「禁断の社会」とは、内的な崩壊の過程を自ら選び取り推進していく社会のことを云う。
内的な崩壊とは、其れ即ち内面の崩壊であり其の様な道義的な崩壊を齎す社会の構造そのものを指して居る。
近代主義の普遍的な実現は此の内的な崩壊現象を必然的に招く。
事実今や唯物思想に凝り固まりし左翼に限らず右の方でも此の近代主義の普遍的な実現を目指し政策が決定されたりもしていく。
安倍政権は「リベラル」なのか 与野党政調会長らに聞く
http://news.yahoo.co.jp/feature/206
安倍政権が「リベラル」なのではなくリベラルであることを要請する時代の風潮ー近代主義の蔓延即ち近代全体主義ーに保守派が合わせざるを得なくなって居るのである。
だから近代主義自体がすでに全体主義化されて来て居るのである。
1.フリーセックス化を含む前近代的な女性差別の撤廃=近代全体主義
2.自由の実現と民主主義化=近代全体主義
3.煙草を悪者にして決して吸わないようにすること=近代全体主義
4.貧乏即ち金の無いことを悪と決めつけ逆に金持ち即ち金のある人々を善と決めつけ差別すること=近代全体主義
5.フリーセックス化が大嫌いな真面目な人々をあえてフリーセックス化させ色情狂に仕立て上げること=近代全体主義
6.神仏を敬う真面目な人々をあえて反宗教の思想に染め上げフリーセックス化させ色情狂に仕立て上げること=近代全体主義
近代の思想の全体主義化はまさに人類絶滅への序章となるものだ。
近代の思想の普遍化とはまさに「禁断の社会」の構築を促すものとなる。
まさに自滅の為の内的崩壊を、其の精神の破壊の過程を、むしろ好んで其の方向へと舵を取りつつ行っていくのである。
近代を貫く思想的信条は「欲望」の肯定である。
アダム・スミスがまたかのケインズが肯定した資本主義物質文明に於ける根本の支柱がまさに其の大欲望である。
これがまさに底知れぬ強欲である。
女を見て物凄い大欲情を抱く様、またはあれが欲しい、これが欲しいとゴネる様、人より上に立ちいつまでも権威、権力の座を維持したいと思う其の下司な欲情のこと。
そして其の欲情が現実を推進させる。
されど封建時代には武士は武士で考え精神的であろうとさえして居た筈だ。
武士は剣に生きて居るので商人共のやうに金儲けばかりを考えて居たのではない。
然し近代は商人の時代となっていった。
強欲商魂に基づく社会の原理が構築され我々近代人は金目のもの、即物的な価値のみに深く捉えられるようになっていく。
すると、其処でまず精神の巨人である宗教の崩落が始まったのである。
そして女という女が皆生意気になり同権とやらを主張するやうになる。
其のやうに世界は伝統的な秩序を失い其処では本質的な価値の悉くが失われていく。
であるから現代の価値とはすべからく虚の価値として提示されざるを得ない。
重要なことは、此の虚の価値観を推し進め現状をして「禁断の社会」たらしめて居るのは左翼の価値観でもまたあるということなのである。
左翼の思想はマルクス主義の流れを汲む平等な思想の筈で、其れが矛盾に満ちし此の世を救う為の思想でもある筈だった。
実際に左翼思想は前近代の思想に比して潔癖であり大元の部分では理論的に正しいと思われる部分もまた多い。
然し左翼思想もまた近代思想の枠内でのものであるに過ぎない。
のみならず左翼思想自体が最近は腐敗し始めて来て居る。
第一人間は男女が全く同じというものではなく、障害者と健常者の区別なども当然ながら現実的にある。
だからそんな差異を全廃する為の平等思想なんてのは全くのお門違いなのである。
そうしたことよりも、労働に於ける差別的待遇であるとか社会福祉の分野であるとか、左翼思想が真に受け持たなければならないことは山と積まれていよう。
其れを変なジェンダーフリーセックス思想にばかりかまけて居るから修学旅行の女子高生から通学中の子供の小学生に至るまでフリーセックス思想に染め上げられ自分の体の中の大事な純潔性を永遠に失っていくのである。
だからもうそういう異常思想は止めて女といふ女に欠落した貞操観念を復活させないでどうするんだ。
頭が良い筈の左翼の思想がそんなダメだから教師もまた気が狂い小学校の教師から大学教授に至るまで淫行ばかりを繰り返して居るが其の責任は一体誰が取るというのだ。
だから左翼は左翼で全くダメで、ところがまた右は右でほとんど気○いである。
右は右で近代戦闘思想にばかりかまけて居るから実際いつ戦争が起こるか分からず、また不平等社会を蔓延させ貧乏人はいつ食べ物が無くなり餓死するものか分からない。
従って此の社会の矛盾の全ての責は畢竟其れは近代主義といふ大欲望に基づく精神なき社会の行いにこそ存していよう。
だからまず資本主義経済でもって国家と生活を回していく近代という時代の枠組みこそが悪い。
其れは謂わば欲望の無限増殖回路なのである。
あれが欲しい、これが欲しい→あれも欲しい、これも欲しい→其の為には手段を択ばない→禁断の果実を食う→悪魔に心を売り渡す→利己主義、フリーセックス化、抑制が効かない、つい女子高生に淫行を為して仕舞う、善悪の判断を失う、気が狂う、利益至上主義、国家至上主義、市場原理主義、労働環境の破壊、目上の人を敬わない、男性を小馬鹿にする、子供を虐待する、動物を皆殺しにする、地球を食い荒らす、そしてついには宇宙の秩序まで破壊するに至る。
文明といふ名の破壊者よ、或は大いなるバビロンよ。
今此処でしかと聞くがいい。
近代の目指す欲望の社会とは、まさに其の自滅の為の破壊の行いの集積なのである。
タックスヘイブンの問題も、ケインズ理論の楽観性も、全ては其の空虚な欲望の履行の為の行い、精神なき欲望の所産であるに過ぎない。
近代が産み落としし大衆の本質は其の下卑た虚の世界への愛着にこそある。
釈迦がまたキリストがかって否定した其の下卑た欲望の所産なのである。
そして厳密には左翼の本質も其の下卑た欲望の所産から離れられて居る訳ではないのである。
尤もわたくしは左翼思想の全てを否定してかかる訳では元よりない。
実存的に人間らしい生を歩んでいく為には人権や自由や平等といった概念が是非必要なのである。
然し其れを求め過ぎてはならない。
求め過ぎると、行き過ぎたフリーセックス思想を此の世に蔓延させて仕舞うことにもなりかねない。
また右派は国防の意識、国体の護持の意識を余りに持ち過ぎては至極危ないことになる。
だが良妻賢母をば此の国に是非復活させる為に其のフリーセックス思想と闘うことには大いに意義がある。
また神社を参拝して周りに拡がる杜に親しみ自然を理解し母国としての日本国を大事に思うことは良いことである。
ただし天皇制には余り拘るべきではない。
そうした国家によるヒエラルキーを護持することを逆に廃して都道府県の単位で日本という風土を愛していくことの方がより望ましい。
ふう、其れにしても近代といふ此の魔の現象よ。
是とまともに向き合うだけで我はもう本当にヘトヘトでフラフラである。
失楽園としての現在がこれほどにキツいものなのだろうか。
かって楽園に住せし頃は、我々人間の祖先は心穏やかに暮らして居られた筈なのである。
ところがあの蛇の悪魔にそそのかれ女の方が欲望という知恵の実を食ったのである。
いや、其処は先に男の方が食ったといふ解釈もまたあったのである。
いずれにせよ、以降人間は欲望といふ矛盾を背負い込んで生きることとなってしもうた。
近代に於ける諸の主義が、即ち資本主義が、共産主義が、つまりは合理主義が、其処に最大限の矛盾を、其の罪深き現在を正確に履行していくばかりなのだ。
そして其の欲望の追求は、昂ずるに及んでひとつの破壊を人類に齎すのである。
其れが即ち精神の破壊を齎すのである。
強欲資本主義に於ける展開も、フリーセックス思想の展開も、元々は真面目で潔癖な左翼思想の行き過ぎも、右翼の愛国心が過ぎる点も、全てが其の精神の破壊により齎されることである。
よって合理思想をまずシャットアウトし中世の精神世界に戻ることこそが望ましい。
邪教以外の健全な宗教に縁して合理思想を根こそぎ遮断する。
そして山に籠る、或は海に飛び込む。
医者にはかからず、天命に従い独り死ぬ。
たまには女に触るのはよいがフリーセックスだけは断固として拒否する。
かみなりおやじ、オオカミオジサンになりいつも怒って居て近代的な教育を受けし女といふ女に嫌われて仕舞え。
最終的には其の本質こそが近代全体主義である「禁断の社会」の社会構造を明らかにし其れが齎すことだろう絶対的なリスクと闘う。
典型的に見られる「禁断の社会」の特徴
1.妙な楽観性
2.フリーセックスつまりへんなところで平等
3.何故か機械ものが好きだ
4.狂
5.虚
6.動植物をイジメて省みない
7.地球を破壊して居るにも関わらず資本主義を止めない
8.本質的暗愚つまりバカ
9.自分で家を壊しておきながら兎に角宇宙へ移住したがる
10.変態
11.不真面目
12.商人つまり打算のみで動く
13.宗教は嫌い
14.お前は禁断だと言われれば言われる程に其の禁断を強固に推進してしまう
15.大衆的なバカさ加減の蔓延
16.近代主義を否定するA型の詩人が天敵である
17.目上の人を敬わない
18.つい科学技術を信心して居る
19.つい教師が淫行を為して仕舞う
20.兎に角我慢強いつまり打たれ強い
21.病気にも強いつまり打たれ強い
22.つまりは鈍感である
23.鈍感とは罪である
24.「禁断の社会」を生きる我々は皆滅びへの従順なる僕である
合理思想は、いつしか人間の精神そのものを破壊していく。
強欲資本主義が、過度な思想の堅持が人間の精神そのものを破壊していくのだ。