本日発掘した「聖なる古典の萬年筆」群に大きく感銘を受けるーWATERMAN416とWATERMAN0556に就いてー
はい、まさに仰る通りですね。
田母神俊雄さん、生活維持に共働きが「必須」になった時代の変化嘆く「女性がみんな働けば少子化も加速」との私見に同意の声あいつぐ (msn.com)
大右翼田母神氏はかうしてやっと気付きました。
何故ならよーく考えてみれば昭和時代には確かに母ちゃん達が「専業主婦」でしたのです。
また昭和時代には「父ちゃんが働くことで壱家を支えて居た」のでした。
其のことは此処🗾の體制に取り元元合って居たのです。
其れを滅茶苦茶な政治をやり壊したのがかの自由民主党です。
ところが彼等の論理からすると「アメリカの意向に沿った政策をやりましたのです」となる。
では🗾國はアメリカの壱部であるつまりは単なる属州だったのか?
いいえまさかさうではありますまい。
🗾國は超長い伝統を持つ天皇制國家である。
其処を何を勘違いしたのか特にコイズミと其のブレーンの竹中 平蔵の大馬鹿野郎が次次と左翼改革政策を打ち出し此処🗾の戦後體制を破壊するに至る。
なのでつまりはこいつらに🗾國が壊されちゃった訳です。
またアベは単なる學力の足りないバカですので要するに「トランプちゃんとゴルフをやる」ことが樂しみでしかもゴルフの腕前も其のトランプちゃんの方が上でしたのです。
まあ死んだアベは気の毒と言えば気の毒ですが結局奴は「殺されて当然」のことをやりつまりはコイズミと同じ位に罪を重ね祖國🗾を破壊に至らしめたのでした。
なのでアベはたった今「地獄」に居ります。
其れも「無間地獄」と云う第壱級の地獄にて毎日「地獄の責め苦」に遭いつつまた「悪事を後悔」しつつ己の仕出かした罪に相對しておるところなのだ。
右翼は普通頭が働かぬバカが多いので其の政治上の眞實を見通すことがとても難しいのですが田母神氏は流石に自衛隊の人ですので「理論」では無く「感覚」で「ヤバい」と云うことが分かっただけまだマシでせう。
要するに壱言で申しますればズバリ「🗾の社會が惡い」のです。
其れも庶民が惡いのでは無く「社會的な組織による意思決定」が大抵は✖なんだ。
故にあえて其れから離れることもまた壱つの手です。
クマ駆除の秋田県に「お前も死んでしまえ」など抗議電話殺到…佐竹知事「業務妨害です」 (msn.com)
其の🐻の問題とは實は其の「政治」以上に大きな問題です。
要するに、
自然⇔文明
との御話ですので基本的に解決不可能な問題とならざるを得ぬ。
其処を解決するのだとすれば「文明を止める」こと位しか思い当たりません。
「文明を止める」ことが出來ぬのであれば後はもう「文明を抑える」こと位しか思い当たらない。
又はあえて🐻に喰われてみる。
バリバリバリッ、ベキッ。
ああーとっても痛くて何だか気持ちがイイ。
まさか其れは御前だけの世界での話だらう?
いいえさうでは無く「天使」や「菩薩」は例え食われても「眞理」を説くとの御話のことだ。
生石高原のススキ見ごろ 陽光に照らされ銀色に輝く 標高870メートルに広がる群生地 和歌山 (msn.com)
古都の秋を彩る「正倉院展」始まる 事前予約した人たちが入館の列 奈良国立博物館で11月13日まで|YTV NEWS NNN (ntv.co.jp)
いずれにせよおおまさに今世界は「殺伐たる世相」其のものです。
何でかうなるのかと言えば此の世界にそも「理性」が欠けて居るからでのことなのだらう。
ですが此の「薄」を是非御覧なされ。
また其の「正倉院」の御物を鑑賞するなどして「深まる秋」を其の壱身に感じてみなされ。
すると何より「美しさ」が其処に感ぜられやう。
「美しさ」とはまさにさうしたことである。
「美しさ」とはそんなまさにロクでも無い此の世界に咲く壱輪の🌸のことぞ。
逆に申せば「美」はこんな穢れ切った世界にしかない。
「美」は有り其れはそんな肥溜めの中にこそ落ちている。
おおまさに其のドロドロの汚物の中に落ちた壱輪の蓮の🌸の如き美しさのことよ。
あれなんて綺麗な御🌸なのだ。
だが何時までも🌸を愛でては居られん。
さうだそろそろまた大掃除をせねばならん。
大掃除をせんでも良い🐈や芋虫やカマキリが兎に角羨ましい。
ですが人間である以上其の下らん現存在である以上掃除をせぬと何も回って行かぬものよ。
そんな訳で本日よりまた大掃除である。
さうして半日部屋の掃除をしたところ行方不明だった萬年筆群が出て参った。
細長い硝子瓶に入った其れは御寶級の逸品揃いでつまりは萬年筆コレクターとしての我が到達点を示す御品ばかりである。
尤も其れ等は「保管品」では無く五年前位迄「使用」して居た御品である。
其れ等が何処に行ったものやら分からなくなって居たがさうして段ボール箱の中に仕舞ってあった訳である。
うーむ、まさにコレはヤフオク以上だな。
ヤフオクにはこんな凄い物はまるで出て居らぬ。
また出て居るにせよ年間に壱、弐本程度であり其れを全て集めたにせよ拾年はかかると言うものだ。
つまりは拾年程前に世界オークションにて引っ張って來し御寶級の古典の🖋群なのだ。
其れも「L.E.WATERMAN」と「SWAN」がほとんどである。
かって好んで其れ等を使ったが故にまさにさうなって居るものである。
五年振り位に其れを観た感想
「気高い!つまりは上質其の物」
早速参本分を洗い現在机上に其れが置いてある。
1.WATERMAN416ー正規版ー1910年代製ー
2.WATERMAN416ー南米版ー1920年代製ー
3.WATERMAN0556ー1920年代製ー
尚其の製作年代は推定値である。
でもって末尾の6と云うのは14金ペン先の大きさを示して居り6はレギュラーサイズとして大きい方のペン先となる。
そんなペン先のデカいペンなので萬年筆としての大きさもまた大きい訳だ。
4.収納時134mm筆記時183mm
5.収納時137mm筆記時178mm
6.収納時143mm筆記時177mm
と長さはなる。
ついでに面倒だが重さを量ると、19グラム、26グラム、25グラムとなった。
問題は實は此れ等の萬年筆が貴金属仕様であることなのだ。
即ち1.及び2.が銀製軸ー4ーとなり3.が金張り軸ー05ーとなる。
つまるところ萬年筆は其れも廿世紀初頭の米國製の「L.E.WATERMAN」にはすでにかやうに「合理的な型番」が付けられて居たのであった。
尚貴金属仕様にてペン先のデカい6シリーズの物はもはやほとんど良品が出ずしかも出たにせよ値段が高くなる傾向がある。
つまりは事實上すでに此れ等の品の蒐集は極めて難しい。
でもってまずは何が言いたいかと云うに貴金属細工の軸なのに此れ等の大きな萬年筆が「超軽い」ことをこそまずは述べたいのだ。
「超軽い」と云うことは其れ即ち其れが「観賞」する品では無くまさに「實用」品だと云うことをこそ示して居る。
逆に1990年代以降の所謂「高級」な貴金属軸の万年筆は大抵の場合可成に重くなる。
良くても40、50グラムはありまた酷いと例えば70グラム、また百グラム程もあるのだ。ー自分は現代の高級万年筆に就き大抵の愛好家よりも詳しいー
であるから現代の高級な🖋はさうして「何かおかしな高級志向」に捉えられて仕舞いしかも其処で「實用性を無視したクソ重さ」へと傾いておったのだった。
だが我は其のことをかうして「時間を遡る」ことにてスッカリ見抜いた。
なので我が🖋の趣味とはまさに其の「🖋を製作する其の思想」自體との對決でありつまりは批判其のものだった。
だがそんなことを「観念的」にしかも「體系的」にこと細かくやったコレクターなど居なかったのだ。
いや其れも万年筆の複雑な歴史を紐解き数千本に及ぶ膨大なコレクションを完成させた方ならばまた別に居られる訳です。
ですが自分の場合は其の万年筆の複雑な歴史其れ自體を「理論化」しつつ述べて行ったのだった。
またそんな御得意の「理屈」ですか。
いや「理屈」って言ったってあんな理系の變な理屈では無くあくまでもっと實生活の上での役に立つ理屈ですよ。
またそんな御得意の「哲學」ですか。
つまりは🖋を「哲學」しましたね?
はい、其の通りにまさに其れをやりましたのです。
いずれにせよ此の参本の「L.E.WATERMAN」は極めて美しくしかも實用的な「高級萬年筆」である。
但し古い物故ー何せさうして「アンティーク」の御品であるからー無論のことながら新品のやうに綺麗なのではない。ー但し保管品の方には「新品」に近い御品などもまた何本かあるー
だが14金6号のペン先はいずれもまるで「新品」のやうに光輝きイザ書いてみると「現代の万年筆」が遠く及ばぬ素晴らしい書き心地をして居るのが即座に分かる。
尚当面の間と申すかおそらくはずっと此の参本の「L.E.WATERMAN」を「付けペン」の状態でもって使う積もりである。
其れを言うと並みの愛好家は「???そんなもんが万年筆と言えるのか!」と怒ったりもするものです。
だからまずは其の偏屈な愛好家然とした「威張り」を是非消して貰わないと。
なんで僕の萬年筆はそも僕自身と同じでもってまるで「威張り」はせぬ。
サア「高級萬年筆」だー其れもこんな百年も前の「L.E.WATERMAN」だー、御前等低級なコレクターの使うサイテーの筆なんぞではそも無いのだよー!!
などとは決して言ったりしないのだから。
あーつい本音を言っちまったかな。
ではいま壱度此れ等でもって書いてみやう。
カリカリ…。
うーん、どうも軽い。
筆記感が兎に角「さわやか」だ。
つまり汚物が混じって居ない「純粋此の上無い」筆記感がして居る。
カリカリ…。
うわあー、3.のペン先はまた結構軟らかいー柔らかいー。
軟らかいー柔らかいーのだが何せおそらくは鍛造されたであらう大昔の製法の金ペン先なので本質的には「強く」曲がったりはせず。
「L.E.WATERMAN」の6号ペン先は所謂セミ・フレキシブルニブであり特に柔軟な物では無いが現行の万年筆の金ペン先よりは概ね柔軟なのだと言える。
また当時の金ペン先には所謂「個體差」があり稀に6号ペン先でも可成に柔軟なタイプの物があるものと見受けられる。
因みに1.と2.は所謂アイ・ドロッパー(点眼式)と言われる原始的且つ原初的なつまりは胴軸内にスポイトにて直接インクを垂らし入れる方式となって居るが3.の場合は所謂レヴァーフィラー(テコ式)であり軸内のゴム袋にインクを入れる方式となって居る。
尚自分はより古いアイ・ドロッパー(点眼式)の方を好む場合が多い。
されど此の参本に限れば3.のレヴァーフィラー(テコ式)の書き心地が最も優れて居る。
さて画像が無いので他IDで保管中のヤフーフォトの画像をPCの方に移すのに手間取って仕舞った。
其の物での画像は無いので似たやうな画像を探し出し此処に貼り付けて置きたい。
1.WATERMAN416ー正規版ー1910年代製ー
2.WATERMAN416ー南米版ー1920年代製ー
に似た物で1.はクリップレスながら同モデルの画像が有った。
2.は出て來ずだがいつか画像を用意したい個性的なアルゼンチンの銀細工が付いたWATERMAN416だ。
3.WATERMAN0556ー1920年代製ーに近くは無いが万年筆としての古典的な雰囲気だけは似て居るのがこちらのWATERMAN0552だ。
いずれにせよ人生はかうして好きなことに勤しむ時こそが最高の瞬間であることはほぼ間違い無い。
さうした時間をなるべく多く持てるやうに生きることこそがある意味では至極恵まれて居て幸せなことなのだらう。