれども其れがドンドン減っていく。

 


困ったので買ひ物のつひでにこまめにドラッグストアなどを回って居たところピアゴの薬売り場に子供用のマスクが入荷して居た。

 


無論のこと其れは小さひ。

ところが充分使へるのである。

要するに口に被さる其の布の面積が小さひだけなのだ。

 


だが其れも一箱のみ。

 

 

 

では使用済みのマスクを洗ふぞ。

其のマスクを洗ふ場合に「ミューズ石鹸」を使ふと何かと良ひやうだ。

 


だがウイルスを撲滅させたひ場合には兎に角アルコール消毒を活用すべきだ。

アルコール消毒薬はだけれどももはや何処にも無ひ。

 


ところが買ひ物のつひでにこまめに探して居たところコレもピアゴダイソーに中国製のアルコールティッシュが入荷して居り其れを一つだけ求めることが出来た。

 

 

 

此のやうに今自分の命を守る為の闘ひは何かと大変だ。

 


ところが、空気が良く人の少なひ田舎の方の方々、其れも「ポツンと一軒家」などに御住みの方々はこんな莫迦莫迦しひ苦労からは元々解放されても居らう。

 


確かに田舎には金が無く得られる物の選択肢なども少なひ。

 


なのだが別に其処で餓死しなくてはならぬ訳では無ひ。

 


上手くいけば山の向こうの土地から嫁を迎へることさへもが可能だ。

 


さうして汚染などされて居らぬ自家栽培の野菜を食ひ🐗を罠にかけ仕留め其の皮を剝ぎ其れを着込み肉を牡丹鍋にして食ふ。

 

 

 

さうかうするうちに元気にマヌケ文明を展開する大都会の人々はパンデミックにて一人また一人と倒れて行きふと気付くと日本の大都市は壊滅状態にあった!

 


だから言って居た筈だ、グローバルな文明などは所詮ダメだと。

 

 

 

 


さて、問題はパンデミック以上に其の都会の人間の馬鹿振りであらう。

 


トイレットペーパーまで買ひ占めて其れで一体どうするお積もりなのだ?

 


其の馬鹿とは利己主義と云ふことであり知的に能力が低ひと云ふことには非ず。

 


たとへどんなに利口でも買ひ占める奴は兎に角最高に馬鹿なのだ。

 

 

 

またたとへ田舎であれ其の種の馬鹿は居ることかと思ふ。

 


馬鹿なのは政府+官僚も同じことでまるで危機管理がなって居らずコネクティングルームに入り浸り或は不倫にも勤しんで居たのですでに脳味噌が腐って居りやらねばらなぬことがまるでやれなかった。

 


其れは常日頃からの心掛けの問題でありつまるところ其の心掛けが悪ひ=心の面で馬鹿だから折角の政治家や官僚の知性が麻痺して仕舞って居るのだ。

 

 

 

ところが同じ亜細亜の民族である台湾人や韓国人は日本政府などよりも厳しひ対応をとりあへずはして来たのである。

 


では何故より利口と目される日本人に其の対応が出来なかったのか。

 


細かひところでは経済関係の上での中國への配慮の面や消費増税後の経済的停滞に追ひ討ちをかけたくは無ひ側面などが考慮されるのではあらうが實はもっと根源的な問題が其処には横たはる。

 

 

 

 


即ち其れが「平和ボケ」なのだ。

 


自民党一党+官僚機構の支配体制にてこれまで上手くやってこれた、しかも左翼は政権を担うと必ずや失敗する、と云ふ革命などとても出来ぬ日本なのでまた米国の軍事力程頼もしひものは無く事實米國のF-22戦闘機は無敵の強さを誇り其れがどんなに強ひかと云へば一機で今の中國の戦闘機百機を撃ち落とせる程に強ひ。

 


そんな風に戦後は常に力強ひ米國のミリタリーパワーながら、露西亜もまた其の次に強ひ位の武器は造れるのでたとへば露西亜と中国と北朝鮮が手を組めば米国+自衛隊の航空勢力を打ち負かすこともあながち不可能では無ひ。

 

 

 

だから日本國はまた日本人は正直甘い。

 


「平和ボケ」して母ちゃんのデカひ尻にばかり敷かれ過ぎて来てもおる。

 


だから憲法を改正し日本國を大武力國家となすべきだとの右翼の主張もまた御もっともだ。

 


なのだが理想からすれば左翼の言ふやうに軍事力など持たぬ方が良ひにも決まって居らう。

 

 

 

だがわたくしは今其の両方とも否定する。

 


いっそのこと完全な「平和ボケ」に至れば日本國はより楽にやっていけるではなひか。

 


だったらもう鎖国するしか無ひではなひか。

 


或は五木先生流に言へば「下山」するのだ。

 

 

 

今の日本の「平和ボケ」は元々大矛盾を孕むボケ方なので経済成長でも危機管理でも決してボケて居てはならぬのと云ふのに歴代の首相は決まって米國流の極左進歩主義に頬ずりをしかうしてイザ何かが起こると國中の馬鹿が暴れ出しじぶんたちの生活其のものを逆に追い詰めて行くのだ。

 


其の馬鹿の増大は利口な國日本國の精神的な末期症状であるとさう見ておくべきまさに憂ふべき大問題だ。

 


其の馬鹿の増大には「御勉強」の質が何より関係して居りむしろ学校での御勉強などは余りせずに文學や哲學の方面から自分でもって御勉強を進めたお利口さんはそんなはしたなひことはせずいつも静かでもって微笑み「此の馬鹿めが」とほんたうはさうして世の中をバカにし切り冷笑して御座る。

 

 

 

其の馬鹿とは所詮「無知」と云ふことであり、「平和ボケ」とは所詮「危機感の無さ」と云ふことだ。

 


無知な奴は利己主義に走り易く其れはたとへ一流大學を出て居るにせよ其の「無知」を備へし馬鹿なのだった。

 


危機感の無さも矢張り利己主義に走り易く其れはたとへどんなに美女でも大抵の場合女共には其の危機感が無ひのである。

 

 

 

 


尚作家や詩人の場合は逆に余りに危機感があり過ぎ其れでもってすぐに🐺となりウワオー、ワオーンと其のやうにつひ遠吠へをなし皆様から煙たがられたりもする訳なのだ。

 


だからわたくしが👩を屡批判するのは其の危機感の無さ、まさに腹の中にて思考をすることから社会的危機には対応出来ぬと云ふ其の気付きの悪さをかうして揶揄して居るだけのことで其処で別に女など皆死んで仕舞へ!などと思って居る訳では勿論無ひ。

 

 

 

さて其の「無知」且つ「平和ボケ」としての今後の日本の國としてのあり方だが其れはもはや誰が考へてみても大変で其れは實は國の問題なのでは無く我我個に突き付けられし大問題なのでもあらう。

 


勿論國の問題なのだが其れ以上に個としてのあり方へと問題が還元されて仕舞って居るのだ。

 


何でかと云ふと危機管理上の不徹底から公共的機能が低下しつつあり個として危機を乗り越へる以外にもはや生き延びる手が見つからぬことにもなって仕舞って居る。

 

 

 

第一マスクひとつ、便所紙ひとつをもはや公共的機能が提供出来ぬ。

 


其処には大馬鹿共が絡んで居り大馬鹿共はネット上では利口だとさうカン違ひして発言して居たりするものながら實は本質的にはまるでおバカ其のものなのだった。

 


ソヒツらは御勉強などまるで日頃からして居らず。

 


只言ひたひことを言ひ🚇ではデカひ咳にてウイルスを撒き散らし女の裸ばかりを好んでネット上に探しおおまさに精神的に腐った悪魔の化身其のもののことぞ。

 

 

 

ですから、眞にお利口な心ある方々はまずさうした馬鹿共から身を守ることを考へ其れから会社はなるべく休んで神佛へと祈りを捧げに神社仏閣へと詣でるのです。

 


わたくしも神社になど詣で1.わたくしと👪が何とか此の危機を乗り越えられますやうに2.知人のあの人と此の人が何とか此の危機を乗り越えられますやうに、と深く深く頭を垂れ祈って参った次第です。

 


尤も國家が滅びる可能性すら出て参りました。

 


後場合によっては自民党による一党支配が終はる可能性すら出て参りませう。

 

 

 

尤もとんでもなひことは事實として起こり得る、と云ふことだけは皆皆様にもお分かり頂けたことかと存じます。

 


とんでもなひことは事實として起こり得るのだと、でもノンフィクション系の作家や詩人はずっと述べ続けても居ります。

 


元より其れはウソじゃ無ひ。

 


妄想や創作の類には非ず。

 


必ずや起こる事實なのだと。

 

 

 

 


かうして今や未来はとても不透明です。

不透明どころか命がけです。

 


誰しも何でこんなんなった?

とさうも思ひませう。

 


ですが、實は全て必然的なことです。

全てが必然としての出来事なのです。

 


尤も誰しも御飯は食べたひのだし女の裸も見たひ。

 


だがちょっと待て。

 


要するにおあずけ。

 


其れどころかもう死ぬか生きるかでの話だ。

 

 

 

いつかはさうなるとわたくしは以前から述べて居た。

 


つまり、欲望を合理化し過ぎるともはやロクなことにはならぬ。

 


其の欲望の諸の合理化が現在の人類の危機を招ひて仕舞って居る。

 


経済的欲望としての矛盾から國家が無策へと陥り眞の危機が訪れるに至った。

 


つまりはもはや國は個の命など守っては呉れぬ。

 

 

 

 


こんな時に救って呉れるのは人間では無くむしろ自然です。

 


さう思ひ自然を改めて見詰めてみますと、まさに其処には常と変はらぬ自然としての営為がありそんな人間界の混乱振りとはまるで無関係なやうです。

 


現代人は今そんな自然の営為をこそしかと見詰めておくべきです。

 


行き過ぎた合理化により世界の距離を縮めたまさに其のことにより人類は今危機へと突入しやうとして居る。

 

 

 

なのだけれども其れは五木先生にせよこんな自称の詩人にせよこれまでにイヤと云ふ程世間に対して語って来たことだった。

 

 

 

其の人間界の混乱振りとは畢竟其れは人間が人間自身で創り出して居る危機なのです。

 


人間はさうしたどうしやうも無ひ分からず屋でもってしてヤバひこと此の上無き者です。

 


さうした矛盾、其の存在としての本質的な矛盾に今こそ目を向け少しはさうして常に真相を語る文學のことなどを尊敬してみませう。

 

 

 

またさうした至極苦しひ時にはむしろ逆に楽しひことをやってみたり考へてみることこそが望ましひのかもしれなひ。

 


何故なら五木先生も仰って居られるのです。

 


「悲観的に考へ、さうして楽観的に行動する」のだと。

 

 

 

でもマスクや消毒薬のことなどは兎に角御自分でもって何とかして下され。

 


わたくしも🚇に乗ると決まって体調が悪くなるので實は困っても居ります。

 


其の場合にはアルコールによる消毒とミューズ石鹸による全身丸洗ひが有効かと存じます。

 


其れでもって明日酒スーパーへでも出向きなるべく純度の高ひ焼酎などを探して来やうかとも思って居る。

 


純度の高ひ酒にて消毒する、もはや其れしか無ひのではなひか。

 


でも其れもすでに売り切れとなって居る虞もあらう。

 

 

 

其の楽しひこととは馬鹿のやうに人が集まり楽しひのではなく文人のやうに個としての知性的な楽しみのことです。

または自然の懐に抱かれることのやうに精神的に豊かでもってお上品な静かな楽しみのことです。

 


さうした眞の楽しさを一般の方々はまるで知らぬ。

 


でもゲージツ家は常に其処にこそ没入して居るのだよ。

 

 

 

何、そんなことを言はれても其れが出来なひ?

 


まあ確かに出来ぬことでせう。

 

 

 

其れならばもう一次元落して自分の好きなことを追求してみませう。

 


こんな緊急事態によりによって一体何を言ふてるのだ?

 

 

 

いや、其れこそがバランスを取る為に必要なことなのだ。

心としてのバランスを取る為にはね。

 

 

 

 


其れではこれから早速わたくしの持つ筆記具を総点検してみやう。

嗚呼、久し振りだなあ、かうして萬年筆や銘木ボールペンを点検するのは。ー〇ー

 


其れではこれからわたくしの持つ宝石鉱物を総点検してみやう。

嗚呼、久し振りだなあ、かうしてパイロクスマンガン石やオパール原石を点検するのは。ー〇ー

 

 

 

これから飲み屋へ行きキャバクラへも行って来やう。

嗚呼、久し振りだなあ、今行けば空ひててサーヴィスがきっと凄ひ筈だ!ー✖ー

 


其れではこれから寺へでも出向かう。

お寺にて座禅を組み心を鎮めのみならず十萬円程お寺にお布施して来るのだ。ー〇ー

 


これから観光地へ行かう。

何せ学校が休みなのでやることが無ひ。

電車でゲホゲホ、しかも観光施設でもって皆で大騒ぎだぞよ。-✖-

 

 

 

 


事實訳の分からぬ地方からの高校生などが名古屋城の近辺にも結構遊びに来て居るやうです。

 


此のやうに若者には危機感などまるで無ひ。

 


かう若者が休みなのを幸ひに元気に遊んで居ては危なひ、むしろ企業活動を即刻中止し日本全土を休暇体制へと切り替へられぬものか。

 

 

 

兎に角より追ひ詰められて行くのか、其れともパンデミックが引き起こされるのか、と云ったまさに其の瀬戸際の部分こそが日本の今なのだと申せませう。

 

 

 

 


尚ボケに就ひてもう一言。

 


知性にとり其の「ボケ」は大敵なのです。

其れは心が阿呆か其れともまともかを判断する基準なのでもまたある。

 


知性があると判断される高学歴の学生たちがとんでもなひ事件を引き起こす背景にはそんなカラクリこそが存して居りませう。

 


知性と性欲、物欲、食欲、支配欲、権威権勢欲などは往往にして別箇では無く常に両立するものでもある。

 


すると、知識の方は凄ひが欲の方もまた物凄ひと云ふ状態が充分にあり得ます。

 


知識の増加に伴ひ知性=知恵、智慧の方も発達して居ることこそが大事でたとへば五木先生の場合はどう見ても其の知性の方での権化でもってあらせられやう。

 

 

 

また科学者にもそんな知性的な方々は居られませう。

勿論宗教家や藝術家の方々にもそんな立派な人格者の方々が事實として居られます。

 


さうした人々に於ける一つの特徴として其処で往々にして悲観的な見方をされて居ることが特徴なのではなひだらうか。

 


悲観的な見方をする、其れが出来ると云ふことは明らかに知性の持つ一つの大きな特徴です。

 

 

 

 


悲観的なので太平洋戦争の開戦には反対だった。-〇-

 

 

楽観的なのでグローバルに活躍しやうとして居た。株で儲けやうとし金も買ひ込んだ。世界は永遠に発展するとさう信じ切っても居たー✖ー

 


じぶんの考へからすると世界は直に滅亡すると思はれ、其れでもって酒色を断ち現世を修行の場とさう捉へでも其れでは生きて居る甲斐も無ひので食ふものだけは食ひまた石やら万年筆と戯れて参りました。そればかりか神佛を信じいつもお寺や神社を詣で其処でもって人類の罪障の隠滅を常に祈って参りました。ー◎ー

 

 

 

どうせ世界はすぐに滅亡しやうから気に入らぬものに放火し或は皆殺しにしてやらうと思ひ事實さう行動してみました。-✖✖✖✖✖✖-

 

 

どうせ世界は治りやうの無ひ病に冒されておるので此の際是非ヴァジラヤーナを決行しやうと思ひ🚇にてサリンを撒きました。そればかりか實は原爆も造らうとして居りました。-✖✖✖✖✖✖✖✖-

 


どうせもうじき日本國は沈没するのだし全てが面白く無ひので社会を捨て家の中に閉じこもり所謂引き籠もりとなりました。-〇-

 

 

どうせもうじき世界は滅亡するので全てが面白くは無く社会を捨て家の中に閉じこもり所謂引き籠もりとなりました。-〇-

 

 

 


どうせもうじき世界は滅亡するので社会を捨て家の中に閉じこもり文學と社会科の御勉強だけに専念致しました。-◎-

 


どうせもうじき世界は滅亡するのでじぶんを捨て社会を捨て家の中に閉じこもりお人形などと戯れ小鳥たちや犬や猫と会話し平和に生きて行く所存です。ー🌸ー

 


どうせもうじき世界は滅亡するので宗教へ行かうとさう思ひますが此の際邪教でも良ひのだと思ふ。-✖✖✖✖✖-

 


どうせもうじき世界は滅亡するので世の為人の為に生き即ち発展途上の國を助け出来得れば近代主義を世界中に布教していく所存です。-✖✖✖✖✖-

 


どうせもうじき世界は滅亡するのでもうこれからはじぶんを捨て社会を捨て家の中に閉じこもりDVDやかのプライムヴィデオだけを見続けて参る所存です。ー🌸🌸ー

 

 

 

 


「楽観的に行動する」するのはあくまで五木先生御自身のやうな個人であるべきで社会がさうして仕舞へばむしろ直に其の社会は限界を迎へませう。

 


わたくしの考へ方は其の社会的な活動をなるべく抑へていくと云ふものです。

 


しかも成長よりは維持へ、または下山へ。

 


ところが個にとってはむしろ其のことこそが成長に繋がる可能性などもまたあらう。

 


要するに知識では無く知恵の方を磨く絶好の機会の到来です。

 

 

 

元々此の度の出来事は須らくマイナスの出来事です。

 


ですが其のマイナスの出来事にこそ重要な示唆が含まれて居るとさう日本の近代文學は諭して呉れて居ます。

 


其れこそ文學者が身を持って其れを我々に示して来て呉れて居らう。

 


漱石、賢治、芥川、太宰、三島、加島先生、五木先生と文學者は身を持って其れを我々に示して来て呉れて居ます。

 

 

 

其の各々の死と生は文學以外のところに住する人々にはまるで理解出来ぬものである。

 


なのだが文學には其の悲観と通じ生と闘ふ智慧の力、其の心の進化としての内容がしかと語られて居やう。

 


其れは科学的なものでも無くまた宗教的なものなのでも無ひ。

 

 

確かに部分的には宗教とも其れは繋がって居やう。

 


なのですがあくまで其れは所謂信心のお話なのでは無ひ。

 


むしろ疑ふことで其の悲観性は醸成され得る。

 


生を疑ひ生と格闘することでこそ其の種の謙虚な立場が形成されるのだ。

 

 

 


まさに文學の持つ其の種の悲観性、生をひとつの大きな悲劇として認識するあり方に一つの大きな方向性の選択が宿って居るやうにわたくしには思へる。

 


其の悲劇が今我我には現實のものとして与へられて居る。

 


勿論何故さうなったのかと云ふことは歴史的に積み重ねられし文明の選択の誤りによるものです、あくまで現實的には。

 


されど文學はまた違った視点から其の誤りを見詰め続けて居た。

 

 

 

其れはまさにマイナスの生をマイナスとして捉へぬ其の思ひ上がりによるものだ。

 


文學は暗ひのだし精神にも悪ひ。

 


とさう高校時代の理科の教師ー学年主任ーは家の母に語りました。

 


またわたくしなどは英語の教師に太宰など読まぬ方が良ひわよ、とさう言はれても居た。

 

 

 

まずは其れは其の通りのことなのです。

 


なのですが、其の悲観に充ちた文學のお蔭でもってかうして還暦までは何とか生きて来られました。

 


さうして文學のお蔭でもって宗教の分野にも接することが出来た。

 

 

 

故に文學こそがわたくしに「ほんたうのこと」を教へて呉れるものであった。

 


ほんたうの文學は決まって生は理想郷などでは無くむしろ地獄だと云ふことを示して居て呉れたのです。

 

 

 

其の生き地獄であることこそから「ほんたうの智慧」が立ち現れるのではなひだらうか。

生き地獄を望まずに死んだ文學者も生き地獄を生き抜き「下山」を勧めた五木先生も方向性は違へど智慧を求めて文學と格闘した其の結果であった筈だ。

 

 

 

其の「ほんたうのこと」が今まさに世界を蹂躙し始めました。

 


是非其の「ほんたうのこと」と格闘してみて下され。

 


即ち其れが文學です。

 

 

 

文學とは「ほんたうのこと」と闘ふことです。

 


だから逆にいつまで経っても死ぬるー滅びるー気配などありません。

 


或は我我はまさに今そんな風に此の過酷な現實と対峙していくべきなのやもしれぬ。