ところで其の価値ヒエラルキー自体の解体が宗教の役割なのでありまして。
だからバイ菌だの何だのと酷いことを言われても人類は文句を言えない訳なのでもありまして。
宗教は究極としての普遍性を追い求める精神の領域ですので其の価値観自体が俗世間のものとは異なります。
ですが人間と共に宗教はずっと続いて来て居ります。
すでに何千年もさうなって来て居ります。
ところが今宗教なんて要らないのじゃないかとさう一部では云われたりもして居ます。
第一宗教は過激だ。
かのオウム教やかのイスラム国のやうに過激だ。
確かにさうも云えませうがおそらくは宗教の自己矛盾過程として其れは必然的に生じたものである。
そんなものよりも現代文明の方がずっと怖いのではないのか。
原爆も遺伝子操作も性の破壊も謂わば皆悪魔の仕業そのものではないですか。
第一人間が地球環境を破壊して他の惑星に移住せざるを得なくなるのだとして其れが悪魔の仕業でないと其処で誰が言い得るのでせうか。
わたくしは其れこそが悪魔の仕業だとさう結論付けるよりほかありません。
現代文明に於ける諸相が人間の営為の必然の結果齎されるものであるのならば所詮人間は悪魔なのだとさう規定せずばなるまい。
さうして宗教は過激には非ず。
至極まともな人間の精神としての営為なのであり当然の如くある認識です。
勿論宗教にも色々とある訳ですが伝統的な仏教と伝統的に奉ぜられて来しキリスト教の教義は誤ってなど居ない。
むしろ誤って居るのは現代文明に於ける価値観です。
其の価値観に洗脳されて居る我我はすでに救ひ難き人間になって居やうが其処を何とか精神の座標軸を戻し少しづつまともになっていかうと云ふのがわたくしの主張の全てです。
其のやうにわたくしは現代的な価値即ち近代価値ヒエラルキーには重きを置かないやうにして居る。
まあほんたうは本気で半分位は其の価値を否定し山奥にでも引っ込むか新興宗教団体でもつくるかしてみたいところなのですがあくまで現実的には其れは無理と云ふものだ。
だからこうは言いながらも七割位は其の価値に従ひ動いて居りますからどうか危険分子だなどとは思わないで頂きたい。
だから兎に角わたくしが危険なのではなく現代人の頭の中身こそが危険なのだ。
だからわたくしは至極まともなことを言って居るばかりだ。
曰くふしだらな性の営みを即刻止めまともな生活に戻りなさい。
曰く科学浪漫の追求などもう止めどうせ追求するなら人文主義に浪漫を発見していきなさい。
曰く宗教を嫌ってはいけない、宗教はアナタ方を天国ー極楽ーへと導くたったひとつのか細い道のことだ。
タダでさへか細い道でありそして狭き門であると云ふのに、余計に宗教を毛嫌いして其れが何か悪いものの象徴であるかのやうに思ふこと自体が君等が悪魔化して居る証拠である。
悪魔化した人類は性を快楽の道具となしさらに大金ばかりを追い求めしかも美食や新製品にばかりうつつを抜かしまさにやりたひ放題だ。
のみならずすぐに車に乗りたがる。
然しそんなものは必要ではない。
わたくしは此の五年間車の所有を止め全てを自転車にてこなして来て居るが其れによりむしろ健康な体となった。
そして女には触れるな。
何故女がいけないのかと云うと其れは価値観が腐って居るからである。
さらに医者へも行くな。
余り医者に行き過ぎて体を壊してはならぬ。
其のやうなことよりも粗食を続け畑仕事に精を出し兎に角リヤカーをどこまでもどこまでも引いていくこと。
其れだけで必ずや医者要らず、病院要らずの頑健な心身が形成されることだらう。
兎に角必要以上に文明を信じるな。
文明は善なる悪魔が推進する罪の過程でありマーラの顕現なのであり其は何処までも罪深くさうしてどこまでも腐って居るものだ。
其のやうな文明の営為に心身をドップリと浸してなどして居てはならぬ。
確かに詩人も其のことを薄々感づいては居たがハッキリと其の事に気付いたのはかのショーペンハウアーの著作物をじっくりと読んでみてからのことだった。
其の生殖器のムラムラ即ち性への意志=生への意志のみが物自体としての渇望=欲望への希求そのものであり実は其れだけが此の生を成り立たせて居る根本因である。
其の生殖器のムラムラは無論のこと男女共にあり丁度花々が虫を誘うかのやうにごく自然に、さうまさに自然な肉体の営為の結果として其処に性との結合を果たし同時に生との結合を果たす。
だから性エネルギーの放出こそが謂わば此の世との結婚なのだ。
其の結婚をあへて行う自然とそして人間は其処に救ひ難き罪障を刻まれ永遠に無明の世界を罪深き悪夢の世界を生きて行かざるを得ぬ。
だからどうのこうのではない。
ハルマゲドンの勃発でも温暖化の危機でもない。
究極的には其の当たり前の自然としての人間の性の営みこそが問題そのものなのだ。
ただし自然界に於ける其の盲目的な生への意志による破壊の度合いはむしろ考えなくて良いものだ。
人間が動物を其のままに履行することで破壊し得る範囲こそが甚大なものであり修復不可能なものであるだけなのだ。
其のやうな破壊の原理、性としてまたは生として組み込まれし根本矛盾、即ち生としての不可逆的破壊の様、また不可逆的負債、本質としての罪障の様を彼こそが嗚呼彼こそが其処に鋭く描いて見せて居た。
其処から必然的に導き出されやう禁欲の様、まさに人類が長きに亘り勤しんで来し耐へ忍ぶ其の心映えのこと、即ち耐へ難きを耐へ忍び難きを忍ぶと云う其の決意、ありとある欲望の軛を振り払ひただひたすらに真理の為に、真理をば我がものとする為艱難辛苦に打ち克ちしかも女を遠ざけかうして修行して参った。
其処ではまずは栄養を摂らない。
何故かと云うと過分に栄養を摂ることで必ずや生殖器がムクムクと目覚めて仕舞ふ。
なので聖人はまず喰らふ飯を最小限に抑え余分な精力の発散を避ける。
さらに神かまたは佛のみを信じる。
何故なら神かまたは佛以外のものには須らく悪魔の意図が薫習していやうからだ。
第一車、筆記具、カレーライス、ゴルフの道具などには此の悪魔の唆しが必ずや宿って御座る。
さらに知識欲、コレに憑りつかれて我は千冊ものを本を一年で読み漁りました。
などと利口振って居る輩には増上慢としての罪、神をも畏れぬ我執への罪が蓄積されていくのみだ。
故に物質もまた精神も全て神仏へと至ることへの妨げとなることばかり。
真の宗教家は物質にもまた精神にすら背を向けただひたすらに禁欲し修道院または僧院の中に引き籠もり兎に角女には一切縁の無い生活を送る。
では何故女に縁があってはいけなひのか?
嗚呼まさに花よ蝶よと詩人はあんなにも女を持て囃すではないか、なのに何故其の生の美果を其の性としての希望をよりによって捨て去らねばならぬと云うのか。
だから先程から何度も云うて居ります。
まさしく其れが悪魔である。
だから修道院では禁欲の日々が実際長く長く続けられて来たのであった。
さうしてお寺でも其れは全く同じことであった。
なので僧侶は生殖器を元気にしてなどして居ては決してならぬ。
生殖器をばトコトン弱らせもうまるで反応しなひ、どんな蝶が花が近くに寄ろうとももはやまるで反応の無い。まさに完璧な性欲の克服、そして放棄こそが聖職者には求められて来たのであり其れだけがまさに其れだけが宗教に於ける究極としての修行の内容である。
即ち真理とはズバリ性への意志の抹消であり其こそは=生への意志の抹消のことである。
では女の代わりに男の匂ひを嗅いではどうか?
そんなもの無論のことダメだ。
男に反応する生殖器はむしろよりタチが悪ひ。
では女の代わりに花の匂ひを嗅いではどうか?
そんなもの無論のことダメだ。
でも個人的にはありだと思ふ。
何故なら現代人の修行とはあくまでさうしたものであるほかはない。
女は断っても花の香りを絶つことは出来ぬ。
ましてや筆記具やカレーライスを絶つことは出来ぬ。
でも車はすでに絶った。
其の近代的な価値ヒエラルキーとは女の匂ひと同種のもの、即ち女の体内から発し男の心を惑わせる悪魔の誘惑のことだ。
特に近代的な価値ヒエラルキーには子宮思考としての欲望がほぼ完全に備わって居やう。
其の悪魔の誘惑から逃れ清き正しき生活を成り立たせることは容易ならざることである。
なので女を断ち、さらに大食いを断ち生殖器の反応を極力鈍くさせておく。
さすれば君は皆から決まってバカにされやう。
しかれども其が其れこそが真理へと至る苦行の道即ち神へと至る荊の道である。
確かに一部に不届き者が輩出せしめ其の生殖器の反応をよりによって水商売の女などに向けて来たりも居りしがあくまで其れは不逞の輩の行ひであり決して真理を志す者の行為ではない。
禁欲、是こそが現代人をして諸の地獄から救ひ出す唯一の修行の内容だ。
其の禁欲の根幹をなすものこそが生殖器の制御である。
汝が生殖器をいますぐに鎮静化せしめよ!
と云ふ天からの声が今わたくしの耳に届いた。
其は仏陀からの説法でありキリストからの諭しであらう。
さうして何よりショーペンハウアーよりの御達しでもある。
禁欲せよ!
さうして同時に近代価値ヒエラルキーを粉砕せよ!
生への意志をば否定せよ!
性への執着を今すぐに去れ!
とアノ爺さんは今でもさう宣うて居るのだ。