目覚めよ!

文明批判と美の探求と

社会への倒錯者としての文學者三島 由紀夫ー壱 金閣寺に放火して猶生きやうとは思ふなー

「困窮支援相談員」の呆れるほどに悲惨な待遇 「ハローワークの内側」も貧困の巣窟だった

 

かうして日本の社会がもはやどうしやうも無く悪くなってることだけは確かなことだ。

其の社会を悪くしたのは、ズバリ言って自民党の矛盾政策によるものだ。

 

つまりはかうして馬鹿が日本の社会をブチ壊して行くのである。

但しわたくしは保守としての考へ方を否定する者には非ず。

 

むしろ保守としての幕藩体制が矢張りと云ふべきか平和で良ひのである。

でも其れが不可能なので、

逆に共産党一党支配にして労働や環境を守って行く考へ方ーある意味ではより理性的な考へ方=マルクスの考へーがむしろ世界を規定して行くべきだと云ふ思ひもまたある。

 

いずれにせよ右でも左でも此の際ドッチでも良ひのだ。

 

なのだけれども、今の侭で居ることが實は一番危なひ。

 

かの公明党も現在上手くやって居るかのやうにも見へるのだが結局は自民党の手先となり下がり其のうちに大矛盾に陥る虞などもまた多分にあらう。

 

 

尚わたくしが憎んで居るのは、さうして此の「馬鹿野郎!」といつも大声にて叫んで居るが如くに其の「馬鹿」なのだ。

 

「馬鹿」、其れは人類に突き付けられし最後の大問題だらう。

 

 

よーのなーかばかなのよー

 

大昔にかの日吉 ミミがそんな歌をまさに歌って居たぞ。日吉ミミが「ヨノナカバカナノヨ」と歌った回文による歌謡曲~世迷い言

 

そんな日吉 ミミもすでに拾年近く前に64で死んだぞ。

世の中でかうして馬鹿は生き延びやうが馬鹿で無ひ人は大抵は70までに死ぬのだよ。

 

 世迷い言 日吉ミミ

かうして今でも耳に残る良ひ歌謡曲だ。

 

世迷い言(よまいごと)

こちらはカヴァー版の方だ。

 

 

さても馬鹿はどうしていつまでもさうして馬鹿なのでせうか?

其れも馬鹿大出ー早稲田大學以外の大學の出身者ーの奴等が一番タチが悪ひのでせうか?

 

さうさな、オレもまさに其の馬鹿大出だがかうして頭の出来はむしろ良ひ方だ。

 

其れは君等ー読者とみんなーも認めざるを得ぬことだらう。

 

 

「よーのなーかばかなのよー」♪

おおまさに其れぞ眞實だ。

 

あれ何と中島 みゆきが此の曲の作曲者であった!

 

ところで中島 みゆきなどはお好きですか?

 

エエ、昔は好きでしたが意外と癖が強ひ👩なので最近はさうでもありません。

 

ごく最近は癖の強ひ👩よりもまさにおし黙って家事をこなすやうな働き者の女性を好みますので。

 

 

ではズバリ此の世の中はバカですか?

 

逆にお尋ねしたひのだが、馬鹿で無ひ世の中ならばまさかこんなことにはならぬ筈でせう。

 

でもって、すでに社会には寸毫も興味が御座らぬ。

 

 

興味が無ひなら無ひで何故社会がバカになるのかと云ふことをどうか理性的に我我に対し説明して下さひ。

 

分かりました。

では説明させて頂きます。

 

ですが、其の説明は此処でほぼ百パーセント済んで居りますのでまずは其処を論じた過去の記事を多く読んで頂きたひ。

 

で、蛇足とはなりますが其れに加へ若干述べておきます。

 

其れも一言で申せば、「人間の心理的愚かさ」こそが其の馬鹿の内容物です。

 

「人間の心理的愚かさ」=所謂「バカの壁」と云ふことでせう。

 

 

つまるところ、其れは理性を離れた部分での愚かさ=獣性のことです。

ですが、一番問題であり厄介なのは理性がありながら常に人間は其の「バカの壁」に捉へられ大馬鹿者となって仕舞ふ点です。

 

さう仰る貴方はもしや大馬鹿者なのですか?

いや、言ふなれば我は小馬鹿者です。

 

わたくしは全てを理性と共に心でも捉へて居る。

わたくしの持つ特殊能力とは常にさうして事の両面を見詰められ尚且つ其のやうに行動出来ることだ。

 

要するに其の「馬鹿」へ陥らぬ人間は世界中何処にも居りません。

わたくしの奉ずるものとは其の「馬鹿」をなるべく小さくする考へ方のことだ。

 

「馬鹿」は何処から生じませうや?

 

誤った価値観に捉へられし時に其処にしかと生ずることでせう。

重要なのは其の誤りが往々にして世間ー社会ーではむしろ善なる価値として確立されて仕舞って居ることだ。

 

 

だけど此の社会は正しひですよ。

其れもこんなに利口なホモ・サピエンスが築き上げし諸価値こそがサヒコーなのです。

 

確かにサヒコーです。

其れもサヒコーにバカですね。

 

だから君の其の価値観、其れがそも社会に洗脳されたものなのだ。

 

でもアンタのそんな邪教みたひな価値観に洗脳されるよりも此の方がずっと信頼出来ます。

 

さうですか、其れではさやうなら。

 

君はもはや救ふことなど不可能だ。

 

さうして赤信号をみんなでもって渡ってろ、此のボケが。

 

 

さても今君はサヒコーか?

今がサヒコーですか?

 

いへ、サヒコーでは無く逆にサヒテーです。

 

何故ならみんながコロナに罹り苦しんで居るからです。

 

ではネット作家さんは今サヒコーなのですか?

 

サヒコーです。

事實としていまだかって無ひ心の充實を感じてもおる。

 

 

其れはタダアナタの予言が当たっただけのことでせう。

そんなのは社会が壊れて喜んでるだけなのでまさにおまへこそがサヒテーの人間だ。

 

ああ、すみませんでした、其処は確かにサヒテーでした。

 

 

誤った価値観とは何ですか?

 

其のヨノナカバカナノヨと云った部分に気付けぬことだ。

 

 

「よーのなーかばかなのよー」♪、コレだ!!!

 

まさにコレに気付け。

つまりは目覚めよ!

 

其の世の中の馬鹿にしかと気付くのだ。

 

 

ところで世の中の馬鹿を糾弾して居やうとして居たのがかっての全共闘だったのですか?

 

其の通りです。

かってのインテリ學生達は本気で日本の社会を革命に導かうとして居ました。

 

うはあ、凄ひですね。

何だか怖ひ。

 

いや怖くは無ひ。

何故なら本気で社会と向き合って居た訳なのだからこそ今よりは遥かにまともでした。

 

当時から日本の社会はそんなにダメだったのですか?

まだ小学生にてわたくしは知りませんでしたのですけれどダメだった筈です。

 

何故ダメだったのでせう。

結局は自虐史観を受け容れ米國の🐕に成り下がったのがアノ経済成長を成立させた訳ですが其れではまさに自律的な國家とは言へなくなって仕舞ひます。

 

三島 由紀夫先生が其処に立ち上がられたのは其の🐕としての日本の将来には國家としての崩壊か又は沈没しか無ひとさう見て取られて居たからだった。

 

 

貴殿は三島信奉者なのか?

 

と申しますよりもわたくしの場合には「文學者のやることは常に正しひ」と云ふ信念又は信仰がすでに刷り込まれて居るのです。

 

わたくしの文學上の立場が其の一流作家礼賛でもってして藝術万歳!です。

 

そんな文化的特攻がまさにわたくしの精神の基幹をなすものですので一種過激に文學者を祀り上げてもおる訳だ。

 

では大江 健三郎氏などはどうなのですか?

 

結局読んでは居りませんのですしアノ障碍者の息子さんが實は好きではありません。ーノーベル賞作家大江の息子として今も食ってることだらう部分が何よりもイヤー

 

ですが、大江様は凄ひ作家様であることだけは認めざるを得ません。

 

 

芥川龍之介賞(1958年)
新潮社文学賞(1964年)
谷崎潤一郎賞(1967年)
野間文芸賞(1973年)
読売文学賞(1983年)
大佛次郎賞(1983年)
川端康成文学賞1984年)
伊藤整文学賞(1990年)
ノーベル文学賞(1994年)
朝日賞(1994年)
レジオンドヌール勲章コマンドゥール)(2002年)ー大江健三郎より

 

ぎゃあ、こんなに受賞だらけだ。

でも老子はこんなの認めては居なひ筈なんですがね。

 

 

ー大酒家

大酒家である。中年期にそれで痛風になって断酒したりもした[113]。2007年に出版されたインタビューでは、毎夜シングルモルト、タンブラー1杯を350mlのビール4缶をチェイサーにして飲むと答えている[114]

水泳

80年代から、週6日プールに通い、1日1000m泳ぐことを習慣としている[115]。『「雨の木」を聴く女たち』や『新しい人よ眼ざめよ』では題材として小説に取り入れられている。ー大江健三郎#趣味などより

 

多分酒飲みはわたくしの性根とは合はぬことでせう。

また水泳もわたくしは嫌ひだ。-昔カナヅチなのを直す為に瑞穂プールへ通はされて居たが為にー

 

 

ー敬愛する先行文学者

ノーベル賞の受賞の第一報を受けて自宅前で記者に囲まれて「日本文学の水準は高い。安部公房大岡昇平井伏鱒二が生きていれば、その人たちがもらって当然でした。日本の現代作家たちが積み上げてきた仕事のお陰で、生きている私が受賞したのです」とコメントした[104]。熱心に読んでいた日本の作家は石川淳中野重治であるという[105]。安部、大岡とはプライベートな交際もあった[106]

三島由紀夫

三島由紀夫の自決を受けて直ぐに、天皇制を批判的に問い直す「みずから我が涙をぬぐいたまう日」を書いている。その後も三島事件は『新しい人よ眼ざめよ』(1983年)連作の「落ちる、落ちる、叫びながら…」「蚤の幽霊」、『さようなら、私の本よ!』(2005年)と繰り返し取り上げられる。大江がかつて天皇崇拝のテロリストの少年を描いた「セヴンティーン」を発表した際、それを読んだ三島は、大江は国家主義に情念的に引きつけられるところがある人間なのではないか、と考えて『新潮』の編集者を介して大江に手紙をよこしたという。2007年のインタビューで大江は、三島の読み取りは正しく、自分の中にアンビバレントなものがあることを認めている[107]。 ー大江健三郎より

 

 

天皇制は批判されるに足る根拠をまた持つものかとも思はれるのだが表立って我は其れを批判するものでは無ひ。

現在わたくしは右も左も政治思想はダメだとさう考へて居り、故に其処に必然としてのアナキズムの領域が誕生する訳でむしろ其れは此処拾年来の保守派としての立場から昔ー青年期ーの立場に戻ったのだとも言へやう。

 

ー2007年のインタビューで大江は、三島の読み取りは正しく、自分の中にアンビバレントなものがあることを認めているー

基本的に文學者の内面はかやうにアムビバレントなもので、よってわたくしの場合も其れに違はず其れもいつの間にかどっちつかずとなって居るのだが只一つだけ其処に標的を定めて居るものがあり其れがまさに馬鹿の根絶である。

 

無論のこと其の馬鹿には右の馬鹿も居れば左の馬鹿も居りのみならず民主主義の馬鹿、其れ即ち正しく歩を進めるみんなの馬鹿=赤信号をみんなでもって渡ると云ふ馬鹿が其処にまた一人おる。

 

かうしたわたくしの立場は自分でもって言ふのも何だが文人としては相当に過激であり或は日本一ー信長級ーなのやもしれぬとさう自負してさへもおる。

 

 

戦後民主主義者を自認し、国家主義、特に日本における天皇制には一貫して批判的な立場を取っている。また、平和主義者として[162][163]護憲派の立場から、日本国憲法第9条についてエッセイや講演で積極的に言及している。核兵器についても反対の立場を明確にしている。ー 大江健三郎より

 

其の戦後民主主義を左翼が護り抜くと云ふことの茶番をかってわたくしは此処にて笑ひ飛ばしつつ述べて居る。

 

尚わたくしは護憲派では無く改憲派である。

だが核兵器は廃絶すべきだとも思ふのだし戦争だって大嫌ひなのだ。

 

いや戦争はするなら仕方なくやって欲しひ訳だがわたくし個人はもはや事實上役には立たぬのでどんな戦闘も出来ぬ。

 

では何をやれば良ひのか?

 

宗教テロか又は武力テロか、其れとも何でも反対!のデモ行進か。

 

いや、違ふ。

わたくしがやるのはおおまさに人類の馬鹿の根絶だ。

 

其の全ての馬鹿をかうして言葉にていつか追ひ詰めてやる。

 

 

さてわたくしは昨夜NHKスペシャルでもって三島 由紀夫を取り上げた番組を視た。

其の番組の評価云々では無く、常にわたくしが関心を持ち続けて居る三島先生のことにつき少しく述べてみやうかとも思ふ。

ちなみにこれまでにわたくしは様々な折に三島先生のことを述べて来た。

 

實は今年の夏の頃にも東大全共闘と三島先生の対話のことを詳細に語りたひとさう思って居たのであったが結局は其れが果たせなかった。

其の部分はまた来年にでもわたくしが何かを書ける状態にあれば書ひてみるつもりである。

 

 

 

「大人びていて、異質で、語彙力があり、文章力もある。学校の中でも群を抜いていたと思います。われわれは後年の三島由紀夫を知っていますが、そういうフィルターをなくして読んでも、大変な勉強家で読書家であることがわかります」三島由紀夫没後50年 研究者が語る新たな実像より

 

三島 由紀夫はさうして元々特別な人である。

特別な人とは文の力が図抜けてあったと云ふことである。

 

但し文の力は御勉強しなければ決してつきはせぬ。

文人と一般人の違ひとはまずは読書をトコトンやったか其れともやって居なひかと云ふことの差なのであらう。

 

アンタもさうして読んだのか?

いやプロの作家程には読んで無ひよ。

 

其処をやって無ひからこそこんなブログラヒターにとどまるのみなのさ。

 

文学少女だった母の影響も大きかったでしょうし、『サロメ』(オスカー・ワイルドの戯曲)を本屋さんで見つけてみずから買ったように、早熟な少年でした。また、祖母は芝居好きで、三島も小さいころから歌舞伎を見たいと思っていたけど連れて行ってはもらえず、演劇に対する興味が強くなった。三島が歌舞伎を見に行くようになったのは中学1年生で、そのころから独自性が開花した。家には泉鏡花(明治後期~昭和初期の作家)などの本もあり、それらをのぞき見ることで“早熟な文学少年”が育ったのだと思います」三島由紀夫没後50年 研究者が語る新たな実像より

 

さうして其の祖母による一種の英才教育が三島 由紀夫と云ふひとつの自我を形成したことだったらう。

 

対してわたくしは小学生の頃から江戸川 乱歩の「少年探偵団」モノや少年少女世界SF文学全集などを学校の図書館から借り出して其れ等に読み耽っておった。

従ってそも可成にレヴェルが違ひ、言はばわたくしのは通俗趣味で三島先生の御趣味はあくまで貴族趣味だ。

 

但しわたくしが三島先生並にやったかもしれぬのは宗教的な分野に限られやう。

其れと政治的思想的闘争の方は其の悩みに於ひてだけは或は同じ位に悩んだのやもしれぬ。

 

と今自分で決めつけてさう思ってみたところだ。

 

 

「戦時中は、健康でたくましい身体を持つことこそが国のためになるという背景がありました。兵役につけなかったことは、男子としていわば“失格”の烙印を押されたようなものです。戦争に行かずに命を失わずに済んだことによる安心と、肉体的なコンプレックスをさらに強めてしまったこと、軍隊に入って国家に貢献できなかったことの無念さなどがおそらく複雑に混ざり合っていたはずです」三島由紀夫没後50年 研究者が語る新たな実像より

 

さうして病弱の體でもってして運動が不得意な三島先生は操行の時間のみならず遠足までをも見学に回って居たのだと云ふ。

體が弱めの此のわたくしでも遠足は全部行った筈だったが流石は精神の貴族だな。

 

かうして三島先生は戦争へ行き特攻して體がバラバラになることをこそ望んで居られたのだ!

 

即ちまさに其れこそが日本國と云ふ國家に対する貢献であった。

 

ちなみにわたくしはさう云ふ社会に対する奉仕の気分がまるで無ひ。

 

何故ならわたくしには今太宰としての血が一番多く流れて居るが故に。

 

ちなみに三島先生は太宰 治のことを根っから嫌はれて居たやうだ。

 

 

「『金閣寺』の物語の最後は、寺に火をつけた主人公による『生きようと私は思った』ということばで結ばれています。これは自分に対する宣言でもあって、“積極的に人生を生きよう”という姿勢に『仮面の告白』との違いが出ています」三島由紀夫没後50年 研究者が語る新たな実像より

 

金閣寺』を愛するが余りに放火する主人公は其のアムビバレントを地で行って居る訳です。

其のアムビバレントは然しあくまで文學なり空想なりでのフィクションとしての世界のものでなければなりません。

 

ですが今まさに其れをやり『生きようと私は思った』のはコレはもはや其の文學なり空想なりを具象化して仕舞って居るので非常に危なひ心理状態に至ってもおりませう。

 

例の京都でのアニメーターの焼殺にせよもっと前の障碍者の虐殺にせよどうも實行者の心理としての根の部分は同じなのではなからうか。

で、其れは文學的に即ちわたくしの如くに言葉でもって恨みのある対象を攻撃ー批判ーして居るうちはまだ正常なんです。

 

ですが心理としての一線を越へて仕舞ふともうどこまでもヤバくなって仕舞ひませう。

 

で、むしろ正常なのは金閣寺を全焼させた後にじぶんも死ぬーたとへばガソリンをかぶり焼け死ぬーと云ふことではなひでせうか。

 

加へて少しく残念に思ひますのは、三島先生御自身がもしや其のアムビバレントな侭に『生きようと私は思った』と云ふ境地に達して居られた虞があったことだ。

 

自衛隊にて腹を切り其処にて日本國の覚醒を促し永遠に『生きようと私は思った』のが三島文學としての帰結であったのだとしたら何とも皮肉なことです。

 

 

「知性には、どうしても、それとバランスをとるだけの量の肉が必要であるらしい。/精神と肉体は男と女のやうに、美しく和合しなければならないらしい。/海岸では絶対に裸にならないなどと言つてゐる人を見るとボディ・ビルをどうしてやらないのか気が知れない。/だまされたと思つてボディ・ビルをやつてごらんなさい。」 三島由紀夫没後50年 研究者が語る新たな実像より

 

三島先生、でも、知性には肉の量はタップリとは要らぬのではなひでせうか。

仰るやうに確かに「精神と肉体は男と女のやうに美しく和合しなければならない」のです。

 

たとへばわたくしのやうに🍱の好みはまるで👩で、でも政治的闘争はあくまで👨らしく理性的に何処までも観念的に闘ふ。

またシスター人形がどうしても欲しひのだが、他方でもって戦闘機のダイキャストモデルがどうしても欲しひ。

 

でなければならなひのだ、どうだ、詩人の内面こそがまさに凄ひものだらう。

 

 

アア、其れにつけても胸毛、三島先生の其の胸毛の美しさよ。

いや小汚ひ其の貧弱な胸毛の様よ。

 

三島先生、先生の胸毛はかのショーン・コネリーのものには完全に負けて仕舞って居ます!

 

さうしてやっぱり日本人の胸毛は西洋人のものにはまるで勝てなかったのでした。

 

 

「三島の中には、生きていくうえでみずから自分を苦しめてしまう、自身で『巨大な感受性』あるいは『感受性の病』と呼ぶほどの感じやすい心があった。三島はそれを金閣寺の“美”というものに投影して、それを燃やしてしまいたいという気持ちがあって、この作品を書いたのでしょう。三島の中にも、みんなが送っているような普通の日常生活を自分も送りたいという気持ちが、やっぱりあったんだろうと思います」三島由紀夫没後50年 研究者が語る新たな実像より

 

元よりわたくしは三島先生程の頭脳の良さもまた文才も持ち合わせては居ません。

でも高校時代には文系クラスで現代國語のテストで一番の成績だったことが何度もありました。

 

だからどうかバカにしなひで下さひ。

わたくしもかうしてブログラヒターとして日々死ぬ気で書ひて居ます。

 

ーみんなが送っているような普通の日常生活を自分も送りたいという気持ちー

 

あら、でもコレなんかマズくなひですか?

其れと同じやうなことをわたくしもいつも言っていませんでしたか?

 

『感受性の病』

 

あら、でもコレなんかマズくなひですか?

其れと同じやうなことをわたくしもいつも言っていませんでしたか?

 

「三島はおそらく、戦後の時代が間違っていると考えたんだろうと思います。経済成長によって人々が、とりわけ若い人がどんどん“生活”に重心を置くようになって、“自分はいかに生きるか”とか“この国はどうあるべきか”“世界はどこへ向かうべきか”ということから関心が外れてしまった。三島は最初はそれに違和感を抱き、そのうちに落胆し、次第にこの国のあり方に対するふんまんのような心情へと変わっていったのではないかと考えます。『じゃあ自分がもの申すべきは何か』と考えたときに、日本文化の独自性が失われていくことへの危惧を表現するようになっていったのではないかと思います」 三島由紀夫没後50年 研究者が語る新たな実像より

 

さうです、戦後の時代が間違って居るのでかうしてみんなが今苦しひのです。

でもわたくしは其れ以上のことをいつも言って来ました。

 

即ち近現代の文明其れ自体が間違って居ます。

 

ー経済成長によって人々が、とりわけ若い人がどんどん“生活”に重心を置くようになって、“自分はいかに生きるか”とか“この国はどうあるべきか”“世界はどこへ向かうべきか”ということから関心が外れてしまったー

 

エッ?

 

今やわたくしもそんなことばかりを述べて居なひですか?

要するに現世利益主義がかうして蔓延し事の本質を問うて居なひ世相だと其ればかりを批判して来て居ますね。

 

ああ、すると(三島+太宰+芥川)÷参=我

と云った頭の中身にいつの間にかなって居るのではなひか?

 

いや、マズひですねー、コレは。ー其れも皆自決に及んだ文士ばかりでー

 

でもひとつだけ救はれてるのは其処まで才能がそも無ひのと其処までの書き気ーやる気ーが出て来なひことですねー。

 

「小説を書くことは“弱さ”も含めて自分を見つめ直すことで、今から思えば、三島の“弱さ”は小説の中にも現れてしまっているものでした。物語の主人公たちもみんな生きづらさを抱え込んでいて、その生きづらさの中でなんとかやっていこうと、逆転を図ろうと生きる人がいて、一生懸命に現実に適応しようとする人もいました。そして三島自身も、時には現実に適応しようとしたり、時には逆転を図ろうとしたりしてきたのではないかと思います。私は、三島由紀夫は正直な人だったと思うんです。正直に生きるというのは、小さなうそをつかないということと同時に、自分自身が本当に望むものは何なのかを見つめることでもあるし、社会がどうあるべきか、自分はどう考えるべきかを見つめることでもある。そうしたことに正直であろうと努力した人だったと思います」 三島由紀夫没後50年 研究者が語る新たな実像より

 

 

「弱さ」⇔「強さ」

自分が強ひとさうカン違ひして居る人間は多ひのですがまさに其れが馬鹿の認識の特徴なのです。

 

また馬鹿の認識からは右翼的発言だの左翼的発言だのがポンポン飛び出して来るものです。

 

でもほんたうのお利口はまさにかの芥川 龍之介のやうに政治的発言などからは超然として居なければなりません。

 

故に左翼思想に走った太宰もまた其の正反対となられた三島先生も共に芥川 龍之介の文學力にはまるで及んで居ません。

 

芥川 龍之介の作品の場合はもっともっと人間の内面のあり方を社会関係抜きにつまりはより純粋に語って居るのではなひでせうか。

 

なので芥川 龍之介の作品には歴史に題材を取ったものが多くなる訳だ。

 

今の社会では無ひ歴史の世界とは其れはフィクショナルなものであるに過ぎなひ訳だ。

 

わたくしが社会を嫌ふのはさうした意味からの文學的立場なのでもまたある。

 

 

 

「わたくしは夕な夕な
 窓に立ち椿事(ちんじ)を待つた、
 凶変のだう悪な砂塵が
 夜の虹のやうに町並の
 むかうからおしよせてくるのを。(後略)」
これは三島由紀夫が15歳の時に書いた「凶ごと(まがごと)」という詩の一節だ。 三島由紀夫没後50年 研究者が語る新たな実像より
 
 
 
まさに此の詩が時折わたくしの頭にふひに浮かぶ。
 
其の椿事をこそ幼ひ頃のわたくしも望んで居たやうな気がして居る。
 
今に何かが起きる、其れは必ずや来るのだ。
 
とさう常に待ち構へて居た。
 
 
だが現實には「凶ごと」など起き得やう筈も無ひものだ。
 
尤もたまに怪我をしたりまた👪や親類が病気になり倒れたりはした。
 
 
だから其の常に待ち構へて居る自分にこそ何か足りなひものかまた過剰なものがあるのやもしれなかった。
 
 
其の部分が逆に世間からは疎ましく思はれがちで其の社会との軋轢に常に苦しまされても来た。
 
わたくしの文學とは其の世間への復讐以外の何ものでも無ひ。
 
 
だが多かれ少なかれ文學とは其の個よりの社会への復讐なのだ。