印度の山奥より來しサファイア原石ー常に夢見て居たカシミール・サファイアとの出合いー
「人間は2000年以上生きていますけど、何か罰を与えて世の中が良くなったことはまだ1度もない」
「日本人って世の中に引っ張られるように、ほとんど奴隷のように生きていて――」
《Fuck you heroes Fuck you capitalism》
「47歳でこの発言は恥ずかしい」伊勢谷友介、俳優復帰後の“イキリ”言動連発に賛否 (msn.com)より
其の伊勢谷氏は東京芸大出の人で其のクラスともなると「認識が人とは違う」可能性が高くありませう。
其の発言の内容は所謂「常識外れ」でのものですがわたくしに限りまずは其れを言うことの出來る勇気に感服致します。
尚其の伊勢谷氏に取り山本 寛斎氏は異母兄となるやうだ。
山本 寛斎氏は「岐阜」の人ですが名古屋の北部ー一宮市などを含めーには所謂「洒落者」が多くつまりは身なりを気に掛ける傾向が強くある。
尤も自分は其の逆で身なりなどは何でも良い方です。
されど服や帽子にブローチなどを兎に角付けたがる。
つまりは意外と「漢」なんですがまたさう常に女女しくもある。
此の「クローズド・ノート」なる映画が2007年当時🖋愛好家の間で話題となった。
何故なら文房具店の御話であり其処に「万年筆」が出て來る訳です。
ところが主演の沢尻エリカ ♯騒動・不祥事- Wikipedia氏が世の中に對する態度が惡く其の後も色色とあり最終的には違法薬物をやり捕まった。
また伊勢谷氏も同様に違法なクスリをやり捕まった。
尚クスリは「意識が高い系」の人には案外縁が深いものとなるが案外知られて居ないのがPL粉末が催眠剤の代わりとなることです。
PL粉末は完全に合法のしかもタダの風邪薬ですが神経が過敏な人などには案外役に立つものとなる。
但し薬局にて其の侭買えば頗る高価です。
とどのつまりは此の弐名の方の何処かに「反抗心」があるが其れはまさかボク程には洗練されては居ないとのことでせう。
ありがとう、吉幾三 5年で50億の二階俊博に「ばかやろう」という怒りを私たちは諦めてはいけない 北原みのり (msn.com)
其の吉 幾三氏もまたそんな「反抗心」のカタマリのやうな老人なのか?
でも偉いですね、そんな年寄りになっても「バカ野郎!」とさう言えるのは。
いやむしろ高齢者ともなると「アホンダラ!」とさう言えるのです。
要するにすでに半分死んで居るので此の世がどうならうがまるで構いません。
特に妻及び子並びに孫が居ないとまるで僕みたくに「言いたい放題」でせう。
またつまりは其れが彼に取っての「ほんたうのよろこびであり幸せ♡」なのだから。
其の政治の世界に限らずたった今🗾國の特に精神的な秩序がオカシいですがまずは世の趨勢とは逆のことが言えるかどうかと云うところにこそそんな「洗脳」を解く鍵はあると個人的にはさう感じて居ります。
さて今回は「カシミール・サファイア」の御話をさせて頂きます。
でもって何故そんなモノの話ばかりをするのかと云うことがまずはありませう。
壱言で言って其れは「観念の不毛性」により個人的にさうシフトして來ざるを得なかった部分をこそ語って居るのだ。
要するに其の「観念の不毛性」がある限り眞の意味での「建設的」な場を築くことは出來ぬ。
しかしながら「物」は常に「建設的」な場を築くことの可能性を蔵しつつもタダソコに有る。
つまりはむしろ其れが語り継ぐであらう内容の方がより「眞實」に近いのではないか。
例えば此の世では権力者がさうして其の力を惡用し私腹を肥やしたりまた戦争を始めたりもする。
また文學者を始め多くの學者や藝術家が此の世の様を嘆いたりもするが何時迄経っても此の世は直りゃあせぬ。
其のことは「観念の不毛性」と云う「言葉」としての自己矛盾領域より齎されることなのではないか。
要するに其処にて抽象的概念を弄ぶことのみに終始し其れを解決へと導く契機を失うこととなる。
だったらまだしも「物に就き語る」方がマシと言うものだ。
何故なら具象物はあくまでソコに「有る」ものなのだから故に。
有⇔無
但し「本質的」な意味で「物」が其処に「有る」訳なのではむしろない。
あくまで其の分離される認識上の癖の上から言えば其れが「有り」且つ其れが所謂質量や色彩を帯びさらに元素としての性質を帯びるのだから。
どだい「有る」モノを「無い」と云うのはヒネクレタ「哲學的認識」だけである。
また「宗教的認識」の方もまたヒネクレテ居て釈迦は「解脱せよ」とさう仰りクリストは「神と共に生きるのだ」とさう仰るがそんなものは我我低級なケモノニンゲン共に分かる筈もない至極高級な認識論であるに過ぎぬ。
だがどう見てもたった今アナタの目の前には其の「モノ」が有る。
また無論のこと其れは「宗教」をやらずにタダ黙ってソコに有る。
また無論のこと其れは「認識論」を語らずタダ黙ってソコに有る。
だからさう云うのこそが「観念」を離れたところでの「具象的限定」の様なのだ。
つまりは其れが「考えない」力のことであり「考えない」価値としてのことなのだらう。
「さう感ずるが侭に其れを見よ」
もしや其れは印度の山奥の聖者様の御言葉なので?
さうですね、自分には其の印度の山奥の聖者様にどこか憧れて居る部分が確かに御座る。
♪印度の山奥でーしゅーぎょおをしーてー♪
もしや其れは究極の變身番組「愛の戦士レインボーマン - Wikipedia」の主題歌なのですか!
Amazon.co.jp: 愛の戦士レインボーマン 全巻セット 2YE3X : おもちゃ
さうです、ですが其の「レインボーマン」はとてもカラフルな御話となる点が如何にもわたくし向きです。
ところが内容がカルト過ぎるのか再放送されずだからもう半世紀程も其れを視られずに居ります。
愛の戦士レインボーマン:七つの化身の超能力 - YouTube
♪印度の山奥でーしゅーぎょおをしーてー♪
昭和時代に人気あったが、再放送できないレインボーマン - YouTube
【ゆっくり解説】再放送できない理由 昭和の名作「愛の戦士レインボーマン」がすごかった (youtube.com)
【ゆっくり解説】ヤバい!放送禁止作品⁉「愛の戦士レインボーマン」ヒロインは善悪ともにハイレベルな美貌の持ち主⁉美人幹部多数タイプは誰?最終回も解説 (youtube.com)
なる程。
さう「再放送」が無い故に余計に懐かしく且つミステリアスでもってカルトな作品となるのだらう。
さて此の番組の歌詞にも登場する「デーヴァダッタ」はそも「惡人」だったのか?
ー釈迦は提婆達多が自分の元で出家した場合、一時は地獄に落ちるものの最終的に苦しみから脱すると知り、あえて出家を許したとする[18]。提婆達多は死ぬ前に前述の詩を述べて釈迦に帰依したため、地獄を脱したのちにアッティッサラ(Aṭṭhissara)という名前の「独覚」になるという[17]。ー提婆達多 - Wikipediaより
ー「法華経」提婆達多品第十二では、提婆達多は天王如来 (devarāja) という名前の仏となるという未来成仏が説かれている。これは、のちの日本仏教、特に鎌倉以後の諸宗に大きな影響を与え、この期以後の禅、念仏、日蓮の各宗は、この悪人の成仏を主張している。ー提婆達多 - Wikipediaより
「デーヴァダッタ」は「地獄」に堕ちたとも言われますがかうしてむしろ大乗各派に於いて其の成佛が認められて居る。
ー「五事の戒律」を提案するも受け入れられなかったので、分派して新しい教団をつくったという。彼が釈迦に提唱した「五事の戒律」は以下の通り。
- 人里離れた森林に住すべきであり、村邑に入れば罪となす。
- 乞食(托鉢)をする場合に、家人から招待されて家に入れば罪となす。
- ボロボロの糞掃衣(ふんぞうえ)を着るべきであり、俗人の着物を着れば罪となす。
- 樹下に座して瞑想すべきであり、屋内に入れば罪となす。
- 魚肉、乳酪、塩を食さず。もし食したら罪となす。ー提婆達多 - Wikipediaより
此処から見る限り彼「デーヴァダッタ」はむしろ大變眞面目な人です。
そんな根が眞面目な人に限り「融通が利かぬ」面が強くあるが故におそらくは誤解された面などがまたあったことだらう。
いずれにせよ「宗教」が何故「ニンゲンの欲求」とはあえて逆方向を向き歩むのかと云う部分だけは考えて置く方が良いことだらう。
例えば「資本主義」や「近代科学」はむしろ「ニンゲンの欲求」に忠實な観念的価値の流れであるがむしろ其れが宗教的に希求されるだらう精神世界とは逆方向の流れを生み出すことにも及ぶ訳だ。
さらに個人的には其の「デーヴァダッタ」が惡人だったかどうかに就き大きく興味がある訳ではない。
善⇔惡
佛教はそも壱神教とは異なるだらう「相對的価値観」での産物なので其れこそ大乗各派に於ける見解のやうに「デーヴァダッタ」が「成佛」するにせよ其れは不思議なことでも何でもない。
相對的価値=相對性の賜物
絶對的価値=絶對性の賜物
絶對的善⇔相對的善
絶對的惡⇔相對的惡
其の「絶對的善」もまた「相對的善」と相互作用するものであり故にあくまで「縁起」関係に於ける枠内では其の「絶對性」が担保されない。
其の「絶對的惡」もまた「相對的惡」と相互作用するものであり故にあくまで「縁起」関係に於ける枠内では其の「絶對性」が担保されない。
とのことで實は「論理」的に「善惡規定」を為すこと自體が不可能となる。
其れは要するに「論理」的に「善」が「善」であり「惡」が「惡」であることを決定し得無くなるとのことである。
つまりは正命題と反命題が共に成立し得ることともまたなり所謂「弐律背反」の状態へと至ることとならう。
でも本日はそんな哲學の御話でしたっけ?
確かにさうではありませんでした。
つい先程迄東京から出張買取に來た業者の対応をして居てそれどころではなかったのです。
ええっ?
またまた其処にて失敗して弐束参文でもって大事なモノを売って居ませんか?
はい、腕時計を弐つ売り🖋を四本売りましたところです。
ソコには確かに大事なタグホイヤーの機械式腕時計ー限定生産品ーなどもまた含まれて居ました。
でもアンタ何をやって居るの?
はい、何せ今年は石を買って居ますので其の支払いに追われて…。
ですが別に高い石を買って居るのでは無い。
では何を買ったのか?
其れがまずはコレです。
尚其の東京の業者にも言って居たのだったが「モノ」はニンゲンより長生きし其の価値を此の世に留め続ける。
但し其の「モノ」の価値が暴落することは有り得またカネの価値が失われることなどもまた有り得る。
「モノ」はさうして其の価値が失われる迄の「旅」を続け言わば「流転」し続けて行く。
「モノ」は常にさう何処かに固着する物なのでは無くさうして移ろって行く。
また其の意味では此の「地球」などもまさにさうである。
但し石に限れば其れは元元地球の骨格を成すものとなる。
「惑星地球」は元元其のやうに星屑より生まれし「石の惑星」なのだ。
おおたった今まさに其の石と戯れることこそが我が生涯に於ける筆頭での目標となりつつある。
かうして何よりも其れは靑い。
さうして「静けさ」にこそ充ちている。
そんな「静けさ」の中で「太古」よりの「☆の呟き」が封印される形で保存される。
さうして石は余りにも寡黙でしかも饒舌なのだった。
其れが印度産の石であることは匂いでもってすぐに其れと分かる。
さう其れには「香」が焚きしめられて居り兎に角「臭い」のである。
其の「臭い」のは例えば印度製の🖋などもまさにさう臭い。
其の印度人は果たして何をやってるの?
うん、何だか知らんが兎に角何にでも其の臭い「香料」を擦り付けたがるのさ。
だが其れ故におおまさに此の石が「印度の山奥」より來し石であることがしかと分かる。
♪印度の山奥でーしゅーぎょおをしーてー♪
するとコレがもしや其のレインボー・サファイアなのですね?
いやレインボー・サファイアなるものは此の世には無いのです。
ですがまるでレインボーマンのやうな色を其れが纏って居ることだけはまた確かなことでせう。
尚其の臭いカシミール産のサファイア原石を参日間程オレンジ香料入りの界面活性剤に浸け込み其の臭みを和らげたものでした。
すると何と着色した其の染料が染み出て來其の洗剤水が眞っ靑に染まりましたのです。
すわそんなインチキの石か?
いいえさうでは無くつまりは「エンハンスメント」が為された石なのだ。
ですがさう何せやり方が稚拙ですのでまた脱色の方なども容易であった。
でもって石は確かに「コランダム」でありまたそんな香臭いサファイアなのであればまず「カシミール産」とのことで間違い無い。
嗚呼わたくしは此れ迄にどれ程其の美しい靑い石を夢見て來たことか。
其れだけが望みの全てであり嗚呼まさにわたくしが此の世に生きる目的だった。
…また其れは如何にも大袈裟過ぎる。
いやだから其の大袈裟なのが「文學」としての常套手段なのだ。
文學はあくまで大袈裟に語るからこそさう文學足り得るのさ。
また其れを懐中電灯の光に翳すとまさに「此の世のものでは無い」やうな輝き方をする。
其の美しさや尋常のものにはまるで非ずして…。
さう其れは海の底ともまた蒼穹ともつかぬ靑き骨格を顕わとなす。
兎に角光でもって照らし出し此れ程に美しい石を我は他に知らぬ。
でも色付きなのでせう?
いいえ染色の方はほぼ抜きました。ーさう色を抜いても全體の印象はほとんど變化せずー
また臭みの方も抜いて居ますがでもまだ何だか臭い。
うーん、さうか、もしやソレはアナタの印度趣味に於ける総決算としての石なのでは?
はい、其れもおそらくはさうなりませう。
だから印度の山奥でもって出來得れば修行をしたいのと印度的なわちゃわちゃへの愛とカレーへの愛、さらに「カシミール産」のサファイアへの憧れの部分などが微妙に混じり合いかうして此の原石が我が手元へと引き寄せられて來たのだらう。
まさに物は情熱ー欲望ーにこそ引き寄せられむしろ向こうからやって來る。
つまりは熱望されるところにこそ寄り沿って來る。
でもって此の石は五千円以下です。
されど此の石はデカく所謂「握り石」となる大きさを持つ。
でもソレは胡散臭い!!!
ですから、前前より御話をして居るやうに石の世界は筆記具の世界程理性的なものではむしろ無くつまりは實に「胡散臭い世界」でのものです。
ところが「胡散臭い世界」の石が全部胡散臭いかと言えば其れは必ずしもさうでは無くむしろ半分は「やったー!」と言える程の石ともなる。
事實として今年は其の絶好調なのが続いて居りつまりは昨年末から毎月のやうに四連続にて「引きの強い」ところを見せて居ります。
でもってとりあえず其処でのNo.1かNo.2の座を争うのがまさに此の「カシミール産」のサファイアの原石となる。
因みに其の「石灯篭」をした場合に最も美しく光輝くのが此の「カシミール産」のサファイアの原石となる。
何せサファイアはコランダムであり翡翠などよりもより硬質で透明度が高くある感じでせうか。
故に壱方向から光を通すだけでほぼ八割方光を通す。
故に鉱物標本としてはまさに自分に取り壱級品の物となる。
そんな訳で今回はそんな印度の山奥より届いた「最高の靑い石」の話をさせて頂きました。