目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

ドキュメンタリー パンデミックのとある日ーまだ読んで居なひ本に関する話などー

尚最近わたくしがアマゾンにて購入した本は以下である。

けれどもいずれもがまだ一行も読めずに居る。

 

だが読む時は一気に読む。

大抵は一日あれば一冊は読めて仕舞ふ。

 

地球に住めなくなる日: 「気候崩壊」の避けられない真実

むしろ一番ヤバさうな本だ。

現状で内容は全く分からぬ訳なのだが、おそらく地球の気候や生態系が崩壊する話である可能性が高ひ。

地球の気候や生態系が崩壊するやうに文明を組み上げることは元より間違って居やう。

 

だが大衆は文明に洗脳され此の種の本からは元々遠ざかって居るとでも言ふべきか兎に角此の種の分野には縁が薄ひ筈だ。

要するに心的状況のあり方が違ふが故に楽しひもの、面白ひものばかりに群がらうとする。

 

なのでむしろ此の種の本は好んで読むことが多ひ。

 

 

資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐

かのガブリエル氏が登場するやうなのでつひ買って仕舞った。

但し此の本はパンデミックの前の去年に出て居る本だ。

果たして今ガブリエル氏は何を申されて居るのか?

 

新型コロナウイルス禍は、単なる感染症の問題ではありません。人間の生き方を根本から覆し、世界の秩序や文明を一変させるものです。」

「ウイルスは純粋に生物学的な現象です。しかし、それにとどまらず、新型コロナによって起きる様々な問題は我々を相互不信に陥らせ、社会の連帯を分断します。つまり、新型コロナは『精神の毒』でもあるのです。」

「人種や年齢など、あらゆる分断が新型コロナによって深まる」 -以上M・ガブリエル氏による御意見-

 

「新型コロナが一気に感染拡大できたのは、国境を超えた人、モノ、カネの移動を加速させるグローバリズムの反動です。冷戦終結以降、企業の国際進出が進み、移民の受け入れや世界的な観光ブームも起きました。だがその結果、ウイルスもグローバル化してしまい、これまでにないほど早く、広範に感染が拡大できるようになりました」-以上京都大學名誉教授 佐伯  啓思先生による御意見-

M・ガブリエル氏ら世界的知性が答えた「コロナと人類の未来について」より

 

なる程、まさに御尤もなお話ばかりなのだが意外と普通の話しなのでもっと別の視点を求めてみたひ。

 

「今の世界は、国際社会を主導する国家が存在しない『Gゼロ』時代です。'08年の金融危機ではG20(主要20ヵ国・地域)の首脳が結束し、世界的な金融システムの崩壊を防ぎました。こうした国家間の連帯が不可能になりつつあるのです。

 新型コロナの対応では3月16日にG7の緊急テレビ会議が開かれました。しかし、米中、日韓、トルコとEUなどの地政学的対立から、各国の足並みは揃わなかった」- 以上国際政治学者のイアン・ブレマー氏による御意見-

M・ガブリエル氏ら世界的知性が答えた「コロナと人類の未来について」より

 

わたくしはむしろ近代國家としてのシステムの上での崩壊ー國家としての崩壊ーが今まさに突き付けられて居るのではなひかとさう危惧する。

要するに國家が持ち堪へられず解体される局面さへ場合により出て来るのではなからうか。

 

ま、國家が崩壊することはアナーキストとしてはむしろより望ましひことではあるのだけれど。

但しアナーキズムにも保守的なのと革新的なのと謂はば両極があり其の違ひは案外大きひのだけども。 

 

 

第一安倍政権の場合は主導的なコロナ感染死対策を國家レヴェルにて出来ては居なひ訳だ。

要するに結果的に僅かなことしか出来ず其れでもって日本社会固有の縦割り行政だの組織の硬直性に阻まれ結局何も出来ずに今も居る。

 

其れでもって此の侭ズルズルと経済活動だの勉學だのを止めて居るとまずは大衆が腐りさらに児童学生が遊び呆けおまけに國家が疲弊しても来やう。

だからと言ってみんながコロナ死しては困るので経済活動の再開もままならぬ状態だ。

 

さうかうするうちに小さな店が皆潰れ中小企業が潰れさらに大企業も留保金をはたき最終的には國家が破綻しやう。

ま、其処は是非頑張ってやって下され。なぜ上場企業は内部留保460兆円を使って休業しない?緊急事態宣言でも消えぬ満員電車=今市太郎

 

従って國家としての崩壊の危機は此処日本國にも其れが無ひ訳では無ひ。

が、陽光がウヒルスを灼き尽くし日本人が助かる可能性もまたある。

無論のこと其の場合には安倍政権の崩壊だけで済む話だ。

 

 

ごまかさない仏教: 仏・法・僧から問い直す

さうして何かと誤魔化してる日本の大乗各派につき書かれて居る本にて實はコレが最も読みたひ本である。

佐々木 閑氏と宮崎 哲弥氏は共に仏法解釈に於ける左派なのではなひかと個人的にはさう思ふ。

要するに仏法解釈をより合理的に為さうとして居る新世代の仏法解釈者なのだと思ふ。

 

佐々木  閑氏はNHKのテキスト関連での仏法解釈書も多々出版されて居るが其のいずれもが分かり易く我が國の大乗佛法のあり方に真正面から取り組まれて居るものばかりだ。

但し何かと厳しひ解釈などもまた其処ではして居られる。

要するに左翼が政府のことをワヒワヒ批判するのと其れは同じことなのだ。

 

宮崎  哲弥氏の佛教関連の本は一冊読んだきりなのだが本職の御坊様方とも対等に渡り合へる知識の持ち主にてまさに其処は生半可なものでは無ひ。

宮崎  哲弥氏は独身主義の共同体主義者の筈で、まさに其処がわたくしの立場とも同じなので何処か他人とは思へずつまるところは彼が嫌ひでは無ひ。

 

 

そんな訳でまだ読めても居なひ本に就ひても色んなことがかうして言へるものだ。

 

 

「反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー」ジェームズ・C・スコット著(みすず書房)

さて、問題はまさに此の本だ。

どうもコレが凄ひ本であるらしひ。

勿論其の問題の多ひことだらう國家に関する著述である訳だ。

 

あらすじのやうなものだけはネット上にて読んだのだったが要するにまだ買って無ひ本である。

さて本書の筆者ジェームズ・C・スコットはイェール大学の人類学者・政治学者であり東南アジアをフィールドとし地主や国家の権力に対する農民の抵抗戦略に焦点を当てる研究に特徴があるのださうだ。

 

で、要するに此の本もさうした意味での國家の成立に於けるまさに深読みでの内容なのであらう。

なのであらうと云ふ点が本を読んでも居なひのに如何にも不真面目である。

 

が、其の不真面目な様をむしろわたくしは文學として書ひて居るのだ。

どだひ其の本も読まずに其の本の内容を語る馬鹿などはさうさう何処にも居やあしなひ。

 

 

さて社会科を少し深く勉強してみた人にはすぐに分かることかと思はれるのだが實は國家ほど厄介なものは無ひ訳だ。

國家こそが人間にとっての元凶だと云ふ思想などもまたある訳だ。=アナーキズム

 

では何故國家は人間にとりヤバひのだらうか?

其処ですぐに思ひ浮かぶのは所謂全体主義のことである。

 

かって國家権力は絶対王政と云ふ専制政治を生み出し其の力の下に國民を隷属させたが第二次大戦の時点では全体主義のヴァリエーションを生み出して居ることは記憶に新しひ。

所謂軍国主義ファシズムによる独裁政権が樹立され其処にて個に対する諸の抑圧が生じ國家への絶対の服従が強ひられて居た訳だ。

 

其処で最終的に個は國家に対し命すらをも投げ出さねばならなくなる。

だからまさに其れが特攻でありナチス独逸の行ひし非道な行ひの数々でもまたあった訳だ。

 

が、其れには目的があったことを實は忘れてはならなひ。

わたくしが左派から右派へとつまりは保守的な考への良さに気付ひて行ったのにはさうした経緯があった。

 

即ち大日本帝国亜細亜を欧米による侵略から護る為に戦ったのだった。

まあ其処は分かる。

また独逸にせよ第三帝国の建設と云ふ國是がまた存して居た。

 

けれども其処でよーく考へてみると國家の欲望は其のやうに目一杯にデカくなる、要するに抽象的に限りなく大きく規定されて行くのである。

其の抽象性こそが元凶なのだと断ずれば國家なんぞ要らねへやと云ふ考へへとやがては行き着かう。#無政府共産主義 キリスト教共産主義

 

 

尚わたくしは今回のコロナ禍を國家と個と云ふ視点から今一度捉へ直してみたく思って居る。

特に自由な民主主義先進國である筈の日本に於ひて何故かうも政府+官僚機構の対応が遅く尚且つ此処まで不十分なのか?

と云ふ疑問の部分が生じ其れは日本の統治機構が國家権力と云ふ強大な権威力に胡坐をかひた結果ではなかったかとさう睨んで来ても居るからなのだ。

 

だから其れは本来あってはならぬ自民党一党支配の様がいつの間にかさうした状況を招きまさに全体主義的に個に対し労働上のコロナ特攻を強ひる社会を築き上げて仕舞って居るからなのだらう。

其のやうな訳でわたくしはまたアナキストの一人に戻り其の個としてのコロナ特攻死と闘はねばならなくなった。

 

 

さて、國家とは要するに抽象性の権化其のもののことだ。

 

國家があると皆が安全、安心に安定して暮らせ幸せかと言へば實はさうでは無ひ。

むしろ國家があることで我我個の自由は常に制限され國家の営為其れ自体に束縛されやう。

要するに共同幻想としての束縛に対し個は幽霊化して行かざるを得ぬ。

 

むしろ其れは國家に隷属しさうして🐕として尻尾を振り続けて行くことであり其れは眞に自由なのでもまた幸福の形なのでも無ひ。

無論のこと個に対する自由や幸福の實現は幻想の次元を小さくしていき対幻想乃至は自己幻想としての社会関係を築くことこそが本来ならばより望ましひ訳だ。

 

 

但し其処にて反対の立場のこともまた常に成立する訳だ。

即ち國家に帰属することでこそ我我はより大きく生きる安心感なり安定感なりを得られることだらう。

 

何故なら強ひ國家がさうして我我を守っても呉れやう筈なのだから。

ところが抽象度の高く設定されし國家は我我個に対する要求ー義務ーもまた課して来やう。

 

即ち勤労せよ、納税せよ、さうして教育を受けろ。

 

やってますがな、ちゃんとやってます。

でも何故まだマスクが届かぬのでせうか?

 

だから、其れは、其れ即ちもはや國家崩壊の態でせう。

 

 

サア、今から戦闘だ、さうして🚇でもってコロナ特攻して来ひ。

イヤです、まだマスクが来て居ません。

 

其れに麻生大臣の顔が兎に角怖ひ。

其れも何だか悪人ぽく見へ佛像の御顔とはまるで正反対です。

 

と言ふやうに國民は屡戦闘にもかり出されませう。

其れも實戦では無く経済戦争や教育戦争へとさうしてかり出されて行くのです。

 

 

ですので、伝統の良さも郷土の豊かな自然もまた良妻賢母もみな保守の國としての日本の宝です。

なのですが、かうして國家だの組織だのは其の果實を個に与へぬ侭にかうして全体主義をやるものと相場は決まって居りませう。

 

だから其れに尻尾を振って居るばかりでは國家は打倒など出来ませぬ。

 

では警察も自衛隊も要らぬとさう仰るので?

いや、其れ等はあって当たり前でせう。

でなひと世は乱れますよ。

 

天皇制もまたあって良ひのですか?

無ひと困るでせう、其れが無ひと。

 

何だか矛盾して居て良く分かりません。

 

いや、抽象的理念とはさうして所詮は矛盾に陥るものです。

現實とは其れ矛盾のことで、重要なことはイデオロギーとしての正解などは此の世に無ひと言ふことです。

 

 

ではイデオロギーを離れろとさう仰るので?

イデオロギーは個として持ってれば其れで良ひと言ふお話です。

 

問題はコロナ禍にて國家が其の役割をちゃんと果たして居るかと云ふ只其のことのみです。

 

ところで本の内容の話は一体どうなったのでせうか?

嗚呼、其れはまた次回にでも論じませう。

重要なことは本の内容以外の話でもかうして幾らでも話が繋がると云った面にこそあらう。