目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

女、実はコレが宇宙一の謎である


さて共に東大卒のエリートである五十代の男につき出来得る限り弁護してみたいと思います。


まず東大卒のエリートである五十代の男達は兎に角お勉強をしこたまして来て居ります。


当然のことながら根は理性的な人々の筈です。



しかしながらお勉強、実はコレこそが曲者です。


元より勉強をすればする程観念化の度を強めていきましょう。


即ち勉強をすればする程所謂観念論に陥っていく。



そうすると、主客の区別がおかしくなり易く我は君であり君は我でありつまるところ残るのは全部我なので我中心でいいと云う考えに傾きがちとなる。



利口が大抵観念論で自己中心的ー唯我独尊ーなのには実はそんなカラクリがあります。


ですがそればかりではなくもっと切実な下の方での悩みがインテリにはあります。



つまりはそれが利口なゆえに理性的抑制が下半身に効き過ぎて居り動物としての人間の本能が解放されにくいと云うきらいがどうしても其処にある。


利口つまり理性、此の理性が獣欲としての下の方の要求をガチガチに抑えれば抑える程に自分の中の動物が解放されないので何やらいつもスキッとせずモヤモヤしても居りましょう。



其処へたまたま綺麗な姉ちゃんが目の前に現れますと、其処でもう、おお我である君がいまし此処に出現せり!などとつひ思ひ込んで仕舞うのです。



其れで何やら卑猥な言葉がつひ口をついて出るやうになり、そればかりか姉ちゃん、どうだ、今夜付き合わないか?などと誘いをかけるやうにもなり、のみならず女の連絡先を聞き出し屡待ち伏せしたりするやうにもなる。



そうこうするうちにお勉強する為の時間が全て剥奪される為たとへどんな利口でも理性が効かぬ状態に、即ちアノ動物のオスたちの繰り広げる個体存続の為の争い、しつこいばかりでの生存欲の発現の世界へともうとめどなく引き込まれていくのであります。


イザそうなると、もはやケモノと化した其の一匹の獣と化した君はそれまで積み上げた理性的なキャリアの全てをかなぐり捨てかの女の元へと、かの悪魔の元へと突進していくのみじゃ。



君よ理性の体現者よ、しこたま理性を積み上げしまさに神にも等しい人々よ。


君のキャリアが其の一言で、其の淫売窟での一発で反古にされやうといふのに何故分からなんだ?




が、昔はそんなエロい戯言位普通に女共に言ったりしていたものです。


女共はまた普通に酒宴の席で尻を撫でられるだの、はたまたスカート捲りでスカートを捲られたりして居たものでした。


ー事実私もスカート捲りをやりました。丁度小学三年生の頃です。ところが担任の先生が怖いオバサンだったので私はズボンを脱がされパンツ一丁で其の日を過ごす羽目となった。今思えばまるで土井 たか子のやうな怖い先生でした。-




と云うことはどうも女性の地位が向上して居るものらしい。


かの与謝野晶子平塚らいてうからの流れが、其の女性解放運動からの流れが、いやそればかりではなく近代の思想的解放としての女性の平等観の流れが女をしてどこまでも持ち上げ女の肉体をば須らく神聖化していく。


神聖?


だが何処が神聖なんじゃろうか。



逆に腐って居ないか。


元々腐って居る女の肉体が美化されて居るだけだ、もうまるで文學的に美化され社会的に過保護にされて居るだけのことだ。



実際過保護にされた女程タチが悪いものは無い。


無論のことそうではなく銃後を守る精神こそが日本国の女共のあるべき姿でありまさに良妻であり賢母としての模範である。




第一エロ、コレが世の中から無くなると困るのはむしろ女の方である。


であるからむしろ喜んで其のエロな戯言に付き合っていきなさい。


尻を撫でられたらむしろ感謝して其の親密な行為を受け取る。



然し、其処で決して一線を越えてはならぬ。


ただ場合によりスカートだけは捲られても良い。


然しパンツを捲られては絶対にいけない。



いけないんだ、絶対にダメだ。


なりませぬ、なりませぬ、なりませぬったらなりませぬ。




ではもうお一方の方を論じませう。




いや、然し、此の方は、どうにも可哀想だ。


まさに同情致します。


事実婚活パーティにも出られて居たそうです。



ところが相手にされなかったそうです。


何故だ?



医者でもってしてしかも弁護士だ。


なのに何で嫁が貰えないのか。



今の女共は一体何を考えて居るのだ。



確かにかく言うわたくしも今は不自由の真っただ中。


此の不自由、何かと不自由は私が利口過ぎて女には理解が及ばない知性の持ち主であることとおそらく無関係ではあるまい。



いやズバリ其のことがほぼ絶対的な要件である。


即ち理窟がちであり過ぎることが。



ですがちょっと待て。


もっと深く考えてみよう。


すると自然の排除=性の合理化と云う部分にどうしても突き当たって仕舞う。



でもモテる奴はモテるんだ。


其れは何故か?


即ちバカだからだ。


と云う事はバカ、其れも性に対して=生に対して疑いを抱かないタイプのバカこそが女にモテると云う事となろう。



と云う事は其の女の選択の目的とは畢竟生自体の合理化と云う事になるのではないか。


何故なら其の伴侶としての男の方のバカは性をそして生を祀り上げて居る。


とんでもなく性をそして生を祀り上げて居る。



それでもって命は大事ですよ、子供たちの未来は大事なので是非お父さんに頑張って貰い學士様修士様博士様くらいにはしてもらわないとねー。


其の大事だと云うこと、生命の尊重、人権の尊重、平等の尊重こそが近代に於ける基本的な概念だ。



須らく人間を偉くみせて居るのが近代の思想の根本の支柱であり=近代女性の常識的発想であり信仰なのである。



ただし其処に理性による批判が加わると其の信仰が貫けなる可能性が出て来やう。



どうも此の方は其処に引っかかり嫁が貰いにくくなって居たのではなかったか。


いやそうではなく単に不器用だったからモテなかっただけなのやもしれぬが。



いずれにせよ、二人とも超頭が良くてしかもバリバリ仕事をこなして居たではないか。


それなのによりによって何で女で躓くのだ。




女、実はコレが宇宙一の謎である。


宇宙の謎に等しいのが女の頭の中身である。



女の頭の中身は、基本的に男性諸氏には理解不能である。


女の頭の中身は常に子宮による規定を受けて居り多分と云うかもうほとんど動物的である。



動物的だから実はサルのメスとそう変わりがない。


違うのは、人間の場合は発情期が無くのべつまくなしに発情して居ると云う点だ。



此の宇宙一難解な女としての何かに引っ掛かり大の男二人がプータロウにされて仕舞ったのだ。


いやはや、この度は誠に災難で御座いましたねえ。



かの与謝野晶子平塚らいてうからの流れが、そしてかの土井たか子からの流れが確実に我が国の性をそして生を蝕み、かつ男性諸氏の地位を剥奪し人間性を奪いただのオッサンへと、もはや何の力も無く何の取り柄もないタダのバカ男、ハゲ男へと変容させて仕舞うのであります。


嗚呼、何と恐ろしいことだ、嗚呼、何たる理不尽か。




勿論ちゃんと結婚しようと思った。


でもデカい女共が其の努力をこそ反古にする。



泣いて頼んだにも関わらず、妻はワタシを置き去りにし出て行った。


卑猥な言葉でもってちょっとストレスを解放したら官僚人生にピリオドを打たれた。


婚活でもモテないので女に手を出したらとんでもない女共で知事としての全てを毟り取られた。




まあ男は莫迦だけれども、其れはあくまで下半身バカなのである。

対して女は頭の方がほんたうにバカだよ。

今の女が怖いのは、先に述べた近代主義の履行からの合理的価値観を植え付けられて居る点にこそある。



だから今の若い女共は女としての肉体を割り切って売買して居る。

不器用で不自由で金のある五十代が其れに引っ掛かる虞は多分にある。

だから結婚とかそうしたロマンスでは無いのである。


あくまで肉体を商品として提供して居るのである。

だから彼が結婚とか切り出しても其れは一蹴されるばかりだ。

よりタチの悪いのは、今の女でも根本はバカの癖にそうした合理主義に染められて仕舞って居ることだ。


まさに恐ろしい時代が到来するに至った。

女のバカが合理性の虜となること程怖いことは此の世に存在しない。

人類の危機とは地球の温暖化でも生物種の絶滅でもない。

ズバリ女が合理化されるに及ぶことこそが人類滅亡の引き金そのものとなることだろう。