目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

権威主義の果ての文明の行方ーわたくしのポスト・コロナ論ー

おそらく此の世界は有機的な価値を有して居る。

其れを合理化にて抽象的無機的に変換するからこそかうした無理な力が自然にかかり揚句には具象的に限定されざるを得ぬ。

 

要するに其の具象的に齎される価値崩壊とはむしろ抽象的な価値を無制限に追ひ求めることでこそ成立して居る。

だがもしも我我が具象的な価値をトコトン追求して居たならば此処までの限定が強ひられることなど無かった筈だ。

 

其の抽象的な価値とは、人間の肉体の維持管理の領域を離れ何処までも肥大化して行く幻想としての価値のことだ。

 

具体的には其れが経済成長であり、またグローバルな國家間の緊密度であり人種間の垣根の撤廃であり食料供給や資源供給を世界レヴェルにて行ふことだ。

 

わたくしはさうした拡張型の文明は✖だと考へて居り、対して○なのはまさに地産地消、小さな領域にて営まれる前近代型の文明だと日頃から常に考へて居る。

 

 

また其の部分は宗教が示すところでの眞理のあり様から導き出される考へ方なのでもある。

 

たとへ宗教が其れぞれに世界公布を目指す為の教へなのだとしても、たとへば釈迦は釈迦で佛教だけが宗教だとはまさか思って居られなかったことだらうし、またキリストにせよユダヤ教や東洋の宗教は全部邪教でもって無くした方が良ひとまでは考へて居られなかったことだらう。

 

兎に角全ての文明はかって其の地域でのものであった訳で、其の地域のものである以上まさに其処で頑張って居れば良ひ話であり別にグローバルに活躍などせずとも其れでもって素晴らしひ統治システムが構築可能なのはまさに家康公が幕藩体制として完成させたところでのものだ。

 

で、江戸時代は全く良ひ時代ではなかったか。

 

 

でも江戸時代にもコロリなどが蔓延したりはしていたやうです。コレラの歴史 #日本の歴史

 

いずれにせよ感染症は人間が集団で居ると人から人へと移る訳なので極端な話人嫌ひにでもなれば移り難くもなるのであらう。

 

と云ふことはコロナ感染は人嫌ひの人に与へられる限定では無くして群れ集ふのがむしろ好きな人、要するに酒飲んで騒ぐのが好きな性格だとか仕事で人とぶつかり合ふのが好きだとかむしろさうした外向性に対して、また前向きな性質に対して仕掛けられし限定性でむしろ我我のやうな暗ひ人、嗚呼まさにマニアックでもって比較的利口な人に対し投げかけられた問ひなどでは無ひ訳だ。

 

事實わたくしの家籠りの様はコロナ以前と以後でほとんど変化はして居なひ。

わたくしはかうして基本的にお家での時間に安らぎを見出す性格なのでむしろ何も限定されては居らず逆に何かと自由になっても居る。

 

つまりは其の自由と云ふこと其のものの捉へ方がそも人により違ふ。

 

多くの人間は外へ出て何かと活躍することが自由だと思ふやうなのだがむしろわたくしにとり其れこそが不自由でしかも拷問のやうなものなのだ。

 

 

お家でもって家事をやることは左様に限りなく自由なことではなひか。

何故みんなは男性は外で仕事をして稼ひで来ひなどと決め付けるのだらう。

 

其れにわたくしはかうして家事をやりつつ世の中に何かを言って居ることの方が遥かに此の世の中の役には立つのだよ。

 

そもみんなは何故そんなに社會が好きなのだ?

 

わたくしは社會なんぞ大嫌ひだ。

 

さうしてみんなで群れて泳ぎ赤信号を平気で渡って行くのが兎に角イヤなのさ。

 

 

ところで最近デモが各地で起きて居る露西亜での権威主義の方は大丈夫なので?

其れにかのプーチン氏が宮殿に住んで御座るやうですがこんな露西亜ではむしろ革命が必要なのではありませんか?

 

まあ露西亜にもまた市民革命が必要なのやもしれません。

 

さても其の同じやうな権威主義國家である露西亜と中國がくっつき将来日本を属國となすのですか?

そりゃ知りません。

 

知りませんのですが、権威主義と云ふのは結局宮殿を造り上げて仕舞ふことこそがまさに問題なのだらう。

 

 

やる気がある⇔やる気が無ひ

 

で、本来ならばやる気が無ひ方のことも露西亜露西亜文學から學んでおくべきなのだらう。

 

特に晩年のトルストイの放棄としての価値に就き確りと學んで置かねばなるまひ。

 

なのだがプーチン氏はむしろヤル気の塊のやうな人でせう。

 

そんな人には文學のことなどそも分からぬ訳です。

 

 

だからこそ宮殿に住みまさにオレは偉ひぞと威張って仕舞ふのだ。

 

もしや宮殿がお嫌ひなので?

 

いや嫌ひでは無ひ。

 

實は宮殿に置ひてあるやうな一流の品品を見るのが大好きなのです。

 

でもそんな権威の為の虚の装飾が我我個の生活をもしや圧迫するのであればまさに其れを粉砕せねばならぬことだらう。

 

プーチン氏は頭が悪ひ可能性が高くまさに其処は例のトランプ氏と同じことでもある訳だ。

そんな具合に政治家の頭は大抵悪く要するにレヴェルが低ひものと何故か相場が決まっておる。

 

 

もしや信長も其のバカだったのですか?

いや信長を馬鹿呼ばはりして居ては其れはもはや名古屋人であることを辞めねばならぬ。

 

先にも述べたやうに信長は利口だったが惜しひことにアスペルガーにてマニアック過ぎる人だったのだ。

 

つまり城などには凝りに凝りまた能などにもいたく興味を持ち其ればかりか気分屋だったので最終的には周囲に理解されず死なねばならなくなったのだ。

 

藝術家気質である種生眞面目な信長⇔官僚タヒプでもってクソ眞面目な光秀

 

共に眞面目でしかも利口なのだが、何せタヒプが違ふので其処は理解し合へぬ。

 

其処へアノウルサヒ🐵秀吉が絡み話が酷くややこしひこととなる。

 

 

さても日本國の場合にはかの河野氏に是非総理大臣をやらせてみるべきなのでせうか?

でも彼は官僚的に何となくねちっこひ感じが何処かするよね。

 

だから河野氏よりも是非枝野氏にやらせ此の古臭ひ國日本を根本から変へて貰ひたひものだ。

 

 

権威主義者によると、社会の安定を維持しながら、計画経済から市場経済への移行と経済発展を実現するために、権威主義体制は他の体制と比べて最も優れているという。民主主義体制は、市場経済や、私有財産、多様な利害関係、市民社会、法治などを前提条件としており、権威主義体制は民主主義体制にこのような条件を与えるものである。民主化に取り組む際、全体主義体制から権威主義体制へ、さらに、民主主義体制へという順で進めていくべきである。この順序を無視し、一気に権威主義体制の段階を飛び越えて、民主主義体制に移行しようとすると、社会が不安定化する恐れがあるという。

権威主義者のこのような考え方に対して、自由主義者は、次のような疑問を投げかけた。まず、権威主義体制は権威を個人に与えることで、「人治」に正当性を提供している。また、個人の権威を強調しすぎると、全体主義体制の復権につながる恐れがあり、権力の乱用と腐敗問題の深刻化をもたらす。自由主義者たちは、権威主義体制の代わりに、経済体制改革と同時に、普通選挙制、三権分立、議会民主ないし多党制の実施など、積極的に政治体制改革と民主化を推進しなければならないと提案している。

このように、自由主義者は、個人の権利、民主化を強調し、一方の権威主義者は、秩序と権威を強調している。ー中国における権威主義体制の光と影― 権力と資本を如何に制約するかが課題 より

 

かうして中國と云ふ國もまた露西亜と云ふ國も其の権威主義として掲げる体制が生じさせる矛盾の故に苦しんで居ることだらう。

 

では世界は須らく民主主義体制へと移行せねばならぬのだらうか?

わたくしの場合必ずしもさうは思はず、何より民主制には見へなひ罠のやうなもの、まさにみんなで渡る危なひ橋のやうなものが架かって居るとさう判断しても居る。

 

どだひ其の民主制と自由主義経済との間には強ひ結び付きがある訳だが、今回のコロナ禍にてむしろ問はれて来て居るのがまさに其の自由な経済活動を旨とする体制であらう。

つまりはポスト・コロナとしての経済体制が自由な経済活動を旨とする体制であるかどうかは今後の世界の動向を見なければ誰にも予測がつかぬものとなりつつある。

 

さて、問題は其のポスト・コロナとしての社會を今後どう構築して行くべきかと云った点である。

 

 

理想の体制⇔旧来の制度に流された体制

 

との二元的展開が其処に考へられ、おそらくは左の方へはなかなか移行出来ぬことだらうと云ふのがわたくしの予測なのだ。

 

要するに社會はなかなか変はれはしなひ。

 

現代人は現代人である他は無く今さらお江戸の人にはなり得ぬのだ。

 

 

なのでおそらくは其の戦後体制が築き上げしものを世界の國國は其の侭に引き摺りつつコロナ感染の収束を願ひ歩むばかりなのだらう。

結局其の世界の國國が戦後築き上げた國の仕組みなどが変はることは無くむしろ其れを維持しやうとする力が所謂正常性バイアスとして強く働き続ける筈だ。

 

 

尚ポスト・コロナとしての社會に就ひては様々な學者や文化人がまさに様々なことを述べて居ることかと思ふ。

 

其処でのわたくしの意見としては世界はなかなか変はることなど出来ぬことだらうと云ふ一種悲観的な見方をして来て居る。

 

要するにコロナ禍にて文明が本質的に変はる訳では無くもし其れが変はらざるを得ぬのだとしたら其れは2050年辺りから始まるであらう地球崩壊によるカタストロフィによるものだとさう感じて居るのである。

 

 

地球崩壊?

さても何ですか、其れは?

 

今初めて聞きましたがまるで遊園地のお化け屋敷のやうに恐ろしひ言葉ですね。

 

いや、地球崩壊はあるよ。

むしろもう始まって居るよ。

 

もしも地球が崩壊するのだとして其れをやるのは矢張りと云ふべきか人類なのでせうか?

結局矢張りと云ふべきか人類なのだらうね。

 

きゃあ、実際どんな怪談よりも怖ひ話だな。

 

さうだ、其の破壊こそが最終破壊戦争のこと、つまるところはハルマゲドンのことだな。

 

でも御坊様方はハルマゲドンのことなど仰って居なひですよ。

 

其れを言ったとすると五島 勉氏だとかオウム教だとかオカルト雑誌のムーだとかまたはキリスト教だとかになるのだと思はれる。

 

 

確かに佛教にはハルマゲドンなど無ひのだが、でも法滅尽だの末法思想だのと云ふことが一部には存在して居やう。

 

其の変はりたくは無ひ社會、より正確には変はりたくは無ひ我我個を含む社會が今後変はらざるを得ぬところへと追ひ込まれて行くことこそがおそらくは未来史としての實相なのだらう。

 

でもハルマゲドンなんて如何にも怖ひです。

 

何を言って居るのだ。

 

むしろわたくしにはさうしてみんなが変はらずに赤信号を渡り続けて行くことの方が余程に怖ひぞ。

 

 

ハルマゲドンになると動物園から猛獣が皆逃げわたしたちの家庭を襲ひバリバリと妻や子を喰ひ尽くして仕舞ふのでせうか?

 

そりゃ知りません。

 

でも學校などは如何にも危なひかもしれません。

 

広ひ場所つまりは校庭などに猛獣が集まり其れが校舎へとなだれ込み其のまま教室へ突っ込むか其れとも体育館の裏などに爬虫類の大きひのが集まり其処で煙草を吸って居た不良の奴等を食ったりするのかもしれません。

 

 

次第に話の内容が三流週刊誌並に落ちて来て居ますが。

 

さうでした、どうもすみませんでしたね。

 

 

さても尾張の自称詩人よ、地球崩壊だなんて世を惑はす恐怖を撒き散らすこと勿れ!

 

さうでしたね、どうもすみませんでした。

 

ところで確かに其のコロナ感染は収束するのですね?

コロナ感染はおそらく収束するのだけれど、其処に経済的な破壊の後遺症が残り社會活動が元通りになることは難しひことだらう。

 

なる程、社會と其の構成員である個は共に文明の維持を願ふがコロナ禍による破壊の爪痕が残り経済的にはずっと制限されると云ふことですね。

 

 

尚以前にわたくしは左翼的な合理的思想を徹底的に批判して居た訳だった。

其処を大雑把に纏めれば人権思想、また自由主義、さらに近代化としての文明の普遍化がむしろ世界を破壊して行くとさう述べて居た訳だ。

 

故に理想の体制とはむしろ過去のもの、其れも近代以前のものをなるべく縮小化したものであるべきで其れも理想論的にはまさに共同体主義でもって國家としての体制の存せぬ無政府主義こそが望ましひとさう述べて居た筈だった。

 

なのだけれども現在はさうした理想論には傾かず其の場其の場に応じた体制と云ふものを考へるに及んで居る。

 

即ち此処日本には日本に見合った体制のあり方があり、また露西亜にはまた中國にはまさに其処に見合った体制がまたあるのであらう。

 

そんな現實論でもって果たして大丈夫なので?

 

 

まあ日本の場合にはまるで大丈夫では無ひ。

 

無ひのだが、たとへば貧乏になることの素晴らしさに今後の我我は是非気付ひて行かねばならぬことだらう。

 

へっ、貧乏?

 

一体何ですか、其れは。

 

何故なら日本はこれから次第次第に貧乏となりおおまさに其の壱膳の米の飯の美味さにこそ気付ひて行かねばならぬのだ。

 

だからいつも麦飯だのアワだのヒエだのを食って行かずばなるまひ。

 

 

貧乏とは、嗚呼まさに其の貧乏であることこそが宗教的な自我を形成する為の最後の切り札なのだ。

 

要するに我我ブロヒラー化された現代人はむしろ飽食にて眞の意味での食の価値を見失っても居ることだらう。

また精神的にもかって釈迦やキリストが説ひた眞理を完全に見失って仕舞って居る。

 

でも其れではダメだ、ダメなんだ、現代人、エエヒ此の此の家畜野郎共めが。

まさにおまへたちを待って居るのが其のハルマゲドンであるばかりなのだ。

 

 

橋下徹氏、国会議員の定年を提案「政治家の新陳代謝は必要」「世界のリーダーは40代くらい」

ところでかうして今🐵の橋下が正しひことを言って居る。

橋下程偉ひ🐵は何処にも居なひことだらう。