目覚めよ!

文明批判と心の探求と

此処での今年の夏の課題に就いてー+邪教とは果たしてどんな宗教のことか?ー

此処での今年の夏の課題に就いてー+邪教とは果たしてどんな宗教のことか?ー

 

 

 

 

ひろゆきが語る「テロのような社会への報復を生み出さないための、たった1つの考え」 (msn.com)

 

とりあえず日本社會はかうして先進國を名乗る以上は其れこそ近代的な頭の國家をつくりあげて行かぬ限りかうして迷走振りが続いて行くことだらう。

確かに封建制では上下関係がまたお盆や御墓参りが最重要な価値であった訳だがまさに其れ等の価値観が邪魔をして日本の意識決定の近代化其のものが妨げられて居る。

 

つまりはすでに其の上下関係だの儀礼習俗などに重きを置くのは少なくとも近代國家としてのあり方とは異なるものである。

また其れが政治の分野に於いてもまさにさうなのである。

 

勿論其のことをイザ鎖國した上ー保護貿易化した上ーで其れこそ上級國民が中間層以下の下層國民を統治して行く形で行うのであればまだしも辻褄が合って居る。

されど近代先進國家である癖に其の實はさうして封建體制を布くものだから謂わば下の方から崩れて行かざるを得ぬのである。

 

またつまりは其の體制こそが搾取の度を最大限に発揮する國のあり方とならざるを得ない訳だ。

其のやうな政治上の構造より現在の國としての日本のあり方が決められて居るのだ。

 

 

故に此処日本の社會のあり方其のものが悪いのである。

其のやうな社會へのあり方に疑問を抱き其れを批判すること自體はむしろ良いことである。

 

但し其の「社會が悪い」ことを理由に事件などを引き起こすのは其れは其の人の頭が悪い証拠となるものだ。

逆に頭の良い人はさうして手は出さぬが兎に角しつこく「社會が悪い」とズバリさう言うのである。

 

其の言うのとやるのとはまるで違うことでありほんに理性的な人はやるのは面倒臭く嫌いなので只しつこく「社會が悪い」とズバリさう言うのである。

 

 

其の悪い社會への報復を考えて居るうちは逆に申せば何らかのものを社會に期待して居る訳であるが其処を「そんな悪い社會には期待はしない」と云う心理に達すれば報復などと云うことを考えずともある意味で丸く納まるのである。

要するにそも相手になどして居ないので腹もまた立たぬと云う訳である、あくまで本質的な意味では。

 

さうして其の悪い社會などは金輪際相手にせず自分に取りやりたいことに専念してやって行けば其処にはもはや何処にも社會に対する怨念などは発生しない訳だ。

尚我はむしろ社會には日日感謝して居るが其れが余りに出来の悪い社會故に直した方が良いだらうに惜しいなとさう思うばかりでのことなのだ。ー左様に日本の社會もまた近代社會其のものも同時に其のあり方が悪いー

 

 

強引すぎる「国葬」裏事情 麻生副総裁の進言で「国民葬」から転換か (msn.com)

 

其の🐊爺アソーの壱言で理性派🐕キシダは「キャンキャン」となって仕舞いあんな馬鹿元総理をつい奉って仕舞った。

矢張りと言うべきか恐れて居たことが現實化した。

 

まさに其の🐊爺をこそ何とかせねばならぬ訳だ。

だがコヤツはなかなか死なぬ。

其れも何せ根っからの悪人なので。

 

残念なことに此の世では其の悪人こそがさうして生き延びるのである。

では🐵カンをキシダの子分にして🐶と🐵の連合軍をつくり其れでもって🐊をやっつけたら如何でせう?

 

さうか、確か桃太郎 - Wikipediaでは🐶と🐵とキジが桃太郎の家来となり鬼をやっつけるのでしたね。

でも其の雉とは壱體誰でせう?

 

まあ石破では無いことだらうな。

石破は何せ🐻なので。

 

だが🐻は自分の世界が強いのでつまりは自分本位で家来にはならないからなあ。

でも🐻ならば🐊爺を食うと云う手がまたあるのではないか?

 

 

つまりは🐊を🐻が食うと云う話である。

エエッ、でも普通其れは無いでせう。

 

だってどっちも強いので普通は其の戦いはあり得ないぞ。

 

 

本当の宗教とは「迷う力」を与えるもの…生きる苦しさから逃げる宗教はすべてニセモノである (msn.com)

 

尚こちらでの眞宗の僧侶の御発言に我は此の度心を打たれた。

結論から申すと此処での御発言の内容に全く同感である。

 

確かに其の「正しさへの依存」こそが邪教の条件なのであり洗脳としての具體例のことなのではないか。

 

尚何度も述べて居るやうに我はむしろ正しさとは自分でもって決めて行くことだとさう感じて居る。

またより正確には、

 

神佛ー教祖ーよりの御導き⇔實存としての精神の苦闘

 

其の両方が是非必要なのでありよって學的な修養の部分もまた其処で気付きへの重要な要件として認めて居る訳だ。

ところが宗教的な見地とは壱般に左側の部分をより重視するものである。

 

實存としての精神の苦闘<神佛ー教祖ーよりの御導き

つまりはかうなり易いものだ。

 

ましてや組織的な信仰ともなればより其の傾向に拍車がかかって行く。

 

實存としての精神の苦闘<教祖による御導き

 

結局はさうなって仕舞うものなのである。

 

 

ーそうやって「迷って生きていく自由」を放棄することで、人間は実に心地よく楽に生きることができるのだ。

問いを放棄させられ、「正しさ」によって宗教心が殺される、というのは、私の経験で言うと「会長先生の御心」という言葉でだいたい説明できる。

 

私は当初、「どうしたら自分が本当に救われるか」という思いを持って教団で求道したが、途中でそれが「どうしたら会長先生の御心に叶うことができるか」にすり替わっていることに気付いた。

それは救済の道程であり手段のはずだったのだが、教団の中で其れを言われ続けているうちに、いつの間にか教団や会長に服従することが自己目的化してしまうのである。

 

 

そして絶対的信順に生きるとき、それはどこまでも充実していて、迷いがないために楽で、自分の人生に一本の強い筋が通る。

「ブレない生き方」や「まっすぐな性格」に憧れるのもそうだ。しかし人間は「正しさ」を得てブレなくなってしまったときに、最も手に負えなくなる。それはナチスをはじめ、毛沢東ポルポトもそうであろうし、日本なら戦時中の帝国陸海軍や連合赤軍もそうだろう。私たちは生きる限り迷い続ける存在だが、迷うことの苦しさから、周囲から期待される「正しさ」という「にせの自己」を作り上げるのかもしれない。

 

フロムの言う「本来の自己」とは、迷い続ける自己だと私は考える。そしてニセモノの宗教に対して本当の宗教というものがもしあるとしたら、それはどこかに私が迷う余地を残し、迷う力を与えるもの。つまりは代置された「にせの自己」の中から、「本来の自己」を呼び覚ますものであるべきではないだろうか。ー本当の宗教とは「迷う力」を与えるもの…生きる苦しさから逃げる宗教はすべてニセモノである (msn.com)より

 

宗教やまた哲學などの人文領域での精神の格闘はまさに其の「悩み」より齎されしものだ。でもってさうした「悩み」の無い方が良いと思って居る人人が多いと思われるのだがむしろ其れは逆なのである。

 

つまるところ現存在はむしろ悩んでナンボなのである。

ましてや🐕や🐈でもあるまいしさうして人間なのだから悩むに決まって居るのである。

 

むしろ現存在とは其の「悩まんが為」に生まれ出ずる者のことだ。

つまりは其の悩む精神こそが現存在としての責務であり花道なのでもまたある訳だ。

ところで其の「悩む」ことは、正しい⇔正しくは無いとの弐項対立より精神的に悩むのである。

 

ところが其の弐項対立ばかりに掛かり切りになって居ると事が進まなくなるから、

 

正しく無い<正しい

 

と勝手に正義を何処かに築き上げつつ現存在は進んで行く訳だ。

 

其の正しいのがもしも釈迦やキリスト教の認識であれば勿論可成に其の価値観は正されることとなる。

ところが其処に邪教の教祖の考えが居据わるともはや目も当てられぬこととなるのである。

 

尚我が認識を示せば、

正しい≦正しく無い

 

大體こんな感じで要するに何故か人間其のものに対する反省力が強くあるので勿論邪教の教祖のことなどは信じやうが無いのである。

要するに人間などまるで信じて居ないのである。

 

ブレるつまりは迷い悩み苦しむと云うことであるが本来浄土眞宗は其の悩み苦しみに対し常に懐深く受け容れて下さるやうだ。

まさに其の部分こそが眞宗の説く愛の教えの部分であり故に両義的苦悩や迷いに寛容でありつまりは其の虚妄分別又は煩悩を否定すること無く生を悩み切る眞宗としての面目躍如たる部分なのではないか。

 

 

また上記にもあるが通りに社會が常に正しい訳なのでは無くむしろ社會は半分位の確率にて間違って居るものである。

だから其処にあえてみんなは基準を置くからこそ変に「洗脳」されて仕舞う訳なのだ。

 

確かに宗教による洗脳は時に最悪の結果を招くものだが實は社會的な洗脳の方がより頻繁に行われ怖いものなのだ。

其れと宗教による洗脳は主に教祖が行うことだが社會が行う洗脳はあくまで組織が行うことなのでアノ日本をブチ壊したコイズミやアベに全責任があるかと言えばさうでは無いところこそがより恐ろしい訳である。

 

でもって、おそらくは多くの在家の求道者が「幸福」や「迷い無き生」を望んで居ることかと思われるのだが其の意味での「絶対的幸福」は逆にほぼ洗脳状態が生み出すところでの精神的不幸のことを指して居ることが多い。

 

ナチスや軍國主義日本でもってブレずに鬼畜米英と戦った⇔壱匹の螽斯詩人がそんな社會に嫌気がさし山へと逃げた=非國民として

さて此れはどちらが精神のあり方として正しいと言えるのでせう?

 

地球を破壊する資本主義社會にドップリ浸かりかうして毎日會社へ行き頑張る⇔壱匹の螽斯詩人がそんな社會に嫌気がさし山へと逃げた=非國民として

さて此れはどちらが精神のあり方として正しいと言えるのでせう?

 

だから其れは牢に入れられさうになってる其の詩人の頭の中身の方がまだしもまともでせう?

では螽斯詩人、お前は「絶対的幸福」など無いとさう言いたげだがじゃあ其の幸福とはそも何なのだ?

 

現存在に取り幸福とは迷うことです、悩むことです、むしろ社會がイヤになる程にさうすることである。

此の眞宗の御住職が述べられる如くに眞の宗教とは現存在を洗脳しない宗教のことでありつまるところは精神を束縛することの無い「本來の自己」=「眞我」を呼び覚まさんが為の教えであるべきだ。

 

さて此の御住職はかって浄土真宗親鸞会 - Wikipediaに属されて居たのだったがどうやら自ら其の過ちに気付かれ其れを止められたやうである。

尚其の親鸞會に対する批判の部分は壱度此処でも以前に取り上げたことがあった。

 

いずれにせよ其の「狂信」による「洗脳」こそが精神の上での悲劇を生むのである。

また其の「狂信」による「洗脳」はむしろ此の世の中には満ち満ちて居ることでもまたある。

 

其れこそ學歴至上主義だの科学至上主義だの「金があれば偉い人だ」などと云うむしろ常識の中での誤った価値観がまた目立つものである。

 

尚我は學歴至上主義では無く學問至上主義なのでありたとえ中卒であれ學のある人には土下座して教えを乞う積もりでもっていつも居るのである。

また金のある奴からは是非金を毟り取るべきだとさういつも思って居る。

 

で、科学は壱種ヤバい世界のものであるが結局浪漫がありまたヤバいもの程視たくなるものなので實は我は科学番組をオンデマンドなりユーチューブにて視るのが大好きなのだ。

 

地球そして生命の誕生と進化 【最新版】 - YouTube

 

尚此処での紹介は弐度目となるがこちらは大変為になる動画である。

我も以前に此の動画を弐度程視て居るがまだ此の最新版の方は視られて居ない。

 

-本動画は丸山茂徳先生と冥王代生命学研究Gが文科省の新学術領域研究事業で行った研究の成果を元に地球と生命の誕生と進化を映像化したものです。 This is a documentary which portrays the birth of the Earth and evolution of life depicted through latest research activities. Executive producer: prof. Shigenori Maruyama. Supported by Hadean Bioscience Project.-

 

地球の中心"コア"への旅 - YouTube

 

こちらなどもまた良い。

 

Hayley Westenra - Once Upon A Time In The West 【HD】 - YouTube

 

「大量絶滅」巨大噴火が哺乳類を生んだ - YouTube

 

SCIENCE CHANNEL(JST) - YouTube

 

自然科学とは人間の心の働きとは対置される物理世界ー物質的な力学領域ーを対象とする知的営為のことである。

自然科学にて分かることもまたあるが例えば邪教のことなどはまさか分からぬ訳である。

 

 

人文科学としての宗教⇔自然科学なので、自己に出来得る範囲にて是非双方を學んで置くべきである。

 

特に最初の地球の全歴史としての動画はとても重要なものである。

また無論のことまさに其れが此処に置ける本年度の夏の課題である。