新型肺炎の感染拡大は我我日本人に「限定」し且つ「備へる」ことの大事さをどうやら教へて呉れて居るのではなひだらうか。
我我日本人は戦後の民主制や官僚制と云った統治システムに頼り切りまた安全保障の面でも米國の軍事力の傘の下にしかと入りまさに安全、安心な日常がこのまま数十年は続くとさう思ひ込んで来た。
経済成長ですらこのまま数十年は続くとさう思ひ込んで来た。
だが90年代以降は其の成長神話が崩壊していく。
其処での成長が無理ならば経済規模を維持することしか出来ぬ筈。
事実其れを維持し続けて来たのは先進國としての日本の産業力のお陰であらう。
元より其の産業力、経済力に支へられ現代の先進國家としての今がある。
なのだけれども、今回の感染症の件をも含めてどうも危機管理に於ける日本國の主体性の無さが露呈して来て居るやうだ。
先にも述べたやうに日本と云ふ國の本質は矛盾的推進にこそあり其れは決して安全、安心なタイプとしての國のあり方では無ひことをまず我我は知っておかねばなるまひ。
要するにレールが敷かれて居る間は其処に精密に列車を走らせ日々恙なく其れを運行していく其の力には長けて居やう。
だが今はまさにボロが出つつもある、其れも様々な領域に於ひて。
其のやうにあくまで矛盾的推進ながら伝統國なので価値ヒエラルキーが上下関係でもって其処には柔軟性が無ひ即ち制度的に硬直化し易ひ。
其の点から鑑みるに日本人は多分平均的に利口なのだらうが組織的にはむしろ馬鹿の方なんじゃなひかとさうも思へて来やう。
桜を見る会、IR汚職、日本郵政不正販売……日本型エリートはなぜ「自壊」するのか?
確かに其の「型」に嵌り易ひ社会又は組織であることが何より問題を大きくして来て居るのではなからうか。
だが日本人はまさに其の「型」に基づき社会又は組織を構築して来たのだった。
戦後すぐの頃に坂口 安吾は『堕落論』にて日本はもはや其の「型」には拘るななどとも述べて居た。
だがわたくしの場合「型」はむしろ大事だと近年考へるに至った。
但し「型」は往往にして壊れるものだ。
無論のこと壊れた時にこそ「型」を修復する力が其処に求められて居るのだ。
其の修復力を戦後の日本の組織はむしろ弱体化させて来たのではなかったか。
或は其処は戦前の日本の組織の方がマシだったのだとも言へやう。
言ふまでも無く組織の自立性は独立独歩にて築ひていかねばならぬものだ。
日本國も明治の頃にはおそらくさうした社会又は組織としての気迫のやうなもの、即ち近代先進國家としての気概、気骨のやうなものを持って居た筈なのだ。
其れでも其処に本質的に「型」の修復力があったとは言へぬのやもしれぬ。
だが少なくとも精神的には其れは独立独歩としての「型」の修復力を持って居たのだ。
尚わたくしは単なる復古主義者には非ず。
むしろ日本國の近代化は誤りだったのではなひかとさへ一面では考へて来ても居る。
なのだが「型」が壊れていく様を只黙って見続けて居る訳にはいかぬ。
左様に諸々の「型」が自壊していく様を何とか食ひ止めたひのは文人ならば誰しも同じ気持ちなのだらう。
「型」への信仰、日常性への崇拝は特に戦後日本の国是とされて来しものでもまたある。
戦前からの激しき近代化への流れや数々の戦争を経て日本國は大東亜戦争には結局負けた。
其の振幅の激しひことだらう精神的な流れこそが日本人の精神をして或は本質的に疲弊させていったのやもしれぬ。
要するに日本人の精神は戦後何よりも安定化することを、いつも安心立命で居られることをこそ望んだのだ。
だから其処では革命なんぞはそも性に合はぬのだ。
革命なんぞそも其処で出来る筈がなひ。
ところが其の制度的な又は組織としての「型」への信仰、其の「型」に頼り切った日常性への崇拝の裏側には大きな落とし穴が存しても居た。
まさしく其れは制度的硬直であり柔軟性の欠如であり危機管理に於ける対応力の低さでもあった。
とまあ今回は随分とキツヒお話を述べて居る。
即ち批判がいつにも増して厳しひ。
要するに其の國家としての「型」は本来ならば信仰などすることなどかなはぬもの。
事実欧羅巴にせよ中国にせよ「型」は幾度となく破壊され其の度に新たな体制が組み上がって行くこととなった。
ところが英國は帝國主義でもって、また日本國は近代化でもって其の破壊を捩じ伏せ伝統を守り抜ひて来ても居た。
さうか其処からすると日本の近代化が誤りだったとはあながち言へぬ訳だ。
だが其の「型」乃至は伝統の踏襲に安住し切って居るとイザ「型」が壊れかけた時の修復が不可能ともなって仕舞ふ。
なので日本の保守勢力は常に危機への対応力を即ち「型」の修復力を常に磨ひておかねばならなかった訳だ。
たとへば何かを左翼にいびられてもまさに其れは御もっともなことです、とさう自戒しつつ対応力を常に磨ひておかねばならなかった訳だ。
でもかうまで政府+官僚がボンクラですと革命は確かにあり得ます。
よってワタシ共のやった政策がまるで馬鹿でしたので是非頭の良ひ左翼の方々に間違ひの部分を直して頂きたく存じます。
と國会では是非答弁していなくてはならぬことだらう。
ところが其の「型」の修復力を磨くどころか「コネクティングルーム」にこそ使っておる。
はて、其の「コネクティングルーム」とは何か?
和泉洋人首相補佐官と大坪寛子審議官 4度の海外出張はすべてコネクティングルームだった
うわー、こんなハゲジジヒはわたくしよりもずっとブ👨ではなひか!
そんなジジヒが何故こんなインテリ👩にモテるのであらう?
勿論其れは昔から女とは権力や金の力にはからきし弱く其処には自然と群がり其の反対側の力からは逃げていくと云ふ本質を備へる生き物なのだけれども。
さう其れがたとへ眞實の愛であれ権力や金と反対側の無能な👨には決して近寄らうとはせぬものなのだ。
そんなジジヒが京都にて👩にかき氷をア~ン♡だと!
正直真面目なわたくしは此の度「コネクティングルーム」なるものを初めて知りましたが皆様はもしや知って居られましたか?
コレではもはや左翼的に潔癖な思想が必然的に求められても来やう。
こんなことをいつもして居るやうではいつ革命が起きてもおかしくは無ひ。
尚世界革命がもし成ればわたくしはまた左翼に戻る。
今さう明言しておかう。
さて新型肺炎の感染拡大はまさに其の「型」の破壊に関はる大問題なのだ。
しっかし厚労省はまず出張に於ける「コネクティングルーム」への宿泊をまず根絶させる必要がありはせぬか。
かくして新型肺炎の感染拡大はまさに日本社会にとり「型」と「日常」の破壊を齎すものである。
其のやうな非常時に「コネクティングルーム」を通り女の処へ通ったりして居ては金輪際ならぬ。
其処からも、今後感染拡大が収束するまでは、
恋愛禁止!
デート禁止!
結婚禁止!
だ。
但し何かを食ふのだけは良ひ。
食はねば皆死ぬのでな。
ちなみに保坂氏が述べて居られる「 自壊する日本型エリート 」の問題と所謂日本型エリートの無責任体質の問題とは交互に重なり合っても居やう。
「型」の枠内では何をやらうが罪を問われぬと云ふ其の自律的な思考を欠く社会性、組織性、団体性が結局其の無責任体質を生み出していくのであらう。ー赤信号、みんなで渡れば怖く無ひー
翻り思ふに、わたくしの場合はかうして何かと自律型の人間なので社会性や組織性をかうしてこっぴどく批判してもいく訳だ。
自律的な思考を専ら頭の中心に据へた人間なので要するに其処は作家型なのか所謂「和の精神」などと言はれてもまるでピンと来なひのである。
問題は其の無責任体質は然し何も日本ばかりのものではなく欧米圏や中国やインドや露国などでも文明規模にて存して居ると云った事実にこそあらう。
只日本の場合には余計に其れが存して居る、或は二重に存して居るとも言ひ得ることであらう。
結局其れは人間としての本質的な心のあり方としての問題に帰することだらう部分である。
「型」と云ふか体制と云ふか伝統と云ふか其れを維持する組織と云ふか社会と云ふか、結局其れは大きく維持するのでは無くしてなるべく小さく維持しておき余力の部分を諸の破壊に対し常に備へて置くべきだと云ふのがわたくしなりの保守論法なのだ。
大きくなればなる程に組織も権力も腐敗し易くなり逆にイザ何かがあった時には小回りがきかずに自滅して仕舞ひ易くもなるのであらう。
組織または國家がそも大きくならうとすること自体が誤りでありなんだけれども近代國家と云ふものは皆其のことを目指すと云った矛盾律こそが文明には存して居やう筈。
尚感染症対策は日常の非日常化への対策なのでもまたあらう。
日常が矛盾的に壊されやうとして居る今こそ日本と云う國家が本質として抱へ込む課題を吟味していく好機が到来して居るのだと言へなくもなひことだらう。
安倍氏はもうそんな生き地獄の首相など辞めてゴルフの練習と政治体制史の御勉強のし直しをした方が楽ですよ、楽。
かと言って左翼は左翼で政権を担ふ奴など何処にも居りませんのです。其れもかの朝日新聞をも含めてね。
正直安倍氏はこれまで良く頑張られては来た。
あら、お優しひ。
元々わたくしは至極優しひのだ。
正直安倍氏の後の首相候補にロクな奴が居らぬのが至極心配じゃ。
もしやアノ人、アノ軍事ヲタクの人などは如何でせう?
アノ人は何処か目付きがおかしひですよ。
まさにアレはヲタクの眼其のものだ。
もしやヲタク初での総理大臣の誕生なのか?
だが其れよりも何よりもまずは新型肺炎の感染防止に各自尽力されたし。
無論のことイザ感染して死ねばもはや二度と飯は喉を通らぬのだぞよ。