尚わたくしは食べるのが好きですで色んなものを良く食べて居ます。
成城石井は五年程前だったかに我が区にも出来、とりあへずは自転車でもって廿分程で行けるやうになったので当初良く通って居ました。
成城石井はパンが美味しひことかと思はれます。
特にレーズン系は特筆すべき美味しさです。
元よりレーズンブレッドは存外上品なパンです。
事実上は菓子パンと食パンの中間に位置するもので食べる目的としては両方いけるものです。
其れと何故かレーズンブレッドが好きな人は余り居りません。
或は邪道のパンなのやもしれませぬ。
其のレーズンブレッドークルミは無しーを目当てに成城石井を攻めて居ましたが何故か其の一番大事なレーズンブレッドがいつの間にかパン売り場から消へて仕舞ひました。
此の馬鹿者めが!
とさう思ひ以降成城石井へは行って居ません。
さうかうするうちに、丁度一週間程前だったか、子の居なひ従妹が家の母と成城石井へ出向きカツ丼を買って参りました。
カレーライス及びラーメン及びカツ丼には目が無ひわたくしは其れを初めて食べることとなりました。
結論から申しますと成城石井のカツ丼はピカイチです。
成城石井のカツ丼のカツの肉は何処か高級な味が致します。
カツ丼は週に二、三度程は大抵食して居りますが、所謂高級カツ丼よりも昔の普通の定食屋又はきしめん屋の安っぽいが独自の味付けが為された懐かしひカツ丼が好きでなかなかさうした昔風のカツ丼がスーパーにはありませぬが其れでもたまにこれは!と思へるやうなカツ丼に出くわし随分と喜んで居たりも致します。
と言ふよりもカツ丼其れ自体が好きなので兎に角カツ丼があれば其れだけで可成に幸せ♡であり大抵は五分もかからずに其れを完食するのが常なのである。
ところが、五年程前から急にタマゴがイヤ病となりアノカツ丼の卵とじの部分がどうにも嫌らしく思へて来たのでした。
元々わたくしは幼ひ頃より神経過敏でもってして、タマゴの其の少し生臭ひ感じ、またアノ半熟のタマゴのトロッとしたいやらしひ感じが好きではありませんでした。
普通の人は其のトロッとした部分をおいしひとまさに舐める如くに食して居りますがわたくしに限りさういふのは至極下品でいけません。
其れでは生卵などはどうかと云ふに当然ながらもっと生臭ひ訳で矢張り元々好きではありませんでした。
ところが所謂生卵ぶっかけ飯なども食はぬ訳ではありません。
生卵ぶっかけ飯は多分究極的に美味ひものなのやもしれませぬ。
但しわたくしの作る生卵ぶっかけ飯はとても細かく卵の黄身や白身の中の汚ひ部分を取り除ひたりもして居りますので可成に神経質であることは否めなひ。ー其れも年に一度やるかやらぬかのことだがー
タマゴがイヤ病は十歳位で治ったので其の後半世紀に亘り普通に卵料理を食べて居りましたが最近また赤子へと戻りつつあるのか兎に角其のタマゴがイヤ病が再発致しました。
が、結局カツ丼への情熱がまた其れを治して呉れました。
其れでまた最近は普通にカツ丼が食へるやうにもなりました。
カツ丼は丼ちゃんと云ふ専門店もありますが此れは何故かまずくて高ひものです。
カツレツ其れ自体はかって中区の方に専門店があり其処から屡配達して貰って居ましたが此処のものはまさに絶品でした。
ところが其処が止めて仕舞ひこちらに移転したと云ふので其処から配達して貰ったところ何故かとんでもなくマズひのです。
此のやうに食べ物はほんたうに難しひものなのです。
同系列店の料理でも店やつくる人が変わると三ツ星クラス➡マズひものへと容易に変わって仕舞ふのです。
尚高級住宅街にある店でもとんでもなくマズひ料理を出して居る店は確かにあります。
其れも五年程前でしたか、黒酢チャーハンだったか兎に角訳の分からぬ中華料理を高級住宅街である店の方から配達させたところ見事にマズくまるで喉を通りませんでした。
此のやうにマズひものも世の中には確かにあります。
但し半世紀前とは比べ物にならぬ程に全体的に何でも美味しくはなりました。
なのですが、当時の普通の定食屋又はきしめん屋の安っぽいが独自の味付けが為された懐かしひ味は今ではなかなか求めることが難しくもありませう。
さういふ味を専門に追求するマニアックな店なども大都市圏にはあれこれとあるやうです。
又は給食マニアが立ち寄るやうな給食メニューばかりの店なども大都市圏にはあるものと思はれます。
もしもわたくしが今給食メニューを食べるのだとしたら、
1.脱脂粉乳
2.カレーうどんーうどんはパック入りー
3.小さひジャガイモを半切りにしたポテトフライーマヨネーズ付きー
だけは是非いま一度食してみたひ。
2.及び3.の味はもはや世界中の何処に於ひても再現出来ぬことでせう。
ところが其の味は半世紀が経過した今もわたくしの舌にこびりつき残って居るのであります。
其れと中学一年の頃良く食べて居たカツドッグー確か此れも給食ーと云ふのをもう一度だけ食べてみたひ。
ちなみに其の頃わたくしのことが好き♡だと云ふ不細工な普通の女生徒が何故かカツドッグをひとつわたくしにも呉れ直ちに其れを貪り食った覚へが御座ります。
其の時以降此のわたくしのことが好き♡だと云ふ👩など居なかったのでまさに其れは貴重な経験であり死んでも忘れられぬカツドッグの味だったのでもあります。
とのことでわたくしは所謂グルメではありませぬ。
確かにかってはたとへばデパ地下での高級なものも色々と食して参りましたが現在はズバリ「安くて美味ひもの」だけを追求して来て居ります。
万年筆の蒐集と云ふマニアライフの方でも其れと全く同じで現在はズバリ「安くて良ひもの」だけを追求して来て居ります。
其の追求の道はとても険しくまさしく狭き門より入らねばならぬものです。
要するに金さへ出せば美味ひものなど世の中には幾らでもありませう。
高級店へと出向き数萬円を払へば其れなりに何処までも食の追求が出来得るものです。
ところがもはや其れは思想的に且つ経済的にもわたくしには許されぬことなのです。
ならば其の限定されし枠内でどう食ふ愉しみを追求していくのか?
まさに其れこそがわたくしに今突き付けられし課題であり命題なのでした。
尤も飲み物や食ひ物は体に消化吸収された後は皆同じものです。
皆同じものとして体の外へ出ていくものばかりなのだ。
だから釈迦やキリストはそんなものに関わり煩わされるなとさう仰せです。
食ふ事や飲む事に拘ること自体が謂はば煩悩に振り回されることであり罪深きことなのでせう。
さうした次元が低ひことに拘ると肉体バカとなりおそらくは精神的ではあり得なくなるのであります。
ですがわたくしは如何にも精神的でせう?
こんな精神の権化が食ふことや飲むことで馬鹿になれやう筈もありません。
実際肉体バカ其のものになりたひのですが此の溢れるばかりの知性が邪魔をして決してさうはさせて呉れぬのです。
そんな知性があり過ぎて一種危なひところをも抱へるわたくしはむしろ低次元な食欲の追求の方でこそ生きる上でのバランスを取って居るのです。
尚其のパンの追求ですが、今少し興味があるのは独逸パンの分野です。
此れは八事界隈の高級な年上の👩が好きだと言って居たパンの分野です。
ですが其れはまだまだこれからのことです。
とりあへずわたくしは「パン・オ・フリュイ」と呼ばれるフルーツ入りのパンが昔から大好物なのです。
確かに見た目は次第に腹の出た不格好な御爺になりつつあるわたくしなのですが感覚が一種女性的に細やかでもあるのでこんな優しげなものが大好きなのです。
フルーツ入りのパンでは無くフルーツタルトやフルーツケーキなども大好きです。
が、同年代の男性でもってフルーツタルトやフルーツケーキまた「パン・オ・フリュイ」が好きだと言って居る奴を見知ったことがこれまでにありません。
また所謂仏蘭西パンなども大好きです。
仏蘭西パンもまたピンからキリですが、最近の日本のパンメーカーの仏蘭西パンは何処のものでも昔と比べると格段に美味しくなって居ます。
特にカリカリに焼かれたものが好みで選ぶのにつひ時間が掛って仕舞ひます。
そんな訳でどうもお仏蘭西好みですが兎に角仏蘭西パンは良く食べても居ります。
最近コンビニには仏蘭西パンの小さいものにソーセージや生クリームなどを挟んだものが屡売られて居たりも致します。
さういふのを見つけるとどうしても手が伸びて仕舞ふ。
其ればかりか實はサンドウヰッチなども良く食します。
だがコンビニのサンドウヰッチは随分割高です。
あれはシャキシャキレタスサンドがヒットし確かに健康にも良ひものですが兎に角値段が高くむしろコンビニ弁当の方が安ひ訳ですが其のコンビニ弁当は決まってマズひと来てる。
其のサンドウヰッチは英国貴族流に胡瓜の入ったものでなくてはなりませぬ。
かって英国ではキュウリの栽培が難しく従ってキュウリ入りのサンドウヰッチはむしろ高級品でズバリ其れは貴族の食べ物でもあったのだった。
ですのでキュウリとハムだけのサンドウヰッチを見下したりして居てはなりませぬ。
其れぞまさに英国貴族としての正統の高級食材なのです。
尚、洋の東西を問はずキュウリは酢の物で食ふのが基本です。
が、生をそのまま齧るか少しだけ塩を振り齧るのもまた乙なものです。
兎に角わたくしは胡瓜を良く食べます。
酢浸けの胡瓜には勿論たっぷりと胡麻を振らねばなりません。
嘘のやうに沢山胡麻を振り胡麻酢胡瓜として食べるのが胡瓜の最高の食べ方です。
勿論ピクルスなども大層美味ひとわたくしはさう思ふのですが、概して輸入品は値段が高く高級スーパーへでも行かぬと種類が余り置ひてありません。
よって其れはたまにだけとし普段はスーパーで買ったデカひキュウリを酢の物にして最高で一度に一本位は食っちまひますね。
其のキュウリの酢の物と仏蘭西パンとハムかソーセージが少しとチーズでもあれば要するに其れを仏蘭西パンに挟み込んで食へばもう後は何も要りませんね。
其処にマヨネーズをかけてもいいかもしれませんね。あとはトマトでもあれば最高かもしれませんね。
要するにわたくしはさうしたカンタンなものが好きです。
ややこしひものでは無く限定されたシンプルなものが好みなのです。
後は西洋人ならばワインとかが出て来るんでせう。
でも酒には興味が無ひわたくしの場合はドールの各種ジュースかまたはポンジュースなどでしょうね。
昔はファンタ中毒、コカ・コーラ中毒にもなって居りましたがようやく其処から立ち直りかうしたまさにフルーティな食事が可能となりましたね。
ちなみにわたくしは早食ひです。
何せ残りの時間を思考に費やさねばなりません。
だからややこしひ食事は要らず🍚物やらハンバーガーやらそんなものがハッキリ言って大好きです。
さらに🍛やら🍜やらが大好きだと云ふことです。
むしろ體に悪ひとされて居るものが矢張りと言ふべきかどうしても好きなのじゃ。
ひとつ疑問があります。
ハイ、何でせう?
海外の食ひものには美味ひものなど何も無ひとさう仰っておきながら今回は何でまた仏蘭西パンのお話だったのでせうか?
元より其れはそんなに拘るべきことでは無ひ。
仏蘭西女と日本の女はどちらがより美味さうかと云ふそんなお話のことで其れは其の場其の時での個人の選択の自由の範囲でのお話だ。
まあ何ていやらしひお話でせう。
食ふこと、其れは元よりとてもいやらしひ行為なのだ。
食ふこととはとてもとてもいやらしひ行為でいやらしひからこそ食べ物からは色んな匂ひがし食べること自体が何処まで行ってもキリが無ひのだ。
其のいやらしひと云うこと其れこそが生きると云ふことだ。
対する生きぬものはいやらしくは無く生きることこそが即食べ物でありこんなにいやらしひのだ。
なる程、すると食べると云ふことこそが生きることなのですか、何だか至極当たり前のことのやうにも思はれますのですが。
さうだ、食べるのがイヤになったら其れはもはや死にもほど近ひと云ふことだ。
さうして飽かずに食べて死なぬやうにして置くのが生命が等しく背負ふ義務其のもののことだ。