目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

食ってナンボの命哉ー夢のパンのかけらー

昔ー半世紀程前の昭和四十年代までーは家の近所にもあちこちに駄菓子屋があり我我小学生は学校が終わると兎に角さうした店に入り浸って居たものでした。

其の駄菓子屋にも様々なタイプがあり其れこそ駄菓子専門の店から文房具やプラモデルまで扱ふ店、又は八百屋かよろず屋に近ひやうな店までもがあったものでした。

 

中でもサクラヒと云ふ婆さんがやって居る店は大通りにも程近ひ八百屋タイプの店でした。

さうして其処にはパンも売って居たのです。

 

さて我我還暦世代は戦後のパン食への転換教育を受けて来て居た世代でした。

日本人は米飯を食す稲作文化圏に属して居りますので我我の父母の世代までは日常的にパン食をすることなどはおそらく無かったことだらう。

 

なのですが、戦後日本人は其の価値観を変へていくべく教育されていくこととなった。

 

特に大都市圏ではさうだったことと思はれます。

 

ですので我我昭和四十年代前半の小学生は学校給食で其のパン食をして来て居たのです。

 

担任の先生なども無論のこと一緒に其のパン食をして居りました。

 

ダルマストーヴがまだあった頃などは其の担任がパンをストーヴの上に置ひて焼き此の方が美味ひ!などと實に嬉しさうに焼ひたパンをほおばってなど居たものです。

 

 

なので我我は結局パン食もするのです。

 

パンは御飯よりも日持ちがしカンタンに食べられる点が便利です。

 

かうして西洋の文物は何故か便利です。

 

 

尤も今やパック入りの御飯なども至極便利なものなのですけれど。

 

 

其のサクラヒには長栄軒のパンが売られて居ました。株式会社 長栄軒

 

果たして其れは美味かったのかどうか?

 

實は今思へばマズかったのであります。

 

マズひのですが、其れが兎に角わたくしにとっての一番のパンの思ひ出なのでした。

 

廿円だったのか三十円だったのか、小学二、三年生だったわたくしは其の金を握りしめサクラヒの婆さんにコレをお呉れとさう言ふのです。

 

其れは例の長くてクリームやらが挟んである今でも何処にでもあるタイプのパンです。

 

 

ところが其れがパサパサして居て美味ひものではまるで無かった。

でもまさしく其れはパンなのでした。

もはや二度と購ふことは叶はぬパンの味だったのだった。

 

其のやうに味とはまた旨さとは、単にお金で買ふことなど出来ぬものです。

 

其れは実存としての人間の感覚が出遭ふたったひとつきりの其の時々での経験なのです。

 

だからどんなものでも食べるものは粗末に扱ふべきでは無ひ。

 

 

一方で他方には日本國としての伝統的な食生活と云ふものがまたありませう。

 

其れは豊かでかの國の風土に培われし唯一のものです。

 

本来ならば日本人はこちらの方をこそ大事にしていかねばならぬ。

 

 

第一日本の飯は最高に美味ひものです。

 

だがGHQは日本人もパン食をせよとさう宣ふ。

 

さうパン食をしたのは良ひのですが、其れでもって朝はパン食ばかりにはなっては其れはイケません。

 

 

実際には朝はパン食ばかりには簡単にはなりませぬ。

 

何故なら日本人の味覚中枢には味噌汁と御飯と漬物を朝に食す其の伝統こそがしかと畳み込まれて居りませう。

 

 

では何故朝はパン食ばかりになって仕舞ったのですか?

 

其れは日本人の女が腐り家事に於ひて手を抜き始めたからです。

 

まさしく其れだけはしてはならぬことだ。

 

日本人の女は朝四時から起き御飯の支度をたとへ死んでも完遂させねばならぬ。

 

 

まさしく其こそが女の戦であらう。

 

其のやうに井戸水を汲みに出桶一杯の水を担ぎ上げ台所にて孤軍奮闘してみよ。

 

味噌汁の味、おおまさに其こそが母の味ぞ、まさに日本國の母ちゃんの味だぞよ。

 

さうして味噌汁の中にはネギと里芋を入れるのがわたくしの好みじゃ。

 

其の味噌は何でも良ひのだがかの家康が愛好せし八丁味噌程味が濃ひものは無し。

 

だが濃ひはくどひとは違ふぞよ。

 

 

ちなみに其の三河産の最高級赤味噌の味噌汁に飯をブチ込んで食ふ食ひ方があり其れは至極下品でもって邪道ながらサイコーに美味ひ食ひ方なのでもまたある。

 

では何故今の母ちゃん達は朝味噌汁を煮るのを止めたのでせう?

 

結局手間がかかるからであらう。

 

 

対してパン食ならばもうカンタンだ。

 

サラダなんぞも至極カンタンに作れやう。

 

あとはミルクか珈琲か紅茶が一杯あれば良ひ。

 

 

可成以前に久米 宏氏が司会を務めさうした日本の食文化の衰退ー主に都市部でのーを真正面から取りあげたTV番組を視て衝撃を受けたことがあった。

 

其れは日本の都会の女共にはさうした伝統的な日本の食文化が本質的には伝へられて居なひ旨が語られたものであった。

 

事実我我の世代に於ひては👩も👨も同じやうに塾や学校に通はされ所謂「平等」な戦後に於ける民主主義教育を受けて来たのである。

 

だが其の「平等」な立場こそが伝統的な日本の食文化を今まさに壊さうとして来て居るのではなかったか。

 

 

女共が教育を受け學が付くと所謂「合理主義」に毒されていくのだ。

 

さうではなく學が付けば付く程にむしろ頭を垂れる稲穂哉。

 

朝四時には起き薪釜にて飯を炊き味噌汁を煮て居らずしてどうする?

 

 

さうして日本の飯を合理化などしてどうする?

 

いや、確かにたまには朝のパン食も悪くは無ひ。

 

第一わたくしはパン食が大好きだ。

 

 

だが日本男児は朝飯を食はねば必ずやすぐにヘロヘロとならうぞ。

 

日本の都会の女共は働ひて居る故とてもそんな時間は持てません。

 

ならば働くのを止めちまへ。

 

 

其れでは貧乏で持ってとても食ってはいけませぬ。

貧乏で結構、味噌汁の中に野っ原にて摘んだ野草をブチ込み経済的艱難辛苦に耐へて行かずしてどうする?

 

即ち今後の都会の日本の女共に必要なのは其の耐へ抜く母ちゃんの底力としての「おしんの力」だけだ!

 

 

とのことで、我我都会の還暦世代はまさに両方の日本國の姿をこれまでに体験して来た。

 

其れでも我我の母ちゃんは昔ながらに味噌汁を煮飯を炊き煮物を作って呉れたものだった。

ところが学校へ行くと其処にはパン食が待って居た。

其ればかりかフライ物やクリームシチューやらなども屡出たものだった。

 

嗚呼、まさに此の日本國の食文化と西洋流の食文化との相剋と相即の様其れこそが我我に突き付けられし文化的闘争だったのだった。

 

 

結論を述べれば日本國の食文化が西洋流の食文化に破壊されて仕舞ふやうでは駄目だ。

 

其の日本の伝統としての食生活はあくまで保存されて行かなければならぬ。

 

だが其れが保存されて居るのは今や田舎の方のみ。

 

又は観光資源としてさうした古き良き食文化が保存されて居る観光地のみ。

 

 

正直申しまして大都会=経済的成功者になればなる程世界各地からの美味ひものが集まりませうが其の郷土の味乃至はおふくろの味のやうなものが得難くもなって居りませう。

 

正直申しましてさうした郷土の味乃至はおふくろの味のやうなものをいまだ良く保存し慣習として其れを日々実行して居られる地方での生活の方がわたくしにはずっと魅力的に見へる。

 

要するに都会に於ける全ての事柄は其処での思考をも含めて合理化されて行かざるを得なひ。

 

合理化は次第に抽象度を増しても行きませうから次第に人間性をも圧迫し其れを根本から蝕んでも参りませう。

 

 

其のやうな地域的な価値への「破壊」の観点から申しますと経済的成功=都市化の流れは決して人間をして本質的に幸せな方向へと導くものでは無ひ。

むしろ其れは本質としての幸福=ほんたうの幸せを奪ひ取っていくもののことでせう。

 

 

さうした都会に於ける負の要素を根っからの都会の住人は良く存じても居ります。

其れでもって根っからの都会の住人はむしろ都会が大嫌ひになり易ひ。

 

ところが田舎は概ね人間関係が煩わしく兎に角鬱陶しひものでせう。

 

だからもしも金があり移住しやうとしても其処はなかなか難しひ訳です。

 

 

田舎の方々はことさうした伝統的な日本の食文化と云ふ観点からすれば随分と豊かでむしろ恵まれても居りませう。

都会と云ふのは何でもあり何でも食へるやうで居て案外大したものなど何も無ひ即ち空虚なる巨大な価値の集積場であるに過ぎぬ。

 

まあ其れでも美味ひものは探せば色々と出て来る。

金さへあれば世界中の一流のものをずっと食ひ続けてもいける訳だ。

 

だが果たして其れが出来たにせよ一体何になるのだ?

ほんたうに幸せな食生活とは案外もっと限定されて居るものなのではなからうか。

 

 

地産地消にて其の郷土の産物を誇りに思ひつつ食し決して其れを大々的に宣伝したりはしなひことなのではなからうか。

さうして少なくとも食生活を近代化し同時に合理化し過ぎてもイケナヒ訳です。

 

 

さて此処愛知はとりあへず経済的には大成功を収めた地域です。

🚗産業や航空宇宙産業は今や日本一の規模を誇り實は東京や大阪よりも将来性があり金持ちなんです。

 

東京や大阪は文化力即ち発信力があるのでいつも自分を如何にも偉さうには見せて居りますが實は産業力はこちらの方がずっと凄ひ。

 

愛知は信長や秀吉や家康の故郷でもって所謂天下取りが大昔からの趣味で特に戦後は武力では無く産業力でもって天下取りを目指して参りました。

 

其れでもってすでに天下は取りました。

 

 

其れもかのTOYOTAなどは完全に取っても居りませう。

 

尚愛知は東京や大阪に比べ住み易ひ、暮らし易ひと屡言はれても居ります。

 

何故なら家賃が安ひからなのです。

 

其の代はりに産業力がある癖に東京に比し給料もまた安ひのです。ー其れも三重や静岡や岐阜よりは多分高ひのだがー

 

 

ですが、大阪はもっと安ひぞと誰かがかって言って居りましたものです。

 

其れと雪が少なくほとんど降りません。

 

そんな愛知ですが、其れに加へ醸造業や農産物などの生産及び加工が盛んでさらに花の出荷額なども日本一なのです。

 

 

うーむ、次第に県民ショウーお國自慢ー化して来て仕舞ひました。

 

其れではズバリ申しませう、わたくしが今凝って居ると云ふか大好きなパンとは「牛乳パン」です。

 

 

【パンまとめ】信州といえば「牛乳パン」パスコ&ヤマザキが作ったパンをまとめてみた

長野県に行ったら牛乳パンを食べよう!

 

わたくしはかうした何処か田舎臭ひシンプルなものが大好きなのだ。

「牛乳パン」の味は本格的なパンとは異なり何処かあっさりとして居り其処がまさに日本風にアレンジされたところなのだ。

 

と言ってもわたくしが食って居るのは都会でも売って居るPASCO敷島製パンーの「牛乳パン」であり本家信州でのご当地パンには非ず。

 

 

だがコレは美味ひ。

あっさりとして居り腹にもたれぬところが生クリーム入りのミニ仏蘭西パンなどとは異なる。

 

本日はつひ先程珈琲味を初めて食してみたがこちらなども流石に美味ひ!

 

はて信州には何故こんなに美味ひものがあるのだらうか?

 

 

つひ一週間前にはスーパーにて「北海道メロンパン」なるものを発見し二つ買ひ込んで来たがすでに其の日にうちに食って仕舞った。

其れは所謂ファミリーマートで人気の「北海道メロンパン」とは異なる仕様のものだった筈だが兎に角大変美味しゅう御座りました。

 

今やメロンパンは、まるでメロン其のもののやうに青く輝ひて居なければならぬ。

しかも果汁入りのクリームでなければならぬ。

 

其の要件を充たししものだけが眞のメロンパンなのだ。

とは言へ、其のメロンパンも北海道へは行って居なひわたくしには本来ならば語る資格など無ひものだ。

 

果たして究極のメロンパンとは一体何処にあるものなのだらう。

 

 

ファミマの『北海道メロンパン』がもちっと超おいしい!

 

なる程、ファミリーマートの「北海道メロンパン」は敷島のパンだったのか。敷島製パン

だとすると先日食った「北海道メロンパン」も其の敷島のパンの亜種であった可能性が高ひ。

ならば本格的な「北海道メロンパン」の一つが北海道では無くまさに地元にあったと云ふ訳なのだ。

 

 

ちなみにフジパンの本社は家から自転車で十分で行けるところにある。

 

昔はフジパンの方が地元では力があり商品が出回っても居たが昔から敷島のパンの方が美味ひとわたくしはさう感じて居たものだった。

フジパンの本社のすぐ脇に知り合ひの宝石の行商人が住んで居りわたくしは時折其処を訪れたりもして居る。

 

だがわたくしにとり究極の日本製のパンとは今のやうに皆普通に美味しくなったものでは無くまさしく其れは半世紀前の長栄軒のパサパサのパンなのだ。

 

其の学校が終わってひもじひ思ひから十円玉を幾つか握り締めつつ店の婆様から手に入れたパンこそがわたくしにとっての夢のパンのかけら其のものなのだ。