目覚めよ!

文明批判と美の探求と

『暴走する文明 「進歩の罠」に落ちた人類の行方』よりー弐 抽象性こそが文明の危機を招くー

ーおよそ、人間が誕生して、どれくらいの歴史があるのかは知らないが、人間とチンパンジーは違っている。映画は、ある実験を見せる。黄色く塗られたL字型の積み木が2個。ひとつは、立てることができるが、もう一つには、重りが仕掛けられているのか、立てることはできない。チンパンジーは、一つは立てることができるが、もう一つは立てることができず、諦めてしまう。幼児が同じことをすると、立てられないほうが、なぜ立てられないのか、原因を見つけようとする動作を示す。これが、人間とチンパンジーの違いなのだそうだ。ーサバイビング・プログレス - 進歩の罠 より

 

かやうにチンパンジーは、目的に対して具象的に失敗すればもう其れ以上を欲しやうとはしなひ。

此れがまさに自然としての具象的欲望の範囲なのだ。

 

だが人間の場合には幼児の場合でも抽象的に問題を解決しやうとする。

即ち抽象的に欲望を展開する能力が其処に与へられて居やう。

 

其の能力は然し善悪規定することが出来ぬ。

本質的には概念を絶対規定することがかなはぬ故に。

 

よりカンタンに言へば概念の基本構造としての二元的要素の優劣を規定することは出来ぬ。

さらにカンタンに言へば🐵と人間の優劣を規定することなどは出来ぬ。

 

だから人間は🐵以下だとするわたくしのやうな論理も当然ながら成り立つ訳だ。

 

其処で何故人間は🐵以下なのか?

 

頭の中に抽象性がある故に其の🐵以下なのである。

 

 

其の抽象性はいつかは暴れ出す。

 

事実近代以降は暴れ続けて来ても居やう。

 

世界大戦も東西冷戦も科学技術文明も皆其の抽象性による構築物だった。

 

勿論第三帝国や国連やEUNASAなども其の抽象性による構築物だった。

 

 

其のやうに次第により広ひ範囲で其の抽象性が発揮されて来たのだと言へやう。

 

然し其の結果何が起きたのだったか?

 

確かに暮らしは便利になった。

幼児もまた老人も死ななくなった。

要するに我我は豊かになった。

 

でも何だか不安定で不安である。

 

気候も人心も皆不安定で不安だ。

其れに疫病すら蔓延して居る始末だ。

 

一体何処に科学の勝利があると言ふのだ?

 

特に今世紀になり全てがヤバひ方向へと滑り出し始めた。

 

コレはもう文明が滅亡して仕舞ふのではなひかしら?

 

ところが大多数の人々は其の事実にはまるで気付けやしなひ。

 

お馬鹿さが幾重にも重なりもはや眼が見えず耳も聞こえず話すことと言へばじぶんが偉ひと云ふことのみ。

 

さう文明に洗脳されてる故に微塵も其の事実には気付かなひ。

 

 

 

どうも文明はおかしひのではなひか?

 

まあ少しでも理性が働ひて居る人ならば誰しもがさう思ふ筈なのである。

 

まさにそんな昨今なのだ。

 

だから、そんな時はもっと本質的に問題を吟味してみなければならぬことだらう。

 

要するに其の抽象性こそが問題なのだ。

 

 

人間の概念は事象の相対分別により成り立つと云ふ其の本質的性質につき考へてみなければならぬ。

 

其の相対分別こそが抽象性と云ふ観念領域を形成する。

 

其の観念領域は全体性=神佛と云ふ理性領域の分離過程であらう。

 

其の大元での理性が二元化して人間には組み込まれて居る訳だ。

 

ところが🐵には其れが無ひ。

 

何故か?

 

其の分離度が低ひが故に目立たぬのだ。

 

 

即ち幼児のやうにはイチイチ考へたりはせぬ。

 

キィーキィー其処でもう仕舞ひじゃ、もはやどうでも良ひ。

 

だから🐒はあくまで自然の内側でもって具象的に勝負しておる。

 

だから🐵にとっても美味ひものは美味くメスの尻も早う追ひかけたひのは人間とまるで同じことだ。

 

 

だが🚹の考へは少し違って居り第一日本料理やら中華料理やらまたさらに仏蘭西料理やら焼肉やらもう訳の分からぬものばかりを食ひたがる。

 

メスの追ひかけ方などはもっと酷くて此処ではお話が出来ぬやうなことばかりを好んで追ひかけてもおる。

 

だから其れをやったのがまさに人間の持つ抽象性なのだ。

 

其の抽象性も低次の場合には大きく環境を壊すことは無ひ。

 

だが高次の抽象性ともなればまた話は変わって来る。

 

 

即ち化石燃料を大量に消費し大気中に二酸化炭素をバラ撒ひて仕舞ふ。

 

先進国に於ひては性の破壊が齎され家庭崩壊、👪崩壊の不安と直面することとなる。

 

また経済成長と云ふ抽象的価値に捉はれ世界中の森林を伐採しまさに具象的に環境を破壊しまくっても来た。

 

 

すると次第に海の中にまで二酸化炭素が潜り込み世界中の海がおかしくなって来た。

其の海洋酸性化により気候変動と海洋生態系の破壊が促進されることだらう。

 

だから、其れはそも人間の根本のところがイカンのである。

 

 

其の抽象性其のものがまずはイカンのだ。

 

と言ふことは其の分離其れ自体が悪く要するに相対分離=相対分別にこそ根本問題があった訳だ。

 

其れを抹消しやうとして居た佛教の各派は矢張りと言ふべきか皆正しかった!

 

結果佛教=〇と云ふことと相成った。

 

でもキリスト教も勿論間違ひでは無く矢張りと言ふべきか其れは基本的に正しひ。

さうして結果としてもはや人類は宗教に縋り何とか誰かに救済して頂くより他無くなって仕舞ったのだった。

 

 

 

ー中国の国際研究学会のディレクター、ビクター・ガオは、中国の歴史を振り返りながら、唱える。「経済成長路線で、近代化、工業化を目指すべき」と。実際、中国では、見事な経済発展を遂げつつある。ところが、ライトは指摘する。「今、自然資本、つまり、空気、水、森林、農地、石油や金属などの鉱産物といった財産が、減りつつある」と。ーサバイビング・プログレス - 進歩の罠 より

 

中国は元々立派な文明を築く世界の先進国であった。

其れが西欧近代には負けてグズグズにされて仕舞ふ。

 

そんな大国の共産主義化は其処に大きな意味があったことかと思はれる。

但し其の体制内での資本主義化はどう考へても矛盾なのではなからうか。

 

兎に角中国と印度だけで二十七億人も人が居るのだ。

 

此れはもう人間の数では無くまさにウイルスのやうな数だぞよ。

 

ウイルスは宿主を喰らひ尽くしてなを其れでも増殖を止めぬので其れでもって死んじゃふのだぞよ。

 

 

さても改めて思ふにまさに困ったものだな、人間と云ふものは。

 

 

 

ー女性作家、マーガレット・アトウッドは、こう考えている。「世界は大きくはない。資源には限りがある。自然は永久に使い続けられない。無制限のクレジットではない」。人類の歴史で、さまざまな文明が起こり、滅亡した。原因は、資源の枯渇とされている。ーサバイビング・プログレス - 進歩の罠 より

 

現代人はクレジットにて買ひ物が出来るのだが其処でほいほいと色んな物を買って居ると後でぎゃーこんなに買っちまってたか、エラヒことを仕出かして居りました、嗚呼誰かお助け下され。

などと云ふことに実際わたくしなども屡陥るものだ。

 

即ち自然はクレジットでは金輪際買へぬものだ。

文明は資源の枯渇によりこれまでに幾度も滅亡を繰り返して来て居る。

 

其処はかって梅原 猛先生が屡指摘されて居た部分でもある。

 

 

 

ー今さえ良ければいい、問題は未来の世代がなんとか出来るだろうという楽観では、現代文明は崩壊してしまうかもしれません。

ドキュメンタリー映画サバイビング・プログレス − 進歩の罠』は、まさに21世紀を生きる私たちに文明崩壊の警鐘を鳴らす渾身のドキュメンタリーです。

 

本作品のナビゲーターのロナルド・ライトはこう言います。

「ものごとがあまりにも速いスピードで進行するため、手を打たないこと自体がもっとも大きな過ちのひとつになる」

「必要なのは、たんに短期的な思考から長期的な思考へのシフトであり、無謀と行き過ぎから、節度と予防原則へのシフトなのである」

「私たちには、資源を分かち合い、汚染を浄化し、基本的な保険医療や産児制限を実行し、自然の限界に合わせて経済活動を制限するための道具や手段がある」

『暴走する文明--「進歩の罠」に落ちた人類のゆくえ』ロナルド ライト (著),星川 淳 (翻訳)よりー「進歩の罠」に陥らないためには?より

 

 

其の長期的な思考は、むしろ文明の価値観とは正反対の価値からこそ醸成されていくものです。

わたくしの場合は其れを「役立たず」でもって「破滅的」な文學から學んで参りました。

 

と云ふことは「役立つ」ものでしかも「前向き=建設的」な思考からは其れは生み出すことなど出来ぬのであります。

 

だから其れは「ランボーの怒り」なのでもまたある訳です。

既存の体制の価値に対する怒りが實は正義の怒りなのでもまたあり得やう。

 

体制が腐った其の部分に対してはかうした怒りこそが正義ともなり得やう。

 

其の「ランボーの怒り」こそが文學でせう。

其処からも文學の根本には怒りがあるべきで、体制側からの御褒美としての脳減る賞やら褒章やらとは無関係に真實を語っていくべきものなのです。

 

 

「無謀と行き過ぎから、節度と予防原則へのシフト」ロナルド・ライト

 

節度即ち限定こそが文明に対しては今求められて居ます。

わたくしの気持ちはまさしく此のロナルド・ライト氏の意見に等しひものだ。

 

わたくしは数年間に亘りヤフーブログの方でまさに独り其れを世に訴へて参りましたが此処に来て初めて大きな援軍を得た心持ちが致します。

 

文明による其の無謀と行き過ぎの様はおそらく一握りの文人か又は心ある科学者にしか見通せぬものでせう。

批判力を持たぬ大衆の眼には其れは映っては居なひことだらう真實なのです。

 

 

「私たちには自然の限界に合わせて経済活動を制限するための道具や手段がある」ロナルド・ライト

 

確かに道具も手段もあります。

ですが我我は結局其れを実行には移せなひ。

 

何故か?

価値観其れ自体が自己矛盾して居るからです。

 

従ってより根本的な解決法は矢張りと言ふべきか宗教や哲學や文學の側から探っていく他は無ひ。

 

其れも究極的には宗教でせう。

 

 

「経済活動を制限する」ことが出来るか否かは社会が決めることでは無くー社会は其れを止められぬ故にー個が決めることなのやもしれませぬ。

 

おそらくは2050年辺りから徐々に食料危機が頻発するやうにもなることでせう。

 

其れは自然を搾取し過ぎ壊したことによる文明への罰です。

 

また其の頃からおそらく一年の半分位は戸外では活動出来なくなることでせう。

 

其れも自然を搾取し過ぎ壊したことによる文明への罰です。

 

 

我我日本人としての個は其の文明ー社会ーによる罪と罰を引き受け其処に罪を贖う生活を始めざるを得なくなることだらう。

 

但し其の罪の贖ひ方は我我の場合基本的には佛式です。

 

結婚式は教会でも挙げませうがかの國では誰しも死ぬる時は佛式でもって弔われませう。

 

さうしてお釈迦様に救って頂く訳ですのでより正確には其れは罪の贖ひでは無く煩悩の滅却なのです。

 

さて此の煩悩を如何に滅していくか。

 

我我日本人は其のことのみを考へこれからの艱難辛苦に耐へていかねばなりません。

 

 

わたくしはまた近くお寺巡りをして其の日本人の宗教的馬鹿を治す決意を佛様に報告して参る所存です。

明日か明後日には多分行けることかと思ひます。

 

 

 

仏説摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。

舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。

舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。

是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界。乃至無意識界。無無明。亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。無苦集滅道。

無智亦無得。以無所得故。菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罜礙。無罜礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。

三世諸仏。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。

故知。般若波羅蜜多。是大神呪。是大明呪。是無上呪。是無等等呪。能除一切苦。真実不虚故。説般若波羅蜜多呪。

即説呪曰。羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経

 

玄奘訳テキストより

 

 

ちなみに釈迦の教へと此の大乗佛教での所謂「空の思想」を述べた般若思想とはまるで別物です。

つまりは日本の大乗仏教は純粋な佛教では無く変容した様々な佛法の寄せ集めなのです。

 

但し般若心経の持つ此の簡潔さは嫌ひでは無ひ。

まさに詩としても恰好良く完成されたものだと思はれる。

 

 

尚「屡般若心経を写経する」とかってわたくしに言った年上の女が實は今も好き♡なのですが👩には所詮般若心経の真の意味など分からぬ筈だ。

 

女には所詮佛法の本質など伝へられぬわ。

 

さても其の佛法の本質とは何か?

 

 

 

屁と實じゃ。

 

 

どうも禅問答っぽいぞ。

 

尤も禅問答は逆に概念と戯れて居るかのやうで實は嫌ひなのですがね。

 

概念は所詮其れは馬鹿だからまるで相手にせぬのがまさに禅としての極意でせう。