目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

ドキュメンタリー パンデミックのとある日 ー弐ー

諸価値は権威化すればする程に其の維持が難しくなりやがては崩壊の憂き目にも遭ふ。

だから諸価値は権威化し過ぎてはならなひ。

 


と云ふのが左派思想としての根底の価値観でもまたある訳だ。

だからこそ其処で仏蘭西革命により絶対王政の打倒が引き起こされたりもまたして来て居やう。

 


其の左派思想の根底の価値観でもある絶対的価値ヒエラルキーの解体は近代民主主義國家にとりまずは重要な視点なのでもある。

しかしながら共産党一党独裁にせよむしろ其の「左」と云ふ思想を目一杯に利用し独自に絶対的価値ヒエラルキーの世界を築ひて仕舞ふ。

 


其の点で絶対的価値ヒエラルキー構築の世界から文明が逃れることは出来ぬ訳だ。

ところが歴史は流れるが故にーかうして刻々と時間は過ぎて行くのだからー其の「左」の社会主義にせよ逆に立憲君主制による「右」の立場にせよ絶対的価値ヒエラルキー構築と云ふ根本矛盾が蓄積して行かう。

 

 

 


其れでもってつまりは両極分離されし社会制度の侭ではやがて諸矛盾は極大化し崩壊して行かざるを得なくならう。

と云ふことは、其処に脱近代的で非権威主義的な何らかの社会制度が必然として求められて来る訳だ。

 


無論のこと其処はかの老子でのやうにいっそ社会とは距離を置き無為自然であることを理想として語られたものても良ひのである。

即ち社会としての価値観をかなぐり捨て其の眞我による「道」を個としてまた社会として形成して行くことこそが理想なのだ。

要するに其れこそが社会的価値ヒエラルキーの一元化思想であり一種の理想論なのだらうと思ふ。

 

 

なのだけれども、其れは現代社会に於ひてはもはや無理なこと、東洋の智慧を今此処に指し示したにせよ其れはあくまで絵空事のこととなって仕舞ふ。

 


勿論かっては其の左派思想こそが目指すべき近代社会としての方向であり最終地点の筈であった。

 


最終的には一元化されし共産党一党独裁により少なくとも平等でもって人権を重んじる時代が其処に到来する筈であった。

 


だがさうすると其処に「自由」は無くなるのだ。

 


さうして経済成長もまた期待出来なくなる。

 

 

 

なので其処にて左派思想は自ずと限界を迎へて仕舞ふ。

要するに近代人の持つ欲望にふさはしく無ひことだらう、何故ならば其処で思想や信条、宗教などが統制されるか又は否定されることとなって仕舞ふのだから。

 

 

だが、其処でカン違ひをしてはならぬのは、實は保守思想の方にこそ文明崩壊への矛盾が蓄積されて行く虞が高くあると云ふことなのだ。

 

 

 

かう云ふことを言ふとまた諸諸疑問点が生じて来ることかとも思はれるのだが謂はば絶対的価値ヒエラルキーの継続こそが近代文明にとりほぼ不可能なのだ。

 


何故なら近現代文明とは其れ自体が極度の進歩主義により進められて行くものだ。

 


其れは現代社会としての最右翼でもある米國の動きからさう見て取れる訳だ。

 


でも其の米國立憲君主制など勿論採用しては居なひ。

 


米國の國是とはあくまで米國民が自由であり其の権利が民主主義により貫かれて居ることなのだ。

 

 

 

ところが、此処日本國としての社会的価値はどうだ?

 


其れは立憲君主制による「右」の価値即ち伝統的価値観に寄り掛かりつつ経済的にまた科学技術としての進歩主義に突き進むと云ふまことに理解に苦しむものであった。

 


従ってそも其処にはまずもって大矛盾が存して居た。

 


だからつまりは其の矛盾が日本の精神並びに道徳観を根底から破壊していくことは必定。

 


精神と資本主義はさうして両立せず、つまるところは儲ければ儲ける程に精神は壊れて行き且つ自然も壊れて行かう。

 

 

 

勿論其の点での三島 由紀夫先生の予見は正しかったのだ。

 


わたくしが保守としての日本の精神に立ち戻るべく左派を批判するやうになったのはさうした経緯によるものだ。

 


社会民主主義共産主義➡左派としての共同体主義➡右派としての共同体主義

 


との思想変遷によりわたくしは脱左派を為した訳だが同時に其処で右派の陥り易ひ絶対的価値ヒエラルキーの構築を認めて居る訳では無ひ。

 


つまりは矛盾を蓄積させるやうな絶対的価値ヒエラルキーの構築を極力減らすべきだとも考へて来て居り其の点では日本流の幕府やまたは天皇様に無条件に従へと云ふ価値観にはまるで従へぬ。

 


が、現時点では天皇制は否定せぬつもりであるのだし、また君が代は大ひに歌ふべきなのだし軍国主義にすら一定の歴史的意義を認める者でもある。

 


だが最終的には國家は解体されるべきだと思ふのであるし政治と云ふよりも宗教的な基盤の上で社会は運営されていくべきものではなひかと最近はさう考へても居る。

 

 

 

宗教が何故其処まで大事かと言へば實は宗教こそが我我人間の精神を純粋に規定し得る唯一のものだからなのだ。

 


たとへば安倍首相が数々の決して許されぬ問題をあへて隠蔽しつつ政権の座にしがみつひて御座るのは彼の人間性に曇りつまり悪魔性がある故でのことで無論のこと其れはまともな人間のやることでは無ひのである。

其の悪の根絶、悪魔退散を願ひつつわたくしは今寺社及び教会詣でを予定して居るのであり其処ではなるべく僧侶及び神職並びに教会関係者に対し疑問をぶつけてみるつもりではあるのだが其処はどーなるものか所詮分かりはしなひ。

 


つまりは、まさにこんな時に「一体どーするのだ、宗教は?」とさう聞き質してみたひのだ。

 

 

 

そんな悪夢としての安倍総理退散!

色即是空、空即是色。

 

 

 

が、勿論今回のことは何も安倍総理一人の責任では無くまずは日本社会の特殊な矛盾性を見抜けなかったか、又は見抜ひて居たのに批判しなかった日本の知識階層全体の問題であり要するに其れが知性としての責任放棄であり怠惰であるとわたくしは日本のインテリを今全否定したひ強烈な思ひに駆られても居る。

 


特に、官僚達よ、君等は何故其処までエエ加減なのだ、学生の頃テストではいつも九十点以上は取れて居たことだらうに何でまた現實的には弐拾点、三拾点位しか取れて居なひのだ、

 


わたくしはまさに其れが保守慣れであり平和ボケだとさう思って居り、要するに東京一極集中での分別智的解釈の中で確固とした価値ヒエラルキーの流れが特に明治維新以降は続けられて来た。

 


ところが其の東京一極集中での分別智的解釈とは地方からの優秀な人材の寄せ集めであるに過ぎず、であるからして逆にデカひ価値=権威的価値ヒエラルキーに盲目的に従ふばかりでのことで要するに保守と云ふ安全安心な地盤に擦り寄るばかりでのこと。

 


其の枠内でしか仕事が出来ぬ故むしろ変化には対応出来ず其れとは違ふ価値観で動くTOYOTAなどが日本一利益を生み出す企業ともなるのである。

 

 

 

イザ東京が壊れるとみんなが逃げて地方へと散らばって行かうからもう東京には何も無くなるよ。

江戸文化と云ふ家康の遺産を除ひては。

 


無論関西も一緒だ。

 


だが関西には少なくとも絶対的価値ヒエラルキーの構築は無ひ。

関西もまた反骨の地盤であらう、要するにかの家康には物凄く恨みがあるのだらう。

 

 

 

今回のことは勿論都市文明に等しく突き付けられし問題でもまたあり、よって何処がどうのと云ふ問題では無く其れこそ近現代文明其のもののあり方が問はれて居る大問題である可能性が高くあり其れはもはや個としての理性の対応の範囲を逸脱する次元にあるものなのやもしれぬ。

 


すると多少考へることなどが出来てももはや何ともならぬ訳でであるからこそわたくしは考へると同時に神佛へ祈ること、まさに此のことが大事なことではなひかとさうシンプルに思ふのだ。

 


ところが、大都会の人々程一般に神佛への帰依には関心が薄く逆に諸の虚的な絶対的価値ヒエラルキーにこそ寄り添ったりして居るものだ。

 

 

 

でも其れがパンデミック一つでもってかうして崩壊する。

 


つまりは抽象的価値のほとんどが其れにて具象的に葬り去られる。

 


つまりTOYOTAの利益も決して今後保証されて居る訳では無ひ。

 


いや、TOYOTAも潰れるぞ、ことによれば。

 


然しTOYOTAが潰れるのなら、其処でみんなが行ってる会社などみんな潰れることは必至だ。

 

 

 

いや、困りましたね。

 


實はわたくしは年金の前倒し支給を申請して来やうかとも思って居るのです。

 


正直言って今後の文明の継続的な価値供給は信じられなくなりつつもありませう。

 


勿論各國政府はまた様々な國際的組織は文明の復活を希望の灯として掲げつつある。

 


でも現代文明は今回のパンデミックでもって半ば崩壊して居ると云ふのが事實上のことでせう。

 

 

 

かうして現代文明への危機はまさに思はぬところより生じて来た。

 


さう其れは温暖化による気候変動の問題でも無く地震の被害でも無くまた生態系の崩壊でさへもが無くマスクが無ひことと消毒薬も無ひことによりみんながゲホゲホになり社会が壊れて行くことこそにあった。

 


ところでおまへは何故其の危機を此処にてみんなに示すことが出来なかったのだ?

 

 

 

そんなことをわたくし一人に言はれてもどうにもならぬことではありませぬか。

だったら何故安倍政権はみんなにマスクをいまだ配れずしかも我我真面目な國民に一円も与へられぬのだ?


また何故官僚はたとへテストでは九十点が取れても現実上は弐拾点しか取れぬのですか。

 


それじゃあみんな落第じゃなひですか、落第でもってしかも留年。

いや、破壊、根本からの文明の破壊だ。

 

 

 

尚、天気が良かった昨日はまた相生山を散策し壱個だけこれまでで一番のデカひ石英が採れたのでとても楽しかったのです。

 


實は体の方はボロボロなのでしたが、今日は雨降りの予定だったので昨日行くしか無かったのだ。

 

 

 

山ではボランティアのおじさんがツツジの選定作業をして居り我は其の横でセヴン・イレヴンで買った冷やし中華などを食って居た。

 


結局食ふこと、まさにコレこそが文明の最終地点なのだとさうも思ふ。

國家による労働上の搾取行為は國民を食はせることが出来なくなった時点で崩壊致します。

 


今後状況が逼迫して参りますとそんな大事な食事の上でも制限がかかって来る虞さへもがまたあらう。

確かに今余り神経質に心配することでは無ひのだが其れもまた今後はあり得やう。

 


さて其の山の中なのですが、いつもとはまるで違ひ子供連れの👪が結構多く来て居り其れでもってウルサクて仕方がなかった。

其れでも3時間程は其処に居たことでせうか、山の中を歩くと決まってわたくしの場合は体調が回復して来る。

 

 

 

山からの帰りにはいつもの如くに天白川の土手を通り帰宅します。

 


此の土手からは山の手の方の教会の十字架の光なども夜間は良く見へる。

 


河川敷のサイクリングコースには、小中学生、高校生の集まりが何と百人以上も溢れて居りました。

 


皆走ったりスケボをやったりシートを敷ひてお弁当を食べたりでもってして。

 

 

要するに彼等には休みが多過ぎもはややることが無ひのです。

 


学校は其の広ひ校庭を利用した何らかの形での授業など出来ぬものなのだらうか。

 

 

 

参ヵ月もの間勉強出来ぬ彼等の学力の低下はもはや必定でせう。

 


しかも彼等が自宅にて本を読んで居るとは思へませぬ。

 


文明のリスク管理の不備がかうして人間の未来さへをも不安にして行くのです。

 

 

 

人類の未来は此の侭ではもはや構築不能なところまですでに追ひ込まれて居りませう。

 


其れは保守的に只絶対的価値ヒエラルキーに寄り掛かり其処での価値を細分化して居るばかりではもはや人間の未来は築けぬと云ふことでもまたある。

だから革命せよとさうした話なのでは無く、保守の枠組みとしての其のあり方を政府+官僚機構、また首都圏の學者などはもっともっと積極的に考へ其れをリスク管理としてすぐさま實行出来るやうにしておくべきだった。

 


だから家康のやり方はあくまで幕藩体制を盤石にする上でのやり方だったのです。

勿論其れは其れで武家政権としては優れた政治上の施策でした。

 


なのですが、現代社会で其れをやり通用するとは限りません。

確かに通用する部分もありました。

誰もが結局東京には頭を下げます。

 


だから関東圏を始め東北も北海道も所詮は東京の属州でせう。

ですが、かのTOYOTAは誰にも頭を下げずに世界のTOYOTAでせう。

 


いや、其れを産業力のある愛知が偉ひと言って居るのでは無く、あくまで東京は抽象的価値の寄せ集めとしての感じがどうもするとさう述べて居るのです。

なのに保守の牙城としての絶対的価値ヒエラルキーばかりにはもう長きに亘り固執して仕舞って居る。

 


特に政府+官僚機構の場合は其の絶対的価値ヒエラルキーを崩さぬことばかりに固執しサラリーマンとしての労働者の命を守ることが大事なことをスッカリ忘れて仕舞って居ます。

 

 

 

其の労働に歯止めを設けぬ限り幾ら学校ばかり休みにしてもパンデミックが収束することはおそらく無ひことだらう。

 


愛知県の場合も産業力がある故に其の労働の制限と云ふことが實は極めてやりにくひ。

 

 

大阪などは其れ以上に商売の方に依存して居る訳ですのでさらに仕事を止めることなど出来なひ。

 


其処をCUTしていく英断こそがまさに安倍政権に求められて居たにも関わらず彼は何もしなかった、いや、出来なかった。

 

 

 


すると次第に感染の収束はもはや無理と云ふ話にも傾ひて仕舞ひますが、あくまでわたくしとしては此の際経済を切ってでも命を守り神佛に祈ると云ふ只其れだけのことだ。

 


此の際各自で佛典を紐解き聖書を読むなどと云ふことをしてみるべきだ。

 


所謂人はパンのみにて生くるに非ず。

 

 

 

明日の御飯の心配などするなと佛陀とキリストがさう同じことを述べられて居たことを皆様は御存じだらうか。

 


但し御飯が無ひと確かに病気にもなり易くなる。

 


此れでもってもし御飯が食へなくなるやうでしたらもはや文明も何も無ひ、其れぞまさに文明其れ自体が招きし自滅の様だらう。

 

 

 

もはや其の折には政府+官僚機構は全否定されてしかるべきだ。

 


だから其の代はりにかのTOYOTAが菓子パンの一つでも恵んで呉れることでせう。

 

 

 

菓子パンでもって今後を一体どう生き抜ひていくのでせうか?

 


だから其処はまさに田舎暮らしの方が良かった訳だ。

 


何でも自分でもって野菜作りをしさうして収穫する。

 


清ひ水が幾らでも山から湧ひて来やう。

 


即ち自給自足にて何処までも行けるのだ。

 


どうです、此処に至り自然の眞の価値が初めて分かったことでせう、其れも日本の大都市圏の人々に対して初めて示されし眞の価値として。