目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

目覚めよ!-12

 
 
貧しくなる資本主義 アマゾンの人間オートメーション-ディストピア
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20130303-00023711/

この記事を書かれた在英ジャーナリストである木村 正人氏の現状認識は鋭い。

ここでグローバル資本主義の本質を見事に突いて居ると言っても良いかと思う。


人間が豊かになる為に生まれた筈の資本主義のシステムがなぜかくも労働を疎外し人間を人間性の上で無価値化すること、つまりロボット化していくのだろうか。

皆様はそのことを一度でも深く考えてみたことがおありだろうか。


元々資本主義社会とは諸々の矛盾を抱えた社会システムなのである。

その資本主義社会が、21世紀に入ってからさらに加速しあらゆる分野でその矛盾に充ちた本性を露わにしつつある。

そこでは労働者つまり人間に価値があるのではなく巨大な資本やそれを支えるごく一部の資本家の全くバカバカしいまでの富の追求、蓄積の為に我々は汗だくになって毎日働かされ次第にロボット化されていく。


まさにあのチャップリンの映画の世界にあるような世界が現実のものとさえなりつつある。


尚、私はつい先日他のスレッドでアマゾンというネット通販会社のサーヴィスの凄まじさについて少しだけ触れた筈である。

ここには今何でも売って居るのだし、おまけに複数注文をすれば在庫のあるものからなるべく早く送って呉れる。

確かに前々からアマゾンの会員として其のサーヴィスをいつも使い続けて来て居る我なれど、最近の其の余りにきめ細かなサーヴィス振りには心底驚いたということを書いていた筈である。


ところが、そこまで便利なサーヴィスを消費者に提供して呉れるそのアマゾンという会社の労働者たちがロボットのようなものなのだと上には書かれて居る。

ロボットというのは人間ではないのであり、そこでは一見自由であるように見えて実はちっとも自由ではないのであり、それはなぜかというと雁字搦めに労働を疎外され搾取される対象に選ばれているからこそ其れは人間以下のロボットであるに過ぎないのである。

ちなみに私が小耳に挟んだところによると、ここ日本でもアマゾンとい う会社の倉庫内は徹底して合理化されていて物の置き場所などは全部厳密に定まっているのだそうだ。

つまり商品となるものではない物の置き場まで徹底的に管理されているらしい。

確かにその位でなければ、迅速かつ確実に注文した物が届くといった、 そこで消費者が心底喜ぶようなサーヴィスの提供とはならない訳だ。


だが我々はそうしたサーヴィスを選ぶことにいつのまにか慣れて仕舞い、今やこの日本の特に都会では商店街は壊滅し閑古鳥の鳴くシャッター街となり果てて居る。

ちなみに子供の頃に商店街で何か物を買うことが楽しかったという思い出が私にはありますが、今はイオンとかアピタとか、そんな大型店やあるいはカインズなどの安売りの大型店ばかりへ行く羽目になって仕舞っており、 そして結局どこへ行っても似たような大量生産品しか売って居らず、まあそれらが生活に役立つことも確かにあるのだが品揃えなども各店で個性的だった昔の商店街が今は無性に懐かしい。


尚リンク先の記事に木村 正人氏が「貧しくなる資本主義」という表題を付けておられますが、これはまさに言い得て妙の表現なのだろうと思う。

この諸問題が山積みでパラダイムシフトが突き付けられている筈の21世紀の文明社会が、それでもなお大量生産、大量消費の二十世紀型の消費生活を続けるにとどまるのだとしてそれで果たして現代人は本当に幸せだと言えるのだろうか。

豊かさ=幸せであることを何より目指して居る筈の資本主義社会が成熟していくと共にそこに内在していた矛盾が拡大して逆に貧しくさえなっていく。

そのことを我々は今まさに実感している最中なのであり、一体何で富は平等に分配され得ないのだろうかと一サラリーマンとして時に考えて来ては居るのですが、ところが幾ら考えたとしても誰も一銭も呉れないのでただひたすらに今月の月給を確実に得ることを、その生活費を死守するために自ら進んでロボットとなりガッチャン、ガッチャンと毎日お仕事に勤しんで居るという大きな悲哀が我々現代人にはあることだろう。               2013/03/04