目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

ズバリ「右の論理」の盲点とは?ー「反國家主義」と「反全體主義」のススメ

ヒトがクマに食われるのは多分目茶苦茶に痛いので事前にむしろ死んで置くべしー「實存としての死」を見詰めることからこそ宗教的、藝術的な価値の希求がようやく始まるー

 

 

 

 

ひろゆき、日本人の“生活が苦しくなる”2つの理由を解説「給料上がる速度より…」「生活苦しくなる人増えるの当然」…ネットでもコメント殺到「給料上がってるのは大企業だけ」「投資の重要性は知っているけど、投資する金がありません」「賞与は過去最高とか言ってるけど上澄み層が平均額を上げてるだけ」

 

まさに仰る通り。

さらに付け加えれば、

 

1.日本國沈没(日本社會の破壊)の眞の原因は「國家主義」にコソ有れり

2.日本國沈没(日本社會の破壊)はスデに確定済み=詰んでる

3.利口な筈の日本人にメゼカ意外と多いアホやバカ=イワユル洗脳的な民族性が有り

 

おおまさにコノ参点にコソ尽きやう。

でもってボクはすでにスベテを述べた。

 

なのでココの記事を全部読めばたとえどんな未來に於いてもコタエが出るやうにしてある。

だからソレが社會科の壱教師としてワタシが世に坦うであらう使命でした。

 

ソノ「國家主義」とは戦後民主制を進めたジミントーによる根幹での政策=党是です。

これは要するに「國家」としての體裁を整えんとする政治の有り方ぞ。

 

トコロガ實はソレってアノ戦中の頃のゼロ戦(零式鑑上戦闘機)の話とまるで同じ話なんだ。

即ちゼロ戦は身軽でもってして運動性能に優れ米軍の戦闘機を圧倒しておった。ーさう私は戦闘機のファンであるー

 

だけれども、

 

4.米軍の戦闘機のパワー化

5.弱い防御力=ゼロ戦のパイロットの命の軽視

 

により大戦末期にはむしろエエカモとなり申した。

つまりが鬼畜米國機にやられるカモとなりし。

 

うんわああ、そんなもんまるでガマンがならんわ!

ワシはたとい身が砕けやうとも敵鑑に體當たりをば敢行せしめアンナ鬼畜共をみな殺しにするんだわ!!=特攻攻撃す

 

ドオオオオーン!!!

 

要するにかうして「生命の軽視」=「實存の軽視」により日本國は戦争に負けた。

翻り同盟者のナチス独逸もまた「生命の軽視」=「實存の軽視」により戦争に負けた。

 

なので戦後に独逸は徹底的にソノ「國家主義」を解體して行ったかに見える。

勿論壱部には「ネオナチ」勢力の台頭などもまた有るにせよ兎に角彼等西洋の利口としての独逸民族は「民主主義」をコソ目指した。

 

けれどココ日本でもソレはさうでせう?

いや明治時代より連綿として続く「藩閥政権」がソレを覆した。

 

ソノ主にイナカ者の総理が兎に角さう「國家主義」をやりたがる。(岸 信介〜アベ〜サナエなどの)

じゃあ奈良もイナカなんですか?

 

いいえさうでは無くサナエちゃんコソがイナカ者でしかも妖怪ナントカババアでせう。

妖怪ナントカババア?

 

すると今や日本の総理大臣は妖怪なのか!

さうズバリ「妖怪」なんだな…。

 

 

ああおそろしい。

でも先生はもっとおそろしい。

 

だって君達Z世代がよりによりジミントーに投票したことに深くショックを受けましたのです。

ふーんだから君は最近「絶望」氣味なのか…。

 

へいさうなんだ、まさか髙齢者となってからこんなになるとはまるで思わなんだわ。

 

いいですか、所謂「右の論理」には元元盲点が存する。

其コソが其の「國家主義」による民への圧迫のことぞ。

 

ところが「左の論理」に其が無いとは實は申せぬ。

例えば中國や露國に其が無いとは申せずむしろ共に「國家主義」の國だらう。

 

但し野放図にソコで「資本の論理」が働かぬ分諸の「破壊」が抑えられる可能性は有る。

 

そんな訳で「民主制」が絶對では無いにせよソノ「國家主義」を抑える為にはソノ政治的価値を取り入れねばならぬ。

またソノコトは右や左との政治思想の方向性によらず言わば「實存的圧迫」を取り去らねばならぬのだ。

 

尚「特攻攻撃」はむしろ究極の「國家主義」の履行です。

でも「特攻攻撃」をやり日本國は戦争に勝てたのか?

 

いえ負けました。

よって「特攻攻撃」なんぞはソノ全てがムダ死になのですぞ。

 

 

尚ニンゲンはたとえ利口であれ「右の論理」=國や郷土を守る論理には容易にハマります。

例えばかっての我がさうであった。

 

ですが今のワタシが奉ずるのはズバリ「マルクス主義」の方となる。

尤も若い頃(廿代の頃)は暴力革命派だったのでまたソレに戻っただけのことなのですが。

 

さて結果的に「國家主義」の問題点とは、

 

6.「實存的価値」の軽視=人命の軽視

7.「全體主義」の形成

8.下層よりの社會崩壊

 

の面を色濃く含んで居やう。

 

また政治思想の右、左は関係無く以上のことが生じませう。

なのでつまりが「社會」を減ぼすのがああまさにソノ「國家主義」となる。

 

でもってして現在ココ日本國ではまさにソノ「國家主義」がジミントー政権により進行中です。

よってなんだか絶望的なのだがでも「さう絶望スルヒマが有ったらもっと己が理性を磨け」とのことが元塾の先生の最後の助言です。

 

でもあくまで日本國や文明世界が滅ぶ理由とはまさに其れなのだ。

 

なのでひろゆき氏が述べて居られる様に、

 

9.名目(體裁)上の利益-國家の上澄み層=上級國民の利益-ばかりが増しソレ以下の者は切り捨てられていく

10.にも関わらず税金や社會保障費はむしろ増していく(公的搾取はむしろソノまんまかソレ以上となる)

11.ですので中小企業やビンボー人からまずはバタバタと倒れてく

12.たった今はほぼ壱揆レヴェル=革命レヴェル

 

とのことで拾年程前から除除にまた五年程前からよりハッキリした形で自分は「右の思想の論理」がもたらす社會崩壊の側面に氣付いて行った。

また斎藤 幸平先生の著作を読み「マルクス主義」が敗北した思想であり終わった思想では無いこともソコに學ぶ。

 

ならばと言うことで私は單なる右翼主義者を止めおおまさに思想的にバランスの取れた壱學徒となれましたのです。

 

 

6.「實存的価値」の軽視=人命の軽視

7.「全體主義」の形成

8.下層よりの社會崩壊

 

さて先に述べたこれらの点は實は「文明社會」そのものを滅亡に導くものでもまたある。

結果として「文明社會」はコノ参点の問題によりああまさに崩壊して行くことだらう。

 

よって「文明社會」や「國家」の崩壊をくい止めんが為にすることとはむしろ、

 

9.「實存的価値」の重視=人命の重視

10.「反全體主義」

11.宗教的、藝術的な価値の希求

 

とのこととなる。

 

11.とは弱い下層國民にやれる唯壱の価値追求はむしろ宗教的価値のみとなる。

尤も特別に意識が髙く生まれ付いた方方は藝術的な価値を追求しても良くまたボクのやうに两方をやっても良い訳です。

 

9.と10.は諸の洗脳を解き意識が髙く有ればむしろ自然にさうなることだ。

なので最終的にはおおまさにソノ意識を髙く保たんが為にゼヒ毎日學んでちょーだい!

 

でも元社會の先生は精神的にもう疲れ切りましたのでまー休ませてちょー(もう休ませて下さい)。

…全くコノバカ國家とバカ文明めが。

 

ちなみにコノ広い世界にはそんなサナエちゃん以上にムキムキの「國家主義」者が居ますが果たしてソレは誰だ?

センセー、ソレは習 近平君とプーチン君です!

 

そりゃまた良くぞ分りましたね。

でも壱番酷いのはサナエちゃんの友達のトランプちゃんぞ。

 

ああートランプ氏壱人によりこんな世界がかき回され減びる瀬戸際にありはしないのか?

センセーでもトランプちゃんにノーベル平和賞をあげたいのでせう?

 

いえ今はボクもかう思想が転向しましたのでノーベル平和賞をあげたいのはズバリマルクス氏とエンゲルス氏ですよ。

さらに毛 澤東氏などにあげても良いのかも。

 

 

 

「生きたまま食われるんだよ」逆転勝訴のクマハンター “クマとの共存”質問に突きつけた現場のリアルにネット衝撃

 

だからコノ種での文明と自然に於ける課題もまたあくまで自然の側が惡いのでは無く「文明の創り方」の問題でありつまりはホモ・サピエンスの側が惡いのだ。

ソノホモ・サピエンスの欲望がデカ過ぎる=過分に欲張りなことによりむしろソコ(自然界との不調和)へと追い込まれておる。

 

だがクマの猟師さんが仰るやうに我我ニンゲンはまず「食われる」コトを我慢など出來ぬ。

だがソコをあえて我慢し食われてみ給え。

 

もうイキナリガリガリッ!!!

げえっーーーコレ迄に感じたことの無いコノ痛み!!!!

 

もはや君は死體と化し體の半分は土の中に埋められておる。

無論のことソノ體の半分はクマが後で食う為にさう土中に隠してる。

 

コレはもうミサイルが飛んで來てソレが爆発し體が粉粉になるよりさらに苦しいぞよ。

いやでも結局は同じ位の苦しさか。

 

しかしながらイザボクの場合は反文明主義者なのでミサイルだの特攻だの核爆発で死ぬるよりはクマさんにでも食われた方がマシだ。

でも生きたママに食われてそんなもんが果たして我慢出來やうか…?

 

…バリバリバリバリッ。

さうかソノ前に死んどきゃヨカッタ、ナゼナラ死人に痛いも庠いも無いのだよ。

 

おまけに死人に「實存的価値」も「反文明主義」も何もにゃあ(無い)。

あれっするとソノ「死」コソがスベテの「苦しみ」からの解放なのか?

 

さう自らの「死」を思い描くこと即ち「實存としての死」を見詰めることからこそ宗教的、藝術的な価値の希求がようやく始まる。