目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

食わなきゃ死ぬだけー壱ー


尚わたくしは元々モノマニアですので近代特に21世紀は物の楽園であると常にさう捉へて来て居ります。

何故なら昭和四十五年-1970年、あの大阪万博の頃は今の二分の一か或は三分の一位しか物がありませんでした。

其の後高度経済成長を終え80年代に入ると質、量共に飛躍的にモノが増えていくこととなる。

さうして現在は明らかにモノの飽和状態となりつつあります。


ただし、質、量共に飛躍的にモノが増えたのはあくまで生活雑貨や食料品や車などの大量生産によるモノの世界のことで、たとへば藝術品や骨董品、それから工芸品などの分野がかってより豊かになった訳では決してない。


わたくしが専門として居るアンティークの萬年筆や文房具の世界などは矢張りどうしても品不足と云うかほんたうに高級なものが入手し辛くなって居る。

万年筆で大体良いのは1920年までの若干職人気質の入った量産品としてのアンティー萬年筆ですのですでに実質上百年以上も経過して居る訳です。


1920年以降はほぼ大量生産品へと移行致します。

アンティー萬年筆に比せば戦後の万年筆は概ねダメです。

ただし可愛いですね、戦後の万年筆は。

変な言い方ですが何処か可愛い。


1960年代から70年代にかけての日本の万年筆はわたくしにとって特に懐かしい。

何故なら其れを使い勉強して居たものだったから。



だからアンティー萬年筆の蒐集に限れば1950年代から70年代位までがおそらくは良かったことでせう。

事実高名なコレクターであるO氏は確か其の頃に仏蘭西やら倫敦やらの蚤の市でもって蒐集を進められて居た筈。



が、実はコレクターも老いそして死ぬんです。

だからコレクターが死ぬ前や死んだ後にコレクションが売りに出されることが多い。


だから実は現在でもチャンスはある。

そして万年筆はあくまで思索の友であり知性としての趣味ですから読書と同じく知的で上品な趣味です。

即ちお勉強に興味の無い人にとっては無価値な趣味でもある。



其れも結構わたくしは深入りして居りますので。

万年筆コレクターは一万人に一人位は居りましょうがことアンティー萬年筆のコレクターに限ればおそらく百万人に一人位のもの。




ですが最近は何故か食欲の方に捉えられつつある。

物欲がもはや飽和状態で、次第に食い気の方へと下りて来たのである。

ところが其処で女っ気の方へはいかないのである。

何故かいけないのだ。

何故だ?

何故女には縁が無いのだ。


だから女には縁が無い分強い食欲がよりわたくしを縛り続けていくのである。


だが実は大食ひではない。

元より相撲取りのやうに食ふ訳ではない。

其の食ひ物としてのモノ、其れ自体に実は強く興味があるのだ。


其れは丁度匂ひに対して強い関心があるのと同じで、其の度合ひが平均的な反応よりも強くよりハッキリして居るのだ。


おそらくはさうした感覚と云うか味覚や嗅覚に置いてより原初的でピュア―なものを持ち続けて居るのやもしれぬ。


だから其の食欲の根のところがおそらくは少し違う。




ちなみにわたくしは幼い頃何も食べない人間として周りに良く知られて居た。

ほとんど何も食べなかったのである。

匂いとか味、さうした感覚上の刺激が余り好きでは無くまた食欲自体が余りなかったのである。


特に肉や魚はいけなかった。

さういう生臭ひものは体が受け付けなかった。

だからわたくしは生まれついての修行者で皆様とは異なる運命の元に生まれて居たのだ。


兎に角わたくしは普通の子供ではなく恐ろしく潔癖で色んなことを考へてばかり居たのだった。

其れも御飯も食べずに考へて居たのだ。



とは云え中学へ上がる頃にはすでに普通に何でも食って居た。

40歳位からは逆に肥満が気になり始める。

だがまことの肥満に至ったことは一度もない。


でも今は少々腹が出て御座る。

最近ゴルフの練習が出来ず菓子ばかり食うので必然的に腹が出る。



ところで我が家は菓子を食う。

其れが普通かと思って居たが世間では逆に菓子を食う人が少ないことに気付いた。


たとへば母方の親類は皆菓子が好きだが酒は飲まない。

父方の親類は皆酒を飲むが菓子を食わない。

酒を飲まぬ人は大抵の場合菓子が好きだ。


ちなみに漱石は酒を飲まず完全なる甘党であった。

漱石は頭を良く使う人だったので甘いものを常に脳が欲して居たのだ。

さう甘いものは即考える為のエネルギーとなる。



尚わたくしの場合菓子は何でもいく。

何でもいくが基本的にデパ地下の高級菓子が好きである。

其れもかの三越高島屋の菓子売り場の高級菓子じゃ。



が、実はカネが無い。

其れで専らスーパーで買って来た菓子を食ふ。


其れも高級スーパーで買って来ると其れが妙に高い。

関税の関係なのか洋物の菓子は一つ五百円も或いは千円もして即ちコンビニの弁当よりも高い。



だから高級スーパーなどもう行かぬ。

行くのは其の辺のスーパーのみだ。


けれど何故かイオンは性に合わぬ。

爺婆に好まれるとされて居るピアゴの方で色んな物を買う。

だがほんたうはお買い物なんて嫌ひだ。


突然怒ったりもするので買い物して居ると実は人間関係の上で極めて危険である。

わたくしは部屋の中に閉じこもり詩人をやるか万年筆でも磨き込んで居た方が良い。

それでも買い物へ行くのは腹が減るからだ。

今わたくしにとっては腹が減ると云うことが生きて居ると云う事であり食ふと云う事のみが生の実感なのだ。



だが過食症なのではない。


食べることが好きなのではなくおそらく性エネルギーを食べることに回し其れを解消して居るのである。







トラピストバター飴の評判は矢張りと云うべきか上々である。

コレは非常に優しい、そして上品な味と甘さとを持つ。

まるで修道女の方々のやうに上品でかつどこまでも優しい。

流石は宗教の方での飴だ。



手作りだからなのだらう、素朴な少々駄菓子にも似た味がするが其れとは洗練度が少しと云うか大きく違う。

キリスト教の精神性が此の飴の味を菓子の神の領域にまで近づけて御座る。

だからある意味ではデパ地下の高級飴などよりももっとずっと上品なお味のする飴だ。


実は尼さんも何かを作って居る場合がありこんな番組なども製作されて御座る。



ただいつも同じやうにオバサンらが飯を作って居るだけなのでコレの何処が尼寺なのだらうかと思わぬでもない。

要するに女が二、三人で飯を作る時は元々其処に宗教はなくただ食欲があるのみだ。

尤も尼寺の周りの大和の自然はほんたうに素晴らしい。

このやうに美しひ自然と其処からの恵みとしての食事があるだけで人間は充分に幸せだ。




たいめいけん 洋食屋さんのスパイスを効かせた 懐カレー 茂出木浩司シェフ監修



屡スーパーでレトルトカレーを買う。
レトルトカレーも奥が深く旨そうなのが今は幾らでもある。

ただし、三百円以上するレトルトカレーには基本的に興味がない。

たとへば700円、千円で凄く美味いのがあったにせよ其れでは生活が成り立たない。

特にわたくしにとってのレトルトカレーは日本人にとっての味噌汁と同じ位置を占めるものだ。

だから高くても400円以下、だが三百円を超えるやうではたまにしか買わないと云う事となる。



ちなみにまだコレは食ってない。

関西にも関東にも中部にも、さうして金沢や北海道、九州にも凄いレトルトカレーは色々とある。

レトルトカレーに就いてはまた機会を設け是非述べてみたいところだ。



ではカレーを煮るのはどうかと云われれば無論煮ない訳でもない。

ただし数箇月に一度位である。

其れも母が煮るのだ。

カレーを煮ると野菜の煮汁とかが滲み出しもうまるで家庭の味になって仕舞ひスパイシーな鋭さが出ないのでなかなか難しい。



ちなみにわたくしはスパイシーなカレーが好きなのである。

英国流ライスカレーではなく印度風のスパイシーな香りや味のものが好みだ。


さう言えばかって海軍カレーにも嵌って居たが最近は高いので買って居ない。



レトルトカレーにまつわるこぼれ話としては、昭和47年頃ー1972年に当時あったほていやと云うスーパーの会長の孫がクラスメートに居てコイツが毎日ボンカレーばかりを昼食用に持って来るのである。ボンカレー

当時の中学には給食がなく皆弁当を持参するのであったがボンカレーを持って来る奴は居らず其れが一種のステータスのやうなものでもあった。


ボンカレーはかやうに当時の上等品だった。

ひゃっひゃーとか言いつつコイツがボンカレーを飯の上にかけて実に美味さうに食ふのである。

さうして決まって口の周りにカレーを汚らしくくっつけたままでひゃっひゃーと食ひ終へるのだった。



ほていやは其の後潰れたが其の後彼はどうなったのだらう。


尚今でもボンカレーは何処にでもある。

然し老舗ゆえの苦戦を強いられて居る。

即ちレトルトカレーに於ける価格破壊の波に付いていけないのである。


今や美味いレトルトカレーが80円位から買える時代ともなって居る。

特にハウスの攻勢は凄い。



カレーが好きな人は毎日カレーを食ふ。

わたくしも毎日一食はカレーを食って居る。

カレー好きの私達にとっては、カレーを毎日食うのは当たり前のことで其れが三食ともなれば確かに凄いなあ、と云う事になる。

何故なら二食となることも珍しくはないからだ。



たとへばカレーを煮た場合。

此の場合には勿論三食ともカレーである。

が、全く飽きなひ。

実は一週間連続で三食でも多分全然大丈夫だ。


ですが東京のさるカレーマニアが数年間に亘り三食カレーを食って居たそうだがコレは流石に真似など出来ぬ。

ちなみに其れを続けて居たところ何と体調が良くなったと云う事だ。


カレーと言うのは印度に於ける味噌のことであるがコレは元々漢方薬にも近いものだ。

香辛料が胃に悪ひのではなくむしろ胃にも良いのである。


さらにカレーを食うと頭がハッキリして来る。

カレーは体と精神に喝を入れて呉れる食べ物なのだ。


だからカレーで元気、夏こそカレー、でも秋でもカレー、いつでもカレー。


尚わたくしは今日胃が痛ひのであるがコレは暴飲暴食によるものではなくストレスによるもの。

其れも会社のバカと対決して居るので嗚呼、チクチクと何やら胃の方が。


さあ其れではカレーを食おう。

ハウッスッバーモントーカレーだよー♪ヒデキーカンゲキー.。

かのカレー王子ヒデキはすでに死んだのではあったが。