揺らぐこと無き「Waterman16」の原初的な価値ー弐本の「Waterman16」に就いてー
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なる程さうだったのですか、實に勉強になりました。
さて本日は相變わらず筆記具の整理をしつつ「Waterman16」なるシンプルな萬年筆と付き合って居たところです。
まさに其れがかってわたくしが発掘したところでの「世界最高峰」での萬年筆だった。
其れ即ち五年程前迄は最も良く使って居たペンである。
尚L.E.WATERMANの古典的なペンは壱部のコアな上級コレクターにはかねてより認知されて居た訳ですが現代の🗾の🖋愛好家には余り知られて居ない分野であったやうな気が致します。
此処🗾ではむしろアンティーク・ペンとしてONOTOと云う英國ブランドが有名でありさらに戦後の万年筆であればモンブランやペリカンなどの独逸製品が兎に角壱番手に來る訳です。
故にONOTOやさらにモンブランやペリカンを使う🖋愛好家は「万年筆が良く分かった偉い人人」だとされて居たりもまたする。
まあ自分なども其れ等を使いますが最終的には「萬年筆の元祖としてのL.E.WATERMAN」に嵌まり切り其れの専門コレクターとなって行った。
でもって「萬年筆の元祖としてのL.E.WATERMAN」はONOTOやさらにモンブランやペリカンよりもさらに古く同時に云わば世界の壱流品だったのです。
つまりは万年筆其れ自體が實は米國のL.E.WATERMAN氏の発明品だった訳です。
よって自分は兎に角其処迄是非遡る必要があった。
其処迄遡ればONOTOやさらにモンブランやペリカンのマニア其れ以上に偉くなれる可能性すらもがまたあったのだし。
ですが普通の愛好家は其れをやりません、其れは何故か。
其れは要するに其れには若干「抵抗感」があるのです。
1.其の多くが古過ぎる「アンティーク」の御品であること
2.兎に角「知らん」古典的な萬年筆の世界のものであること
3.ONOTOやさらにモンブランやペリカンよりも良いペンなど此の世にある筈が無い
との各種の妄信より要するに「手が出せん」のだ。
だが半分頭がオカシイわたくしはあくまで「ヤル気満満」です。
でもって当時書いて居た🖋専門の掲示板の分室「図書談話室」ーわたくしが其処の主筆を務めましたーでもって「古典の萬年筆の追求に對し自信が有る」とさうハッキリ言っても居りましたのです。
でもって結果として事實やり切りました。
其れも壱時期などは海外の高名なL.E.WATERMANのコレクターさんとも若干の交流があった位です。
なんですが私のL.E.WATERMANのコレクションは多分全部で五拾本有るか無いか位のつまりは「ちっこい数のもの」であるに過ぎぬ。
但し其れ等のペンに對する「哲學的な理解の度」こそが物凄い訳だ。
ですので兎に角自分は「観念人間」なんです。
何でも「観念的」にものを観てまずは其の点から理解の度を深めて行く。
ところがまた他方では藝術的感性のある「感覚人間」でもありむしろ論理を超えて「パッと掴んだり」もまた常にして居る。
其のやうに「両面」を同時にやれるところが自分の「何かを持ってる」部分でありむしろ大多数の人にはまるで理解されぬ部分なのだ。
まあ良い、コレ以上「自慢をする」とまたみんなに嫌われます。
では以下で此のまさに原始的な萬年筆である「Waterman16」なるシンプルな萬年筆の何処が良いかに就き述べます。
4.大き目の6号14金ペン先が兎に角強く頼もしいこと
5.軸が所謂エボナイト製であり堅牢且つ手触りが良く兎に角長持ちすること
6.アイ・ドロッパー(点眼式)であり軸内に直接多くのインクを入れられること
6.に就いて
アイ・ドロッパー(点眼式)は最も原初的且つ原始的な萬年筆の吸入方式となる。
要するにスポイトや注射器にてインクを軸内へ直に垂らし入れるだけのことだ。
尚現代の万年筆愛好家で其のアイ・ドロッパー(点眼式)の萬年筆を日頃から使う人はまず居ない。
何故なら其れが「文明的」では無い要するに「過去の遺物」的なものとしかならないからなのだ。
また自分の経験では特に女性コレクターの人は此のアイ・ドロッパー(点眼式)を嫌がります。
7.兎に角原始的でまるで原始人みたいだ
8.何せ古いペンなので汚いし場合により臭いー其れも独特に臭いー
9.何せ原始的なのでインクが漏れることなどが多く其の場合に携帯して居たりすると服やバッグなどがインクまみれになる
例えば拾年位前に広島の女性万年筆愛好家(家が文房具屋だったとのこと)に「Waterman16」の良さを力説し画像を送ってあげたところズバリ怖がられ逃げられましたものです。
ですので兎に角ハードルの高い萬年筆です、其れも現代文明に飼い慣らされた現代人に取りさうなる。
ですが僕はこんな變人ですので其れが少しも變だとは思わないいや思えないんです。
でもって昨日御話した貴金属軸のL.E.WATERMANの基となるものが此の「Waterman16」です。
其の1とは吸入方式がアイ・ドロッパー(点眼式)であることを指す。
さらに其れが5となるとレヴァーフィラー(テコ式)となる。
6と云うのが昨日も述べました大き目の14金ペン先でありセミ・フレキシブルニブだとのことである。
其の「Waterman16」との付き合いはかれこれ拾五年程になるのだと思う。
ですが其れ以前に自分は此のペンをまるで知りませんでした。
当時はすでにバリバリの現代の万年筆のコレクターでしたがあくまで其れを知らんかった訳です。
ちなみに以下に2009年当時と2011年当時のわたくしの筆箱の画像を貼り付けて置きます。
此の筆箱は中国製の巨大な銘木製のコレクターケースです。
ですが現在は此れを使って居りません。
兎に角万年筆は澤山入る。
されどすでに2009年当時に於いても所謂現代の万年筆の数が減って居ることが分かる。
画像中段の左側に太い🖋が5本ばかり並んで居るがモンブランのNo.149だらう。ー其れも古いNo.149ばかりー
モンブランのNo.149が嫌いな古典の🖊の愛好家もまた居られるが自分はむしろ其れが大好きです。
また下段はほぼL.E.WATERMANやONOTO其れにSWANなどの古典的萬年筆群となって居る。
兎に角自分は2005年位迄此の種の古い萬年筆が好きでは無くよって壱本も持って居なかったのです。
自分は神経質と申すか兎に角潔癖者ですので「古い汚いペンよりピカピカの綺麗なペン」を当然ながら好んで居た。
ところがすでに其の頃よりそんな高額で且つ「限定」製作される現代の万年筆に對し様様な意味での文句ー其れ即ち疑惑ーが生じて來て居りました。
故に其の疑惑の原因を根本的に探らんが為に古典の🖊の世界へとたった壱人でもって飛び込んで行った。
2011年当時にはすでにほぼ古い萬年筆に限った愛好家になって居たことが此処からも良く分かる。
即ち此の時期にはすでに古典の萬年筆の蒐集を壱通リ終えて居た訳でせう。
また矢張りと云うべきかL.E.WATERMANの古典の万年筆が兎に角多い。
其の多くがアイ・ドロッパー(点眼式)ですのでそも「携帯して使う萬年筆」では無いのである。
携帯などせずにむしろ机上限定で本格的に「思考内容を紙に書き留めんが為」の硬筆筆である。
即ち「哲學的思考」だの「宗教的随想」などには最も向いた壱種「高尚な思考世界」でのものとなる。
まあ何せ其れが得意なんですから自然とさうなる訳なのですが。
どだい「万年筆」なんぞを何でまた戸外で使うのでせうか?
お外で使い易いのはむしろシャープペンシルやボールペンでせう?
其処を何で「万年筆」なんぞを使うのでせう?
「万年筆」なんぞ「美術館」では今使用禁止なのですし其れは何でかと言えばインクが飛び散る虞がまたあるからなのだ。
また先にも述べたやうに服やらバッグやらにインクが漏れ出しもうとんでも無いことになったりもする。
さらにお外で万年筆を例えば固いコンクリートの地面などに落としますと万年筆はそも繊細な筆記具ですので当然のやうに壊れたりもまたするものです。
だから「思想」がまずは變でせう、其れは。
なので「万年筆」はむしろ「机上限定」で使いつまりは大事に使ってやった方が良い。
ですから此の自分のペンなんて皆ピカピカではないですか。
さう大事に使われて居ることが壱目瞭然です。
いやあかうして「萬年筆のことが眞に良く分かった方」の筆箱の内容は普通とはまるで違う。
其れ即ち御趣味が高度である、低能では無く頭が極めて良い。
さうついまた威張って仕舞った。
尚古典の萬年筆の長所とは、
10.素材や製法がそも良い
11.故に長持ちするー万年は無理だが多分千年位は持つー
12.そも数が少ないので恰好良い。ーこんな高尚な筆だぞと使用者がさう威張れるー
さらに古典の萬年筆の短所とは、
13.インクの漏れに関するトラブルが多い
14.綺麗な古典の🖋は当然ながら数が少ない
15.ペン先のイリジューム合金が取れることがある
ことなどでせうか。
「Waterman16」の書き心地に就いて是非以下に書いて置きませう。
まずは金ペン先が強いので要するに筆圧ー運筆圧ーをかけガシガシと書いてもペン先は曲がることがない。
故に常に「線の強弱」を付けつつ書いて行ける。
要するに皆さんが🗾の書を時に観られることかと思うがまさに其れと似たやうにも使える筆である。
また實際にエボナイト製の軸が長いので實感的にも今の🖋よりは書道の「筆」の方に近い感じすら致します。
仕様諸元
MTHRーモットルドの赤黑軸ー 筆記全長180mm 14グラム
BCHRー彫刻パターン入りの黑軸ー 筆記全長180mm 15グラム
其の壱グラムの違いが其れ即ちクリップの有る無しの違いです。
まさに其の「軽さ」に於いても🗾や中國の筆とそんなに變わりません。
であるからこそ其れを操り「硬筆書道」的な文字表現が可能となるのです。
「硬筆書道」とは西洋で云う所謂「カリグラフィー」での筆記のこととなる。
欧米人はグリーティングカードと云うのでせうか、そんなものが案外好きで自分も米國のショップや出品者などからペンを買いますとそんなカリグラフィーで書かれた挨拶状をもれなく貰ったものでしたが其れが兎に角とても素敵なんです。
まずは其のことを可能として呉れるのがL.E.WATERMANに限らず古典的な萬年筆群です。
またL.E.WATERMANの金ペン先は「特に柔軟な方」だとさう評価されて居ります。
ですがより柔軟な弐号ニブなどはちっこくて其れに応じ萬年筆もまた細くてちっこくなりますので自分に限りデカい方が良かった訳です。
其れから「赤黑のエボナイト軸」の方が妙に書き心地が滑らかですのでペンポイントを調べてみたところ何と「太字」仕様でした。
当時の萬年筆でもって「太字」仕様のものはおそらく可成に珍しいものであると思われます。ー其のほとんどがFの細字となるー
さていずれにせよ共に萬年筆としては使って居りません。
要するにdip penとして使うだけのことだ。
勿論萬年筆としても使えますがdip penとして使う方がより原初的且つ原始的な萬年筆の使い方である。
また自分はいつも机上にデカい硝子製のインク瓶を置いて居り其処へ浸すだけのことなのでそちらの方がむしろより簡単なことです。
そんな訳であくまで自分に取り古典の萬年筆群は「観賞用」では無くして「實用品」です。
また「現在進行形」での過去の価値其のものなのだ。
左様に過去は過去に有るのでは無くむしろたった今此処にこそ有る。
まさに其のことを証明してみせることこそが自己としての万年筆観の完遂であった。
さて壱月程多忙の為暫くの間投稿回数を減らします。
何せ文化の秋、藝術の秋ですので其の大掃除とはまた別にやることだらけなのです。