元より人間には様々な心の側面があり概ね其の心のあり様は間違って居ります。
其れは間違って居るから間違って居るのでありたとへば自称詩人がさう誤って世を捉へて居るだのと思わぬ方が良い。
多くの人間が仕出かすであらう心の傾向をしかと見詰めてみると其処にはまず自己の価値観に耽溺する傾向が見てとれる。
現代人は自分=実存としての自己に過剰な誇りを持ち其の誇りを臆面もなく周りに撒き散らす。
だから其の傾向に迷惑を被る人々が出て来る。
今やさうした意味での過剰な自己意識に手を焼いて居ざるを得ない人々が増加して居ります。
お客に対するスーパーの店員だの、生徒に対する教師だの、女性に対する男性の立場だの、がかうした横の秩序の蔓延ー縦の秩序の崩壊ーに苛まれて来て居る。
さらにモラルの低下と云う事が21世紀の近代社会の特徴として挙げられる。
モラルが何故低下するのかと云えば矢張り其れは欲望を是として捉へる合理化社会の特徴または癖のやうなものなのだらう。
でもモラルが低下して来ると其れは其の文明が滅ぶ兆候なのだとも申せましょう。
だから重要なのはむしろ須らく精神なのです。
人間は精神の生物であり其れは自然界の所産そのものではないことに留意しておかねばならぬ。
人間は自然界での営みでのやうにのべつまくなしに欲望を解放して居てはならない。
自己の価値観に耽溺する人間の特徴は反省力に欠けることです。
反省し欲望を制御するに足る理性の働きが其処で弱まって御座る。
理性とは分離度の高い人間の意識の上にのみ顕著に現れし抑制力のことだ。
だから理性こそが限度を知るのです。
理性なくば人間の社会を維持することは出来ない。
ところがまさに此の大事な理性が崩壊しかかって居る。
其の理性の崩壊は近代的理性の必然としての矛盾過程です。
合理化による必然的破壊=理性の自己矛盾化、理性の原始退行による崩落が其処に生じて仕舞って居る。
其の必然的破壊を押し止めるのは精神の力です。
精神とは理性をも超えた根性の世界のことです。
ど根性でもって車に乗らない。
ど根性でもって道徳的に生きる。
ど根性でもって禁欲する。
ど根性でもって殉教せよ。
イザそのやうな境地に至ればもはや人の迷惑をかえりみず自分を貫くなどと云う事がなくなることでせう。
たとへば宗教は何教と云う事ではなく其のやうな謙虚な心を涵養する為のものです。
ですので皆さんは善き心の持ち主に是非なるべきなのです。
いやならなければならぬ。
ところが其の善き心の持ち主に対する悪からの攻撃こそが凄まじいものだ。
人間は逆に心根が清くなればなる程其の攻撃に晒されていくのです。
ただ其の時にアナタを見守って下さる方々が居られる。
無論其れがイエス様とお釈迦様なのです。
ゆえにイエス様とお釈迦様の為には命を投げ出しても構わない、と云ふ位の腹の据へ方が必要です。
さてこのまま文明が進みますれば不道徳の蔓延と人心の荒廃により人間の精神は地獄界へと引き摺り込まれて行きませう。
いや、正確には現在こそが地獄そのものなのです。
第一どんなに金があれ或いは愛があれまたは満足があれ現在はアナタを決して本質的に解放して呉れる訳ではない。
其処にむしろ苦しみが増すばかりです。
たとへば息子の出来が悪ひ、娘が外泊して来た、妻の素行がどうも怪しひ、ウチの爺さんがコンビニに車で突っ込んだ。
うな丼が食ひたいが実は千円しか持ってない。
つひに資金繰りに行き詰まり会社が潰れさうだ。
兎に角金が無い。
ヒマはあるのだが何故か金が無い。
また逆に金はあっても苦しみが尽きぬ。
まさに生老病死の根源的苦に捉へられ我我人間存在は永遠に充たされぬ生を繰り返すばかりだ。
が、其処にこそ現れる聖なる光の輪。
おお、かの光輪がまさに神の恩寵が仏の智慧が。
嗚呼確かに其処にましますであらう、神仏が築かれし其の光の輪が。
バカ人間が幾ら連ならうと社会の悪は治りませぬがかように神仏が輪になって踊り此の世の乱れをお諫めになられる時其の時初めて人類はまるで棍棒で頭を殴られたかのやうに目覚めさうして天国へと或は極楽浄土への梯子を上り始めるのです。
バカ人間はかようにまず殴られてみなければなりません。
何故なら理性が無いバカ人間には天国または極楽浄土への梯子のありかが見えては居ない。
バカ人間が救われる為にはまず反省しなければならぬ。
ところが悪魔化した現代人には其の反省力さへもが無いと来てる。
ではどうするか。
悩みなされ。
さうして苦しめ。
其のやうに苦しんでこそ神仏への機縁が拓けて来やうぞ。
何処までもさうして悩み苦しみもがき続けて居れ。
其の時に初めてカパッと目の前の時空が割れ神仏の世界が出現するのだ。
実際信仰とは其のやうなものだ。
信仰とはまさに藁をも攫む気持ちで其の苦から逃れ去る力のことだ。
さうして信仰とは畢竟其れは善人の為のものです。
何故なら悪人はそも此の世で苦しみなど感じて居ません。
此の世は良いところでまさに楽園だとさう考へて居りませう。
ですから元々さういう心だと云う事だ。
悪人はどうも救われないのではないかと個人的には考えて居ります。
悪人には慈悲の心がなく善人をいたぶったり女を邪な眼でみたりもして居りませう。
のみならず夜の巷に出掛け大酒を飲みクスリに耽溺しギャンブルに勤しみ時には性犯罪を犯し刑務所に入るのです。
かような悪人を天国に或は極楽浄土へ招き入れる訳にはいかぬ!
かような悪人は生涯重労働の刑を課し或は善人の為のドレイと化して仕舞ふのが妥当なところだ。
悪人はまず悩まぬ。
悩まぬゆえに反省せず。
さうして仏陀とキリストにはとんと縁が無い。
コノ悪を退治するにはまず善を知ることが必要となる。
善を知ること即ち神仏の懐に飛び込むことこそが大事だ。
またたとへ犯罪者ではなくとも地球を壊したり性差を失くする思想に与したりすることは皆謗法者です。
神仏を謗り過剰な進歩主義を信奉したりすることも勿論謗法者です。
また儲け過ぎ十億以上もの金を独り占めして居る者もキリストの教へに明らかに背く者です。
其のやうに諸価値とは、あくまで神仏に基づき形成されるべきものであり社会的に規定されるべきものではない。
理性的規定とはこのやうに神仏の価値に基づくものであり法秩序や経済的価値の上に構築されるものには非ず。
概ね自己の価値観は社会の影響を強く受け形成されるものです。
かように社会が個を規定し時代が個を規定するからにほかならない。
其のやうな社会化されし自己こそはウソの自己です。
社会が進めと言えば進み挙句に地球を破壊し尽くした。
社会がヨシとしたので不倫と淫行を同時に行った。
社会が怖ひので何も言えず全部従ひ生きてさうして死んで置きました。
そんなバカな。
逆に社会がバカなので神仏も見えぬ。
もうまるでバカなので宗教の大事さにも気付けない。
だから社会は悪ひものでせう。
社会を悪者にして自分はあくまで善人だったと常にさう主張しておくべきです。
かように攻撃はデカいものに対して行ひませう。
アナタ方は逆をやって居る、逆を。
そんな社会やら思想を攻撃せず個人攻撃ばかりして御座る。
そも其れが間違ひだ。
現代文明は悪で日本の社会もますます悪に染まりつつある。
むしろ其れでいいのです。
悪ひものは悪ひのでありませうから。
其の悪と闘ひ道半ばにして傷つき倒れたらどうするのですか?
むしろ其れで良かったじゃないか。
巨大な悪と闘ひ正義の為に殉ずるのは善人の証拠だ。
善人とは現代文明と闘ひ殉教するべく運命づけられし存在なのだ。
つまりは殉教者だ。
ではオウム真理教の事件で死刑になった元死刑囚は皆殉教者なのですか。
またテロで自爆したイスラム原理主義の信奉者は皆殉教者なのですか。
そんなことを今ココでワシに訊くでない!
かの三島 由紀夫は右の思想への殉教者なのですか。
そうさな、たしかに殉教者だとも言えることであらう。
尚思想と云う事は究極的に進歩を認めるか否かと云う其の一点に立場の違ひが集約されて来やう。
たとへばわたくしは進歩主義に対しては甚だ懐疑的である。
シンポなどしないありのままの人間では何故いけないのかとさう思い続けて来て居る。
どだい何故車を自動運転化しなくてはならぬのか。
何故男女平等を推進しなくてはならぬのか。
何故よりによってAIが必要なのか。
何故日本人は朝飯をパンで済ませるやうになったのか。
何故人間は母なる地球を壊し他の惑星へ移住する必要があるのか。
何故そんな大邸宅に住みさらに豪華な墓に入りたいのか。
何故金持ちはより金まみれとなり貧乏人は余計に金を毟り取られるのか。
何故女は本質的に淫蕩なのか。
何故現代人の道徳観念が失われつつあるのか。
何故科学は矛盾化するのか。
何故地球が温暖化して居るにも関わらず皆さんは平気で暮らして居るのか。
何故バカはバカで悪人は悪人なのか。
バカと利口の闘ひは其れ即ち悪と善との闘ひのことだ。
まさしく此の世は悪と善との闘争世界なのだ。
かように善と悪との戦ひ、と云う二元論に還元されて仕舞ふのは現代がキリスト教から生まれし文明社会により普遍化されて居るからだ。
尤も東洋の思想は其の事実につき口を差し挟むことなど出来ぬ。
だが東洋の思想は良い。
でももうすぐクリスマスですよ。
教会へ行くのではなかったのですか。
早う教会へ行き疑問点を訊ひて来るべきだ。
其れがとても教会どころじゃねえんだわ。
兎に角人間の心が分からん。
もうまるで理解出来ぬ。
どうにも悪人が多過ぎて理解出来ないんだ。
そんな悪の世間を渡る時、頼りになるのはヤッパシ神仏だけだ。
何せ別れれば彼女は他人、死んじまえばもはや親はあの世で、所帯を持てば我が子もまた別人、元より会社は我等の老後の面倒などみて呉れぬ。
おまけに善と悪との戦場こそが此の世の実相だ。
お釈迦様とマーラ、イエス様と悪魔共が此処で常に闘って御座る。