目覚めよ!

文明批判と心の探求と

食わなきゃ死ぬだけーでも思い出話ー



此のゴーフルが好きである。
元よりたかが菓子の話ではあるが、いざ菓子を食ふのであれば由緒正しき菓子を口に入れなばなるまひ。

此のやうな伝統に培われし正統の菓子をこそ我は欲してやまぬ。ゴーフル物語


其のやうな菓子を食ってこそ其処で高等な思考を成立させることが出来やう。

ただし駄菓子は駄菓子でまた大いに良い。

然し昭和40年代の子供向けの駄菓子や炭酸入り清涼飲料水は実際可成に危なかった。

合成着色料やら甘味料やらがタップリと入って御座り実は体を壊す元になるものだった。

また此の頃は公害の方も酷かった。


公害で河川が汚染されまた大気汚染も部分的に酷く事実其処ではとても息をして居られない程だった。

公害病やら自然破壊が次々と引き起こされ全く何の為にそんな無理な金儲けをして居たのだらう。


だが全ては金の為。

金があって初めて飯が食え其の上さらに菓子まで食える。


第一ゴーフルは金が無いと絶体に食えない。


尚、当時ファンタはヤバい清涼飲料水であった可能性が高い。

何やら色が不自然で人工の何かが其処に混ぜられて居た可能性が高い。

だが其れを喜んで毎日飲んでおった。



確か当時はファンタのグレープとオレンジだけしか無かったのだが其れでも其の二種の味の違ひがとても多様に感ぜられて居たものだ。

当時―1960年台後半ー駄菓子屋で何を食って居たものやら知れたものではない。


家から一番近い駄菓子屋へ行くと片方の腕の無いオッちゃんが居て其の人から色んな物を買うのである。

其の駄菓子屋は一番早く無くなったが何故か其のオッちゃんのことを良く覚えて居る。

おそらくは戦争で腕を失くされたのではなかったか。


遠い方ー学区が違う方のーの駄菓子屋の方へ行くと其処には何とプラモデルまでもが置いてある。

で、其の近くの文房具屋兼プラモデル屋のやうなところへ行くとまさにとんでもないプラモデルの宝庫であった。

プリンススーパー6と云うプラモデルがあったが是などまさにレアーなお品である。



どうだ、物凄く恰好良いだらう。
今車に乗るならコレしかない。


或いは初代のシルヴィア、かのジウジアーロデザインのシルヴィアこそが最高峰だ。初代日産シルヴィア

さらにS13型は良い。S13型シルヴィア



コレにまだ乗って御座る人を知って居るが兎に角車高も低くスタイリングに優れ滅茶苦茶格好良い。

こんな格好良いクーペは今や何処にもない。

うーむ、でもBMWにはあったのかな?



ちなみにわたくしは元々車のマニアだ。

其れも日産車のファンと云うかマニアだ。


車は三十五年乗ったがシヴィックRSを除けば全て日産車である。

まるでかの西部警察のやうに日産車ばかりだった。


其れはまあ学生の時分に最初に乗った車が親父からのお下がりのブルーバード510であったこともあるが、子供の時に見た其のプリンススーパー6のプラモデルの影響が一番大きかった。

だがプリンススーパー6のプラモデルは小学生では買えずしかも其の文房具屋兼プラモデル屋自体が中学生の頃にはすでに消えて無くなって居た。


だから人生とはそんなものなんだ。


菓子もさうして車もさらに女もまさに一期一会だ。

特にレアーな菓子、そしてレアー車、レアー女は其の時にしがみついて離さぬやうにしておかねば何処かへ消え去って仕舞ふ。



たとへば菓子でも堂島ロール、此の関西の銘菓がつひこないだ消え去ったところだ。

五年程前にハス向かいの金持ちの家から貰ったので食ってみたところが流石に美味ひ!



だからここぞとばかりにしがみつく。

其れだけが思ふままに欲しい物を得ることの秘訣じゃ。


だから修行をして居てはいけない。

いや、修行はしても良いが、最終的には修行のせいで欲しい物を全部逃す。

いや、然しわたくしも昔は修業などして居なかったな。



少なくとも廿代の頃は車と女と酒とタバコにこそ凝って居た。


さう酒も浴びる程に飲んでおった。

酒の方も凝り、レミーマルタンだのが好きでしかも角瓶も好き、さらにバーボンもやり揚句の果てには老酒、ここまで実はいって居た。

煙草の方なんぞは高級な紙巻だの葉巻にも凝ってね。

実は専門店にも通って居た位でね。



しかも其の上にお勉強の方を欠かさなかった。

然しそればかりではなく運転技術を磨いておった。

其れも廿キロ位離れた夜中の峠道で。


サア、後輪が滑ったぞ、今こそカウンターステアだ。

だがシヴィックRSはFFなので制御不可能だ。

90キロも出てるのにドカーン。

と側壁にぶつかり反対車線へ出たが車は居なかった。


シヴィックRSは其の後に中古で二台目を買った。




2リッターDOHC4ヴァルブエンジン搭載。

実はシヴィックRSの方がエンジンの吹けは断然良かったがブオーンと来る其の音たるや矢張りどう見てもファミリーカーではない。



さうだコレはオオカミだ、サーキットのオオカミなんだ。

どうやって其の車を手に入れたのか?

からしがみついたのだ。

しがみつくと何でも手に入るのだ。

多分塾の先生の頃にローンを組んで買ったのだろうが。



サア、何キロ出るのかな。

中央道で試してみやう。

150,160,170、おお、つひに時速180キロメートルだ。

其の途端にエンジンが死んだ!

リミッターが働くとエンジンが止まることを其の時に初めて知った。



どうもわたくしは結構ヤクザっぽくていけません。

こんな宗教だの哲學だのそんなことばかりを言うやうになるとは露ほども思わなんだ。



実はもうひとつあり学生の時分に一般道で59キロオーヴァーでネズミ捕りに引っ掛かり当然の如くに凄い罰金で免停期間が長かった訳ですがそればかりか親が簡易裁判所かどこやらに呼び出され説教されても居ります。

そればかりかまだまだありますが其れは此処では述べられません。

今思へば兎に角滅茶苦茶でした。



おおっと、ゴルフもすでにやって居た。

皆大學を出たばかりの頃だったが友と連れ立ち練習場で球を打つとわたくしだけが270Y表示の看板に当てる。ー当時は誰もが皆ゴルフをやって居た。当時のトレンディーなスポーツがまさにゴルフだった。ー

其の折に後に頭が変になって仕舞ったS君も居たのだった。


何それーとか言いつつ目を白黒させて御座る。


S君とは高校時代から共に野球もやって居た。

草野球である。

其処で4番バッターになるつもりだったので高校の頃には週に三回も夜バッティングセンターへ通って居た。


ところが其れがまた良く球が飛ぶのである。

ホームランの看板に当てるのが兎に角上手い。


兎に角わたくしのパワーは野球部の4番、とまではいかないまでも充分に三番か五番を打つ位の肉体力が当時はあった。

そして生まれついての文才にも恵まれておる。



現国は常にNo.1。

即ち早稲田へ行った奴より出来た。



然し何故此処まで自己顕示欲が強いのだらう?

此処まで自慢話をして其れで満足なのだらうか。


満足なのである。

わたくしは利口でしかも4番バッターだぞとさう世間に対して是非知らしめておきたひ。


そんな訳で菓子の話でいくつもりがつひ思い出話の方へいって仕舞った。

だが菓子の話もしただらう。

ところでゴーフルは此の三年程実は食って居ない。