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文明批判と美と心の探求と

そんな「萬年筆大國」への妄想に関してー「職人技」こそが鍵を握る我が國と万年筆の将來1ー

そんな「萬年筆大國」への妄想に関してー「職人技」こそが鍵を握る我が國と万年筆の将來1ー

 

 

 

 

 

「日本の政治はステージ4のガン細胞」百田尚樹の言葉に拒否反応を起こす人たち (msn.com)

橋下徹氏「もうこういう政治は終わりにすべき」松野前官房長官めぐる機密費支出報道に言及 (msn.com)

 

「かう云う政治は終わりにすべき」だからこそ百田氏が「ステージ4のガン細胞」だと述べたのであり其の比喩表現其れ自體に問題がある訳でも何でも無い。

むしろ「🗾の常識」が惡いものを惡いとまた腐ったものを腐っとるとさうハッキリ言えぬところにこそ逆に大きく問題があるのです。

 

「メンタルが強すぎる人」のたった1つの特徴 (msn.com)

 

そもワタシはまさに其の神経質で傷付き易く極めて扱いにくい人間=藝術家タイプの人ですが其の「自己評価」は常に高く人には負ける筈が無いと正直さう思って常に生きて居ります。

むしろそんな「唯我独尊」タイプの人間ですので基本的に🗾のやうな「和の社會」とは合いません。

 

むしろぶつかり合い貶し合い即ち「戦闘」しつつ何かを築いて行くとのタイプなので兎に角何かとカドが多くつまりは「村八分」となり易い人間です。

ですが美しいものを見詰める眼だけはまた確かなものを持ち合わせても居る。

 

【超・永久保存版】メンタルが強すぎる人がやっている「最高の習慣」ベスト1 | 頭んなか「メンヘラなとき」があります。P.4 | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)

 

そんな気難しい我もかってはあれこれと悩みましたのですがとりあえずは「社會のカラクリ」に踊らされぬやうにすることで實は非常に心が救われる=心が樂となりスッキリすることに気付きましたのです。

但し其れに気付いたのが丁度還暦を過ぎた頃でした。

 

ハッキリ申せば個の心理に對し多大なストレスを与え続けるのがまさに其の社會の常です。

ですが其の癖現代社會はまるでちゃんとやっては居りません、むしろエエころ加減に何でもやり挙句に人類の破滅が今世紀の末頃に迫っても居ます。

 

どだい自民党政権にせよたった今ボロボロでせう。

また其れは社會とはそんなものでしか有り得ぬとのことを物語る事實なのだ。

 

だから其の現代社會のバカや阿呆な様に自分の方が合わせる必要などは何処にも無いのです。

どだい自分の方がかうして利口なんですものそんなバカや阿呆に合わせることなんぞまるで意味が無いですよ。

 

だから「無視」する。

兎に角其の壱言です。

 

すると次第に「自分軸」での思考や価値観が生まれますので正直に其れに従い生きて行くのです。

さすれば多大なストレスや余計な御世話に悩まされることも無くなり至極快適に生きられるやうになる。

 

尤もある意味では社會を捨てる訳ですので定年後かまたは大金持ちとなってからするべきことなのでせうが。

 

また上の記事にあるやうに社會的な評価とは単なる相對的絶對評価です。

逆に言えば其の相對的絶對評価を出しまくり個をしてむしろ其れ等に雁字搦めにして行くのがそも社會の役割なのだ。

 

ですのでそんなものにイチイチ自分を合わせて居ればそりゃあ生眞面目な人ならば華厳の滝那智の滝から飛び降りたくもなりませう。

なのでそんなもんの為に滝から飛び降りる必要などはむしろ何処にも無いんです。

 

むしろそんなもんは全否定してかかりつまりは遠巻きにしつつ「此のバカ、バーカ、こんな社會のアホウでタワケ。」とかさう罵って居れば良いのです。

 

とまあ可成に過激な意見ですが要は「社會のせいで絶望する」必要などは何処にも無い、とのことなのです。

またアナタを不幸にする其の眞犯人とはズバリ申して其の現代社會であり🗾社會です。

 

またひいては其れが文明社會其のものなのだ!

 

 

よーのーなーかーばかなのよー♪坂本冬美さん「世迷い言」 - YouTube

 

演歌は聴きませんが演歌歌手の中では其の坂本 冬美氏などが好きだ。

要するに其の美女が好きなのだ。

 

世の中がバカだからそも世の中が惡い。

…さもありなん。

 

 

 

高級な筆記用具は、勉強に良い影響をもたらしますか? - Quora

 

最終的に御勉強の目的とは自立的且つ自律的に理性の力を磨いて行くことです。

ですので其のこと自體には筆記具の優劣などはまるで関係の無いことです。

 

経験上頭の良い人は筆記などせずともしかと考えられ且つ物事の理が分かって居ます。

故に「筆記」とは其れ即ち備忘録のやうなものであり其のこと自體で「思考」するものでは無いと思われる。

 

逆に言えば上にもあるやうに「筆記具自體に耽溺する」ことと「筆記」されることの内容に就いては何ら相関関係はありません。

故に「高級な筆記具」を使うことで「高級な内容の文」が書けることには概してならない。

 

其れは受験勉強などで果たして「高級な万年筆」などを使って居たかと言えば決してさうでは無く例えば自分の高校時代には安物のBICのボールペンやタダの鉛筆やシャーペンなどを用い其れを行ったものでした。

しかも当時はすでに万年筆の愛好家でしたのですが。

 

よって万年筆は其れこそ小説だの詩だのと云った「非現實的な文學」の領域を書き表すのに最適なものでありむしろ壱般的な意味での「御勉強」には向いて居らずつまりはほぼ完全に「筆記上の趣味」の物となる。

とは言え例えば大學での講義などをノートに取る場合に万年筆を用いる場合などは考えられやう。ー私は実際にかって其れを行った壱人ですー

 

ですが其れをやるとつまりは「万年筆にて遊ぶ=万年筆と戯れる」こととなり其の實はちっとも御勉強がはかどりませんものです。

 

故に其の理性の力を磨くとの御勉強に於ける本質部とは元來無関係なのが筆記具趣味なのですが其れでも現實的に筆記具趣味をやる人には教授や医師や教師などの所謂高学歴でもって且つ思考能力に長けた人人がまた多いものです。

 

なので其れは結果としてさうした世界でこそ愛好される趣味なのでせう。

でもっておそらく彼等はーわたくしもまた其のうちの壱人ながらー学生時代にそんなに高級な筆記具でもって御勉強したりはして居ないことでせう。

 

例えばわたくしは高校生の頃よりすでに万年筆の愛好家でしたが学校での勉強をする時は逆に万年筆を避けて居たものでした。

万年筆は文學だとかそちらの方でのもっともっとレヴェルの高い思考の伴侶であり所謂受験勉強や学校の定期試験のための道具などではついぞありませなんだ。

 

ですので個人的にはむしろ「高級な筆記具」なんぞを使うと学校での御勉強などはやれない、との意見を持ちますのです。

「高級な筆記具」は矢張りと言うべきか基本的に知的特権層に特化したところでのものでつまりはさうした特殊な精神生活世界でのものでせう。

 

また自分は其れで良いのだとさう考えても居ます。

故に其れは誰もが求める物なのでは無い。

 

但し誰が求めても良い物なのだとは思う。

其れも其のこと自體はまさに自由なのですから。

 

でも万年筆の筆記世界にはしかとそんなヒエラルキーが形成されて居る。

其のヒエラルキー自體はなかなか突き崩せぬことともならう。

 

だが其のヒエラルキー自體が個による思考の自由を奪うやうではそも其処に高級な筆記具を使う意味又は意義などまるで無いのだから。

 

 

万年筆の生活誌―筆記の近代―|これまでの企画展示|企画展示|展示のご案内|国立歴史民俗博物館 (rekihaku.ac.jp)

 

昨日たまたまこんな良い記事を見い出しました。

 

特に面白いのは「🗾の万年筆の技」と題された部分です。

さうかって「🗾の萬年筆」は其の「職人技」としての所産其のものだった訳です。

 

其れも明治期、大正期、さらに戦前の昭和期に至る迄おそらくはずっとさうであったことだらう。

さても其の「職人技」が生み出す「物」は只の工業製品としての量産品とは違う訳です。

 

さうして機械が作る物では無いが故にー機械的な行程もまた入るにせよー最終的に其れを完成させるのは「職人技」とならざるを得ぬ。

また其のやうな物には例外無く「物としての魂」のやうなものが宿って居る。

 

故に其の部分がまさにさうして「神佛」などとも関連して來ざるを得ぬ。

何故なら「職人技」とは半分位は神技であり佛の技なのだから。

 

佛の技?

うーん、またチョット違うのか。

 

つまりは佛の智慧、のことか?

 

兎に角其の🗾の伝統的な「職人技」の部分が「🗾での萬年筆作り」にむしろ其の侭に入り込んで行く訳でした。

従って古い🗾の萬年筆が「🗾の物作り」と云う大きなカテゴリーの中にしかと包括されて行くのである。

 

では「🗾の物作り」とは何かと其処に問えば最終的に其れが「神佛」への帰依心などとも関連することだらう「物としての魂」の表白であり「精神として捉えられしところでの物」のあり方のこととなる。

 

「精神として捉えられしところでの物」?

でもアンタ其れまんま戦前の所謂「精神論」での世界のことだらう?

 

さうですかねえ?

兎に角哲學して行くとさうならざるを得ないのです。

 

だから君はもうジジイになり言いたい放題だらう?

其れに時折此処でも言うてるぞ、其れもたまに「大🗾帝國万歳!!」だとか。

 

いや自分は右翼其のものでは無いんです。

また左翼其のものでも無いのですが何故かかうして両方を同時にやるんです。

 

 

ですが例えば熱田神宮の草薙館【公式】草薙館 (atsutajingu.or.jp)などで日本刀の名刀を観賞して参りますとあえて大袈裟に言えば其の日本刀を生み出す職人技が🗾の萬年筆を創った技と近しいものであることが分かる気がするのです。

 

でもチョット飛躍して居ませんか、其の論理が。

まあでもおそらくは方向性としては同じことなのでせう。

 

ーこれを氏子狩といいます。こうした組織が近代に入って万年筆製造に関わる職人たちも取り込むようになりました。そうした職祖信仰とつながりを持ち、自己の技術を守護する神仏を意識するようになったのは、日本の伝統的な技術が万年筆という近代的な道具にも適応したことを示しています。万年筆の生活誌―筆記の近代―|これまでの企画展示|企画展示|展示のご案内|国立歴史民俗博物館 (rekihaku.ac.jp)より

 

まさに此の部分です。

 

でもって自分は万年筆蒐集の最後の段階として「🗾の戦前の萬年筆」を選んだ。

しかも其れは欧米のアンティー萬年筆を壱応は知り尽くした上で其れを行ったのだった。

 

故に此処拾年ばかりはそんな筆ばかりを其れもボチボチと集めて回って居たのだった。

すると其処に「神神しい」世界が拡がることにいつしか気付いて行ったのだった。

 

「神神しい」?

だから其れは完全に右翼が好きな言葉です、其れももう完全にさうだ。

 

アナタ何時からかの三島 由紀夫氏の子分になったのだ?

いや昔から尊敬ダケはさせて頂いて居ります。

 

 

尤も左翼崩れの大宰だとかそんなものもまた嫌いでは無くむしろ大好きなのですが。

 

だから君はオカシイのだ、そも考えて居ること其れ自體が。

でもさうして人のことばかり批判せずに自分でもってちゃんと考えて発言するなどしてみよ。

 

はいさうします、でもアナタの頭の中ダケは如何にもオカシイ。

 

其の職人技こそが言うまでも無く此処🗾の物作りでの原点です。

職人技と云うのはそも観念では無く「具象的な上昇志向」=「現實的な意味での切磋琢磨主義」のことだ。

 

其の「具象的な上昇志向」=「現實的な意味での切磋琢磨主義」こそが此処🗾國に通底するであらう物ー具象的現實世界ーに對する向き合い方のことなのだ。

ところが最終的に物は壊れるーエントロピーの増大の法則により崩壊するーのでまた作り直さんとイカン。

 

なのでむしろ其れをドンドン再生させるが為に「職人技」をこそ磨き続ける。

ですのでまさに其の部分こそが此処🗾での「精神論」の正體なのであり且つ神佛への信仰に培われたところでの「生の哲學」の部分となる。

 

 

でも何だか話が難し過ぎます…。

あれヤッパシさうでしたか?

 

ついこんな幼稚園や小学校でもって高尚過ぎる講演を行って仕舞いましたか?

いや全然高尚では無い。

 

そんなことはむしろ皆が知って居ます。

實際御前が只の下品な万年筆コレクターであること位はもう🗾中に知れ渡って居るぞ。

 

…あれ恥ずかしい。

もう消え去りたい、其れも出來得ればアノ宇宙の彼方へと消え去りたい…。

 

おいおい逃げるで無いぞ。

御前はさうしてすぐに逃げる惡い癖があるのが折角論点だけは良いのにまさに玉に瑕だな。