「あさくまハンバーグ弁當」×2を食う十「リーフとパプリカのサラダ」も食うー幼い頃より通った「あさくま」への讃歌ー
さて昨日はタ刻に近くの「あさくま」へ出向き「あさくまハンバーグ弁當」×2を御持ち帰り致した。
ところが母が要らんと云うので結果弐日連続で「あさくまハンバーグ弁當」を食いましたのです。
元元はドミノ・ピザの方で「御持ち帰りで半額」の方をしやうとしておったがそれでもMサイズ弐枚で参千円以上もするので其をパスして「あさくま」へ飛び込んだ次弟である。
拾四時〜拾参時の頃は店舗で拾〜廿分も待てば出來上るので最近は専らさうしておる。
贈答用の型録を見るにナントソコに「あさくま和牛カレー」なるものが載っており驚天す。
こ、ここここここここれは!
弁當が出來たので女店員に尋ねると髙級版としての「あさくまレトルトカレー」なのださうだ。
値段も八百円程し髙い。
でもコノ際買っとかう。
ちなみにコレが岐阜の恵那で作られて居るやうだ。
さて其の「あさくまハンバーグ弁當」が好きだ。
ワシは普段よりほぼ魚を食わず肉食系なので體が横にデカい。
またピッツァやハンバーガーが大好きなので兎に角體が横にデカい。(實は八拾五キロ程もたいじゅうがある)
だからワシはさう體に惡いモンをあえて好んで食うアホなんじゃい。
ソノ「あさくまハンバーグ弁當」×百位は食ってから死にたいもんだのう。
近藤誠司 (こんどうせいじ)| 経営セミナー・本・講演音声・動画ダウンロード【日本経営合理化協会】
トップインタビュー:あさくま会長・近藤誠司氏 - 日本食糧新聞・電子版
コノ朝熊の創業者がまさに熊みたいな近藤 誠司氏(昨年死んだ)であるが彼は東海髙校卒(私立のトップ校)ですっげえ頭がイイ。

あああああああコレだ!
コノ日進町の本店に家は昔から通ったのだ。
あああああああなんて懐かしいのだ!!
さう家族みんな(総勢六名)で小學生の頃よりココを訪れた。
ソレが六拾年代の終わり頃より七拾年代の初め頃のこととなる。
當時日本人は肉なんぞ食っておらずでもコノ日進町の本店のオカゲで家に限ってはしばしば家でもステーキを食っておった。
また「とんかつのかたおか」なる名店が家から五百Mのところに有りココの「みそカツ定食」はまさに絶品じゃった。
さらに言えば「角政」のカツ丼に天丼、「月苑」のラーメンに天津飯は其れに劣らぬ絶品じゃった。
しかも當時は職業婦人であった母が仕事の帰りにデパ地下で髙級食材を買って來る。
よってワシの口及び舌は必然的に肥えつまりはほぼグルメレポーター並の感度にすらなっちゃってる。

うわっこんなのが有るの?
ちなみに昔は総勢六名でサーロインステーキを食いまくった我が家ですがソレもワタシに限りビンボー詩人ですので壱食千円迄しか出せん。
だからソコに「サラダ」迄は付かん。
ではどうするか?
事前にスギ藥局へと走り百五円の「サラダ」を買っておくべし。
特に「リーフとパプリカのサラダ」が美味なり。(ゴマのドレッシングをかけるとほぼ絶品ぞ)
兎に角さう安くても旨いものがコノ世界には有る。
ワシは今金持ちでは無いのでさう安くても旨いものバカリを捜し出し普段より食しておる。

うん、半世紀前もまさにこんな感じじゃった。

かう「もろみそ」や「レトルトスープ」が兎に角ウマい。
さらに「あさくま」で食事をするとコノミントキャンディ数箇が貰えたのだ。


タ暮れの日進町はすでに灰暗くしてナゴヤの喧騒とは離れて居た。
そんな中に「あさくま」の店が照らし出されるともうソレだけで子供の胸は躍ったものだ。
今思えば確かにアノ時は「幸せ」を感じて居られた。
ソノ後はロクなコトが無い人生だったのだけれど…。
ソノ後今は無い「東陽飯店」ー昭和区ーで髙級中華料理を弐度程食した。(中學生の頃にだが)
また八事ーナゴヤの髙級住宅街ーに「あさくま」の店舗が出來てからは拾度程通ったらうか、ソコが壱番オシャレな店で確か店の入りロにはいつも生花が飾られて居た。
さう常に食べることが人生なのだ。
故にワタシは食べることが大好き。(實は食い過ぎでもってしてビョーキ)
また今思えば「幸せ」だったのはさうウマいモノを食った時だったやうな気がしてならん。
さうイイ物を得た時とウマいモノを食った時ダケがほんに「幸せ」だったやうな気がしてならん。
あとの色んな考えとか文明への懐疑や批判などはほぼ妄想の如きものじゃらう。