ほんたうに頭の良い人は果たして何を言って居るのか?ーかって東大を首席で卒業された小幡先生の御意見より學ぶー
ーこれを逆流させる力は、どこにも存在しない。不可能なのである。さらに働きやすい環境を作り、またカネをばらまき、教育コストを低下させれば、さらに少数精鋭の子供たちを育てるようになるだけだ。すなわち、むしろ少子化を促進させる効果のほうが明確に存在する。
アジアでは社会のあり方、とくに男女の役割分担のあり方が急激に変わってきている。出生率の低下はその移行期の中で、経済的な理由とこの社会の急激な変化が絡み合っているから起きているのであり、過去にそれが終わっている欧米とは異なる。
だから、働く夫婦に子育てのための所得支援をするのであれば、各夫婦に2億円ずつ配らなくてはならないのである。すなわち、少子化の原因は、社会のあり方の問題であり、その一部は経済的要因であるが、その要因をもたらしているのは日本社会における都市部での企業での働き方にある。
しかし、解決策はあるし、簡単だ。女性が子育てのために退職し、その後転職したときに、その女性の人的資本の価値に見合った、以前の給料と同等の水準で働けるような民間労働市場に、日本の労働市場が変わればいいだけだ。
なぜ、これを実現するのが難しいのか。それは日本の企業が阿呆であるからである。日本社会が意味不明だからである。逆に言えば、そんな異常な企業と社会においては、何をしようとも問題は解決しないのだ。
最後に「そもそも②」の「少子化が悪いとは決めつけられない」である。少子化は本当に問題なのか。なぜ問題なのか。一般的な答えは「当たり前だ。子供が少ない社会は、まともな社会でない。活力がなくなってしまうではないか」ということなのだろう。
しかし、それならば、日本のほとんどの社会はすでに壊れている。壊れていないのは、東京、名古屋、そのほかごく一部の大都市だけで、ほとんどの地域社会は少子化どころか、中年もおらず、高齢者だけになり、さら高齢者までも減り始めている。社会は壊れ、消失しているのである。
もし「健全な社会を維持する」ということが少子化対策の目的なら、まず、大都市以外の地域社会を一刻も早く立て直さなければいけない。少子化対策のラストチャンスというが、地域社会にとっては子供が減るというのが問題なのであれば、何十年前にもうゲームオーバーになっているのである。
それは人口が減ると経済規模が小さくなり、日本市場に依存している企業の売り上げが減るという問題であり、勤労者層が減ると社会保険料を払う人が減り、年金も医療も介護も破綻するからであり、日本人の存在感が減ると、国際的に日本代表の政治家といっても世界では大して影響力がなくなるからであり、人口が減れば兵力が減るからである。
すなわち、それは少子化問題ではなく、企業利益の問題であり、社会保障システムの問題であり、プライドの問題であり、覇権争いの問題なのである。
これらの社会問題を直接解決することでしか、日本の問題は解決しない。現在人々が「人口減少こそ最大の課題」と言っているのは、実は社会の変化に対応できない、経済主体や経済システム、社会制度が機能不全を起こしているにすぎない。これらの制度をリフォームして、それぞれの経済主体が自分自身の個別の課題に正面から向き合うことでしか解決しないのである。
つまり、少子化対策とは、課題設定も解決策もすべて間違っている。このままでは、あえて日本社会の傷を拡大し、破綻させることにしか貢献できないのである。
ー「少子化は最悪だ」という日本人は間違っている 日本の「人口問題の本質」とは一体何なのか (msn.com)より
其の「日本社會」とは何か?と云うことを此れ迄に此のブログでもずっと考え続けて來て居ます。
尤も「日本社會」とは何か?と云うことに止まらず「文明社會」とは何か?と云うことに就いても考えて参りましたがまさしく其れは「どーにもならんものだ」との結論へと次第に傾いて参りました。
所謂頭の良い奴は大抵此の「ダメだ論」に陥り挙句の果てに滝から飛び降りたりもまたすることでせう。
ですが僕はかうして確かに頭が良いのですが實は逆方向の部分もまた有して居り要するに案外アホなんです。
さう云うのは自分の持ってる偏差値域の人にはまず居なくてつまりはキチガイと紙壱重的な人の頭の中身の特徴でもあることでせう。
其れも自分の場合には感覚的天才みたいな部分がまた生まれつきにあるので多分こんなんなって居ることでせう。
ですが別に偏差値が例えば70以上もある訳では無いのです。
では其の偏差値が70以上ある人は果たして今何を考えて居るのかとそんなことをまた自分の場合には良く思う訳です。
さうかうするうちに以上の記事に突き当たりつまりは其の小幡先生の如何にも「過激な御意見」につい魅力を感じて仕舞いましたのです。
ところで此の方はかって東大の経済学部を首席でもって出たさうですが確かに其の通りに仰ることがまるで普通では無いのです。
要するに上では「🗾の社會のあり方」其のものをむしろ批判的に見詰めて居られ其の点ではむしろ自分の社會批判の切り口などと近しいものを感じる訳です。
自分の場合も「🗾の社會はいまだ幕藩體制であり近代化などはまるでされて居らぬズバリ封建體制」であるとさう申して居るのです。
でもって「鎖國」しつつ其れをやるのはむしろ〇ですがこんなグローバル社會の中で其れをやればむしろ日本の社會其のものが破壊されて参りませう。
だから其のことをこそ述べて居た訳です。
故に「大丈夫」なんかじゃなくてもう「崩壊寸前」ではないかとさう世に對し訴えて來たのです。
🗾の社會つまりは體制が近代的體制とはそも根本的にそぐわず其れでもってまさに社會的な合理化を進めればむしろ🗾と云う國は「破壊」されて仕舞いますよと元塾の社會科の講師としてさう述べて來たのであった。
つまりは其れが単なる「人口減少」ばかりか體制の破壊の問題へとむしろ直結して行くのです。
でも其れはむしろ当たり前のことであり何せすでに21世紀を此の日本は迎えて居るのですから。
要するに其の🗾國こそはまるで「變われぬ」國でした。
其れもそも近代に於いて「變わる」と云うことはむしろ「個」をデカくして行くことです。
なんですが此処🗾では其れこそ学校だらうと企業だらうとまたお役所だらうと全ての組織が「個」よりもデカくつくられて居ます。
其れぞつまりは、
個<組織
とのことです。
であるからつまりは其れ等が「近代化」の仕様ではありません。
では例えば明治時代などは果たして近代化したのでせうか?
いや全然近代化などされて居ないと個人的にはさう思うのです。
またつまりは其れが其の「封建的體質」が「全體主義」化することで所謂「國力」だけを上げたからさう見えたことであるに過ぎません。
尚近代の本質とは「個への権利の付与」であり「個としての自由の獲得」のことでせう。
其の両者共に此処🗾では「封建的體質」によりいまだもって制限されて居るのです。
其れも特に酷かったのが小泉政権以降の「全體主義」としての「個からの権利の剥奪」でありつまりは「國家への隷属化」の流れのことです。
でもって其処ではみんなが國の奴隷とされつまりは壱人前の人間とは認められなくなり要するに具體的には「派遣社員」化されて行くのです。
なのでむしろ政府が主導して其の「奴隷化」を推し進めまた税金だけは所謂消費税増税と云う形にてつまりは其の貧乏なドレイ達からむしろ満遍なく毟り取ることにして行ったのでした。
また其の消費税増税なるものは今後余計に酷く行われても行くことでせう。
其のやうな「惡」を推し進める自民党の奴等はそも皆惡人ですのでついに罰が当たりああしてアベが撃たれて死んだのです。
尚其の🗾の社會としての問題はそもさうして「近代化」としての大問題ですので取りあえずは少少のことでは直らずつまりは其の🗾の社會としての凋落が何らかの方策にて止まるとの可能性は可成に低いものとなる。
逆に壱つの手として「鎖國」する手などがあるのではないか。
つまりは「幕藩體制」に戻すのであれば今よりは確実に良くなることでせう。
でも徳川が…。
其の徳川はまさに今でも続いて居るではないか。
でも別に織田にやらせても良いとは思うのですが…。
さうですね、織田 信成さんとかに任せる手などもまたありさうだ。
其れと自分もまたなんか今の🗾社會のあり方が壊れて居るやうにしか思えないのです。
つまりは其の「地方の破壊」の問題があるのだと思います。
大阪はどうなのか知りませんが確かに東京や名古屋は壱応金持ちであり田舎程金が無いとピーピー言って居る訳では無い。
そりゃさうですわ、「自然を破壊しない」田舎に金が落ちて居る筈等がありません。
ですが其の分田舎では「全體主義」への隷属の部分が薄くもなるのだと思う。
たとえ金があるにせよ其の「全體主義」の奴隷では人間は生きて居ることへの幸福感などはまさか持ち得ぬことでせう。
尚今🗾社會が抱える「人口減少」の問題は🗾國に取り本質的課題なのでは無く逆に🗾國に取り本質的課題とは「變えられるかどうか」なのではないかと個人的にはさう思います。
では何を變えるのかと言えば少なくとも、
組織<個
と云うやうに社會システムの根本での価値観の部分を百八十度變えて行くことでせう。
其の意味では所謂「市民革命」や「社會主義革命」などもまた視野に入れて置くべきことでせう。
つまりは「🗾の體制」其のものがすでに腐り切って居るのやもしれません。
其の腐り切った中で何をどうしやうがまさか根本的には變われるものではない筈です。
ところが其の腐り切った體制を維持することこそが「洗脳人間」達に取っての「善行」であり「正義」の行い其のものなのです。
だから其れはまさか「善行」でもまた「正義」なのでも無いのです。
まさに其のことをこそ小幡先生は上の記事にて述べられて居ることでせう。
小幡 績 | 著者ページ | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)
小幡績の視点の記事一覧 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)
小幡 績 | アゴラ 言論プラットフォーム (agora-web.jp)
おそらく「人口減少」以前に「🗾社會の自己崩壊」の問題が存するとさう小幡先生は述べられて居るのだと思われる。
自分の場合にもまた其れに近い視点がありまた其の自己矛盾としての日本の社會のあり方の淵源にはおそらくは「近代化の失敗」の面があるとさう捉えるのである。
其処でどうすれば良いのかと云う段になれば自分の場合はむしろ「近代的自我の確立」とのまるで明治時代のインテリ層の精神の課題のやうな部分をこそ重視するのである。
其れも其の「近代的自我の確立」が日本人の場合は成って居らずむしろ次第に個個としての理性が原始退行し「洗脳」されるに至って居るとの考えを持つ。
田舎<都會
どだい其の「都會」は常に「田舎」よりも上だ、との価値観其のものが壱種の「洗脳的な全體主義」によるものである。
逆にかの養老先生が仰るやうに、
都會<田舎
位に認識ー価値観ーを變えて行かないとおそらくはかの國の認識其れ自體を變えることなどはまるで無理である。
ー「自分の頭で考えるということを教えられましたね。頭ごなしにダメとか、ああしろ、こうしろと強制することはない。僕の言いたいことは言わせてくれるし、叱るときもちゃんと理由を説明して叱った。
子どもの頃から議論好きな家でした。日曜は朝ご飯を食べながらNHKの政治討論番組『日曜討論』を見て、家族で議論していた」ー
上から5番までは本物です…首席で卒業した男の頭脳(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(3/6) (gendai.media)より
小幡先生の論評の場合は確かに「自分の頭で考え」其の上で意見を述べられて居るやうに思う。
其の点でまさに気に入ったと申しますか少なくともとても「面白く」拝見出來る記事を書かれて居るやうに思う。
一斉休校でわかった日本人のレベルの低さ|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト (newsweekjapan.jp)
やっぱり日本は終わりだ|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト (newsweekjapan.jp)
ついに日本は終わった|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト (newsweekjapan.jp)
まあかうして「🗾はもう終わりだ」などとも連発をされては居られますが其れは高度な知性によりさう判断された迄のことでありだからどちらかと言えば頭の良い人はさうして常に「絶望の淵」へと傾き易いものなのだ。
日本が新型肺炎に強かった理由|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト (newsweekjapan.jp)
さうかと言えば今度はまた手の平を返すやうなことも述べられて居るやうで逆に其処こそが自分に取り至極面白いのです。
いずれにせよ上の記事群はまだほとんど読めては居ないのですがおそらく其れ等は至極「面白く」読めまた大いに「勉強」となることでせう。
自分の場合は最終的に「祖國🗾を救うやうな論を張る」ことが御勉強の目的なのでは無くまさに其の「御勉強」を死ぬる迄続けることこそが我が御勉強の全目的なんです。
ところで「🗾はもう終わり」ですか?
うーん、どちらかと申せば「🗾よりは長生きをしたい」とのことこそが我が望みでありだから「🗾」が生きやうが死のうがむしろ関係無く其の歴史としての顛末を見届けたいとの御話です。
ちなみに東大の首席級に頭が良いと多分意見が両極へとコロコロと變わる筈です。
ほんたうに頭の良い人の意見にはどうもそんな両極性ー對義性ーがあり其れが勝手に移動するからさうならざるを得ぬものとさう思われます。