目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

女人禁制ー壱ー


そも女と云うのは究極の謎なのであり謂わば高くて低い存在なのです。

即ち生ー性ーに対しては高く聳え立ち逆に死に関してはまるで無力な存在なのだとでも申せませう。

しかも本能的にさう規定される所が大で精神と云っても女の精神は死なり破壊なり消滅なりの意義を汲み取れぬやうしかとブロックされて居ります。

其れは子を育む為の一種の合理的な原理です。

逆にメスは常にさうでなければならない訳です。


では結局役割分担なのかと云えば確かにさうでせうがより強く人間の持つ矛盾的罪障を顕現させると云う意味での悪魔そのものなのです。


ならば男性ならば悪魔にはならないんですか?

いや男性も究極的には悪魔でせう。

男女共に悪魔であることからは逃れらぬが女性はより深くそして大きく其の悪魔としての心のあり方に捉われて居やう。

だから其れが良いか悪いか或は善いか邪かと云う価値観で捉えれば其れはあくまで悪くて邪です。



でも女は性欲や食欲の面から捉えればまさに天使のやうなものだ。

生きる為の欲=エロースの領域にとってはあくまで其れは神の御使いでせう。


どだい母ちゃんは誰にとっても神様仏様です。

或いは弁天様であり乙姫様です。

だからこそわたくしはかって女は母になることでこそ全ての罪障を消滅させることが出来ると述べた。



女は女であってはならず母になることでしか此の世界での正当な存在意義と云うか正当な地位を失ふものだ。

女性の持つ精神的な意味での罪障がさ程に大きくより深く食い込んで御座るゆえさう述べたまでのことだ。



だから良妻賢母としての女性は悪魔などではないですよ。

逆にオールドミスの高学歴女なんてのはもう兎に角悪魔の権化そのもののことでせう。

其はもうまるで食えない女だと云うことだ。


一言で言うと性にはよらずして人間には悪魔化する可能性が常にあらうが男性よりは女性の方が真理領域に程遠い心性の持ち主なので必然的に悪魔化し易いのだと言えやう。


でも余り悲観的に考え過ぎない方がよろしいやうで。

わたくしなんぞも実は心理的に半分位女なのでもう兎に角嫌らしい性格をして居り果たしてこのまま生きて居て良いのかと常にさう思うばかりだ。

いや、其れはわたくしが純粋な女の心ならば決してさうは思わぬ筈なのだが其れでも半分は男なのでつひさう反省をして仕舞ふのだ。



ですがね、女性の中でも特に意識の高い人々などは自分が女であり性や生に関して前向きに開かれ過ぎて居ることに関して疑問や或は批判的な眼差しを投げかけたりして居るのやもしれぬ。

わたくしはさうした女性が一番好きですね。

さういうのは多分ほんたうに利口な女性なんでせう。


でも出身大学のレヴェルからしてたとへ偏差値が55以上はあってもわたくしの経験からすれば利口な女であるのかどうかはまるで分からないですね。

むしろコイツ馬鹿なんじゃないかとほんたうにさういう女でもさう思えるのですね。

確かにわたくしの方が頭が良過ぎるきらいもまた御座いませうがほんとはコイツは偏差値三十五だとマジでさう思えましたりも致しました。



なのでわたくしに限り女の理性と云うものを一切信用して居りません。

ハッキリ申しましてバカ大出身の男性の方が利口だと感ずることが多く何と云うか精神領域に関しては少なくとも真摯です。


女は精神的な領域に関しては疎いと云うかそもさうした領域への真摯さに欠けるやうな気が致します。

確かに利口な女には意識の高い方も居られませうがどうも其れが一番にはなって居なひのですね、其の精神的な領域のことが。



だから女は精神を生きては居らずあくまで現実的な事項への興味が高くありつまるところは唯物論的であり即物的な存在です。

だから殉教とか切腹とかそんな精神論に対してはまるで理解が及ばぬ。

ましてや詩を解さぬ。

たとへば詩の中に愛と書いてあると其れが愛だと決まって勘違ひをして御座る。

愛と書いてある詩程真の意味での愛とは言えぬものだが其のカラクリこそがまるで分かって居ない。



其の癖バカバカしい表面的なムードのやうなものには極めて弱く優しひと見せかけて実は狼である狡猾な男の本質を見極められぬ。

其れと云うのも表面的な価値観の世界を常に泳ぎ続け生きて居るからのことだ。

なので結論として女に精神を求めるのは間違ひでありむしろ肉体だけ、つまりは尻と胸だけ、と云うやうに限定して考えておき事実其のやうに尻と胸のみを触るべきだ。



そんな肉体の悪魔であれ君と一緒になった其の女はやがて母ちゃんとなり其の時点で女は諸の罪障を滅し聖母様にもなっていかう。

無論のこと其の聖母様とは君の子にとっての聖母様マリヤ様だ。


嗚呼、マリヤ様、どうかどうか此のわたくしめを優しく撫でて下さりませ。

わたくしは今日職場でもってイジメられて参りました。

もはや辛抱がなりませぬ。

もはや命の灯が切れかかって居りかう息をして居るだけで苦しひ。



おお、そうかそうか、良い子じゃ、良い子じゃ。

ほんにおまへは善い子じゃぞよ。



嗚呼、おっかあ、生き返りました。

わたくしはたった今生き返った!



さうだ、其こそが母の力なり。

海よりも深く山よりも高く聳ゆる母の愛そのものだ。

無私の愛、無償の愛、エロースを超えた真の愛そのものがソレだ。



わたくしは其れをこそ最大限に評価する。

其こそが女の真の価値であらう。

確かに所謂マザコンにも近いがさうだ。


だから其の女の即物性、そして本質としての欲深さと其れに反比例する形での非精神性。

さうした悪い心、邪な心の部分を聖母化または観音菩薩化することで須らく浄化して仕舞うのじゃ。

だから矢張り女性は是非SEXして子供を産むべきでせう。



然し暗い男性は僧院へ籠り生殖器を制御し金輪際女には近づくべきではない。
ー暗い男性は生殖器を制御し易いと来てるー


暗い男性よいつか我と共に昇天しやうぞ。



尚女人結界や女人禁制とはむしろ女性の心が邪であることに対してさう為されて来たのだとわたくしは捉へる。


「女人地獄使。能断仏種子。外面似菩薩。内心如夜叉」ー唯識

「又女人身猶有五障」ー法華経


女は地獄の使いであり悉く仏との縁を断つ。

菩薩のやうな顔をして居るが内面は夜叉の如くである。




まあ其こそがほんたうのことでせう。



尤もさうした二面性を獲得して居ざる得ないのが女だ。

其の二面性こそが子を育み生を維持する為にはむしろ大いに役立つ。

其の心の面での裏街道をあへて引き受け女共は悪魔としての生命を此の世に産み落とす。

また自分も其の悪魔の親としての悪魔の母ちゃんな訳だ。


でもだからこそ聖母でもあり得る。

まさしく性悪だからこそ聖なる存在にもなり得るのだ。

其の二面性は心に於ける分解度又は分離度が高くてさうならざるを得なひ。



だから役割は其処で充分に果たして御座る。

神仏でさへ其の女の価値を認めておいでだ。

だが子を産まぬ女は結局タダの悪魔とならざるを得なひ。

其のやうな心理的特性を生きて行かざるを得なひ。



だからこそ産めよ、増やせよ。


全くもはやすでに七十億人も人間が地球上にバラ撒かれて居ると云うのによりによって何でこんなことを言わねばならぬのか理解に苦しむ。

けれど心性としての原理的にはあくまでさういふことだ。


女共よ、どうだ、詩人の云うことの真の意義が今分かったか。

其れとも金輪際分からぬか。



結論…「子を産まぬ女こそが真の悪魔であり子を産んだ女こそが本質として悪魔を離れ救われまする」


無論こんなことを言へば左翼のバカ女共の仇敵そのものとならうが何せわたくしが感得した真理なので仕方がない。

従って子を産まぬ女には生産性がなくしかも利己主義で自分が利口だと思って御座るバカそのものの女のことである。

しかも其のバカは永遠に続くぞよ。


ただしふしだらな真似だけは絶対にしないやうに。

君が股を開くべき時は必ずや旦那様の前でのみじゃ。



尚、其の母なる者の無償の愛に就いては実は若干の疑問も残る。

即ち利己的な本能欲が其処で最終的にアガペーへと昇華され切って居るのか否かと云う疑問が残る。


第一かの冬彦ちゃんを愛する母の愛は余りにも愚かつまりは盲目的だ。

母親の愛は所詮は其の無明を脱し切れて居らぬのではないか。


まさにそうではあらうがとりあへずはさう認めて置くしかない。

つまるところはバカ女がまともになりたければもう母になるしかないんだよ。

バカ女はそんなこと何も分からぬので今まさに詩人が教えてやったんだよ。


バカ女は自分がバカでないと頑なに信じ切って居るので其れは誤った宗教である。

其の事だけを今此処に示しておくので後はご自分の頭にて考え今後どう自己を処していくかを決めていきなさい。

確かにバカは死んでも治らぬものだが君が悩んで居ること位は詩人にもしかと分かって御座る。


其れに悩むだけまだマシな女じゃ。

悩まぬ左翼女程の悪魔は此の大宇宙の他の何処にも居ない。