故菅原 文太氏のことを好きになったのは、彼が實はインテリ俳優であったことを知ってからのことだった。
役柄では存外に下品なことなどもして居られたので、実際にトルコ風呂やら殴り合ひなどが好きなのかとさう思ふて居りしがどうもさには非ず。
仙台の屈指の名門校でもって新聞部にかっては居られわたくしのあくがれの大學でもある早大第二法学部を中退して居られた。
兎に角理性の方が特にある方だ。
馬鹿が多ひことかと目される昔の芸能界、俳優陣の中では屈指としての知性の持ち主だったのだ。
さうして息子さんを若くして亡くされてからは自然派となっていかれて居た。
いや、元々自然が大好きであった可能性が高く何故かと言ふに彼が知性派だからのこと。
知性派其れも真の意味での知性派と云ふものは淫猥なる俗世を厭ひ清浄なる森の中へといつしか導かれていくものだ。
其れも普通の知性=俗物ではさうした願望が元より生ずる訳では無く、其れ即ちわたくしの如くに図抜けた知性のみが其れをこそ望むのだ。
従って文太さんも物凄ひ知性に實は頭の中を支配されて居たことだったらう。
物凄ひ知性派ならば兎に角もう此の世の全てが阿呆らしく見へて仕方がなかったことであらう。
兎に角もう周りが馬鹿ばかりで、其のアホンダラ人間共の様に日々辟易し憤り絶望し逆に甚振られ、それでもまだ弾は残っとるがやう。
とさう思われて居たことに違ひ無ひ。
今わたくしには生前のそんな知性派文太さんのことが不憫でならぬのだ。
尚わたくしには今無性に読みたひ本があり其れがコレだ。
現代思想2015年4月臨時増刊号 総特集=菅原文太 -反骨の肖像-
以前此の本が出た時に立ち読みしては居たのであったが何故か購入せず。
文太さんは兎に角様々に思想を展開することの出来る方だとお見受けする故今は兎に角此の本を読んでみたひ。
長男を若くして亡くしたり癌との闘病など人生での負の連鎖を経て山梨県での農業体験へと至るにつけ文太さんの自然志向はいやましに高まっていく。
さらに東北での大震災の発生が其の傾向に拍車をかけたことだったらう。
つまるところ人生に於ける負の側面を見詰めること無くば大欲望の発散場たる人間の社会のオカシさなど決して見へては来ぬ。
様々に負の側面に彩られて居る其の事実に気付くことなくば価値観の転換などはそも成らぬ筈。
だが文太さんは元々インテリ俳優さんであった訳だからむしろ其れなりに当初から思想的な展開を持たれて居たのやもしれぬ。
「自然を愛した菅原文太さんは、森に囲まれた高山市清見町に別荘を建て、自宅としても約10年間住んだのだ」とされて居る。
文太さんは、すでに1983年に旧清見村(現・高山市清見町)に 別荘を建てられて居たやうだ。
と云うことは元々インテリ左翼的な性質をお持ちでもあったのやもしれぬ。
事実晩年には左翼的な発言が目立って居た。菅原文太 最後の訴え
ちなみに私の場合には戦争反対!と云ふよりも人生反対!と云ふより根本的な反対をして居る者であり其の部分に就ひては「目覚めよ!」の内容を全部読んで頂く他は無ひ。
で、立場的には左翼的立場でもって戦争を反対するのであれば少なくとも資本主義的矛盾を受け容れる生活を改め給料を返上し家族も持たず左翼らしく山に籠り戦争反対!だけを兎に角叫び続けるべきだと思ふ。
少なくとも其処でもってプチ・ブルジョワジー的な生活を甘んじて愉しんで居たりしてはならぬのであり、其処は左翼ならば左翼としての潔癖な倫理観を持たねばならなのでありならばそんな経済成長と戦争反対!を共に望むやうな矛盾的生活は今すぐに止めるべきだらう。
だから左翼を貫くと云ふこと、即ち全部が平等でもってして全部が仲間だ、さうしてフリーセックスだ。
おまけに自然や動物にもしかと権利があらう。
つまりは【天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず】と言へり。
さうしてみんな同じだ、仲間なんだ。
だから天皇制反対!
いや、其れは分かる。
そりゃ正しひ、あくまで理性的には。
正しひのだが、其の考へには無理があらう。
何故か?
ズバリ限定して居なひからだ。
だが此の世は限定なんだ、残念ながら。
なので左翼思想は必然的に思想的誤謬に陥らざるを得ぬ。
つまり地球上の全てを平等化し権利関係に於ひて救ふことなど不可能なのだ。
其の不可能なことへの即ち机上の空論、理想論への耽溺こそが左翼思想の思想的誤謬としての核心部なのだ。
但し今でも我は世界革命され共産党一党支配となりし世界の未来を望まぬ訳でも無ひ。
結局其の方が人類はより長く生き延びることが出来ることだらう。
でも其の場合には現在の中国のやうな不純なる共産主義では無論のことダメだ。
まさに潔癖に人間其のものを縛り続ける共産化でなくてはならぬ。
其れに左翼思想の方が概ね自然には優しひ。
左翼活動家は皆何故か山や森の中に住み🐻や🐗、其れに🐒や🐍などを大事にしつつ暮らし計画的に農業をやっておる。
ですから其処はわたくしも同じだ。
同じなのだが、何故かわたくしは改憲派である。
其れに戦争など無くなりやうが無ひと云ふことも分かって居る。
何故なら文明以降人間の欲望のあり方が大きくなり過ぎたからだ。
逆に其れを小さくしていかねば戦争など無くならう筈が無ひ。
欲望を小さくしていくには是非人文の知性をば発動していかねばならぬ。
人文の知性とは人間の卑小さ、其の下劣さを真正面から見据へるより正直な知性のことだ。
まさに其の知をこそ軽んじてはならぬ。
よって人文を担当する教師並びに學者の責任は非常に大きひ。
むしろ其れが其れこそが人類存続の命運を担って居るのだ。
だから左翼思想を否定する訳では無ひ。
元々わたくしは左タイプの人間だったのだからして。
だが其処でもう少しよーく考へてみやう。
君は頭が良ひとさう思ひ込んでも居やうがわたくしのやうなことが一言でもこれまでに述べられて居るのか。
わたくしは述べたぞ。
述べ切ったぞよ。
左翼と右翼の矛盾を共に突ひて来たぞ。
いや正確にはむしろこれから保守の矛盾を突かうとさうも思って居た。
戦争反対!
ーメスの胎から生まれしものは元々争ひます。其れは自然界でもまた人間界でもまた天上界でも同じことです。故に生きてる限りは暴力を根絶することなど出来ぬ。即ち生きること其のものがすでに暴力なのだ。ー
環境破壊反対!
ーほんたうに環境を保全したひのであれば今すぐに資本主義を止め現代の文明生活をも否定すべきです。すると生きられなくなるので山の洞窟にでも籠るのです。勿論スマフォだの妻子などは金輪際持たぬやうに。ー
天皇制反対!
ー本質的には天皇は居やうが居まひがどうでも宜しひことでまた共産党一党独裁にせよそんなことはあらうがあるまひがどうでも宜しひことです。ー
ーむしろ核にて人間が一度滅んだ方が地球にとっては良ひことなのやもしれませぬ。原発に就ひては現代文明を続ける限りは其れは必要です。対して火力発電は大気汚染及び地球温暖化を促進させますので要らぬ。ー
左翼反対!
ーですから左翼とは所詮はインテリバカのこと。なのではあるが、地球や山や動物のお友達だと云ふ意味では大ひに評価出来ます。此の際左翼だけでも宜しひですから皆で山に籠りませう。但し其処で集団リンチとかは金輪際せぬやうに。ー
右翼反対!
ー尚山口組の襲名披露だの例会だのをユーチューブで視ると凄ひですよ。暴力が凄ひのではなく其の形式美こそがまさに伝統芸能並に整って居りある意味では美しひ。但し其処ではまた欲望の絡む色んな抗争が起こったりも致しませう。まさしく其処が右翼バカと云ふことなのでせうか。ー
人間存在反対!
ーより正確にはわたくしはほとんどネアンデルタール人なのでホモ・サピエンスが造りし文明の継続を其のままでは良しとして居りませぬ。また最近はそも生命現象に疑ひを抱ひて居るので其の辺りの事情を是非書き描ひてもみたひ。ー
晩年の文太さんの左翼的発言は彼が演じ続けて来たヤクザだのトラック野郎だのの世界とはまさに正反対のもので其処に違和感が感じられぬ訳でも無ひ。
だが其れはあくまで俳優が演じたところでの役としての話で、文太さん自身は相当なインテリであり、故にとりあへずは左翼思想とは常に親和的な知的レヴェルにこそあった。
故にむしろ当然の思想的帰結でもあった訳です。
右の思想の悪ひところは、伝統的価値が形式に堕して仕舞ひ其処に腐敗や狎れ合ひが生じて仕舞ふところにこそ存する。
わたくしは今とりあへず保守だとは述べて居りますがほんたうは其の保守思想の方にこそ厄介な問題が山積みだとさうも見て居るのです。
謂はばさうしたおつむの弱ひところー情動や事なかれ主義へと流され易ひところーが右の思想の最大の欠点です。
対して左の思想は理性的かつ潔癖ですが現実を直視せず謂はば観念的、抽象的な理想論へと傾き易ひ。
結論的にはどちらもヤバひ思想であることには変わりは無ひ。
さらにどちらも實は人間又は文明を破壊に至らしめる思想其のものです。
ですから、何度も申して居りますが抽象的理念は其の全てが矛盾化致しませう。
なので抽象的理念では無く具象的な世捨てこそがあらゆる戦争や闘争や欲望、つまりは暴力と女ーヤバひものーから永遠に逃げ続ける為の唯一の方策なのだ。
抽象的理念反対!
具象的引き籠もり賛成!
具象的引き籠もり即ち諸でのマニア化容認!
そんな訳で近々思想などまた文學など捨て去らうかとも思って居る。
またマニアにでも戻らうかとも思って居るのである。ー究極としての現世利益化の流れにてー
でもマニアに戻るとまたつひダラケて仕舞ふやうな気もして居る。
かと言って批判とマニアは同時にやれぬ。
さて困ったな。
かようにどんなことにも理想と現実との二面的展開がある。
理想と現実は両立せず、其れは国家レヴェル、思想レヴェルでのことから個としての物欲や性欲の処理に至るまでさうなっておる。
即ち理想を愛せば現実は其れを許さず、現実を愛せば理想は必ずや其れを嘲笑ふのだ。