目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

「我が筆記具観」ー硬筆筆記上の我が探究とは?ー

「我が筆記具観」ー硬筆筆記上の我が探究とは?ー

 

 

 

 

「多忙」と言いつつまた今日も出て來ましたが其処はまさに僕が心理的に屈折して居る証拠でせう。

どだい作家だの詩人だのまた其れに近い輩は「ほんたうは何を考えとるか分からん奴等」ばかりです。

 

要するに文人だの哲學者だのは「常識外れの観念的變態」であることが多い。

だからまずはソコを是非御理解下され。

 

なので「👩が嫌いだ」とさう言いつつ實際は物凄い「エロ人間」であったりする可能性もまたある。

「酒が嫌いだ」とさう言いつつ實際は「呑兵衛」であったりもして。

 

なのでそんな「變態」と付き合うことはまさに並大抵のことでは御座りますまい。

でも皆様はかうして今日もまた付き合って下さる。

 

…どうも有難う御座ります。

アナタ方はもしや神なのか其れとも佛様なのか?

 

まあでもそんなことはどうでも宜しい。

兎に角すぐに時間は過ぎて行くので早う作文しやう。

 

 

さて本日は「言い足りなんだ自分としての硬筆筆記趣味」のことに就き述べます。

でもって11月はたまにしか出て來ませんので是非「復習」でもして置いて下され。

 

12月となればまた出て來るのでまさに其れが其れ迄の「宿題」です。

何でさうなるのかと言えば體調不良などでは無く「多忙でありやりたいことが澤山ある」からのことだ。

 

特に大掃除は11月中にやらねばもう寒くて何もやれなくなるのです。

 

 

では以下で「総論」的に駆け足にて「我が筆記具観」のことに就き述べさせて頂く。

 

 

Waterman 416 silver overlay filigree

 

まずは先にも述べた「Waterman416」のことです。ーおそらく1920年代製ー

其れは最終的に自分に取り「理想の萬年筆」となった。

 

1.美しい

2.書道的に書ける

3.価値ある貴金属軸

 

とのことにより結果としてどんな現代の高級万年筆よりも自分に取り上物の🖋となった。

 

其れはフィリグリー装飾部が銀製です。

通常は925銀ですが例えばより古いL.E.WATERMANでは純銀が使われることなどもあった。

 

確か「Waterman416」と共に写る「Waterman412」ー1900年代製か?ーの方が其の純銀製のフィリグリー仕様だった筈です。

 

 

さて此れ等の御品は現在ではショップや世界オークションを問わず「入手困難」な物となることだらう。

とは言え「出ない物」とは決め付けられぬ。

 

尤も何が出て來るかはコレクター側にはまるで分かりません。

どだい世界中には凄い萬年筆コレクターが常に壱定数居られるが彼等は例外無く病気となり死ぬるのです。

 

だから其のうちの誰かが死ねばボコッと多くのペンが売りに出される可能性は常に高くある。

 

またヤフオクなどでも常に其れがあり故にわたくしの場合はそんな上級コレクターさん方の「整理品」ばかりを狙って居ます。

尤も自分の🖋もまたすぐに全部売られて仕舞うか其れとも酷い場合には捨てられて仕舞うのでせう。

 

「Waterman416」の良品は多分今最低拾萬~拾五萬程はして居ることでせう。

 

ちなみに「Waterman516」と云うモデルが当時有ったのか其れとも無かったのかと云うことがついに分からず仕舞いでした。

其の「5」とはズバリ金製装飾のことです。

 

ですがどうも「05」ー金張りーの方は有るが金製装飾のフィリグリー・パターンは無かったのか?

いや、待った!

 

さう言えば自分は其れを持って居た、だから有ったのだよ。ーそんなフィリグリー・パターンのWaterman514をしかと持ってるー

すんませんが其の事をスッカリ忘れて居ました。

 

いずれにせよ金製軸はまた余計に値が張る訳です。

 

 

アンティークの萬年筆

 

左より参本目がまさに其のWaterman514である。

軸の御色がピンクっぽいので所謂「ピンクゴールド製」の御品であらう。

 

さうしてWaterman514が有ればWaterman516もまた必ずやあった筈ですが此れ迄に其れを視たこともまた聴いたこともありません。

金無垢軸の🖊は戦後の万年筆でもさうですが非常に稀で且つ製作本数が限られて居るものだ。

 

 

 

Waterman14 eyedropper SWAN slip cap eyedropper

 

さてこちらはWaterman14ーおそらく1910年代後半~1920年代前半製ーとSWANのアイ・ドロッパーですがWaterman14の方が珍品です。

何処が珍品かと言えばクリップにイニシャルが付けてある。

 

其れも良く観れば其れに「A」と云う文字が金属装飾として入って居る。

また当時はエボナイト製の軸の方に所有者の名前などを彫り込んだ物が結構ありましたのです。

 

さらに其のことが戦前は此処🗾でも行われて居りよって戦前の萬年筆ヤフオクなどで落とすと其処に「山本」だとか「田中」だとか名前が彫り込んであったりもする。

まあ何より其れがイヤらしいもんです。

 

また其処に「岸田」とでも掘り込んであれば其の萬年筆を使う度にたった今「岸田が陥った苦境」のことを思い出しまさに筆記どころでは無く政治上の悩みばかりとなって仕舞う。

まあ何より其れがイヤらしいもんです。

 

ところが其の「A」は例えば「アーサーさん」の「A」なのやもしれぬが實はわたくしの名前の方が「アキちゃん」でありつまりは「A」其のものとなるのです。

従ってズバリ其れはわたくしのイニシャル其のものだったのだ!!!

 

まさにかう云うのを「偶然の壱致」と申しますのですが何やら怖ろしい程の符合ではありませんか。

 

尚物事は「熱心に」やればやる程にそんな不可思議な迄に「ピタリと合う事」が起こり得るものです。

つまりは「観念としての情熱」が次元を超越して「自分に取り良い物」を引き寄せたりもまたするものなのだ。

 

かねてよりわたくしは万年筆や石のコレクター人生の中でそんなことを何度も経験して來て居る。

またさらに言えば「人との巡り會い」などに置いてもそんなことが屡引き起こされたりもまたするものだらう。

 

 

次に🖋以前の筆記に於ける御話を致してみたい。

 

 

Aikin Lambert Dip Pen

 


ーそんな白蝶貝製のネジネジの尻尾が滅茶苦茶に綺麗だ!!!ー

 

こちらはdip penー付けペンーなるものです。

メーカーは当時L.E.WATERMANの下請けメーカーだったAIKIN LAMBERT製の物である。

 

dip penとは「羽根ペン」から移行したところでのより「合理的」な硬筆筆記具としての物でした。

つまるところ「羽根ペン」とは鵞鳥の羽根などを主に用いさらに其の軸部をカットしてペン先にして居たものであった。

 

わたくしも其の「羽根ペン」を使ったことはあるのですが其れはまるでクソみたいな役立たずの筆です。

いや筆以前の単なる鳥の羽根なんです。

 

そんなもんで良くも「シェイクスピア」だとか何だとかそんな御大層な文學を良くぞ書き込んで居たものです。

まあ其の「羽根ペン」と比ぶれば遥かに「東洋の筆」の方が進歩的であり且つ合理的です。

 

では鶏の羽根などをもしやペンに出来るのだらうか?

なんか出來さうですがやって居ないところを見ると何ぞ問題がありやれぬのやもしれません。

 

なら鷹の羽ならばどうなのか?

なんか出來さうですがやって居ないところを見ると何ぞ問題がありやれぬのやもしれません。

 

ちなみに其の「東洋の筆」などもまたあらゆる動物の毛を使って居ますね。

もしや御🐵の毛などもまた有るのか?

 

いやどうも其れは無いみたいです。

では🐼の毛などはどうか?

 

いやありさうですがやって居ないところを見ると何ぞ問題がありやれぬのやもしれません。

 

では鯨の毛は?

果たして🐋に毛があるのでせうかね?

 

でも🐋の髭とかそんなもので作られる筆が有るやうな気が致します。

 

ならば人間の毛は?

所謂「胎毛筆」と云う物があります。https://www.bunkoudou.net/taimoufude

 

ですが自分の毛の筆とはまた何処か魅力的な響きがありますね。

 

だが君はすでに赤ちゃんでは無く「もうすぐ高齢者」だらう?

だから「もうすぐ高齢者筆」をたった今作りたい訳です。

 

なので其れはおそらく髪の毛でもって出來ることでせうが何せ髪の毛が最近どうも薄くて…。

 

ならば「薄毛としてのもうすぐ高齢者筆」を作れば良いではないか。

其れか髭ね。

 

さらに髭を伸ばして「髭筆」を是非作れば宜しい。

 

 

其れはさうと馬鹿話をやって居ないで先へと進みませんか?

まさに御尤もです。

 

 

 

さて其の「dip pen」にかってわたくしはドップリと嵌まって居りましたのです。

dip pen」はある意味で「貴族的」な筆記具であり筆記の世界です。

 

dip pen」は主に19世紀以降世紀末にかけて盛んに使われて居た硬筆筆記具です。

よってAIKIN LAMBERTでは「dip pen」もまたかうして作られて居た訳です。

 

されどL.E.WATERMANが其れを作って居たかどうかは判然としない。

何故ならL.E.WATERMAN氏は兎に角「萬年筆」を作ることだけに其の生涯を傾けて居たからです。

 

故に「dip pen」に對してはそも「否定的」であった筈だ。

 

尚「dip pen」を使う場合はそも「インク壺」が要ります。

 

 

Leroy W. Fairchilddip penと八角の硝子製インク瓶

 

例えばこんな重厚なインク壺がまた必需品となる。ー此のインク瓶は当時の口金の赤錆が取れ現在はもっと綺麗ですー

 

要するに其の「dip pen」での筆記のほぼ全てが「文字が大衆化される前」の壱種の特権意識の中で組み立てられて居る。

よってまさに其処が嫌味と言えば嫌味なのだが「高貴」だと言えばまた至極「高貴」である。

 

わたくしはまさに其のやうな「高貴」さであり「文化の薫り」の如きものに当時から夢を見て居た。

また其のことは洋の東西を問わずにさうなのだ。

 

例えば東洋でも「文房四寶」なるものを用い所謂文人墨客が切り開きし筆記としての世界がしかとかってはあった。

まさに其のことなども「極壱部のインテリとしての嗜みであり文化」其のものだった筈だ。

 

其れが近代化されて以降所謂「大衆文化」が左様な貴族的要素を「筆記」其のものから駆逐して行くに至る。

なのでまずは其の逆方向を見詰める積もりでもって「dip pen」の世界へもまたさうして飛び込んで行ったのだった。

 

 

因みに此の種の「優雅」な「dip pen」のペン先は基本的に金ペンですが勿論スチール・ニブはもっとずっと以前より使われて居て實はそちらの世界の方がより深いと申しますか兎に角よりマニアックな世界となって居る。ー無論のことわたくしはそちらへもかって行っては居りますー

 

ま、ですが今日は時間が無いので此の位にしておきますか。

でも「筆」のことに迄話が繋がった故以下に自分の改造ペンのことを書きます。

 

 

dip pen-1

 

まずはコレを視て頂きたい。

どうです、スゴイでせう?

 

コレがまさに「筆dip pen」なるもので勿論こんなものは東急ハンズなどにはまさか売って居らずつまりは自作のペンなのだ。

要するに自分には「創造性」があり人が作って居ないものをあえて創るとの癖がありますのです。

 

まあ半分はズバリ「天才」なんでせう。

「天才」なんでせうが何せ其れが半分しか無いのでプロになれん訳です其の「プロ」にはとても。

 

でも面白いでせう?

普通常識人に取りあくまで「筆は筆」でありまた「dip penはdip pen」です。

 

ですがあくまで自分に取っては「似たやうな物」なんです。

だからくっつけちゃえば良いことですね。

 

でもって自分は観念的な人間であり實は手が余り動きません。

つまり「工作」は好きでは無いし要するに本を読んだり作文することの方が性に合って居る。

 

なんですが筆記具のことは兎に角物凄く好きです。

其れももう長いこと其れを趣味として続けて來たので其れに関し簡単なこと位はやれる。

 

なのでこんな「改造ペン」もまた至極簡単な作業より生まれて來しものだ。

要するに書道の筆の軸の穂を切り取り其処にペン先ユニットをネジ入れたダケのものだ。

 

ですが此の仕上がりはどうです?

まるで筆記具の壱流品としての仕上がりではないか。

 

また写真が綺麗に撮られて居ます。

其れももう壱五年位前の作なのだと思いますが。

 

 

もしやそんなものを今もまだ御使いなので?

いやもう全部分解してペン先は改造🖋の方に嵌まって居ます。

 

…なんじゃそりゃあ。

でも似たやうな「筆dip pen」は今も弐拾本位は有る。

 

さらに「筆ボールペン」ならば参拾本以上も有る。

 

まあでも本数を作れば其れで良いと云うものでも無い。

但し本数を作れば言わば「名作」がごくたまに作られる。

 

 

dip pen-2

 

例えば此の画像の壱番下の「班竹」の物はズバリ其の「名作」です。

 

そんな澤山の筆の軸をワザワザ書道店などで壱本ずつ買ったのですか?

いえ皆ダイソーにかってありました「百円筆」の軸です。ー現在はダイソーに筆がそも置かれて居ないー

 

但し最初の画像の物は「千円位の筆」の軸です。

 

兎に角自分にはさうして「筆記具に関する創造性」が有る。

ですが主に軸の方でもって其れをやるのです。

 

 

最後にもう廿年程前に創ったオリジナルのボールペンの画像を貼り付けて置きます。

今や他の仕様に變わったりもして居るものがほとんどですがいまだ此れ等は生きて居ます。

 

 

カラフルな改造ボールペン

 

此のうちでも「名作」が壱本あり其れが丁度真ん中の「ドクター・グリップ(旧タイプ)」の改造版です。

其れはあくまで「ドクター・グリップ(旧タイプ)」なんですが「ドクター・グリップ(旧タイプ)」にはなかなか見えないだらう御品です。

 

尚コレは現在でも此の侭の形でしかもほとんど使わずに保管中です。ー其れもごくたまに五文字程を書くがー

何せ「名作」ペンですので使ったら勿體無いです。

 

さて此の頃のわたくしの「作」には所謂イタリアン・デザインの要素が多分に盛り込まれて居る。

自分は左様に「繪画」だけでは無く所謂「インダストリアル・デザイン」の世界にもかって大きく興味を持って居ました。

 

要するに色彩的なまた物體の形としての「美的要素」に對し至極敏感なのだ。

 

ですが自分の改造ペンはまた「完璧」では無く「抜けて居るところ」が廿パーセント位混入して居るのである。

でも其れは仕方が無い、何せ改造のプロでは無く「観念人間の遊び」としての作なのですから。

 

また今でも興が乗れば何本でもそんな改造ボールペンや改造🖋を作って居ます。

ですが其の割りに「名作」ペンが少ないので要する生き残る作などもまた同時に少ない訳だ。

 

いずれにせよ「筆記具の世界」もまたこんな「小宇宙」其のものなのだ。

其の「小宇宙」の中であれこれやって居りますこと其れ自體が常にわたくしに取っての無常の悦びなのだ。

 

 

万年筆の秋