目覚めよ!

文明批判と心の探求と

空想的社會主義の帰結としてのマルクスによる科学的社會主義

ディストピア

さてディストピアとは果たして何なのでせうか?

此処には暗黒郷であり地獄郷であるとさう書かれて居ます。

 

すると其れは宗教によっても救われぬ社會のことなのでせうか?

宗教は人間の内面は救えても社会を救うことなど元々出来ぬのです。

 

逆に宗教は社會化しやがては堕落すると申しますか社會的価値の中へ埋没して行き易いものです。

 

近年に於ける宗教の形式化、非本質化が其のことを端的に物語って居ます。

其れはズバリ組織として価値規定されることで其のやうにならざるを得なくなる訳だ。

 

 

いずれにせよ暗黒郷であり地獄郷である社會制度は實現し得るものです。

近代とは其の暗黒郷であり地獄郷である社會制度其のものでは無い。

 

但し暗黒郷であり地獄郷である社會制度とも多分に成り得るものです。

例えば世界恐慌の折や第一次世界大戦、また第二次世界大戦の折にはまさに其のディストピアとしての様相を呈して居りました。

 

個人的には其処をかう考えます。

 

幸福追求⇔陥不幸

 

要するに望みがデカいことはリスクも大きくならざるを得ない。

近代では個でもって樂しむ小さな幸せでは無くみんなで歩むデカい幸福を求めたが故にさうならざるを得ない訳だ。

 

要するにさうした危うい関係性の上にバランスを保って居るのですから何時其れが逆側へ振れるものやら分かりはしない。

またさうした認識こそが理性としての正しい認識だとさう申して居るのです。

 

デカい欲望には必ずや其の反面の墜落と申しますかどつぼに嵌ると申しますか結局はまさに肥溜めに落ちるかのやうな危うさがあると云うことです。

だから肥溜めに落ちるのは私の妄想などでは無くむしろ本当にみんなが其処へと落ちるのだ。

 

近代的な価値とはむしろ其れには落ちぬやうに即ち民人が健康で且つ文化的な暮らしを営む為に理性的に其れを統御して行こうとするものでした。

 

 

ーバブーフの思想は、以下のようなものでした2

  • 市民は勤労によって祖国に奉仕する(しないものには権利を認めない)
  • 国立養老院で教育された青年が大国民共有体を組織し、この組織があらゆる財産を所有
  • 賃金は廃止され国内では貨幣も廃止される

バブーフは領主の領地を管理する管理人を仕事とした人であったため、農業共同体をベースにこうした共同体的(共産主義)社会を理想としたのです。

バブーフは1796年に反乱したものの鎮圧し失敗に終わります(バブーフの陰謀)。しかし、革命を起こして独裁政権を樹立し共産主義的社会を実現する、というこの思想はその後の社会主義共産主義思想に継承されていきました。ー【空想的社会主義とは】マルクス主義との違い・各思想家の議論をわかりやすく解説|リベラルアーツガイド (liberal-arts-guide.com)より

 

ー「サン・シモン主義」とも言われる彼の思想は、以下のようなものでした。

  • 社会で重要な役割を果たすのは産業者(農民、手工業者、労働者、商人など広い意味)である
  • 産業者の手にかかれば、より効率的な公共財産の管理が行える
  • 産業者は能力に応じて組織の中で業務が割り当てられ、遂行する
  • 社会の産業化を進めることによる平等の実現では、「革命」のようにラディカルなことをしなくても、平和的に社会体制を変えることができる

このように、国家がいわば大きな会社や工場のように組織化されることで、国家運営が合理化されると共に平等な社会が実現されるとサン・シモンは主張したのです。ー【空想的社会主義とは】マルクス主義との違い・各思想家の議論をわかりやすく解説|リベラルアーツガイド (liberal-arts-guide.com)より

 

オーウェンの思想には以下の特徴があります。

  • 機械化による生産性向上が格差を広げるため、農業労働は機械化をやめて人力に戻し、農業人口を増やす
  • そのような農業を中心とした、平等な人々によって構成される共同体(ホームコロニー)を作るべきと考えた

オーウェンも農業を中心とした、共産的な社会を理想としたのでした。

オーウェンの特徴はとことん実践家であったところで、オーウェンは理想の共同体を実現するためにイギリスからアメリカ・インディアナ州に移住し、「ニューハーモニー村」を作りました。

この村は失敗こそしたものの、オーウェンの挑戦的な行動は労働運動における協同組合運動に影響しました4

サン・シモンやオーウェン以外にも、生産の国家統制を主張したルイ・ブラン(フランス)や、無政府主義者アナーキスト)のブルードン(フランス)、民主主義的でかつ共産主義的な理想の共同体を理想としたカベー(イタリア)などがこの時代現れました。

いずれも、このように多くの社会主義者が登場したのは、産業革命によって苦しい立場に置かれる労働者が急増したことが、彼らの問題意識にあったからでしょう。

彼らのような初期社会主義者は、実際に社会を変革することには失敗しました。

しかし、社会主義という可能性があることを多くの人に知らしめ、その後の世代に影響を与えていったという点でやはり意義を持つ存在なのです。ー【空想的社会主義とは】マルクス主義との違い・各思想家の議論をわかりやすく解説|リベラルアーツガイド (liberal-arts-guide.com)より

 

結局封建制には持続可能性があった訳でしたがイザ其処で王や将軍が威張ると其処で個は生涯こき使われ我等が望むやうな幸せな人生を歩めぬ訳です。

何故なら王や将軍には強権があったからです。

 

だから其処では人間性に関する権利さえもが屡侵害されまた利口な奴がさうした体制を批判でもすればすぐに牢屋に入れられもはや獄中死する他は無い。

然しもしも体制其のものに誤りがあるのであれば其れを変革して行くより他に手は無い訳だ。

 

其の枠内で吠えて居てもまるで埒が明かぬと云うことです。

事實として近代以降体制は屡変革されて来て居る。

 

資本主義経済体制もまた其の変革された体制の一番手としてのものでせう。

資本主義経済体制即ち資本は科学技術と結び付き人間の観念的な幸福を實現するべくあらゆるものを加工し且つ変革して来て居ます。

 

さう其れは本質的には其の脳内の欲望への希求を最大限化して行くものです。

其れは基本的に「変化=変質」させること=進歩することにより成し遂げられる人間にとっての新たな価値創出の機会でもまたあった訳だ。

 

古い価値⇔新たな価値

進歩がいざ恒常化すれば新たな価値こそがみんなの欲する価値となるが故に古い価値の方はあくまで弐義的なものとならざるを得ない。

 

故に兎に角新しく創出される価値にこそ価値が認められ逆に古い価値<新しい価値となって行かざるを得ない。

 

さらに、

受動的な生⇔能動的な生

 

文明も封建制までは前者のタイプでしたが近現代以降は後者の立場を理性は歩むこととなる。

要するにイケイケドンドン型の新概念としての進歩思想を生み出して仕舞いました。

 

其れは所謂進化とはまるで違うものだ。

即ち、

進化⇔進歩

です。

 

何故なら進化とは受動的な変化のことであり、進歩とは能動的な変化を文明レヴェルで展開すると云うことです。

だから其の能動的な変化其れ自体が正しいかどうかなどと云うことはむしろ関係無くあくまで観念的に其れは履行されて行く。

 

具体的ー具象的ー⇔観念的ー抽象的ー

とのことですので間違って居やうがどうしやうが其れは履行されて行かねばならぬ。

其れは謂わば「社會的に規定される思い込み」のことですので余計にタチが悪く其れを止めざるを得ないところへと追い込まれて行くまではみんながさう其れを信じ込まされやっていくより他は無い。

 

其のイケイケドンドン型を生み出したのは「近代的啓蒙」としての観念の力であり其れ即ち理性の力でした。

 

じゃあむしろ其の理性こそが悪なのか?

かうして常に社會的にデカい矛盾を生み出し恐慌だの戦争だの疫病禍を招く其の理性こそが悪の権化なのか?

 

 

いやでも理性が無いと只の🐵ですよ。

🐵どころか🐶や🐈はウンコもオシッコもまさに垂れ流しです。

 

でも其れだけは我慢がならぬ。

出来得ればすぐにそんな獣であることから遠ざかりたい。

 

さうか君等はようやく便所の意義を其処に見出したのであるか。

さうなんです、だからこそ其のイケイケドンドン型にこそ大きな意義がある、其れも理性と云う近代的価値に目覚めた我等はいずれにせよ獣よりはずっと偉いのだ。

 

 

此のたわけ者めが!

たった今さうして威張ったな。

 

でも威張るとな、もはやロクなことは無いぞよ。

 

ありゃいつの間にかこんなコロナ地獄が!

其ればかりか温暖化地獄までもが!!

 

そーれ見よ、言わんこっちゃない。

どだいお前達はすでに選択を間違えて居る。

 

どう間違えたので?

 

だからこそ今まさに其れを論じておる。

進歩は果たして正しかったのかと云う其の一点に就き論じておるのだ。

 

 

即ち其の進歩の内容こそがむしろ理性的選択であって欲しかった。

進歩が理性的選択で無くて一体何なのですか?

 

何故なら理性的選択とは其の本質としてイケイケドンドン型とは縁の無いものだからなのだ。

苦役乃至は重税、さうしたこき使うこと即ち搾取形態とは無縁での理性的展開であるべきものだからなのだ。

 

其れは理性が過分な欲を自ら忌避すること、理性が自を制し均衡の取れた社會を目指すと云う点であくまで其れにそぐわぬ展開であるからなのだ。

 

 

 

 

かうして社會主義とは社會其れ自体が進みさう規定されて行かざるを得なかったものである。

 

其の「革命」と云うことこそが理性的変革に当たる訳であり同時に其れは個の解放であり何より理性的解放であった。

其の社會的な意味での個への抑圧の形態を変革しやうとする意味で仏蘭西革命と社會主義革命は同義であり要するにまるでもって其れ等は同じ穴の狢なのである。

 

社會⇔個

 

問題は其のやうに対置される二元的価値が常に闘争状態にあり決してバランスが取れて居ない状態にこそあることだ。

 

権利⇔義務

 

どだい権利と義務の関係もまた相剋し尚且つ相即するものであり無制限に拡張されるべきものでは無い。

 

仏蘭西革命は市民としての個の権利を掲げ露西亜革命は労働者としての権利を掲げ其の社會による抑圧からまさに逃れやうとした人間の個としての流れであった。

其の選択は然し必然のことでもあった訳だ。

 

だがイザ其れを欲し過ぎるとバランスがまた崩れる。

即ち左に寄り過ぎてもまた右に寄り過ぎても社會と個の理想的な関係を保つ社會を實現することは極めて難しい。

 

 

なんとなれば弐項対立の相対世界に於いて其のバランスを保つことは至難の技なのだからだ。

なのでむしろ其の相対世界を理性的に消却することこそが理性にとっての本質的救済とならう。

 

ですが其れは人間にとってはむしろ不可能なこととならざるを得ない。

よって其れをーアンビバレントな今をーあくまで弐項対立の枠内で捉え直し最適解を其処に見出して行かねばならぬのである。

 

空想的社会主義」とは其のバランスを取り戻す為の第一歩だったのですね?

 

 

  • 社会主義とは、平等な社会を実現しようとする思想で、産業革命期のイギリスやフランス革命気のフランスで生まれた
  • マルクスは祖国ドイツを豊かにするためには、革命が必要であり、そのためには資本家ではなく労働者による革命が必要と考えた

 

【科学的社会主義とは】マルクスの問題意識から理論までわかりやすく解説|リベラルアーツガイド (liberal-arts-guide.com)より

 

かうして社會主義は後に受け継がれマルクスエンゲルスにより科学化されて行った訳ですが其の理論的骨子をなすのが史的唯物論です。

 

 

まず、マルクス唯物論の立場から世界を捉えました。唯物論とは、「世界は物質によって統一されており観念は物質のいち働きでしかない」と考える哲学的立場のことです。

これに対置されるのが観念論であり、観念論とは物質的世界に対して観念が先行させる捉え方です。簡単に言えば、

  • 物質的世界が生まれる前に観念が存在した(神が世界を創造した)という考え方
  • 観念的なもの(人間精神、規範、法、学問的概念など)が物質の働きとは独立して存在するという考え方

などが観念論です。

マルクスらは、哲学の伝統を唯物論と観念論の2つの潮流として捉え、観念論の問題点を指摘し、唯物論の立場から世界を捉える」ということを前提に理論を組み立てたのです。

2-1-2:唯物史観史的唯物論)とは

次に、唯物史観史的唯物論)とは、上記の唯物論の立場から歴史を捉え、歴史を物質的な諸関係の発展段階として捉える方法のことです。

まず、マルクスは社会構造は大きく「上部構造=観念的なもの=法律的、政治的なもの、精神的なもの」と「下部構造=物質的なもの=労働、生産など」の二段階に分けられると言います。

 

 

そして、上部構造(観念的なもの)は下部構造(物質的なもの)に規定されると主張します。つまり、人間の精神的な活動は「労働」「生産」といった物質的な生活に規定されており、物質的な生活から独立して生まれるわけではないのだ、ということです。

マルクスは「世界は物質的に統一されていて観念は物質に先行しない」という唯物史観に立つため、このような捉え方になるわけです。

2-1-3:世界の発展段階

さて、ここからが特に重要なポイントです。

マルクスは世界を唯物史観で捉えたため、世界の物質的な面(物質的生産諸力)の構造は段階的に発展してきたと考えました。

 

 

マルクスが考えたその発展段階は、以下のものです。

  • アジア的生産様式
  • 古代的生産様式
  • 封建的生産様式
  • 近代ブルジョア的生産様式(資本主義社会)
  • 社会主義的生産様式

世界の文明は、古代オリエントの世界から中世、近代(マルクスが生きた時代=資本主義社会)まで、上記の段階を経て発展してきたという考え方です。

マルクスは、物質的な生産過程(物質的生産諸力)はある段階まで発展すると崩壊し、次の段階に移行すると考えました。つまり、封建的生産様式(中世を規定したもの)は崩壊して、その後の近代ブルジョア的生産様式(資本主義社会)に移行したということです。【科学的社会主義とは】マルクスの問題意識から理論までわかりやすく解説|リベラルアーツガイド (liberal-arts-guide.com)より

 

 

物質的な生産過程はある段階まで発展すると崩壊し、次の段階に移行すると云う考え方其れ自体は正しいのではないだらうか。

實質上資本主義社會は限界に達して来て居ることだらう。

 

即ちどんな夢もまた希望も其の体制の存続の向こう側にはすでに拡がっては居ない。

むしろ資本の論理は限りなく世界をさらに個を圧迫し社會をディストピアすることに貢献して来て居るやうに見受けられる。

 

 

但し問題は其のマルクス主義としての唯物史観にこそあります。

マルクス主義では近代の進歩思想を認めて居り従って其の資本主義社會から社會主義生産様式へと移行したにせよまさに史的唯物的に文明は進歩其れ自体を止める訳には行かぬ訳だ。

 

つまりは左の思想とはあくまで文明の進歩を前提とする革新的な思想だと云うこととなります。

其の進歩が嫌いなのであれば保守的な考えでもまた良い訳ですがマルクスの考えでの通りに体制に胡坐をかいて居ると矛盾が泥沼化しやがてはニッチもサッチも行かなくなるのです。

 

若い頃個人的に悩みましたのはまさに其の唯物史観に於ける進歩を是とする部分でした。

また宗教を弾圧するか又は軽視する唯物史観的な進歩主義に就いてもまた悩まさせられた。

 

ですが此の度斎藤先生の晩期のマルクス主義による唯物史観の放棄の面を知るにつけまさに其の積年に亘る疑問から解放されまさに新たな次元でマルクス主義を捉え直す機会を与えられたのです。

兎に角私は其れが嬉しかった。

 

コロナ禍に於いてマルクス主義の価値を再認識して居たとは言え其れはあくまで淡い期待であるに過ぎなかったのが其の新解釈により一筋の光明が見えて来たと云う訳だ。