今まさに世間を騒がして居る貴乃花親方の問題ですが実はコレが根深い問題を孕んで居りませう。
即ち伝統的価値観と近代革新思想の対立の問題です。
または伝統、慣習を維持したい保守的社会とリベラル思想としての個の尊厳を維持したい世界観との対立の構図です。
結論から申せば貴乃花親方の爆死を覚悟で社会と対決した根性の据わり方は嫌ひではない。
むしろ好きです。
全てを失ったとしてもバカ社会と闘うのだと云う姿勢は尊敬に値するものだ。
尤も其れも大横綱としての力とカネがあってのことです。
貧乏サラリーマンが出来ることではない。
貧乏サラリーマンはカレーライスを食うこと位しか贅沢は出来ませぬ。
其処では常にカレーライスこそが贅沢だ!
バカサラリーマンは頭の出来も悪くかの荘周の如くに精神を解放することなど叶わぬ。
バカサラリーマンはそのうちに会社の奴隷となり社会の奴隷となり衰弱死するほかはない。
バカサラリーマンは不細工な嫁を適当に宛がわれ出来の悪ひ子を二人ばかり遺して六十五位でもってして身罷るのだ。
でも軍国主義はダメだらう、元々大嫌ひなのではなかったか。
いや、勉強し直したのであります。
軍国主義が全部いけなかったと云う事はない。
でもいざ戦争となれば詩人はまず我先にと赤紙からは逃げ去りませう。
どだいこんな悪の詩人がハイ、其れでは今から戦地へ赴きます、などとそんなカンタンに社会になど従う筈もない。
何処か山奥にでも逃げて挙句の果てに「洞窟オジサン」にでもなり其処でもう詩のみを書き溜めていくことでせう。
ひとつだけ言えることは藝術家は政治や軍隊とは無関係でなければならないと云うことだ。
即ち文學的若しくは絵画的或は音楽的に思ひ込みが強いので結局其の思ひ込みの強い政治または軍事活動へと結びついて仕舞ふ。
第一かの石原 慎太郎氏を見給へ!
兎に角今や宣戦布告だぞよ、其の「宣戦布告」だ。
バカサラリーマンであるべきかそれとも藝術を貫くべきなのか。
むしろ其れだけが問題である。
然し、藝術を貫くとカレーライスをもう食えなくなる。
藝術でもって飯は食えずバカをやることだけで、そんなバカ会社や不細工な女房に尻尾を振り続けることだけが君の明日を保証するものだ。
或いは思想で飯は食えぬ。
どんなに高尚なことを言って居るにせよ此の世界はカレーライスとアソコのみで動かされて御座る。
其の不細工な女房の。
またバカ会社。
バカ会社の駆動力は矛盾そのものなので会社が元気になればなるほど社会に余計にバカが振り撒かれていかう。
バカ会社=バカ組織。
貴乃花親方はバカ組織を変えやうとしたが変えられなんだ。
バカ組織=伝統としての価値観であり世界観。
其れから土俵や大日本帝国を継続していく力が御座る。
だがバカサラリーマンと藝術家には其の継続力が基本的には無い。
即ち馬鹿と利口にとっての理想を貫けばもはや明日はやって来なひ。
其れでもって絶望とそして悲哀をもってして其処であへて腐ったものに尻尾を振り続けていく。
明日もまたカレーライスにありつかんが為に。
明日もまたペンと紙とを恵んでもらわんが為に。
だから貴乃花親方が正直とても羨ましひ。
伝統的価値観と近代革新思想の対立の問題の本質も実は其処にこそ尽きて居らう。
ただし、現代社会では其の対立構造がむしろ逆になって居らう、全く逆に。
即ち大相撲と云う特殊な伝統的領域でのみ近代革新思想が敗れ去ったのである。
だが普通は其の逆に伝統的価値観の方こそが其処に敗れ去るのだ。
謂わば伝統的であることの必然性に欠ける領域に置いて其の伝統的価値観の破壊が齎されやう。
絶対にさうでなければ成立しなひと云う価値観以外の世界ではリベラル的革新の価値が正当化され伝統は破壊されるに至る。
性のあり方をはじめとする日本国に於ける規範意識や商取引、教育、食生活、など多くの分野で其の近代の浸食は進み伝統が破壊されるに至る。
わたくしは其こそが問題だと捉えて来て居る訳で別に軍国主義者でもなくかつリベラル論者なのでもない。
厳密には保守主義者ですらない。
厳密にはあくまで超俗せし詩人なのじゃ。
さうしてかの荘周の如くに自由に心がお空の上を飛んで御座る。
其処で曰く軍隊なんてそんなものは金輪際御免だ!
どだい幼稚園でも逃げて回って居た者が軍国主義者などになれやう筈もない。
然し同時に破壊を齎すリベラル進歩主義などクソくらえだ。
なので、
そもベンチがアホやから野球がでけへん。
そも社会がアホやから仕事がでけへん。
そも女がアホやからまともな社会がでけへん。
そもサラリーマンは根がアホやから社会に尻尾を振り続けることしかでけへん。
そも藝術家は皆決まってほぼキチ外やから猫または仙人をやり続けることしかでけへん。
そも貴乃花親方は其の伝統の中の伝統と闘い爆死することしかでけへん。