カルトな旅8
ヒロシのぼっちキャンプ|BS-TBS 水曜よる10時 全国無料BS放送
壱説には最近キャンプを余りやりたくなくなって来て居る彼なのださうです。
其れも当たり前のことで、キャンプの目的はそも注目されたり其れでもって儲けることでは無い訳だ。
なのだが其れで注目され且つ儲け新築の家まで手に入ったのであれば後はもはや俗化して行くだけのことです。
人間とは所詮さうしたものでしか無い訳だ。
尤もほんたうに自然が好きな人は例えば植村直己 - Wikipedia氏のやうに山でしか死ねぬものなのだらう。
またほんたうの文學者や哲學者はあくまで観念的に生き且つ死ぬるものだ。
具体的に言えば発狂するか其れとも自決する道を選ぶものだ。
注目を集める=社會化する、です。
其の社會の問題とは其のほとんどが大衆的意識の発生の問題でせう。
此の大衆感覚こそが社會を崩壊させると論じて居る學者の方々もまた多く居られる。
対して文學者や哲學者は其の根の部分で脱大衆化して居りませうから逆のことを述べる訳だ。
ですので、まさにさう云うのを教養と言います。
教養は眞の意味で學ばないと身につきません。
何故なら教養とは自分の考えでは無いからです。
なので普通はまず多くを學んでから自分の考えを述べるのです。
まさに其れが知性的な人間のあり方です。
ですが今の世の中では學ばぬ人でさえ堂々と自説を述べて居ます。
まさに其れが無教養である状態です。
教養は部分知では無く全体知であり統合知です。
其の統合知としての見地から事象に対し俯瞰視をする訳だ。
尤も其処まで行くには大學の先生並に御勉強しなければならない。
ですが其れは不可能なことでは無く趣味の延長線上として成立することです。
事實私の御勉強はあくまで趣味の上でのことでした。
只其れが観念的営為となるだけの話であり、例えば万年筆や石と云った物質的趣味などともさほど異なる訳では無い。
さて其の大衆の無知が社會を滅ぼすとは例えばどうしたことなのでせう?
私は現に今行われて居る日本の政治のあり方こそがまさに其れを指し示す例なのだと考える。
まず大衆は欲望を制御しにくい生き物です。
何故なら精神的価値には拠らずに現世利益的に全てを見詰めて居るからだ。
故に其の欲望を遂げられさうな政党をつい選んで仕舞う。
ところが日本の全てを破壊しつつあるのは逆に日本の保守政党でした。
ところが其れも其れこそ大學教授並に事態を統合的に判断しなければ分かりません。
なので結局は無難なのを選ばうとしてつい悪を選んで仕舞う訳だ。
まさに其れがナチス政権下での全体主義と同じ原理だと云うことです。
良かれと思い大衆はさうして悪の政権を其れこそ民主的に成立させて居りました。
其の全体主義への親和性は個では無く集団に其の傾向が強く現れる。
集団になると何故か人は熱狂すると云うアレです。
つまりは人間は集団になればなる程気が狂い易くもなりませう。
其の集団でもって気が狂うのと作家や画家また音樂家の狂気とはまた別物です。
藝術家の狂気とは理性が齎す狂気ですが大衆の狂気とはまさに獣としての狂気なのでせう。
さて私は自然が好きで、其れも原生林のやうなものに最も魅力を感じる者ですが身近な自然としての園芸の世界にも少しは興味がある。
但し園芸とはあくまで合理化された自然のことなので其れが生きた自然であるなどとは思って居ません。
其れに手を加えることが色々とあり面倒ですのでさうしたことを趣味としてやる訳では無い。
ですが植物がとても好きですので主に家の庭や相生山、東山などで其の植物を観察することを屡して来て居る。
植物が好きな人は根が優しい人が多く熱狂を嫌う静かな人が多いのではなからうか。
其の静けさを求める傾向が強いわたくしは此れ迄もさうしたものを選んで生きて来た訳でありまた今後も其れを選んで生きて行くことだらう。
かうして人間が生まれ持った性質は変わることが無くまた変えることなども出来ない。
さうしてわたくしの此の繊細の気質も生まれながらのものであり誰も其れをどうかうすることなどは出来ない。
其の逆に熱狂して其れが樂しい人もまた居る訳なのだ。
またもつ鍋などを好物として居る人もまた居るやうだが其れはわたくしには永遠に理解出来ない。
だって其れではほとんど獣でせう。
ではお前は好んで何を食うのだ?
例えば牛蒡。
また例えば木耳。
地味過ぎるし孤高の食べ物過ぎる!
またなめ茸のアノ瓶入りの奴。
粉山椒。
椎茸のステーキ。
京都の千枚漬け。
尖った柿。
焼き林檎。
其の柿は存外に難しく圧倒的に美味いのが所謂渋柿が成熟したものである。
此れは猿投山の麓で畑の横に生えて居る其の柿の木から幾つも實が落ち道路に転げ出て居たのであった。
其れを幾つか持ち帰ったわたくしはさらに其れを熟成させトロトロにし食ってみたところまさに人生でNo.1の味わいであった。ー今から弐拾年以上前の話ながらー
わたくしは果物などもまた好きなので此れ迄に様々なものを食しても来たがNo.1の味わいの果物とは桃でもマンゴーでも無く其の猿投山麓産の渋柿だった。
当時わたくしは主に猿投山を根拠地としてトレッキングに勤しんで居たものだった。猿投山 場所 - Bing
其の猿投山は高校時代の親友がオフロードバイクにて走りに行って居た為わたくしも其のオフロードバイクを買い求め共に行って居た所であった。
だが彼は頭が良過ぎたのかついにオカシクなって仕舞ったので以降はソロ・トレッキングの目的の為に当時頻繁に訪れて居た訳なのだった。
其れも廿歳~参拾歳位までは兎に角良く訪れて居た。
愛知県の高尾山!?豊田・瀬戸「猿投山」で爽快な里山ハイキング | 愛知県 | トラベルjp 旅行ガイド (travel.co.jp)
尚其の猿投山麓の柿は、
【楽天市場】柿:大漁屋楽天市場店 (rakuten.co.jp)
此の蜂屋柿か富士柿のどちらかなのであらう。
兎に角其れは信じられぬ位に美味いものであった。
以降此れ程に美味い果物を食えては居ない。
かやうに此の世では時折とんでもないことが起きる。
此の世には何でもあり縁に応じて其れを自らが体験することが出来る。
但し悪いこともまた我が身にふりかかったりするものだ。
さうして良いことと悪いことが分離して居てまさに其の両方の目が此の世では味わえる。
ところが其の悪いことのどぎつさもまた群を抜いて居たりする訳だ。
だから其れから逃れる為には両面の否定を行うより他は無い。
つまりは其の両方を求め無いやうに生きて行くより他は無い訳だ。
【猿投山 登山】初心者もオススメ!爽快!人気の里山ハイキング(豊田市側) - Bing video
【登山】猿投山|4分で解説する愛知県の登山デビューに最適な山 - Bing video
其の猿投山は愛知の高尾山などとも最近は言われて居るやうだが實感としてはもっとずっと地味なところである。
尤も其の高尾山へ行ったことは無いのだがたまたまTVなどで視て思うに其れは明らかに観光地化された山である。
観光地つまり人が多く居て自然其のものでは無いところが我の性には合わぬのである。
だが大都會東京にとっての貴重な心の癒しの場ではあることなのだらう。
然し愛知の自然は其れとはまた違い山里の面影が其処に色濃く残るものだ。
元より猿投山は低山であり登るのもハードでは無くまた登らずとも猿投神社 (genbu.net)や猿投山の球状花崗岩 - Wikipediaなど見どころがちらほらとあり退屈はしない。
尚私が猿投山へ入る場合西側から入る場合があり其の折には麓の集落を通って行くのだが其処には個性的な陶器の店がある。
どちらかと言えば藝術的な陶器で余り實用的では無いので買ったことなどもなかったが其れも今思い出すと懐かしい品々である。
知られざる古代の名陶 猿投窯|特別企画展・企画展・テーマ展示|愛知県陶磁美術館 公式サイト (pref.aichi.jp)
瀬戸市を始め愛知はまた陶器の場なのであり中でも猿投山山麓のものは最古のものともされて居る。
ー本多をはじめ、調査の中心となった名古屋大学の澄田正一教授、楢崎彰一助教授たちは、黒笹の窯跡に立ち「名前をつけないと具合が悪い」ということになり、澄田教授の「まだ後から後から見つかるかもしれんから、広い名前がよかろう、ここから見ると猿投山の頂上が見えている。あそこから西の方と南の方、猿投山西南麓古窯址群としたらどうか。」との提案により略して「猿投古窯」と命名された。しかし、その後の発掘調査により、窯跡の分布は尾張東部から西三河西部であることが判明し、遠く離れた猿投山麓周辺の中世瀬戸系の窯と混同されやすく、紛らわしい結果となったのは否めない。ー猿投窯 - Wikipediaより
あれ、違うのか。
いずれにせよ名古屋市周辺は陶器の場であることには変わりが無い。
ひとつ気になるのが、私が猿投山へ行くやうになり拾年程経った頃から山の中までオフロードバイクやオフロード車が入って来たリまた湖ー人造湖ーが山の中にあるのですが其処でキャンプをするなどして騒音を撒き散らしついでにゴミだらけにして帰る不埒な輩が次第に増えて来て居たことだった。
だがわたくしに限り此のやうに至極静かなる心性の持ち主なのでむしろ夜中に山の中へ入ったりして其の静けさたるやまるで加島 祥造先生の詩の如くであった。
つまりは藝術的見地に立ち常に山を見詰めて居るのでやることなすことが至極上品でまさか其処でションベンを垂れたりウンコをしたりはして居ないのだ。
まあ然しションベンの方は良くして居たものでしたが…。
夜中に山?壱體何故だ?
其れはね、確か人工衛星を見る為に行ったのだ。
夜中の山はしかしながら兎に角怖い。
怖いのだが、兎に角星は綺麗で人工衛星もしかと見られたのだと思う。
さうして不思議なことに其の眞夜中の体験を今でも鮮明に思い返すことが出来る。
要するに此処での動画に映って居るのが猿投山で金泉閣は其の麓のところにある。
が、相当な大衆宿で団体客などもまた多いところである。
其れでも今や我我庶民にとっての憧れの宿となりつつある。
左様に自民党が日本人の懐具合と日本の娯楽を共に壊しつつあるので…。
で、カルトなことを申せばこちらで14秒から18秒までを再生すると其処に湖が映って居り其れが昔私が親友と写真を撮り合った湖畔のある湖だ。阪急交通社おすすめお宿紹介【猿投温泉 ホテル金泉閣】 - Bing video
即ちオフロードバイクに跨る当時廿五歳位だったわたくしが其処には居る。
言う迄も無いことながら我我庶民にとり大事なのは國家としてのさらなる経済成長でもまたさらなる新製品のラッシュでも無いのである。
我我にとり大事なのは今其処に生きて居る土地の記憶を振り返られる心の余裕なのでありまたさうしたものの全てを文化的に見詰めて居られることに他ならない。
然し歴史は我我にとり其の心の余裕がなかなか得られないものであることを指し示して居る。
戦前は戦前で、また戦中は船中で、さらに戦後は戦後で我我には其の心の余裕が持てずさらに其れは世界中何処でも同じやうなものなのだった。
即ち我我はすでに充分に得て居るのだが社會の都合から其れが得られぬやうにされて仕舞って居る訳だ。
なので時には其の社會の価値観を遮断し憩いの場をそれぞれに見つけて行くべきなのだらう。
…遮断したぞ。
では柿など食おう。
其れは何処の柿か?
此れはね、日本共産党の家の人に貰った柿だ。
其の御爺さんの實家から送って来たと云う長野県の柿だ。
もしや其れは渋柿か?
まさに其の通り。
其の渋柿をな、かうして壱カ月も熟成させた奴だ。
其れは最高に美味かったのだらう?
いや實は其れ程でも…。
もうひとつ林檎の方も誰ぞから貰って居て其れを焼き林檎にして食ったらそちらの方が美味いではないか!
即ち焼き林檎はすぐに其れを食うのでは無く少し時間を置き冷えてから食うのが最も美味い訳だ。
少し時間を置き熱狂が醒めてから動くとまたこんな社會も立ち直るのですかねえ?
おそらくは立ち直れません。
余りにも搾取が酷く日本社會の立ち直りはまず難しいことだらう。
だからもう政治は無視しませう。
無視して置き構わず自らの道を歩みませう。
其の土地の記憶と實存との関わり方こそが。
實は人生に於いて最も大事なことが其れです。
我我に取り大事なのは其の小さき個としての範囲です。
小さきものもよーく見ますれば其れは何処までも拡大致します。
だから其れは「小さいこと」では無くむしろ「大きいこと」です。
其の視座を確保する為にこそ、其の心の余裕を得る為にこそ我我は常に社會と云う歴史と闘い続けねばなりません。