目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

そんな『坂の上の雲』などよりは矢張り漱石の近代批判の方がずっと上だ

そんな『坂の上の雲』などよりは矢張り漱石の近代批判の方がずっと上だ

 

 

 

物価が上がっても年金増えない 安倍元首相が導入した容赦ない年金減額の仕組み (msn.com)

 

此の馬鹿に付ける薬は元より何処にも無い。

 

https://pages.keieikagakupub.com/cpm_hmki1_s_d_15800_youtube-2207/

 

さて此の講座を是非受講したいが五千円位なら出しても良いが一万五千円とのことなので止めて自分でもって是非考えてみたい。

 

但し此れの動画のところは非常に良く出来て居り仰るやうに日本の近代化には大きくダークサイドが拡がって居るとの見方はまさに其の通りでのことなのだと思う。

我は最近日本の近代化は失敗したのではないかとの考えを持つに至って居り其のことは単に左翼的な革命論の方に理想を見出して居ると云うよりはむしろ保守思想の側から其の自己矛盾の様を心配して居るからなのである。

 

ところが所謂保守の立場を標榜する世間の人人はハッキリ申してソコまではまるで考えては居らず単に自民党に任せて置けば大丈夫だ位に思って居るものなのである。

最終的には眞の敵とはまさに其の低能による思い込みのことでありつまるところは其の保守としての馬鹿こそが敵となるのだ。

 

だから眞の保守とは馬鹿ではダメで要するに三島先生位に頭がまずは良くないとイケナイ。

だがそんな馬鹿にはまたアベだのアソーだのカンだのそんなドーブツみたいな奴等がまた決まって魅力的に見えるのであらう。

 

そんな🐊だの🐵だの馬鹿ーアベーだのをしかし良く信じられるものです。

 

だから兎に角受講はしたいが何せペン代などもかかることですので折角の此の良い頭をフル回転させ其の明治近代化への反駁としての論理をまた組み立ててみたいとさう思うのだ。

よりによりこんな物価高の時に年金を減らして居る其のアベノバカ。

 

またイーベイにて海外のペンを買い辛くして居るクロダの腹黑さ。=クロ

またやらねばならぬと云うのに結局は特攻はしない其の🐶のキシダ。

 

そんな訳で八月の此処でのテーマがすでに決まった。

其れは日本の近代化を根本より批判して行く試みである。

 

日本の近代化が抱える矛盾点に就き悩み苦しんだ文學者はかって多かった。

 

藤村にせよ透谷にせよまた漱石にせよまたさうである。

特に漱石露西亜戦に勝利し浮かれて居る世相に対し「日本は滅びる」とまで作品中で言わしめて居る。

 

では漱石は果たして何を危惧して居たのか?

漱石は所謂近代型の合理主義社會に対し大きく疑問を抱いて居たがさう云うのは弟子の芥川やまた其の後の無頼派や川端、三島へと連なる文學的な流れとはまるで別箇に壱種シリアスな社會的問いであり近代社會其のものに対する否定的見解であったことだらう。

 

其の漱石からすれば此の21世紀の日本の凋落振りはむしろ自明のことであったのかもしれない。

だから漱石の抱いて居た不安のことをまずは考えてみなければなるまい。

 

ですが今はかうして掃除中ですのでまた是非後日にやらせて頂きます。

 

 

日本の近現代史の問題点 (seinensya.org)

 

例えばこちらでは其の近代化が例の『坂の上の雲』の如くに称揚されて居るがさても其処はどうなのだらう。

我が考えて居ることとは其のやうに日本が先進國として成功したことでは無く其の先進國として成功した筈の日本國で今恐ろしい勢いで様様な社會的崩壊の度が進んで来て居ることである。

我は其のことを「近代化の失敗」であったとさう見て居るのである。

 

其れは物理的に失敗だった訳では無く無論のこと物理的に日本はかうしてしかと近代化を成し遂げて居る。

だが其処に議会制民主制や個としての精神の自立性が達成されているとは矢張り言い難い。

 

まずは其の全体主義として皆が同じ価値観の下に生きる國としてのやり方自體がまるで分からずまさしく其れは前近代的な精神の内容ではないかとさう疑っても居るのである。

結局其の精神の近代化が成らずにあえて漱石のやうに言えば「内発的」な近代を生きられて居ないから日本の近代其れ自體がかうして壊れて行くのではないか。

 

勿論其れは近代化に乗り遅れて居た中國や露西亜もまたさうだったのだが彼等は社會主義の方へと行った分むしろ日本よりも内発的に其の革命と向き合って来た訳だ。

尚上にもまたあるが近代とは社會主義に関わらずまさに其の革命である。

 

近代其れ自體が革命なのである。

従ってずっとかうして革命は続いて来て居る。

 

勿論情報化にせよ其れは革命の壱環である。

いずれにせよ其の「革命」には大きく問題が存して居るとさう見て置くべきだ。

 

出来れば「革命」=進歩などは無い方が良い。

だけれども無論のこと其れでは済まされなんだ。

 

だから今我等はこんな時代にかうして生きて居る。

尚僕は大學の頃にまさに其れを勉強したのである。

 

だから兎に角社會を論ずることは元元嫌いなことでは無い。

でも最近はもう面倒でたまらなくなって仕舞った。

 

要するに社會のことを考えるだけで何だか時間の無駄であるやうな気さえもがする。

だが漱石の近代に対する考えばかりはまた是非御浚いして置かねばならぬことだらう。