万年筆の世界には浪漫がありまさに夢のある愉しい場でのものー夏に涼しい竹軸の万年筆+兎に角欲しい中屋の拾角軸モデルー
あくまで其れこそ哲學的には人間の興味が物質へ傾くと即物的な唯物思想のやうなものに毒されて仕舞い易い。
また同時に物質的な意味での価値ヒエラルキ―に深く捉えられて仕舞う。
あくまでさうなんですが其れは所謂社會的な意味での価値ヒエラルキ―に深く毒されて居るよりはまだしも罪が少ない訳だ。
よって我の場合はさうして欲望を努めて物質へと限定するやうに歩んで来た。
むしろ此の参拾年余りはずっとさうして来たのだと言っても良い。
生ものへの欲望⇔生存欲及び物欲
我の場合左様に欲望の質を分けて考えることにして居る。
所謂👪主義や文明の倒錯の価値観に対する接近などはあくまで其の「生ものへの欲望」の方だ。
対する最低限での生命維持の為の欲望などはむしろ本能により近くあるもので釈迦やキリストでさえ其れ迄放棄せよとさう仰った訳では無い。
まさに其の部分に物欲ー限定された物欲ーをも組み入れることと致してみた。
何故ならモノは断じて生ものではありませんのですから。
同じ欲望でも性欲ー血統の保存欲ーや社會的欲望ー地位や名誉や大金が欲しい欲ーなどは左側のデカい欲望となりませう。
ですが毎日蕎麦と🍛でも食って其れでもって兎に角御勉強ー読書及び検索等ーを為し其れでもって頭が疲れたので石や筆記具と戯れることが悪人の仕業なのだとはまさか思えません。
勿論宗教上厳密には其れもまた悪人の仕業となりますのですが其れは僧侶や神父様レヴェルでの精神のあり方の御話でありどだい心が汚れて居ると申しますか無明=眞理に対し何も分かって居ない凡人レヴェルではむしろ其れこそが清い生き方となる筈です。
まずは其の心の位置より此の程我は我が全物質趣味を再構成し見詰めてみることとしてみた。
其のやうに限定された物質趣味を是とすることで此の世界を有の場とあえて考えてみることとしてみた。
物質は本質的にはむしろ「無い」ものですが其れをあえて「有る」とさう視て居るのが現存在の認識なのであり勘違いの様ー顛倒の認識ーなのです。
で、其処まで考え抜いて物質趣味をやることにこそ實は意義があるのだ。
対して何も考えずに其れをやれば其れは単なるバカコレクターであり馬鹿愛好家に堕する訳だ。
「無い」⇔「有る」
即ち其れがどちらへ転んでもまた良いやうな気分でもって物質趣味をやることにこそ意義が生ずるのである。
だけれども堅固な所有欲はモノを失いたくない方向へと常に動かうとする。
なのではあるがコレクターは次第にモノが流動する場であることが分かってもまた来る。
つまりは壊れたり失くしたりまた売り払ったりするものであり其れをたまたま己が壱時的に保管して居るだけのモノなのだ。
だから持って居ることを自慢するやうなものではそも無いのである。
即ち眞理に対しては何処までも物質趣味は脆弱なのである。
其の「所有」にせよむしろ眞の意味でのモノコレクターであり物の愛好家は左様にある種達観して置かねばならぬのである。
また其の「所有」を所謂生臭ものに対し感じて居ることよりは何度もまた申しますがモノの次元で其れを感ずることの方が常に罪は少ないことだらう。
さて今我は使用するペンの整理整頓もまたして居り其れは先日ニトリにて良い収納ケースを発見したからなのであった。リバーシブル引き出し ブレッタ A4 3段通販 | ニトリネット【公式】 家具・インテリア通販 (nitori-net.jp)
此の参段ケースでもって大體百本程のペンを収納することが可能だ。ーブラウンの方ー
決して高級品では無いが多くのペンを持つ愛好家の方方には御勧めである。
即ち高価なコレクターケースなどよりも気樂に使える物である。
其のペンの整理整頓の際に如何にも夏向きのペンが色色と出て来る。
そんな夏向きのペンと言えば矢張りと云うべきか竹軸のペンである。
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例えばこちらなどは感動的に安いのだが實は充分に使え所謂安物では無いのである。
何故なら竹自體が天然素材なので其の素材が悪いと云うことは無いのである。
また製作精度の方も決して悪くは無い。
但しより本格的に万年筆として使用する場合には金ペン先化してみることが御勧めである。
幸い我はかって英雄の小型金ペン先の万年筆を弐拾本位は集めて居たので其の金ペン先を利用すれば良いのである。
英雄の小型金ペン先には14金の物と12金の物がありサイズなども四種類程がある。
さうして金ペン先化した竹万年筆は安くてしかも本格的な万年筆と化す訳だ。
尚英雄の小型金ペン先ー90年代から21世紀初頭にかけての物ーは秀逸である。
かってー弐、参拾年前にかけてのーの中國の金ペン先は特に英雄の物は素晴らしい。
要するに金ペン先が本質的に強く曲がったりはせず運筆圧をかけた場合に線に強弱を付けることが出来るのである。
尚我は欧米の万年筆にもまた強いのではあるがかうして東洋の万年筆をも馬鹿にしたりはせずにかってかうして集めて居たのである。
また其れが良質の素材として現在ペンの改造の方に大いに役立つ訳だ。
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こちらのDukeの竹製万年筆は参年程前に初めて求め其の金糸竹にスッカリ魅せられて仕舞ったものである。
日本の竹や銘木を用いたメーカーの万年筆は概して高価であり勿論万単位での買い物となるがこちらはこんなものなのでまずは気樂に購入することが出来る。
で、先程も申したのだが其の自然素材自體はよもや低級な品では無いのである。
ところが問題が壱つあり其れはキャップが真鍮製でもって頗る重いことであった。
故にキャップの原型を留めぬ程に加工してみたが其れでもまだ重い。
尚我の場合万年筆の軸には必ず其のキャップを被せ使うのである。
まさに其れは欧米流では無い東洋人としての筆の使い方なのであらう。
でもって何か嵌るキャップを探すと90年代~21世紀初頭の頃のヴィスコンティのヴァン・ゴッホのキャップがピタリと嵌ることが判明し其れで今でも其れを付けて使用して居るのである。
其のキャップの重さを量るとオリジナルを加工した物とは4グラム違う。
たかが4グラムの差と思うこと勿れ。
万年筆の尻側が4グラム軽いと云うことは運筆上實は非常に大事なことなのだ。
またつまりは其の万年筆の後ろ側が重過ぎるやうではならないのである。
故にかっての西洋のDip Penなどは必ず軸の後ろ側が細く長く伸びて居てつまりはさうして軸の後ろ側の方が軽かったのである。
勿論此の金糸竹の万年筆も金ペン先化して来て居る。
其処で選んだのが同じDukeの細長い18金ペン先である。
此の18金ペン先こそは出色の出来の物である。
さう此れもまた90年代~21世紀初頭の頃にDukeの高級ラインの万年筆に付けられて居たものだ。
此の金ペン先こそがまさに此の金糸竹の万年筆には良く似合う。
かうして改造を済ませた金糸竹のDuke万年筆は、
1.全長197ミリ
2.重量37グラム
3.重心位置が6対4
出来れば参拾五グラム以下としたいところながら現状では其のことは難しい。
尚現代の万年筆はかうして重い物が増えて来て居るのである。
中國産はまた特に重いのだが欧米の万年筆などもまた重量化して来て居る。
其れは金属部品を多用して高級感を出さうとする為なのだらう。
金属部品でもアルミ合金やチタン合金などは軽い訳だがそんな高級な素材など使えるべくも無く大抵は真鍮やステンレス部品で其れをするので必然的にペンが重くなり易いのである。
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ちなみにJINHAOにも此の種の筆的なモデルがあり、此れなどもまた安価なのが良い点である。
かってー弐拾年程前ー中國の万年筆はむしろ其の軸の方に難があり屡壊れたりもしたものだったが其れも今はそんなことは無い。
と申すかいまだに安く手に入るのが中國と印度の万年筆なのだと言えやう。
対する日本の万年筆や伊太利亜の万年筆などは何故か其の値段が高騰して仕舞って来て居る。
其れは大體倍程もの値と化して来て居るのである、其れも其の90年代から21世紀の初頭にかけてと比せば何故かさうなって居る。
だがかうして安価な中國と印度の万年筆を素材として用いてむしろ壱級の筆記上の愉樂を得ることが實は可能である。
其れはお高い万年筆ではむしろ出来ぬことなのであるがかうして安い万年筆なのであれば気樂に其れが行えることなのだ。
竹について(竹の種類)黑竹 | 虎斑竹専門店 竹虎 (taketora.co.jp)
竹について(竹の種類) 煤竹 | 虎斑竹専門店 竹虎 (taketora.co.jp)
其の煤竹を用いた長原 宣義氏作の万年筆がかってー廿~拾年前にー万年筆愛好家の間では非常に人気が高かった。
我も其れを90年代に丸善にて手に入れ長く未使用でもって保管して居たが結局は売って仕舞った。
セーラー すす竹 長刀研ぎ 万年筆 - セーラー|Pen Cluster
いずれにせよ何処かでもってどうも自分が目指すところでの筆記とは違う物のやうに思えて居たのである。
むしろ此のDukeの金糸竹軸モデル改の方が如何にも東洋らしい竹万年筆なのだと今我は思う。
ちなみにセーラーの場合は軸の作りの精度はむしろ日本壱なのだが万年筆への思想の持ち方の点で少しく疑問がある。
特に其の21金のペン先を主力ラインアップと為して居る部分が可成に疑問である。
同じ日本のメーカーでも眞面目なーお堅い?ーパイロットなどは14金ペン先に拘り続けるやうな部分があるので其れには共感し得る。
ですが我はパイロットのペンには左程興味が無くあくまでプラチナ万年筆の愛好家なのである。
プラチナ萬年筆は個性的であり壱種ブッ飛んで行くやうな点が藝術的なのでもまたある。-例えば商品一覧・中屋万年筆 (nakaya.org)などがさうである-
正直今欲しいと思う國産万年筆は此の中屋の物ばかりなのであるがいずれも高価なので手が出せないのである。
エボナイト彫刻万年筆 夜光 | セーラー万年筆 (sailor.co.jp)
今回こんなものも見つけ此れは凄いなとさう思ったのだが如何せん此れは重過ぎるペンである。
あくまでエボナイト軸の万年筆としては重過ぎるのである。
重くとも参拾グラム台前半のところ迄に重さを是非抑えて置いて頂きたい。
何せわたくしは其の軸の重さ及び長さには超敏感なので。
でもって基本的にわたくしは長くて軽い軸を好むのである。
さう云うのを所謂万年筆に於ける「気障」と云うのやもしれぬのだが兎に角万年筆の愛好歴として半世紀もかかってかうなって居るのであるから其れはもはや変えられやせぬ部分である。
兎に角左様に現代の高級な万年筆は概して高価でしかも何故か重いものが多いのだ。
ところが百年以上前のアンティーク萬年筆はたとえ金無垢軸、銀無垢軸ですら常識的に或は常識外れにむしろ軽い物が多い。
故に筆記上疲れぬのである。
つまりはさうした意味での万年筆としての基本的な要件がかっての萬年筆程高いレヴェルにて整って居る訳だ。
おそらくは其の部分、つまりは万年筆としての本質の部分が何かにより壊れて来て居るのである。
1.見栄えー見栄ーの追求
2.メーカーの儲けの追求
3.愛好家に媚びた仕様
であること等が複雑に絡み合い万年筆が壱種滅びへの道を歩んで居るやうにも思えてならない。
だけれども視野を拡げより万年筆を其の根っこの部分より見詰めあれこれすることでようやく其処でもって万年筆其れ自體を自己の側に引き入れることが可能となることだらう。
長刀研ぎエボナイト万年筆 緑響 | セーラー万年筆 (sailor.co.jp)
世界400本限定販売!美しく、書きやすい「長刀研ぎエボナイト万年筆 緑響」 | MADURO ONLINE(マデュロオンライン) (maduro-online.jp)
今回こんな物もまた見つけ我は其の緑色の万年筆が大好きなので視て居るだけで涎が垂れて来るがしかしながら幾ら何でも此れは値段が高過ぎるのではないか。
其の長刀研ぎに関しては特殊なイリジューム合金の研ぎ方であり且つ特殊な書き心地なのだと個人的には思う。
以前は其の長刀研ぎのセーラー万年筆だけで四本を持って居たが今や壱本のみとなった。
其れは以前とは少しく万年筆に対する思想が変わりむしろ「弄って無い」万年筆を好むやうになったからでのことである。
其れと五万円以上もする高いpenに対してはほぼ興味が無い。
だが此の中屋万年筆 拾角モデル(nakaya.org)だけはどうしても欲しい。
NAKAYA - 十角 - シガー 緑溜 (ST) [no.01051](価格: 93,500円)
万年筆を参、四本売り払い此れを是非注文したいところである。
とさう思いながらすでに拾年が経過して居る。
だがまさに其の間に此の本命としての緑漆のモデルが追加されたのだった。
NAKAYA - 螺鈿 - 青貝貼り 十角 [no.12003](価格: 451,000円)
ほんたうはこちらの方が是非欲しいのだが此れを得るには万年筆を参拾本は売らねばならぬことだらう。
それにしても以前ー拾年前ーより値上がりして居るやうな感じがどうしても致して居ります。
ようし、此の画像を今からデスクトップへ貼り付け万年筆を五拾本程売らう!
ヤフオクで売るんですか?
いやキングダムノートだとかEUROBOXだとかの方が手っ取り早い。
また高額となる限定品などはおそらくはイーベイの方が高く売れる。
そんな具合に万年筆の世界には何より浪漫がありまさに夢のある愉しい場でのものなのです。