趣味の追求18
つい先程机上の硝子製インク壺ー六角の瓶ーに光のイルミネーションが点って居りました。
其れはまるでオパールの輝きの如くに七色の光の粒となり暫く点って居た。
インク壺の裏面がカットグラスとなって居る為其の影響から其のやうにイルミネーションが生ずる訳だ。
より陽が傾き光が射さなくなれば即其の七色の光の乱舞も消え失せる。
しかしながら問題は其のことを我が今日初めて知ったと云うことです。
もう拾五年程も机上に其れを置きつつ何故其れに気付けなかったのか?
實存の問題とは實は其のやうな意味でのことなのやもしれない。
美はまた眞實は常に此の世に其のやうに存して居るが我我が只其れに気付けぬだけなのだ。
おそらくは様々に張り巡らせられたバイアスが其れを見えなくして居ることだらう。
つい先程見た其の七色の光の乱舞はまさに壱級品のものでした。
まるで壱級の宝石の如くに其れは光輝いて居た。
正直わたくしは此れ迄に様々な美しいものを見て来ましたが其の中でも五指に入るやうなものでした。
しかも決して高価なものでは無く所詮はタダの机上の自然現象だったのだが…。
我我人間はさうして先入観に捉われる余りに此の世での美を見逃して居ます。
さうして美は何処にでも潜み必ずしも其れは高価なものなのでは無い。
人間を見詰め続け其の本質としての欲深さに思い悩みつまりは其れとの齟齬を感じ続けて来た私の眼差しにたった今其れは映えて見える。
其の苦悩の代償におそらくはそんな眼差しを与えられて居ることであらう。
嗚呼、美しい。
實際何て全てが美しいのだ。
全てが美しい?
お前はアホか?
逆に全てがどす黑く穢れて居るではないか!
其れに死ぬ奴ばかりではないか。
悲惨もエエトコで其の様やまるで地獄だぞよ。
おお、確かに地獄だ。
まるで地獄變だ。
宗教さえもが何やら地獄なのだし、政治などはもっともっと地獄だ。
此れはもう地獄のオンパレードでもってつまりは最悪の世相である。
いやでも其の最悪の中に光り輝くものがしかとあらう。
だから其れが其の幻としての七色の光の乱舞だ。
文人浪漫もソコまで行くとむしろ醜いな。
お前の頭のネジの外れ方はもはやゴッホやゴーガン並だぞ!
いや其れでもいいんだ。
さうしてカウンセリングのクリニックでもってガソリン撒いて火を付けたり高層ビルから飛び降りるよりは余程に平和だ。
其れも何と美しいクリスマス・イルミネーションであったことよ。
まあ確かにガラス瓶に生じた七色の光の乱舞に感動して居る常識人などはまず居ない。
其処は確かに目出度い。
其の美への目出度さこそがまさに詩人級だ。
だが美以外への目出たさもまさに詩人級だ。
ま、どっちかでせう、其れは。
だから僕は人生の最後に藝術家をやるのだ!
僕は其の七色の光の乱舞とこそ心中するのだ!
得ても得られぬ其の美の世界へと飛び込むのだ!
其の話は脇に置くとして早う美しい物の話を始めよ。
はい、分かりました。
其れでは美しい靑い物に就き今回は語らせて頂く。
さて色でもって目立つのがまずは其の靑と赤である。
靑⇔赤
其れは共に根源的な何かを蔵して居る色なのだ。
今年の前半は其の赤との縁が深かった。
例えば棚山へオパールの採集に行くと赤のコモン・オパールが採れたものだった。
また3、4、5月の相生山、東山の石英採集にて最後に採れたのは赤い大きな石英の塊だった。
だが今年の後半は何故か其の靑との縁が深かった。
さて拾月に私は中國から求めた靑い軸のJinhao100を使い始めた。
其のJinhao100は最初から美しい靑の軸であった。
さうしてアクリル系の素材は或いは靑の色が鮮やかに出易いのやもしれぬ。
Jinhao100は此れで四本目だが壱番美しいのが此の靑の軸である。
しかしながらJinhao100は皆同じペン先なので結局は書き味の方が皆同じとなる。
其処でもって書き味の方を差別化せんが為に全てペン先を金ペン化することとしてみた。
金魚軸…ヴィスコンティー伊ーの14Kペン先
桜軸…デルター伊ーの18Kペン先
靑軸…モンテグラッパー伊ーの18Kペン先
ペン先を金ペン化することはペン芯とペン先の形状との適合性の問題などもあり至って難しい。
其れも厳密な意味に於いては難しい訳だ。
然し余り難しいことを言わぬ限りは逆に至極簡単な話となる。
尚Jinhao100のスチールペン先は容易に引き抜き易い。
万年筆はかやうに金ペン化するだけで別物となすことが出来る。
ペン芯とペン先の形状との不適合の直し方
1.ペン芯を曲げることでフィットさせるー多くはペン芯を反り返らせるー
2.ペン芯其れ自体を替える
3.ペン先其れ自體を加工成形する
4.多少の隙間などは我慢しつつ使う
万年筆趣味を長く続けて居るとペン芯のストックが何故か増えペン芯を替えられるやうになる。
替えるペン芯さえみつからぬ場合には私の場合、3.も行う。
金ペン先の場合金具ーヤットコやペンチ、ドライバーなどーにより形状を変化させることが出来る。
但し其れを行うと金ペン先のオリジナリティーは失われ個性的な金ペン先へと化して仕舞うこととなる。
特に器用でも無くまた観念人間で基本的に手は動かぬ我は3.は得意な訳では無いのだが創造性だの其れこそオリジナリティーには富んで居るので往々にして其れをして仕舞う。
また4.の場合が何故か生ずるものなのだが普通壱番ガマンがならぬのはまさに其の4.である。
ペン先を金ペン化することはプロやセミ・プロの人に頼まぬ限りどうしても適当にならざるを得ぬ訳だが其の利点としてはタダで済み且つ自分の思ったペン先に付け替えられる点である。
で、此の靑の軸のJinhao100に対し私は3.の方法を用い金ペン化して行った訳だ。
然し其の金ペン先の成形には弐箇月も要して仕舞った。
結果として今私の手元には金ペン先化され生まれ変わったJinhao100の靑軸がある。
よってモンテグラッパー伊ーの18Kペン先は可成に其の形状を変えられて居る訳だ。
壱言で言えば其れはオリジナルの時より大きく見えるやうになった。
其の成形も途中で挫折しかけたのだったがかうして使えるやうになれば其れでもって御の字である。
他方で金ペン先の形状の変更は大きくリスクを伴なうものだ。
我もまた此れ迄に五つ程は大事な金ペン先を台無しにして来て居る。
金ペン先は言うまでも無く高価である。
つまりは壱本弐千円以下のJinhao100よりもずっと高いモノなのだ。
其れでもトライすることによりやがてはかうした改造も施せるやうになる。
但し我などは逆にむしろ改造否定論者だったのだ。
其れは私の思想が基本的に保守的で非加工論者だからなのだ。
第壱私は文明による自然の加工其のものを嫌うまるで獣のやうな輩なのだ。
なので何かを弄ることが基本的にイヤであり獣は獣らしく大人しく自然に従うべきだとさう考えてもおる。
ですがよーく考えてみますれば其れは人間以外の者の考え方なのだ。
だったら逆に人間としての加工の極をやったれ!
とのことでついに私は3.までをもやる人間となってしまうた。
其の靑の軸のJinhao100は今我に取り大事な万年筆となりつつある。
Jinhao100が良いのはかうして所謂コスト・パフォーマンスに優れることである。
つまるところコレを金ペン化しさらに個性化すれば明らかに其れは弐萬、参萬の価値を持つ品へと化けるのだ。
だが國産の万年筆では弐千円以下の品で此の価値とはまさか成らぬ訳だ。
かの丸善の万年筆博などの葉書を見ても國産、舶来物を問わず現行の万年筆は高額化して居り要するに其れは金持ちの為の商品と化しつつある。
だが金持ちの方がより理性的であり難しい本を読み万年筆だのを好んで使うかと申せば案外さうでも無いのであらう。
むしろ貧乏人の方にこそ難しい本を読み万年筆だのを好んで使う輩が居るものであり金持ちは概ね金だけを好んで蓄積して居るものなのである。
要するにそんなおバカな金持ち連中に万年筆などと云う理性的に高度な道具が使いこなせる筈が無いではないか。
で、僕が言いたいのは中華万年筆は其の共産主義平等思想をやる為に出来た品なのでありコレでもって御勉強すればもう全部を世界革命出来ると云うことだ。
いやさうではなかった。
さうでは無く、其の貧乏万年筆が實は貧乏万年筆では無く逆に得も言われぬ程に美しい「靑い山脈」だったと云う話である。
靑い山脈?
違った。
其れはまさに「靑い珊瑚礁」であった。
次に述べるのはアノ幻の國産鉱物である薬研山のサファイアの標本を今回何故か入手出来たことである。
ですが其れを未だ見られては居ない。ーまだ手元に無いー
ちなみに此れは壱センチメートル程の石の小片であるに過ぎない。
であるに過ぎないのだが、我に取っては實は其れが今年最大の御褒美なのだ。
物マニアはかうして其の分野に嵌り込めば参り込む程に所謂カルトな内容へと入り込んで行き壱般人との価値分別との乖離が甚だしくなるものと相場が決まって居る。
だがどうだ、其れは實に美しい靑の小石であらう。
まあ美しいには美しいですが其れが何故そんなに価値のある物なのですか?
まあわたくしもソコは余り詳しくはありませんのです。
ですが、弐拾年も前にわたくしは其の薬研山を目指し探索に入ったことが御座りました。
しかしながら、其の薬研山其れ自體を発見することが出来なんだのです。
ですので、其れはあくまでわたくしに取り幻の石なのです。
おまけに其れがヤフオクにでも出ればすぐに五万以上の値が付くまさに高値ー高嶺ーの花だったのです。
ですが今回は其れが壱万以下で入手出来た。
なのですが此処からが實は恐ろしい話なのです。
其れはどう云うことかと申しますと其のヤフネコパックだか何だか知りませんのですが其れには實は恐ろしい秘密が御座りますのです。
壱言で申しますれば不着や未着が発生する虞がまた御座ります。
わたくしなんぞは昨年末に酷い目に遭い、結局やっとの思いで落札出来た其の棚山ノーブルオパールの標本入りのヤフネコが不着となりましたのです。
其の後私はあらゆる手を尽くしましたが結局は泣き寝入りとなりましたのです。
結局のところは其れが拾萬、弐拾萬のお品であれば弁護士に頼む手などもまた御座りませうが五、六千円のもので其れをやってもほとんど意味が無い訳だ。
しかも消費者相談などと云うものも實はまるでアテにはならずまるで他人事のやうにあしらわれて居ります。
わたくしはさうした意味では何せ潔癖ですので事の眞相への捜査は厳密に行います。
1.わたくしは善人ですので其の善意に対する悪を決して見過ごすことは無い。
2.ですがヤマト運輸の配達員Tの暴言を傷害事案として警察に届けなかったのはこんなわたくしにも慈悲の心があるからだ。
3.問題は其のTが商品を自己隠匿して居る可能性すら捨て切れぬことです。
さて、其の配達伝票は壱年間保管されて居るとのことですのでまだ其れが証拠として生きて居ります。
故にわたくしは来週最後の抗議をお客様相談の方へするつもりです。
…如何にもしつこい。
いやさうでは無い。
即ち悪は悪である。
今の世の中は其の悪と善の区別が其のケジメが付いて居らぬ。
そんなことでは駄目だ。
法に背くであらう駄目なものはダメだ。ー警察ではないのですがー
でも靑い万年筆と靑い小石は頗る綺麗だ。
其れはちゃんと届きますか?
必ずや届く。
おい、ヤマト運輸、お前のところの配達はまるで信用がならない。
対するアマゾンさんを見よ。
かうしてちゃーんと配達結果が逐次表示されておる。
またイーベイでもって世界中から万年筆が届いたものだったが壱度も荷を失くされたことなど無かった。
だから、おい、ヤマト運輸、お前のところの配達員はまるで信用がならない。
いずれにせよ、此の件にて私が學んだことはまさにどうしやうも無いことが此の世にはあると云うことでした。
勿論もっと運が悪ければ交通事故にて死んだりまた復職しやうと必死なのに頭のオカシイ六拾壱の👨に放火されさうして皆焼け死ぬのです。
六拾代の奴等はタチが悪いねえ、まあお前などもさうだが…。ー八拾九の母の言葉ー
まあさうだなあ。七拾代の全共闘世代はまだ闘うものがあったが僕等は甘やかされて育ち可成に頭も狂ってます。ですが、我我以降が狂ったと云う話で従って五拾代、四拾代、其れに参拾代の頭が狂って居ないとはとても言えませんねえ。
悪事を働くのは全部が六拾代だ。アノ地下鉄を燃やしたのも六拾代だらう?ー八拾九の母の言葉ー
まるでさうでは無かったやうな気がするが…。
兎に角人間と云うものは其の不完全な社會関係の中で生きて居る分どんな被害を被るものかまるで知れたものではありません。
問題は我我が如何に善人であれさうして悪の力に引き込まれて仕舞う場合がどうしてもあると云うことなのです。
ですので無事是安泰であり無事是感謝なのです。
かうして我は悪を赦せぬタチですが悪を許さざるを得ぬ部分もまた其の社會関係の中より生じて参りませう。
またさうした理不尽に齎される災難、被害を忘れる為にもかうして美しいものに心奪われる時間を持つことこそが限りなく有意義なことかと存じます。