とても気に入って居る米國製と印度製のアイ・ドロッパーに就いてー万年筆ライフを眞の意味で豊かにして呉れる手作り万年筆達ー
たった今昔の「記録」ー物を購入した記録ーを調べて居るのですが其れが大變に面白い。
第壱こんなもの迄買って居たのかと云うやうなことが良く分かったりもする。
其れが見当たらないのはおそらく仕舞い込んだか目の届く処に在るにせよ気が付かぬからなのだらう。
また人間とは所詮そんなものなのだらう。
どだい我我現代人はモノが溢れる時代を生きて居ざるを得ないのでさうもなり易いのである。
モノが溢れる時代はさうして良さそうに見えつつ生活其のものを余計に複雑にし身の回りをゴチャゴチャにして居ることだらう。
故に身の回りをスッキリ片付け其処に在る物の來歴に至る迄とりあえずは把握したい気持ちにて現在其れに取り掛かって居る訳だ。
さて其処で万年筆の方では2016年の九月に得た手作り万年筆の画像も出て來た。
其の頃自分は主に「安い手作り万年筆」を世界オークションにて探し求めて居たものだった。
其れも主に印度製のアイ・ドロッパー(点眼式)の「安い手作り万年筆」をまずは求めて居た。
其れでもってRangaと云う手作り万年筆の御得意さんとなり兎に角年間に五本位のペースで其れを集めて居たのである。
Rangaは素晴らしい万年筆を作る家内工業的なメーカーであり要するに親父さんが万年筆を作り其れを息子が世界オークションにて売り捌いて居るのである。
其のRangaの軸はカラーエボナイト製でありつまりは色とりどりでもって大層美しい。
また大振りながら軽い軸で其処などもまた自分の好みに合うのであった。
さらに何より安価なのが兎に角魅力的である。
其れも大體弐、参千円から高くても壱万円位の範囲の物であり🗾の手作り万年筆のやうにむしろメーカーの量産品よりも高価で売られる訳では無いのだ。
またRangaに限らず当時から印度には澤山の小さな🖋工房があり其処にて多くはカラーエボナイト軸の万年筆が製作されて居たのだった。
但し自分に限り惚れ込んだ職人なりメーカーなりに深く関わって行くタイプなので持って居る其のRanga以外の印度製の万年筆の本数は少ない。
1.安くてしかも作りが良い
2.至極単純
3.色合いが綺麗
との美点がまずはありまさに其処にこそ惚れ込んで行ったこととなる。
特に2.の点は欧米や🗾のメーカーが作る🖋とは大きく異なるだらう点であった。
其の事を逆に言えば欧米や🗾のメーカーが作る🖋はまるで単純では無くむしろ凝った軸やペン先の意匠だのまたイメージ戦略だのによりつまりは「コテコテ」に創り上げられて居る。
ところがRangaを得てみてスッカリ驚いた。
何せ其のやうな余分なものがむしろドコにも無いのである。
また1.の面にも同時に感動した。
例えば五千円以下の品であれ其れが手を抜き作られて居る訳では無い。
兎に角其処には印度の万年筆職人による手仕事としての息吹が直に感じられる。
其れも大雑把と云うことでは無く若干大振りながら結構精緻な作りなのだ。
無論のこと此処🗾に於いても其の「手作り万年筆」の世界がもう参拾年以上前から花開いてもまた居る。
わたくしはRangaを集める前にまずはそんな🗾の「手作り万年筆」の世界を壱通りやり切ってもまた居たのだった。
4.萬年筆博士
5.加藤製作所
6.酒井軸(兜木金ペン先付きの)
7.植原作品
主に此れ等の品に於いて其の種の世界を探訪して居たのである。
尤も其れをしたのが90年代~21世紀初頭にかけてのことであったが故に其れ等の手作り万年筆は今程高価な物では無くまた其のことは兜木金ペン先付きの酒井軸ですらさうなのだった。
其の酒井軸の万年筆は主に名古屋丸善で90年代に求めたが当時はほぼ弐、参萬で手に入る物がほとんどだった覚えがある。
其れが今や倍かさらに参倍程もの相場となりほとんど入手の難しい物へと化しつつある。
加藤製作所の万年筆なども21世紀初頭の頃にはヤフオクにて弐、参萬で入手することが可能だった。
だが現在は加藤氏の逝去により其の価格が高騰して居る。
尚萬年筆博士と植原作品に関してはまた後日語ることとしてみたい。
其処で本日は主に印度及び米國の手作り万年筆に就き語る。
こちらがRangaの万年筆です。
さて此の画像中の物でいまだ現役なのは緑と靑と太軸の参本となる。
残りの弐本は使い倒して軸が割れたりもしすでに部品として他の万年筆に使われるなどして居る。
其のピンク軸の物はまた特に素材的に弱くなるやうだ。
しかしながら靑と太軸の物は素材が分厚くもありむしろ恐ろしく堅牢である。
またペン先はいずれも他の金ペン先へと交換して居る。
特に緑の日本風「竹」万年筆はお気に入りの物で現在はモリソンの「GINJIRO」14金ペン先へと付け替えて居る。
でもって現在のRangaはすでに主力商品がエボナイト軸→アクリル軸へと移り變わり同時に吸入方式がアイ・ドロッパー(点眼式)から欧米式の両用式へと變化して居り要するに以前のやうな面白い商品が見られなくなって仕舞って居るやうだ。
また其の欧米式の両用式へと變化すれば値段の方もまた壱万円位となったりであくまで自分に取っては「踏んだり蹴ったり」となるのである。
だがRangaは他にも拾本位あり其の意味では当時蒐集した物ですでに生涯に亘り使える分を確保して居ることとならう。
さて先に2.至極単純と述べたが其れはアイ・ドロッパー(点眼式)であるからこそ至極単純な物と言えるのだ。
アイ・ドロッパーとはつまりは余分な物が何も無い万年筆の吸入方式としての最も原初的な物となる。
ですがアイ・ドロッパーでも机上であればさうさうインクが漏れることも無く充分に使える。
されど其処にて欲をかき戸外で使うことをしやうとすると途端にアイ・ドロッパーは暴れ出しソレ即ち職場や学校でインクが漏れたりまたシャツに挿して置いたらシャツがインクで染まった、等と云うマズいトラブルが引き起こされるものと相場は決まって居る。
なので其のアイ・ドロッパーの専門家として申しますとアイ・ドロッパーの🖊を机上以外に持ち出すこと自體が實は御法度なのだ。
其れ即ちアイ・ドロッパーのペンは万年筆では無くむしろ其れ以前の付けペン類に近いものだとさう思って置けば變な振動を彼等に与えずに済み従って彼等は大人しく机上にてむしろベストなパフォーマンスを発揮して呉れるのだからして。
でもってさうした使い方こそがまさに「限定」なのである。
筆記具でもまた人間でもさらに社會でもさうして何でも「限定」して置く方がより結果が良くなる筈です。
さて「GINJIRO」金ペン先の竹万年筆なんて酒井軸の方にも其れが有るが今や4、5萬はする御品となる。
だが此のRangaは例えば自分は五本程此の竹万年筆タイプを持って居るが全部で弐萬も使って居ない筈なのである。
其れでも万年筆の能力が著しく劣る訳では無い。
と云うことは欧米圏や🗾など所謂先進國家の現代の万年筆は余分をやり過ぎてむしろ其の価格だけが高騰して居るのであらう。
此のやうに物事は逆方向から其れこそ多角的に捉えて行かぬ限り其の「ほんたうのところ」がまるで見えては來ぬものだ。
かうして「幅広くしかも部分的には深く」万年筆を見詰めてこそ其の本質的な部分での意味がまるで手に取るが如くに分かって來やう。
さて7、8年前にRangaにはこんなラインアップが有り其れでもってリップル軸では無いタイプの物が是非欲しくなり弐本を求めて置いた。
其れがつまりは此処での緑リップル軸以外の弐本である。
其れが實物はもっと色鮮やかで綺麗であり現在自分に取り御寶🖋と化して來て居る。
黄色く見えるタイプは個體的にさうなだけで自分の物はむしろ緑色マーブルでの個體となる。
其の軸色が好きなので昔の英雄の14金ペン先ー大き目でもって秀逸なペン先ーを付けて居るが其の書き味は半端無く良い。
赤と緑のマーブル軸の方はいまだ当時の侭に保管して居る。
兎に角此の画像のペンはすでにどれもが得られない物となる。
また丁度其の頃米國には手作り万年筆はないものかとさう思い探して居たのであった。
どだい米國は万年筆の本場なのだから必ずや何かが出て來る筈だ。
でもって出て來たのがこちらの🖊である。
値段は五千円もして居ない物である。
だが印度製のRangaだけでも拾本以上ある中其れ以上探し回る気にはなれず結果其の壱本のみで御仕舞いとなった物なのだ。
でもって此のペンの出來の良さに当時驚いたことを今も覚えて居る。
其れは筆記状態で178mmあるオーヴァーサイズでのアイ・ドロッパーモデルである。
其の癖筆記重量は軽く26グラムとなる。
では何故大きいのに軽いのかと云えば「余計な物が付いて居ない」からなのだった。
さう手作り万年筆の世界、其れも個人に毛の生えたやうな人人が作る🖋には基本的に「余計な物が付けられず」結果として極めてシンプルな御品となって行くことが多い。
其れとは眞逆なのが所謂有名メーカーが作る「限定万年筆」の類となる。
「限定万年筆」は兎に角「付加価値」をつけまくり五萬よりは拾萬、さらに拾萬よりは拾五萬とドンドン値を上げて行くのである。
さうドンドン値を上がればたとえ数量限定品ではあれメーカー側は儲かる。
でもってそもメーカーなるものは最終的に資本主義をやるのであり其の「儲けたい」との気持ちは「良い🖋をみんなに配りたい」との気持ちよりもより大きくなって仕舞うのだった。
故にどうあらうが「儲かりゃあ」エエ。
何せさう儲からんとつまりは會社が潰れるし社員のみんなが路頭に迷う。
故にどうあらうが「儲かりゃあ」エエ。
やうし、では今度の限定品の価格は凡そ廿萬として置かう。
馬鹿野郎!そんなもんを誰が買うものか!
するとまた馬鹿な金持ちが現れ奴等が涎を垂らしながら其の高価な限定万年筆を引っ掴むやうにして持ち去ったのでした。
尚此の手作り万年筆はすでに廃版となりつまりは何処からも得ることが出來ぬ。
我はいたく此の手作り万年筆が気に入って居た。
其れを求めたのが2016年の九月のことである。
だが惜しいことにキャップが尻軸に被せられぬタイプであった。ー欧米人は其のやうに短くして万年筆を使うことが多いものともまたされて居るー
だがわたくしは個人的に東洋の運筆をこそ奉ずる「筆派」の筆記者なので万年筆もまたあくまで「長くあらねば」ならぬ。
故にわたくしは其れを自分で削り「筆」に變えて仕舞うことをあえてしてみた。
とは言え日頃から手のまるで動かぬ観念人間故に其の作業は難航を極め大體壱週間程を要したのであったか、兎に角ザリザリ、ザリザリと其のエボナイトの軸を金鑢にて削ってはキャップの嵌まり具合を見つつついに其の目的を達する日が訪れたのであった。
カポッ。
うーむ、何故か大變良い具合に嵌まったわ。
うん、實に良い具合に書けるやうになったわ。
でもってペン先は無論のこと金ペン先へと交換し勿論其れはアメリカン・ブランドのBEXLEYの18金ペン先なのだ。
そんな訳でおおまさに其の筆こそがたった今我が左手に握られし御品となる。
でも最近はむしろアイ・ドロッパーとしては使わず付けペンの状態にて使うことが多い。
と言うか此処壱年程はどんな万年筆でもさうしてむしろ「Dip Pen」として其れを使う。
要するにインクを軸内に入れる機會がなるべく少なくなるやうにして置いて嗚呼まさにゆったりと🖋を使うのである。
???
いや君等には其のココロが分かるべくも無いことだらう。
其れは儂が半世紀に及ぶ万年筆での筆記の果てに辿り着きし壱つの極限での境地であるが故に。
兎に角そんな米國産のアイ・ドロッパーと印度や中國の安物万年筆が所狭しと並ぶ我が机上ほど賑やかで且つ理解不可能なものは無い。